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まつとし聞かば  作者: 夏野
第一幕 少女、雪中花の如く
25/202

二十四

「ふふっ」


 触れ合う間際で女がくすりと小さく笑う。その仕草さえしなやかだった。

 雪が抵抗しなかったことに満足したのか、女は雪から離れた。


「どうして、私をここに連れてきたんですが?」


 この質問は今さらだったが、美人に詰め寄られた照れを隠すために雪は言った。


「困っていたから助けてあげたくなっただけ。余計なお節介だったら帰っていいよ」


「もしかして、化粧を……?」


 女はそうだという返事の代わりに、雪が買ったばかりの化粧品を手にかかげる。

 要は、化粧のやり方を教えてくれるようだ。


「あとは、貴女をもっと可愛くしてあげたかったの」


 店内には雪と女の二人しかいない。

 一つ一つの音が研ぎ澄まされて、相手の息遣いすら互いに聞こえてしまう。


 雪は女に化粧を施されるままに身を(ゆだ)ね、女の説明に懸命に耳をかたむけた。

 紅の差す塩梅(あんばい)や塗る箇所、どれをとっても化粧というのは複雑で難しい。


 女は化粧に慣れているが、雪は化粧に慣れていない。相反する二人は、けれど波長が合うのか、話していて互いに居心地がよかった。


「終わったわよ」


 最後に、唇に紅を引いて、女はそっと指を離した。

 雪が女に(うなが)されて鏡を見れば、知らない自分の顔があった。


「化粧って、こんなに変わるんだ……」


 少女の顔からはあどけなさが消え、誘うような唇には色気があった。

 大きい瞳を潤ませれば、地味な面影は消えている。


「元がよくなきゃ、こんなに綺麗にはならないわ」


 女はどこまでも褒めてくれるが、今まで可愛いと言われたこともなければ、見違みちがえたのだは化粧と女の技術のおかげだと、雪は思っている。

 この姿ならば、辰巳の隣を歩いても恥ずかしくはないだろうか……


「通りすがりの者に、こんなに親切にしてくれてありがとうございます」


「堅苦しくしなくていいよ。私は紫乃(しの)ってんだ」


「雪、です。紫乃さんはここで働いているんですか?」


「一応、主人をやらせてもらってるの」


 女は自分よりも少し歳上くらいに見える。

 もしかしたら、実年齢よりも若く見えているのかもしれない。


 いずれにせよ、そのくらいの(よわい)で店の主人とは感心するしかなかった。


「雪が思っているような店じゃないよ、ここは」


 いきなり呼び捨てで呼ばれたことに内心驚くも、紫乃からであれば嫌ではなかった。


 紫乃は、少し(かげ)りのある笑みを見せる。


「一見、ただの居酒屋に見えるだろうけど、鈴鹿に来る客は男ばかり。その客の相手をするのは女たち。二階ではその男女が二人きりになれる。そういう店よ」


 かの有名な吉原のように幕府から公認されてはいないが、岡場所やここ鈴鹿のように、幕府の非公認で女が色を売る場所は数多(あまた)に存在している。

 つまり鈴鹿は、一階は飲み屋の(てい)を装っていて、二階がことに及ぶ場となっていた。


 雪は紫乃の言葉の意味を理解できないほど、初心(うぶ)ではない。


「雪から見たら汚いところでしょ」


「泥団子を売っているならまだしも、汚いなんて、そんなことありません」


「……っく、泥団子って……」


 紫乃は一瞬だけ驚いて、すぐに(こら)えきれずに噴き出した。


 面白いことを言った自覚がない雪は、瞬きをくり返して紫乃を見る。


「そんな風に言われたの、はじめてよ」


「ごめんなさい、可笑(おか)しなことを……」


「違うのよ。こういう店で働いていると、悪く言われることが多いから。気にしちゃあいないんだけどね」


「そんな……悪いことなんてしていないのに」


「まあ、お上の禁制には従ってないんだけど。でもそうね、私たちは何も悪いことはしてないわ」


 色を売る女は、とかく(さげす)まれることが多い。

 誤解ではあるが、色を売っているという噂がつき(まと)う雪もそうだった。


「あんたのこと気にいっちゃった。よければ仲良くしたいな」


 私なんかでよければ、と言おうとして、雪は違うと思い直した。


「私も、紫乃さんと仲良くしたいです」


 二人が得たのは、理解者だった。

 他人から蔑まれていようと、信じるに値する存在がいる。


 雪はこの出会いを、嬉々(きき)として胸に刻みつけたのだった。


「上手くいくといいね。()い人がいるんでしょ?」


 女はこの手のことを、機微(きび)に感じ取れる。

 雪は頬を染めて、小さく(うなず)いた。

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