十
「……っ……う……」
一度零れてしまった涙を堰き止めることはできなかった。
早く泣き止まなければ。
辰巳におかしな娘だと思われてしまう。または呆れられてしまう。
だが、目を擦っても擦っても、溢れ出てしまう。
ゆっくりと近づいてくる気配。
もう目の前に、辰巳がいる。
鬱陶しい、うるさいと、せっかく庇ってくれた辰巳も、目の前で急に泣かれれば怒りはせずとも、不快に思うだろうと背中を向けようとした。
刹那、雪の身体は抱きすくめられていた。
「…………!」
辰巳は雪の頭に片手を添えて、自身の胸の中に収まるように引き寄せる。
(どうして……)
彼の温度が心地よくて、穏やかに心を満たしてくれる。
辛かった思いが蓄積して表に出てしまった感情を、受け止めてくれる。
「……ごめんなさい」
「謝ることはねぇよ。そんなに辛かったなら、泣くのだっておかしくない」
本当は誰かに縋りたかった。
縋りたい人は、甘えたいと思う人は今、抱きしめてくれている。
雪は辰巳の袖をぎゅっと握りしめた。
手持ち無沙汰になっていた辰巳の片方の手は、雪の気持ちに応えるように背中に回して、より強く抱きしめたのだった。
ひとしきり泣き、落ち着いた頃には、雪は羞恥に襲われていた。
慰めてくれた辰巳に甘え、あまつさえ男の人に縋った行為が恥ずかしくて堪らなかった。
「あ、あの……お見苦しいところを」
「気にすんな」
泣き顔も見られたとなっては、恥ずかしいこと山の如しである。
男の人だからと変に意識してしまう感情は、きっと辰巳の優しさを垣間見た所為だ。
当の辰巳は雪のことなど何も意識していないようで、元の口数の少ない男に戻っている。
きっと、辰巳にとっては子どもをあやす感覚だったのだ。
雪はそう言い聞かせて、何とか平常心を保とうとした。
「いつもあんなことを言われてんのか」
「……偶に、言われるくらいです」
毎日言われるわけでもないが、陰で言われている噂も含めれば、偶にという頻度ではない。
だが、他人の辰巳に言ったところでどうなるわけでもなし、ましてや余計な心配はかけたくないので、少し嘘を吐いた。
「辰巳さんみたいに、庇ってくれる人もいますから」
たった一人、雪をずっと庇い続ける長屋の住人の伊吹は、半年前この長屋に越してきたばかりである。
雪の生い立ちを知らないこともあって、伊吹は雪に対して嫌悪感を抱いてはいなかった。
「でも、ここにいたら辛いんじゃねぇのか。いっそのこと、引っ越しちまった方が楽かもしれねぇよ」
雪だって、謂れのない噂を言い続けられれば、何度も引っ越してしまおうという考えは過ぎった。
しかし、雪には引っ越しをできない理由がある。
「私は、待っている人がいるんです」