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まつとし聞かば  作者: 夏野
第四幕 昔を今に
122/202

二十一

(ひど)い顔」


 誰かに殴られたのだと一目でわかる辰巳の頬を見て、さとは少しだけ驚いたように言った。


 昨日、辰巳と一緒にいたところを雪に目撃され、その偶然の出来事にさとの口角は上がっていた。

 出合茶屋(であいぢゃや)から出てきたところを、信じられないといった様子で(たたず)んでいた雪に、見せつけることができたのだから。


 逃げる雪を追いかけて行った辰巳だったが、その後のことは何となく想像できる。


 三年間も姿を消していた夫を受け入れるお人好しの女でも、さすがに今回ばかりは許せたものではないだろうと、さとは辰巳が戻ってきてくれるのを待っていた。

 そして辰巳は、予想していたようにやってきたのだ。


 辰巳の傷は雪にやられたのか、それとも彼の親友である和泉にでも殴られたのか、はたまた何処(どこ)ぞで喧嘩にでも巻き込まれたのか、考えを巡らせてみたけれど、さとにとってはどうでもいいことだった。


「仕舞いにしよう」


 瞬間、さとは目を見開いて辰巳を見る。


「……もしかして、あの人は辰巳のことを許したっていうの……?」


「お前を抱いたときに雪との関係は終わっていたんだ。俺はこれ以上、雪を裏切りたくない」


 辰巳は自分のものになったと確信していたさとは狼狽(ろうばい)した。


「どうして!どうして私のことを捨てるの!辰巳がしてきたこと全部、あの女にばらしてやるんだから」


 さとは最後の切り札を出すも、辰巳の決断は揺るがなかった。


「構わない。……お前が見ているのは、俺じゃないだろ。お前は……」


 さとは髪に刺していたかんざしを引き抜いて、先を辰巳に向けた。

 許さないと言わんばかりに、さとの目は怒りに満ちている。


「さと……」


 彼女の名前を呼んだ、その言葉が合図になった。

 さとは迷うことなく簪を、辰巳の脇腹に貫いてみせる。


「……うっ…………!」


 鋭利でない簪が脇腹を貫いた痛みは、じんわりと身体に侵食する。


 さとは怒っている。けれど殺そうとまではしていないことを知っていて、彼女を傷つけてしまった報いを受けることにしたのだ。


 さとは急に我に返って、自分のしでかしたことに手を震わせて身を引く。

 指先には辰巳の血が(まと)わり付いていた。


「辰巳が悪いのよ。……もう、貴方の顔なんか見たくない」



 思っていたよりも出血していて、痛みで脂汗が浮かぶ。

 貧血のような症状に見舞われながら目指したのは、弥勒(みろく)屋だった。


 しかし表ではなくて裏戸に手をかける。

 裏戸は、卯吉とお松夫婦が起居している部屋に通じていた。


「辰巳?どうした……」


 めずらしく裏戸から入ってきた辰巳に、はじめに気づいたのは卯吉だった。

 そして、辰巳が押さえている脇腹からしたたっている血に、声を失くす。


 お松も気づいて、あわてて辰巳に駆け寄った。


「この怪我が治るまでいさせてくれ……」


 辰巳は力なく、その場に座り込んだ。

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