三十四
「はー……またやっちまった……」
飲み屋の喧騒の中で盛大な溜息を吐いたのは、辰巳と同じ剣客集団に属している喜介だった。
それは昨日のこと、辰巳は喜介と共に仕事をすることになったのだが、喜介の失態により、標的の一人を取り逃がしてしまっていた。
何とか翌日になって捕らえることができたものの、喜介の失態は今日に限ったことではない。
辰巳は落ち込む喜介を見かねて、飲みに誘っていたのだ。
「向いてないのはわかってるんだけどな……」
「どうして剣客なんかやってるんだ」
喜介はどちらかと言えば大人しく、むしろ及び腰で仕事に挑むような人間だった。
性格でいえば、剣客に向いていないのは、以前共に仕事をした和泉もそうだが、和泉は腕が立つので問題ないといったところか。
しかし、剣客仲間でも一番弱いのではと思われる喜介は、やはり向いていないと言えよう。
「まあ、金が欲しかったんだよ。俺、身内が妹しかいないからさ、小さい頃から苦労させてたし、楽させてやりたくて」
妹、という言葉を聞いて、真っ先にさとの姿が浮かんだ。
もしかしたら藤次郎も、喜介と同じ理由で剣客を始めたのではないかと、頭の隅で考える。
「今度、妹が好い人と結ばれることになってよ」
「そりゃ、めでたいな」
うれしそうにはにかむ喜介は、よほど妹が大事なようだ。
とかく兄というものは、妹に大層な思い入れができるものなのだろうか。
喜介も藤次郎も、他に身寄りがいないから、たった一人の家族のことを大事にするのは、ごく自然なことだとも思える。
「妹が嫁ぐ前に、まとまった金を渡したいんだ。その分を稼いだら俺は剣客を辞めるよ。俺が抜けたところで、とやかく言う奴もいないだろうし」
妹の話になってか、喜介の機嫌は直ったようだ。
正直に言ったところで喜介は怒らないだろうが、本人も認めているように、喜介は剣客には向いていない。
だから生きづらいことを選ぶよりも、今度はましな生き方をしてほしいと密かに辰巳は祈った。
「そういえば辰巳って、藤次郎さんに似てる気がする」
唐突に言われたことに、辰巳はどう反応していいのかがわからなかった。
藤次郎と顔は似ていないから、おそらく中身が似ているという意なのだろうが、いまいち辰巳は得心できない。
自身に冷酷さがあることは承知していて、それを言われることに嫌悪したわけではないが、藤次郎とは似て非なるものだと何かが訴えていた。
ただ、他人と似ていることが嫌なのかもしれない。
「俺のことは誘ってくれなかったくせに」
聞き覚えのある声が、背後から聞こえた。
辰巳たちが振り返ると、そこには和泉が立っていた。
「ちょうどいい。和泉も一緒に飲もう」
どうやら喜介と和泉は、すでに親交を重ねている仲のようだ。
剣客集団にあって二人は異質で、当然の成り行きともいえる。
「で、何の話をしてたの?」
辰巳の隣に腰掛けた和泉は、ちゃっかり辰巳の分の酒を飲んでいる。
自分で頼めと嫌な顔をすれば、和泉は悪戯を助長する子どものような表情をした。
呆れて物が言えない辰巳を他所に、二人は会話を続ける。
「辰巳が藤次郎さんに似てるって話」
「え、そう?俺は似てないと思うけどな」
「冷たく装っていても、根っこの部分では優しさがあるっていうか。ここだけの話、藤次郎さんって妹にはすごく甘いんだよ。ただの冷酷人間じゃないってね」
「へぇ、意外だなぁ。あの人もそんなところがあるんだ」
藤次郎がさとに甘いことは、喜介にも知られていたらしい。
妹のことになると抜けているのだろうか。
「馬鹿言え。俺の何を知ってるっていうんだ。俺は、誰かのために剣を振るうことなんてできない。……そういう生き方ができる、喜介が羨ましいよ」
言ってしまってから、一生縁のない生き方に自身が憧れていたことに、辰巳は内心驚いていた。
「あの子のためでも?」
じろりと和泉を睨むも、彼は真剣な顔をしていた。
茶化したわけではなく、しかもさととの関係を知られていたようである。
気づけば、何もなかった自分の世界に、さとが立っていた。
そして、さとに惹かれていたことを思い知った。




