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まつとし聞かば  作者: 夏野
第四幕 昔を今に
117/202

十六

 右手でさしていた傘、辰巳に渡そうと持ってきた左手ににぎる傘が、どちらも音を立てて落下した。


 辰巳が音に気付いて、はじかれたように振り返ったときには、雪の全身は雨で濡れていた。


「雪……!」


 雪の視界が(ひど)くぼやける。

 瞳を覆っているのは雨か、それともこぼれ落ちる涙か。


 その場にいたくなくて、雪は一目散に(ひるがえ)して駆けた。


 信じていた。疑いもしなかった。

 なのに真実は想いに反するもので、すべてを否定する。


 冷える身体よりも、雨を吸った着心地の悪い着物よりも耐えがたいのは、この目で見た光景だ。


 辰巳たちのいない方へと闇雲に走る雪は、人目も気にせず走る姿を、すれ違う人に奇異な目で見られる。


 雪を追う辰巳の声が、響いていた。

 だが、雪の感覚には何も入らない。


「待て!……雪!」


 手首をぐいと引っ張られた衝撃で立ち止まる。

 抵抗しないのを感じて、辰巳はそっと腕を離した。


 雪は振り返った。


 引き止めても言い訳すらできない辰巳は、黙ったまま、ゆがんだ顔で雪を見る。

 対して雪は、何の感情も(うかが)えない(うつ)ろな表情をしていた。


「私も、他の人と寝たの……だから辰巳さんが他の人と寝ても、私は何も言えない」


 辰巳は驚くどころか、表情すらそのままだった。

 それを見て、雪は(さと)ってしまった。無表情から一転、目を見開く。


「知ってたの……?」


「雪が……橘花(きっか)って店にいたのを見たんだ。でも俺は……」


 雪が橘花で逢瀬おうせを重ねていたとは、さとから聞いたことである。

 辰巳は自身の目で見るまでは信じないと、不安を払拭ふっしょくさせるためにおもむいた橘花の店先で、雪が嘉兵衛と出てくるのを見てしまっていたのだった。


(ああ、なんだ……私が嘉兵衛様と寝たから、辰巳さんも……)


 裏切られたことを知ったから、辰巳も裏切った。

 つまりは、因果応報……


 帰ってきてくれた辰巳と、昔のように一緒にいたかった。

 しかし、その幸せを手放したのは自身の所為(せい)だったと雪は得心する。


 母は自分を置いて出て行った。父は自分を捨てて出て行った。

 何をしたわけでもなく零れた二つの過去。

 今度は自らの手で過去を零してしまったのだ。


「聞いてくれ。お前の所為じゃ……」


「もう、いい」


 雪は再びその場を駆けだした。

 裏切られた哀しみは尽きなくて、その原因が自分にあるのだとしたら、訪れた痛みこそ終焉しゅうえんを物語っているのかもしれない。


 すべてはもう、崩壊していた。

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