ミミック④
「うーん。何か話してるようだが」
「ここからじゃよく聞こえないわね」
ゴブリン、スライム、そしてヨミの三匹はできるだけ大きな木に登り、そこから例の冒険者の動きを観察していた。
ベアモンキーはすぐに分かると言っていたが、実際すぐに発見することができた。
服が卸したてのようにピカピカなのだ。
汚れどころか皺も付いていないような綺麗さ。杖だけが美術品のような古めかしさで周りから妙に浮いている。
あと臭い。香水の匂いだと思うが、風下に立つと頭がくらくらしそうなほど、きつい匂いが漂ってくる。
足取りからして明らかに森を歩き慣れていないのも特徴だろう。たまに木の根に足を取られたり、枝に引っ掛かったりしている。
冒険者と思っていたが、本当は冒険者ではないのかもしれない。彼らとは違って決まったルートや目的がなく、ありていに言えばふらふらしている。
正直なところ、彼が何をしたいのかよくわからない。
「ねぇ。もう少し近づいて見ようよ」
ヨミは提案したが、ゴブリンが首を横に振った。
「ダメだ。これ以上近づくと気づかれる」
ここはベアモンキーが言っていた探知範囲にギリギリ入らない距離だった。
「でも、これじゃ何もわからないよ」
「そうだな。このままでは埒があかん」
「みんな待って。付き人の方が、大声で何かを話してる」
スライムが言うので、二匹は耳を澄ませて、付き人の言葉を聞いてみた。
『………五分!……』
これだけ言い終わると、少年の方が付き人を地面に抑えつけた。背中側から両手をロープできつく締め上げる。そして胸元からハンカチを取り出すと、両目を覆って後ろで結ぶ。
その動きには容赦というものがまるで感じられなかった。
遠目からの印象では、少年が女性に乱暴を働いているように見える。
「何をやってるのかしら」
「さあな。だが、これで付き人は手を出せなくなった。俺たちにとっては追い風だ」
少年はベアモンキーの話ではメーラという名前だそうだ。
そのメーラが懐からアイテムを取り出している。小型の丸いアイテムでメーラはそれを見ながら北に進んでいく。
「あれが、たぶんエネミーレーダーだろうな」
さっきからレーダーを何度も見返しつつ、北にある木を探している。あの様子だと、メーラはレーダーに頼り切っているように見える。
「あのレーダーを壊せれば、メーラは帰ってくれるんじゃない?」
「できれば、そうあって欲しいが」
だが、ここから近づくこともできないのではどうしようもない。
せめて取っ掛かりになるものがなければ、このままでは眺めるだけで終わってしまう。
「さっきの付き人は何を言っていたんだ。もう少しちゃんと聞き取れていれば」
「ボク、五分って聞こえたよ」
「ああ。それは俺も聞こえた。だがそれは手掛かりになるのか。五分がなんだと言うんだ」
三匹は考える。五分とはいったい何なのか。
「もしかして、魔法の詠唱時間じゃない?」
スライムがふと思いついたことを口に出した。
ヨミもゴブリンも魔導士には何人も会ったことがあるので、彼らが魔法に詠唱を必要とすることを知っている。
「詠唱時間か。だが仮にそうだとして、大声で叫ぶ理由がどこにある。わざわざ自分達から弱点をばらしていることにならないか」
「知らないわよ。人間の考えることなんて」
「きっと弱点を大声でばらしたから縛られちゃったんだよ」
「そうか。それなら筋が……いや、それはそれでおかしいような」
考えたところで、答えが出るはずもなかった。
しかし、他に案も浮かばなかったので、五分とは『詠唱時間』ということで落ち着いた。
「俺たちでも計ってみるか。ヨミ。おまえ時計を持ってないか?」
ヨミは体から懐中時計を吐き出すと、舌に乗せてゴブリンに渡した。
ゴブリンはそれを受け取ると、しっかり機能していることを確認した。
メーラの方を見ると、彼はちょうど木の前で詠唱を開始しようとしている。
「……ぼそ…ぼそ…」
何かをぼそぼそ言っている。あれが詠唱なのだろう。
杖の先端が赤く輝き、その光がどんどん大きくなっていく。
「ファイヤーボールっ!!!」
声と共に火球が飛び出し、木に命中した。
そして、燃え上がる。
「どう?」
スライムの問いに、ゴブリンは真剣な面持ちで答えた。
