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第三話

 時は来た。


 ユーウェルの目は赤く充血していた。


 この頃は連日徹夜で学会に提出する報告書の説明資料の作成を続けていた。そうしているうちに次から次に問題点が現れて、その度に大きな波となって寄せてくる不安に飲み込まれないと必死だった。ユーウェルが寝ずに活動しているのもその不安から逃げたいというのがその実であった。寝る前の目をつぶる時間が怖かったのだ。



「もう寝たらどうだ。」


「先生。お気遣いありがとうございます。ですがもう少ししてから寝ます。」


「君はそういいながらいつも日が明けるまで何かしているじゃないか。」


「まだまだ粗い部分が多く、時間がかかりますので。」


「ユーウェル君。明日の発表はあくまでも私の提言になっている。その作業は本来私がするべきことだ。」


「しかし、このままでは未完成なままです。質疑応答に対応できるかどうか……。」


「私を誰だと思ってるんだ。」


「失礼しました。でも、ここまではやらせてください。ここまでやらないと気が済まないんです。」


「やるのは自由だ。だがな、君の努力も徒労になるかもしれん。」



 先生は手に持っている書類を私の――必要なもの、不必要なものが散らばっている――机にそれを置いた。



「これは?」


「私の友人が送ってくれたものだ。」



 その資料に書かれているのはショッキングな内容だった。



「シューミット液の使用中止を求める提言……? これは?」


「賢いのは君だけじゃないみたいだ。ほかにも行動力に富んだ人間がいるみたいだな。」


「連中意趣返しのつもりでしょうか。」


「なぜこれだけと思った。」



 コリンズ先生は、ユーウェルからは見えなかった左手に持っていた資料の綴りいくつかを、調査書の上にさらに重ねた。



「どうしてこんなに。」


「君は自分がこの頃流行っている患者増加現象の第一発見者だと思っていたようだが、それは他も一緒みたいだな。」



 ユーウェルは乱暴に資料を取った。


 コリンズ先生の持ってきた資料は玉石混淆でしっかりと検証してみたいものもあれば、ゴシップ誌の飛ばし記事と同列のものもあった。



「こんなに……。遅かったのでしょうか。」


「いや、これらは明日の学会に提出されることはない。ただ、こういう風にぼんやりながらも何かに気づいている人間がいて、その人間たちを明日相手に我々は調査結果を示さなければならないということだ。」


「収集がつきませんよ。」


「もう戻れまい。」


「コリンズ先生。僕のやったことは、間違いだったのでしょうか。」


「それはわからない。ただ私たちがする必要のないことだったかもしれない。」



 コリンズ先生は後悔していると言いたかったのだろうか。でも、それを確認しまえばすべてが崩れる気がしたので、聞くに聞けなかった。



「まぁ、ともかく。明日は疲れるだろう。今日はもう寝なさい。」


「はい。」



 学会発表の前日はこのように幕を閉じた。




 ※




「――であるからして、何らかの治療が患者の本来必要であった常在菌を殺すことで医原病を引き起こしているのではないかとの調査結果を報告いたします。つきましては今後さらに徹底的に調査することが必要であると判断いたしました。」



 まばらな拍手が起きる。


 その拍手が調査結果に対して経緯を示すものなのか、それとも……。こちらから見るだけではわからなかった。


 けれど拍手をしていない一体があった。


 そこが古学派の集まりなのだなということはすぐに分かった。


 この後司会から少しの休憩時間のあと質疑応答が行われる旨が告げられた。



「コリンズ先生。お疲れ様です。」


「ああ。これからだ。」



 コリンズ先生はそういったきり目をつぶった。諦めなのか覚悟なのかはユーウェルにはわからなかった。





 ※




「それでは質疑応答を開始します。」



 司会のその言葉を受けて、様々なところで手が上がった。


 壇上から見て、一番目に付いたのは古学派の集団だった。統一された僧衣を着て

いて手を垂直に伸ばしていた。


 司会も同じように感じたようだった。



「それではそちらの方。」



 司会から指名されると、僧衣を着た連中は一斉に前方に座っていた老人のほうに体を向けた。その老人はゆっくりと立ち上あがった。



「私は、ロジェ・ド・ルグランであります。いわゆる古学派に属する僧医でございます。本日は、帝国魔法医学校でお教えの高名なコリンズ博士のこのような素晴らしい発表に立ち会えたことを幸福に思います。」



