十二
辰巳が雪の家に居座ってから十日が経とうとしていた。
雪が弱さを曝け出したあの日より、二人はより親密になった……ということはなかった。
相変わらず雪は遠慮深いままで、辰巳も寡黙なままだ。
父が出て行ったという身の上話をしたのも一度きりで、雑談すらもない。
しかし、二度も身体を寄せ合った二人は、互いを意識せずにはいられなかったのである。
先に耐えられなくなったのは、辰巳の方だった。
「お前は何も聞いてこないな」
雪は針を動かす手を止めて、辰巳を振り返った。
しかし雪とて、聞けるものなら聞いてみたいことはあるというもの。
全てを教えられるわけではないが、辰巳は聞かれれば答えるつもりでいた。
素直に話したいと言えない彼も彼である。
「看病してくれるわりには、それほど俺には興味はねぇってことか」
「そんなこと……話をするの、下手だから」
「俺だって下手だ。お前のことを少しは知れたと思ってるが、お前は俺のことを何も知らねぇだろ」
勝手な理屈だ、と辰巳は思った。
辰巳は雪のことを知りたい。
けれど、自分ばかりが知るのは同等ではないと思ったというのが本音である。
「では、一つ聞きたいことが」
「何だ?」
「……好きな食べ物は、何ですか?」
「…………」
思わぬ質問に、辰巳は言葉を詰まらせる。
片や雪は真面目だった。
そんな質問でいいのか、とは言わずに辰巳は答えた。
「そうさなぁ。好きな食い物といやぁ、けんちん汁だ」
「けんちん汁……」
「鎌倉の建長寺で作っていたんで、それが訛ってけんちん汁と呼ぶようになったって話だ」
雪はけんちん汁なるものを食べたことがなかった。ましてや作ることができるわけもない。
ずっと辰巳に聞こうと思っていた質問を、やっと聞くことができたのはいいが、その料理を作ってあげたかった雪は内心落ち込んだ。
「そう、ですか」
「…………」
それきり二人の会話は途絶えた。
夕方、同じ長屋の住人である伊吹が雪を訪ねてきた。
「伊吹さん、この前はありがとうございました」
「紙くらい大したことはないよ。……あ、あのさ、お雪ちゃん」
辰巳は戸口からは見えない、障子戸を隔てた部屋にいた。なので姿を確認することはできなかったが、訪ねてきた人物が男だと声でわかり、自然と耳をそばだてている。
「その……」
伊吹の歯切れは悪く、何か気に障ることをしてしまったのかと、雪は不安になる。
それに、自分と話しているところを他の住人に見られれば、伊吹までもが悪く言われてしまう。
しかし帰ってくださいと無下にすることもできないので、彼の言葉を待った。
伊吹は一度、深呼吸をしてから言った。
「今度俺と、甘味処に行ってほしいなって思ったりして……」
「甘味処ですか?」
「甘味が嫌いなら別の場所でいいんだ。明日は仕事休めそうだから、もしよかったら」
なぜ伊吹が甘味処に誘うのか、その理由が雪にはすぐにわからなかったが、少しして後、ある一つの答えに思い至った。
「お団子は好きです」
そう答えれば、伊吹は顔を綻ばせた。
「明日、迎えに来るから」
(この前のお礼、ちゃんとしないと)
数日前、辰巳に文を書きたいと言われたときに、伊吹は紙を分け与えてくれていた。伊吹が甘味処に誘ったのは、そのお礼として奢ってほしいということなのだろうと、雪は理解している。
(甘いもの、好きなのかな)
一方、雪たちの会話を聞いていた男の内心は、穏やかではなかった。




