三十一
雪が尾花屋を訪れているころ、辰巳は克草塾にいた。
何者かが雪のあらぬ噂を流布していることを、和泉に相談するためである。
「あからさまにあの人が怪しいと思うけど」
名前こそ言わないが、和泉の指す人がさとであると、辰巳はわかった。
和泉には今までの経緯も打ち明けていたので、辰巳本人がさとを真っ先に疑ったように、和泉もまた同じ考えである。
「きれいに別れなかったでしょ」
その通りなのだが、ばつが悪くなって、辰巳は和泉から顔を逸らした。
和泉は一つ溜息を吐いてみせる。
「お雪ちゃんの一大事となれば動かないわけにはいかない。その件、俺に任せてよ」
「お前にばかり負担をかけさせるつもりはねぇよ。俺も……」
「辰巳は、お雪ちゃんと一緒にいて守ってあげなきゃ。四六時中一緒にはいられないだろうけど、もしもの場合もあるかもしれない」
和泉の言うことにも一理ある。
何より和泉を信用しているので、辰巳は彼の言に従うことにした。
日中は辰巳も仕事があるので雪の傍にいることはできないが、雪が克草塾にいる間は安心できる。
雪が来ているときは、和泉は克草塾にいるはずだ。
そう、だから和泉に妬いている場合ではない。
まるでまだ雪を好いているような彼の言葉にもだ。
大丈夫。妬いていない。
辰巳は何度も、その言葉を心の中で呟いた。
辰巳と別れた後は抜け殻のようになっていた。
ただ、生きているだけ。
時々思い出すのは、目の前で両親が殺された日の光景。
寂しくなりそうなときは、知らない誰かに慰めてもらった。
鈴彦も、その一人だ。
鈴彦とは後腐れのない関係でいられるので、都合が良かった。
飽きるまでは鈴彦といようと思っていた矢先、彼から胸の内に封じ込めた怒りを呼び覚ます名前を聞いた。
雪……彼女がいなければ、自分は幸せになれたのかもしれない。
鈴彦の言っていた雪という人物が、彼女であるという確証は何もなかった。
けれど鈴彦を唆して、災厄を与えようと決めた。
間違っていてもいい。
そんな安易な考えではあったが、どうやら天は自分に味方をしてくれたらしい。
憎むべき相手は、間違っていなかった。