 老獪という言葉がよく似合う老人だった。ゆっくりとした低音は地面を伝って聞こえてくるように感じた。でっぷりと太った腹がその権威を示していた。



「こちらこそ。光栄です。ルグラン博士。貴方のような歴史に残るような名医に私の拙い研究をお見せすることはとても恥ずかしく思います。」


「いやいや、そう謙遜なさるな。さて、本題に入りましょうかな。」



 そういうとルグラン博士の隣に座っていた男が紙の束を渡した。



「今回はなぜこのような調査を行われたのでしょうかな。」


「このごろ風邪やそれに似た症状を訴える患者が多かったからです。」



 コリンズ先生はそう言っただけで、口を閉じた。


 既に発言台からは一歩下がっていてもう発言する意思がないことは明らかだった。


 ユーウェルは驚きを隠せなかった。なぜならもっと語るべきことがあるからだ。


 ユーウェルはコリンズ先生を見た。ユーウェルから見たコリンズ先生は住んでる世界が違うかの様に思えた。少しも気持ちを推察することはできなかった。コリンズ先生だけが知っている世界があるようだった。



「ほうほう。それで原因は見つかったのですかな?」


「まだはっきりと申し上げることはできません。ですので、今後本格的な調査が必要だと考えました。」


「それなのに、今回の学会で無理やり発表したのですか。」


「無理やりではありません。きちんと申請した結果重要なものと判断されただけでしょう。」


「ところで、あなたは学会に顔が利くようですな。なにか働きかけたのでは?」


「そのようなことはしておりません。」



 そういうと古学派の連中が大声で騒ぎ始めた。しかし、ルグラン博士が手を挙げるとおさまった。



「失礼。若いのは血気盛んでしてな。不正を許せないのです。本当に何もしていないとおっしゃられるのですな。」


「はい。」


「結構。貴方は無派として有名ですからな。その公平性を信じましょう。」


「それで、どうして今回の調査をされたのですかな?」


「その質問には先ほどお答えしました。」


「はて、そうでしたか。いやいや、年を取るのは恐ろしいですな。それで原因はわかったのですかな?」


「いえ、まだはっきりとは分かっておりません。ですから更なる調査が必要だと考えました。」


「本当はわかっているのではありませんかな?」


「いいえ。まだ原因を突き詰めることはできておりません。」


「ですが資料にはシューミット液のことが触れてありますが?」



 ドキリと心臓が跳ねた。


 シューミット液についての記述は昨日ユーウェルが追加したところだった。コリンズ先生は危険だから今回は伏せるべきだとの考えだったが、ユーウェルにはシューミット液が何かを握っていると思えてならなかった。だから付け加えたのだ。


 その箇所が矢面に立たされた。


 そのことがユーウェルを居ても立っても居られないほど不安にさせた。自分の勇んだ心を留めることができていれば。今さら考えても無駄な話だった。



「それはあくまでも可能性にしかすぎません。ですから今は調査が必要なのです。」


「ほうほうほう。ですがこの頃シューミット液についてその薬効の強さについて指摘する論文が増えているようですな。」


「でしたら、なおさら、調査をするべきです。それらの論文や私たちの調査の指摘が正しいのか。」


「確かにそうですなぁ。いまや生命の樹を原材料にするシューミット液はなくてはならないものですからな。つくづくシューミット先生の発明の偉大さを感じさせられますな。ですが、私はそんな万能薬なぞあるのか不思議でしてな、少し調べていたんですが面白いことがわかりましてな。どうもシューミット液を投与された患者の多くが風邪になりやすくなるようでしてな。何かご存知ですかな。」


