十一
雪の手当の甲斐があってか、傷の痛みは薄らいできた。
傷跡は残るかもしれなかったが、それよりも敵に後れをとったことが癪に障った。
敵は二人。
夜陰に乗じて不意打ちをくらい、不覚にも左腕を怪我する事態に追い込まれた。
何とか逃げ切ることはできたものの、血を多く失い気が遠くなりかける中、藁にも縋る思いで長屋の戸口を叩いた。
逃げてきた果てが長屋の奥部屋、つまり雪の家だった。
——帰ってきてくれたの?
雪は確かにそう言っていた。
そして昨晩、辰巳は雪の待ち人についてを教えてもらった。
「女を待たせるとは、よっぽどいい男なんだろうな」
雪は待ち人が男だとは言わなかった。だから男だと鎌をかけてみる。
どこかで違うと言ってほしい自分がいることには気づかないふりをしていた。
「…………」
雪からの否定の言葉はなかった。
「いつ、そいつは帰ってくる?」
「……わかりません」
「約束もしてねぇのに待つとは、よほど好いてるってところか」
辰巳は半ばやけくそに答えていた。
「好きだなんて、考えたこともありません。偶には顔を見せるって言ったのに、それから一回も帰ってきてくれない人を、ずっと待っているなんておかしいでしょう?」
もしかして雪は、その男に遊ばれただけなのではないのか。
雪の悪い噂も、その男が関係しているのかもしれないと思ったところで、一つ気になることがあった。
雪はおそらく未通女だ。
男の裸もまともに見れず、触れただけで照れてしまう様は明らかにといえる。あとは何となく、そう感じるものがあった。
雪の噂を信じなかったのは、もちろん雪が男を誑かすような女には思えなかったということもあるが、まだ少女だと確信した所為でもある。
弄ばれていたとして、何故その男は雪に手をつけなかったのだろうか。
鴨にするにしろ、ただの遊びだっただけにしろ、相応に身体を求めるというものだ。
もしや本気の戀だったとでもいうのだろうか……
「そこまで惚れてるとは、健気としか言えねぇよ」
「いくらおとっつぁんでも惚れるまでは……」
「な……おとっつぁん?」
「……?はい。おとっつぁんは四年前に家を出ていて……」
途方もない勘違いをしていた。
好きな男というのは強ち間違いではないのかもしれないが、まさか父のことだとは思いもしなかった。
「何だ……俺は、てっきり……」
辰巳が何を勘違いしていたのか雪にはわからないようで、彼を不思議そうに見つめている。
「ならいいんだ」
ますます自分が何を言っているのかわからなくなった。
いい、とはどういう意味なのか。
十は歳が離れているであろう少女に、何を想っているのか。
もしかしたら本当に、雪に誑かされてしまったのかもしれないと、辰巳は内心で独り言ちた。