三十四
「ここか……」
伊吹は今、御子柴道場の門前にいた。
道場に入るより前に、道場の中の様子を見ようと、格子窓を探す。
御子柴道場の師範代は辰巳であると、伊吹は雪から聞いているので知っていた。
辰巳はもう覚えていないのかもしれないが、伊吹の方はといえば、辰巳のことをしっかり覚えていて、しかも二度も睨まれたことがあるから、大変苦手な存在なのである。
正直、辰巳には会いたくないので、彼がいるのかを確かめたかったのだ。
(怖気づいてる場合じゃない。今度こそ、お雪ちゃんを助けてあげないと)
伊吹が御子柴道場を訪れたのは、鈴彦という人物に用があったからである。
雪のあらぬ噂を耳にして、噂の根源を探った伊吹は、鈴彦に辿り着いていたのだ。
「あんたもここに用?それとも入門希望者?」
背後から問いかけられた声に、伊吹は思わずびくりとしてしまいそうだったのを、かろうじて堪えた。
「えっと、その、俺は……」
伊吹は声をかけてきた男を見たことがあるような気がしたが、思い出せなかった。
やましいことをしているわけではないものの、雪の一件は、他人には決して口外できることではないので、答えはしどろもどろになってしまう。
「あ、ちょうどいい。辰巳!入門希望者だって!」
折よく道場から出てきた辰巳は、和泉の声に反応した。
「誰が入門希望者だって?」
「あれ……?」
和泉が声をかけた男は、辰巳の姿を見るなり一目散にいなくなってしまった。
「まさかお前が入門したいとは言わないだろうな」
「俺は道場破りに来たんだ。手合わせを……」
「冗談言ってねぇで、さっさと用件を言え」
「まったく。相変わらずつれないなぁ……と、確かにそんなこと言っている暇はないか。お雪ちゃんの噂を流した人物がわかった」
二人の顔は、引き締まった。
「ここの門下生の、鈴彦って奴だ」
「何で、あいつが……?」
「理由までは……何処に行くの?」
「鈴彦のところに決まってるだろ」
今日はまだ鈴彦は道場にいなかったので、辰巳は一路鈴彦の家へと向かったのである。
「鈴彦はお雪ちゃんの義弟だ……って、もういないか」




