六
辰巳が帰ってきてから半月が経とうとしていた。
以前と同じく用心棒を勤め始めた辰巳は、家を空けることも多くなり、相変わらず雪との蟠りは解消されずに、静介との距離も縮められずにいる。
雪は毎日彼と顔を合わせるよりも、今の生活に安堵していた。
辰巳といると、どうしていなくなったのかを問いたくて仕方なかったし、彼に対する罪悪感にも押しつぶされそうになる。
もはや夫婦として比翼連理もあったものでない。
おまちはおろか、紫乃からも辰巳と離れた方がいいと言われる始末だった。
このままだらだら辰巳といても、よくないことはわかっている。
未練、執着、恋慕。雪が辰巳から離れられないのは、そのすべてだ。
ただ、辰巳が帰ってきてから一つだけ良いことがあった。
それは、静介が熱を出す頻度が、少なくなったからである。
成長するにつれて、身体が丈夫に育ってきているだけかもしれないが、いつもならとっくに熱を出していてもおかしくはないほどの日数が経ち、静介は元気そのものだった。
静介の発熱は、身体が弱かったという理由だけでなく、精神的な問題もあったのかもしれないと、雪は考えさせられる。
内職をしてばかりで静介をかまってあげられないことが多く、何より、頼りになる父親がずっといなかったことが寂しかったから、心も弱っていたのかもしれない。
辰巳と会話すらできない静介だが、その戸惑う気持ちを除けば、辰巳に対してはそれなりの感情が芽生え始めているのだろうかと、最近は思うようになっていた。
なら、まずは自分が変わらなくてはいけない。
蟠りができてしまったとはいえ、親が気持ちを通わせていなければ、子どもが懐くわけがないのだ。
辰巳と一緒にいたいと願ったのは己自身。
言いたいこと、言えないこと、すべてを封じ込められなければ、残された道は辰巳と別れることである。
それが嫌なら、我慢をしてでも辰巳を許して受け入れる。
三人での幸福を求めた雪は、ぎこちなく笑ってみせた。
用心棒の仕事を終えて辰巳が帰ってくる日、雪は意気込んで彼の帰りを待っていると、一人の男が家を訪ねてきた。
「ご無沙汰しております」
この丁寧な男は平太である。
彼が訪ねるときは、嘉兵衛との逢瀬が約束されたときで、それ以外に来たことがない。
どうしてと思いつつ、雪は応対する。
辰巳が帰ってきて、しかも静介が熱も出していなければ、逢瀬を求める印である紐を祠に結んでもいない。
雪の身体は強張っていた。
「音沙汰がなかったもので……坊ちゃんはお元気ですか?」
「ええ……近頃、熱が出ないものですから」
「よかったですね。ご隠居が聞いたら喜びます。うちの薬は良く効くって箔がつきますし」
嘉兵衛が静介を案じているのは本当のことだった。
雪に会いたいがためにわざと薬の量を減らしたりはせず、そのときの容態に見合っただけの量をくれる。
辰巳以外に身体を許すことが嫌なだけで、雪が嘉兵衛に対しての嫌悪感がないのは、嘉兵衛の為人ゆえだ。
「その……ご隠居が会いたいと仰っております。明日の未の刻、橘花で待ってると」
犯した罪に対しては、きちんとけじめをつけなければいけない。
逃げることは通用しないのだと、雪は悟った。
「わかりました。必ず伺います」
見覚えのない男が家を訪ねていた。そして、見知った感じで雪と話している。
辰巳は咄嗟に物陰に隠れて二人の会話を盗み聞いた。
わかったのは、雪は誰かの誘いを受けていて承諾したこと。
とてつもなく悪い予感がするのは気のせいだと自身に納得させるため、辰巳はしばらくその場から動けなかった。




