二十四
その日の夜、静介が眠りに落ちた後で、雪は辰巳に自身の想いを打ち明けていた。
「自分がどうしたらいいのかわからない。会いたくないって思ったのに、嫌だって言えなかった」
正確には、嫌だと思わなかったのだ。
また来てほしいと留五郎から言われたときに、断る勇気はすでに身につけている。
はじめに再会したときも逃げていた。
でもそのときだって、留五郎から離れたかっただけで、嫌悪感や憎しみといった負の感情はなかった。
うれしかったとは、認めたくない。
やっと断ち切れたはずの過去を否定することになるのだから。
「掃除をしたのはおとっつぁんに振り向いてほしかったわけじゃななくて、ほっとけなかったから……」
留五郎の言いなりになれば、唯一の家族を繋ぎとめていられた。
だが、その必要はもうない。
そもそも留五郎は掃除をしてほしいとは言わなかった。
「なら、雪が初めて俺にけんちん汁を作ってくれたときと同じだ」
辰巳は優しい声音で言った。
表情の変化に乏しい辰巳の機微にまで、雪は気づくことができる。
慰めてくれるときの辰巳は一級だった。
「すぐに気持ちの整理ができるわけねぇよ。それに俺だって、縁を切ったはずの父のことは気になったんだ」
「辰巳さんも?」
「ああ。江戸に来てすぐに、南雲家がどうなっているか調べた。江戸には松代藩の藩邸もあったからな。信濃にいたときには知ろうともしなかった」
松代藩の藩士である南雲家は、辰巳の出自でもある。
もしかしたら辰巳が南雲家を継ぐこともあったかもしれないという、数奇な運命を辿っていた。
「たしか弟が……」
「その弟が、今は家督を継いでいるらしい。父は六年前に亡くなったそうだ」
辰巳の目には哀愁も、悼む気持ちもなかった。
「俺の場合は、幼い時に得られなかった家族というものに対しての未練だ。父が死んでいると知ってからは、何も思わなくなった」
区切りがついた、ということだろう。
そして今の辰巳には、雪と静介との生活がすべてだ。
「雪も同じ未練なら今度こそ断ち切れ。そうじゃねぇなら、後悔だけはしてほしくない」
母の──妙の手を取れなかった、あのときの自分のように……
雪には辰巳の言いたいことがわかった。
わかっていた。後悔したくないから、留五郎の家に行ったのだ。
未練を断ち切る覚悟がないなら逃げていた。
「辰巳さんは何でもお見通しですね」
辰巳はいつも寄り添ってくれる。
けれど自分は、寄り添えているだろうか。
辰巳に見合う女になりたいのに、まだまだ道のりは遠いようだと雪は思い知らされた。
「よかったな。また会えて」
「うん……本当はずっと、会いたかった……」
未練ではなく、願い。
音もなく、涙は零れ落ちた。




