第一話
深夜の診療室。
その仮眠室でK・W・ユーウェルはうつらうつらしていた。
仮眠室とはユーウェルたち夜勤を担当する医師が言っているだけで、実際は給湯室に無理やりソファーを置いて、寝ているだけだった。
そのため時折看護師が湯を沸かしたり手を洗いに来る。
そのたびにハッと目を覚ますのだけれど、それが大したことでないのを知ると安心したようにまたまどろむのだった。
ユーウェルは魔法医である。研修医だが。
帝都の一流医学校を卒業してからまだ半年だが、もう夜間診療を任されるほどには優秀だった。最も、それは同期の魔法医がみなそうであった。
夜勤はつらいものだった。普段人間が寝ている間に活動するのだ。けれどその報酬は高額であったから、ついついといった感じで引き受けてしまうのだった。
それに夜間診療では昼間と違い次から次に患者が来ることはなかった。その分無残な姿で運ばれてくる患者も多かったが。
さて、もうあと少しで日も昇ってくるし、もう寝てしまうか。なんて考えていると看護師が乱暴に部屋の中に飛び込んできた。
「先生! 患者の様態がおかしいです!」
「わかったすぐ行く!」
ユーウェルはソファーから起き上がった。
ソファーに被せておいた白衣を着て看護師の後を小走りで追った。
※
「これは……。一体。」
「この頃こんな風に咳で苦しむ患者が多いんです。その他にも鼻炎や目に炎症を起こす人などが多くて。」
ユーウェルが駆け付けた病室で、患者は激しく咳を繰り返していた。患者は40歳代だろうか。身体にこれといった病状は見られなかった。
「この患者にその症状が発現したのは?」
「先週です。」
「それからずっとですか。」
「はい。」
ユーウェルはこの頃は医学校で調査をしていることが多かった。だから診療所を開けていることが多く、このような症状が流行っていることは知らなかった。
「ほかの医師はどう処置しているんですか。」
「症状からして肺の炎症だから問題はないと。処置としてはシューミット液を点滴するようにと。」
「投与後は。」
「確かに、症状は落ち着きました。ですが何度もぶり返す患者もいて。私たちもよくわからなくて。ナースの中には何か新しい病気が流行っているんじゃないかと噂するものもいて。私は違うと思ってるんですが……。」
「わかりました。とりあえずは同じように処置をお願いします。」
「わかりました。」
ユーウェルは何かがおかしいと感じた。
そう感じると確かめずにはいられなかった。
※
「おう、久しぶりだな。ユーウェル。」
「俺もだよ。ベッカー」
ユーウェルが久々の夜勤を終えてもう一週間がたった。この頃ユーウェルは忙しく
病院と魔法医学校を往復していた。
そんな中、ユーウェルは同じ帝都の魔法医学校を出て、お互いに研修医として働いている同期の研修医ベッカーに会いに行った。
ベッカーは夜勤明けのようで、血走った赤い目が特徴的だった。
「元気か。」
「まぁね。」
「最近どうだ。」
「この頃はコリンズ先生のところで研究の手伝いをしてるよ。意外と薬理学のほうが好きかもしれない。」
「そうか。」
「ベッカーはどうなんだよ。」
「俺か、俺はやっぱり町医者が一番だ。」
「昔から憧れだったもんな。」
「そうだな。早く兄貴みたいに頼られる人気のセンセーになりたいぜ。」
そういうと二人は笑った。
そこに注文していたコーヒーとフレンチトーストが運ばれてきた。
「それで? 朝っぱらから連絡してくるやつがいたと思ったらお前でびっくりしたぜ。一体何のようだ。」
「ベッカーはこの頃もずっと夜勤か。」
「そうだなぁ。週に2回ぐらいだな。それ以外も基本は診療室でセンパイの手伝いとかだな。」
「この頃変わったことはないか。」
「変わったこと。……あー、最近はなんか流行り病があるかもみたいな話は聞くな。まだ調べてるやつはいないみたいだが、やたらと風邪や肺炎の症状の患者が増えてる。」
「やっぱりか。」
「お前何か知ってるのか。」
「いや、まだ決定的なことは言えない。」
「じゃあどうした。」
「俺は医原病じゃないかと疑ってる。」
医原病。医療行為によって生じる病気のことだ。過度な薬の処方などによって本来かからない病気になってしまうというそれである。
「……医原病なぁ。にしたって、何が原因だ。この間国が認可した感染症治療薬か? あれはいいと言ってみんな積極的に使ってるが。」
「いや、違う。」
「ああもう! じれったい。さっさと言えよ!」
ユーウェルは意を決して告げた。
これは大きな問題を引き起こすかもしれない考えだった。
「シューミット液。俺はシューミット液が原因じゃないかと思ってる。」
「……お前。正気か?」
「俺が調べた患者は全員がシューミット液を投与されていた。」
「当たり前だバカ! シューミット液は即効性こそないが万能薬としてどんな病気にでも使われてるだろ。おまけに内服薬だってあるんだから今時シューミット液を投与されていない人間なんていないだろ。」
「これを見てくれ。」
ユーウェルは鞄から数枚の資料を取り出した。どれもびっちりと文字が埋められていた。ベッカーは充血した目を凝らしてその資料を詠み始めた。
「ベッカーの言う通りだよ。最近風邪とか肺炎、ウイルス性の感染症にかかる患者が増えてる。しかも病院に長くいるほど、病院にかかった回数が多いほどその発症率は高くなってる。相関関係にあるんだ。」
「お前が嘘をついていなかったらな。」
「嘘なんてつくはずない! コリンズ先生の元で学んでる僕がそんなことをするもんか!」
「悪かったよ。でもたったこれだけのことを理由にシューミット液の使用をやめるように学会に訴えるか? たかが研修医のお前が。」
「流石にそんなに物分かりが悪いわけじゃないよ。それに今そんなことをすれば逆に患者が危険だ。」
「よかったよ。今時シューミット液を使わない医者なんて、古学派の胡散臭い連中だけだからな。」
ベッカーは資料を読むのを諦めたようで資料を置き、フレンチトーストを食べ始めた。
「それで、お前はどうするんだ。まさか俺に披露したかったってわけじゃないだろ。」
「うん。これをコリンズ先生に提出してみようと思う。」
「で、どうする。」
「来月の学会で提出してもらう。」
「間に合わないだろ。無理だ。」
「無理を通すしかない。今後もシューミット液が使われ続ければ、もっと多くの患者が医原病で苦しむことになる。」
ユーウェルの脳内にはもっと壮大なストーリーが展開されていた。
今後も患者は増えていくと思われる。そうすれば当然誰かが調査を始めるはずで、となればもっと賢い誰かがシューミット液による医原病ではないかと気づくはずだ。
もしそうなれば、シューミット液は批判の的となる。ともすれば使用ができなくなるかもしれない。
ユーウェルはシューミット液の効果を否定したいのではなかった。ただ、その使い過ぎがもたらす影響を指摘したいだけなのだった。
「なるほど。手伝えってか。」
「頼めるか。」
「行けても週に一回だ。」
「それで十分だよ。来るときは患者のデータも持ってきてくれると助かる。」
ベッカーの同意が取れたと分かるとユーウェルはポケットから数枚の何枚か硬貨を取り出し、机の上に置いた。
「おごりだよ。ごゆっくり。」
「おい! 飯も食ってかないのかよ!」