二十二
「もうかな文字を覚えてしまったな」
雪が克草塾にて珊石に学んで日は浅いものの、かな文字の読み書きができるようになった。
教本の文字、それに辰巳が借りた本、町中の看板などのかな文字を読めるようになったときには、表情に出てしまうくらいに、雪はうれしさが込み上げる。
「珊石先生と寛石先生のお蔭でございます。まさかこの歳になって、文字を教われるとは思いもしませんでした」
「儂はお雪さんに文字だけではなく、他の知識も教えようと思う。なに、覚えが良いのはお雪さんの素質だ。寛石も感心しておったぞ」
雪は恐縮するあまり、二人の師に頭を下げた。
克草塾を辞した雪は、静介のいる寺へ迎えに行く。
すぐ隣にある寺なので半ば安心して、克草塾での勉学も捗っていた。
「先ほどおじい様がいらっしゃって、一緒に遊んでおられます」
「おじい様、ですか……?」
寺の僧に、静介を預っかてくれた礼を言うと、僧から意外なことを言われる。
静介の祖父を名乗る人物が、寺を訪れたのだというのだ。
思い当たる人物は、一人しかいない。
雪は急いで静介の元に向かった。
「静介!」
「あ、おっかちゃ!」
雪に駆け寄る静介は、ある人物と戯れていた。
やっぱり……雪はその人物を見て、心の中で呟いた。
「雪、また会えてよかった」
先日の再会も、今も、夢ではない。
泣きそうに顔を歪めている男こそ、雪の父である留五郎だった。
「どうして、ここに……」
「寺の前を通ったとき、偶々静介を見かけたんだ。雪は隣の塾で勉強してるって聞いて……すごいなぁ、前から賢かったもんな」
母には叱られてばかりだったが、父は優しく褒めてくれた。
だが、父が次第に偽りの愛を向けたのも、事実である。
あの頃の惨めな自分を思い出して、雪は素直に喜ぶどころか、おとっつぁんと呼ぶことさえできない。
「この近くに住んでいるんだ。寄ってってくれよ」
複雑な気持ちを抱えているのなら、留五郎を少しでも恨んでいるのならば、すぐに帰ればよいのにそうしないのは、父という存在に対する未練だろうか。それとも、留五郎に会えたことがうれしいのだろうか。
雪は否定も肯定もしなかった。
「じいじともっと遊ぶ!」
「じいじ……」
「うん!おっかちゃのおとっちゃだから、じいじなんだって!」
無邪気な静介の笑顔に、雪は救われる心地になる。
(大丈夫……期待なんかしない)
留五郎が愛してくれなくても、幸せと呼べる日常を手に入れた。
たとえ傷つくことになろうと、後悔だけはしたくない。
「そうね。じいじの家に行きましょう」
幼かった頃の自分も、今の一部分である。
しかし、雪は変わったのだ。




