表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
まつとし聞かば  作者: 夏野
第五幕 草の縁
202/202

 拝啓

 おっかさん、おとっつぁん。無事に相模(さがみ)でお過ごしとのふみが届いて、安心しております。

 私は珊石先生の下で、日々勉学に勤しんでおります。

 まだ慣れないこともありますが、たくさんの書物に囲まれる生活は充実していて、好きなことをさせてくれたおっかさんとおとっつぁんには感謝してもしきれません。

 ことにおっかさんは、恩人に会うことができて何よりです。

 しばらく会えていませんが、相模の旅を満喫してください。

 おっかさんとおとっつぁんの帰りを待っています。

 静介


  *


 静介は手習所に通い出して間もなく、珊石に才を見出され、珊石の元で暮らし、指南を受けていた。

 母も同じく珊石に学び、克草塾の分塾である(しずか)堂で、文字の読み書きができない者たちのために手習い師匠をしている。


 静介が珊石の下で学んでいるのは、母の伝手(つて)があったというわけではなく、はじめに静介の賢さに気づいたのは、静介の通っていた手習い所の師匠であり、その手習い師匠が珊石と知り合いで、珊石に静介を紹介したという経緯いきさつがあった。


 数え年で八つにして、静介は親元を離れていた。


 静介は珊石から自身の元で学ぶようにと話を持ちかけられたときに、真っ先に母親に相談した。


 それというのも、父親は道場で師範代をしていて、自分が勉学の道に進むと言えば、父は哀しむだろうと考えたからである。

 しかし剣術には興味がなく、道場に通う気もしなければ、書物を読んでいる方が性に合っていると自覚していた。


 両親の落胆する姿を恐れて、それまで正直に打ち明けることができなかったのだ。


「静介は、静介のやりたいことを選んでいいのよ。おとっつぁんもきっと、同じ思いだから」


 母はそう言って、父に相談してくれた。


 静介が思っていたよりも父はあっさりと了承し、むしろ母と同じような道を選んでくれたことに、喜んでくれたのだった。

 好きな道を選ばせたのは、勝手な運命に振り回された父の願いがあったからである。


  *


 雪と辰巳、二人は鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐう舞殿まいどのにいた。


 二人が江戸を発ったのは一月ひとつき前である。

 約一ヵ月間にも渡り、竜次とお政の夫婦が営む相模の商家に長逗留していた。


 竜次とお政は、雪の恩人である。


 お政が相模へ行ってしまった後も、雪は文のやり取りをしていたのだが、文字を書けなかった雪はいつも代筆を頼んでいたところを、珊石に学び、自力で文字を書けるようになったのは、数年も前のことだ。


 静介が家を出て、手のかからなくなったときに、雪が会いに行きたいとお政に申し出たところ、両手を上げて受け入れた彼女は、しばらく自身の家に雪たちを泊めてくれたのであった。


 雪と辰巳が江戸に帰る前に立ち寄ったのが、鶴岡八幡宮である。


「ここで、静御前が舞ったのですね」


 平安の御代(みよ)に存在した静御前は、かの源義経の愛妾あいしょうだった。

 鎌倉は義経が敵対した兄頼朝の本拠地であり、敵方に捕らわれた静御前が勇敢にも、敵前で義経を想う舞いを披露したのが、この鶴岡八幡宮だと伝えられている。


 雪は静御前を敬愛していて、自身が手習い師匠をしている塾の名前にも、静と名付けるくらいであった。


 鶴岡八幡宮に咲き誇る桜はちょうど見頃で、静御前が舞うに相応しい舞台である。


 義経は奥州の地で果て、静御前がその後どうなったのかは、確たる伝承がない。

 愛する人と死別したという事実だけが、はっきりとしている。

 そんな静御前に思いをせてか、辰巳が神妙な面持ちで言った。


「俺は雪と一緒にいたい。だけど、俺は地獄に行くだろうから、今生こんじょうしか一緒にいられねぇな」


 消えない過去を背負っている辰巳に、雪はそっと寄り添った。


「地獄でも、私は辰巳さんと一緒にいるつもりです。いついつまでも……」


 雪の想いに触れて、辰巳は思わず雪の手をにぎりしめる。


 二人はその手が離れないように取り合って、静御前の幻影を舞台に見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] こんなに遅くなってしまって申し訳ありません。雪と辰巳が祝言をあげたところから、ずっと止まってました。 ですので改めてもう一度と思い、一話から最終話まで、一週間ほどかけて読ませていただきまし…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