「配布させていただいた資料にそのことは指摘しています。」



 シューミット液の投与量とと風邪の症状を訴える患者が相関関係にあることは先ほどの発表では触れなかったところだった。資料に乗せてはいたが表立って説明はしなかった。



「おお! 我々古学派が長い間をかけて調べたことを既に調べていらしたとは。流石帝国魔法医学校の教授を務めるだけありますな。」



 完全な皮肉だった。


 古学派の一団がする拍手の音が耳障りだった。



「いえいえ。」


「それにしても大変でしたろう。学校で教えながら病院に行き調査をするとは。」


「データの収集は助手にも手伝って貰いました。」


「なんと! 流石ですなぁ。優秀な助手がいるのですなぁ。するとその助手の方の意見が聞きたいですなぁ。よろしいかな。」



 ユーウェルはコリンズ先生の顔を伺った。コリンズ先生は無表情で、黙って発言台へと手で誘導した。



「K・W・ユーウェルです。現在は研修医を務める傍ら、特例としてコリンズ先生の元で助手をしています。」


「これはこれは。聡明そうなお顔が凛々しい青年だ。」



 ユーウェルは黙って頭を下げた。


 飲み込まれてはいけない。そう思いながら。


「ユーウェルさんはコリンズ先生の調査を手伝っておられたとのことだったが具体的には何をされたのかな。」


「シューミット液と風邪の症状やそれに似た症状の見られる患者との相関関係について国内の病院でデータを集めました。」


「それで、どうでしたかな。」


「両者の間には強い相関がみられました。」


「なんと! でしたらやはりシューミット液は危険なのではないのですかな。よもや現在の医原病の原因はシューミット液なのではありませんかな。」


「わかりません。シューミット液を扱っての調査は行っておりませんので。それに今回の調査も一つの視点でしか行っていないのでまだほかの可能性もあると思われます。」


「なるほど。なるほど。でしたらこれはどうですかな。これはネズミを使った実験なのですがね。シューミット液を過度に点滴したネズミは極度の無菌状態になり普段であればかかることのないウイルスにかかって死んでしまったのです。ユーウェルさんはこれをうけてどう思いますかな。」


「あくまでもネズミについてですが、シューミット液が何らかの原因で必要な細菌までも殺してしまったのだと考えます。」


「ですな。ところで最近はシューミット液の内服薬化も成功したようですなぁ。それでありとあらゆる患者に処方しているとか。みなシューミット液に頼っているのですなぁ。なんだか危険な気がしませんかな。」


「まだ調査もしておりませんのでわかりません。」


「本当ですかな。貴方は研修医でしたな。でしたら夜勤のお勤めなどで患者を目にする機会もあったでしょう。現場でなにか感じたことがあるのではありませんかな。」


「風邪やそれに似た症状の患者は多いように感じました。」


「そういった患者にはどういう処置をなさったのですかな。」


「シューミット液を投与しました。」


「患者の容体はどう変化しましたかな。」


「シューミット液を投与すると次第に安定しました。」


「そしてまたぶり返したのですな。」


「そういた患者がいることもありました。」


「不思議ですなぁ。まるでシューミット液は一時的な効果しかないような気がしますなぁ。」


「調査しておりませんのでわかりませんとしか言えません。」


「なにか思っていることがおありそうですな。」


「いえ。」


「そうでしたか。貴方はシューミット薬学研究所まで行っていらしたようなので何かあるのかと思ったのですが。我々もシューミット学派とは別の立場にありますが、医者ですからな、医学の発展のためには全力を尽くしたいのですがな。貴方のような優秀な人間の意見はぜひ聞きたいですな。」


「いえ、私のような研修医は何も申し上げることはありません。」


「そうでしたか。それでは長い間付き合わせてしまい申し訳ありませんでした。」



 ギリギリで凌いだ。


 そうわかると嬉しさが込み上げてきた。そして学者としての一歩を踏み出せた気がした。


 発言台を下りた。


 コリンズ先生は先ほどよりも幾分か優しい顔をしているような気がした。もっともユーウェルは達成感を得たあとだったから、ユーウェルにだけそういう風に見えているのかもしれなかった。


 その後も質疑は続いた。けれど大した質問はなかった。一番多い質問は調査の不十分をしてきするものだった。コリンズ先生は調査の足りないところを指摘されるたびに、調査の必要性を主張した。


 すべてはうまく進んでいるように思えた。


 質問の波も収まり、そろそろ終わると思っていたころだった。


 最初に質問してからずっとだんまりを決め込んでいた古学派の一団が一斉に挙手したのだ。


 発言権を得た古学派は一団の最も後ろに座っていた男を最前列に移動させた。


 その男は僧衣を着ておらず、やせ細った不健康そうな体が特徴的だった。



「シューミット薬学研究所所長マッテオ・フェレッティです。一連の議論を聞いて

いましたが、今から調査をしたのでは遅い。医原病を引き起こしているのはシューミット液で間違いない。」



 その男――フェレッティ博士はそう言うと資料を取り出した。



「ここにその調査結果がある!」




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