「当たってたみたいだな」
先端が赤みを帯びだし、そこから火球が飛び出すまでに、ほぼ五分。
念のため、再び時間を計ってみた。
今度は五分半を超えている。五分以上かかるのはほぼ確実だろう。
「これだけ時間があれば奴に近づくことができるな」
詠唱の途中で近づけば、その瞬間にレーダーに反応してしまうため、メーラが詠唱をわざと遅らせる可能性がある。
そうなれば、距離を詰めたタイミングで、準備万端のメーラに返り討ちに遭う。
だから、近づくタイミングはメーラが詠唱を終えて火球を放った瞬間。それならこちらに最低五分間の猶予がある。
メーラは他の冒険者と比べて接近戦にすぐれているようには見えない。森を歩き慣れてもいないし、短剣を刺してはいるが剣術にすぐれているようにも見えない。
魔法の発動さえ封じることができれば、こちらにもまだ勝機はある。
「エネミーレーダーを壊せばいいんだよね?」
「ああ。俺たちのレベルじゃメーラにダメージを与えることはできないからな。だが、アイテムを壊すことはできる。メーラにはそれで帰ってもらうしかない」
メーラがマシロの森にこだわる理由は特にないのだろう。それなら貴重なアイテムが壊れた段階で、彼が粘って雑魚モンスターを狩るようには思えない。
「でも、メーラに距離を詰めてエネミーレーダーを壊すまでに五分間。それだとあまりにも短すぎるわ」
スライムの考えにも一理あった。メーラでも抵抗はしてくるだろうし、こちらの狙いに気付き時間を稼ごうとしてくるかもしれない。
「大丈夫だ」
ゴブリンが思いつめた表情で言った。
「俺が囮になる。そして時間を十分まで伸ばす」
ゴブリンはメーラに火球を無駄撃ちさせて、再び詠唱をさせようとしていた。
「待ってよ。それじゃゴブリンは……」
「安心しろ。火球に当たるつもりはない。こちらに引き付けるだけだ」
ゴブリンの作戦は以下のものだった。
まずメーラが火球を放ったことを確認すると、ここから離れて行動開始。
ゴブリンと、あとの二匹は二手に分かれる。ゴブリンはメーラの前にまっすぐ進み、スライムとミミックは奴の後ろへ周り込む。
メーラの側まで近寄るところで約五分。
ゴブリンが激しい威嚇をしながら前に飛び出し、メーラに火球を撃たせる。
これで次に火球は放たれるまでに五分間の猶予ができる。
それを確認したミミックとスライムが後ろから襲い掛かる。
最初にミミックが長い舌で巻き付けて、メーラを拘束する。
残ったスライムが奴のエネミーレーダーを破壊する。
「これでいいか? よければ実行に移していくんだが」
「いいと思うわ」
「ボクは……」
ヨミは答えられず黙り込んでしまった。
「ヨミ。どこがダメなんだ。言ってくれ」
ゴブリンは穏やかな口調で聞いた。
「ゴブリンが、危ない」
ヨミは視線を落として言った。
「あのな。ヨミ。もうそういう状況じゃないんだ。ベアモンキーが死んだんだ。このまま行けば日が暮れるまでには、モンスターが全滅する。今はそういうレベルの話をしているんだ。おまえだってそれは分かっているだろう?」
ヨミはスライムの方を見た。
スライムは溜息を吐き、ヨミの頭に手を置いた。
「そうよ。ヨミ。ゴブリンの言う通り。私たちは弱い。雑魚モンスターなのよ。弱いものが強いものを上回るには危険を冒さないといけないの」
「ボクたちが弱いから……」
「わかってくれた?」
「……うん。わかったよ」
ヨミが納得してくれたようなので、ゴブリンは話を進めた。
「それでは、実行に移そう」
こうして、行動は開始された。
* * *
「ファイヤーボールっ!!!」
火球が命中し、木が燃えた。
「ははははははっ! 燃えろ燃えろっ!」
しばらくすると鎮火して、モンスターが落ちてきた。
黒い塊である。手足のようなものがあり炭化している。剣で軽く突くだけで、粉々になって砕け散った。
メーラは面白くなって笑いをこらえた。
完璧だ。完璧に丸焦げだ。凄まじい威力だ。最高の火力だ。
これだけの威力が出せるのだから、詠唱時間など些細なことだ。どれだけ長く詠唱していようとも一撃で決めてしまえば関係ないのだ。
メーラは振り返ると、胸を叩いて声を上げた。
「ルナ。どうだっ! 見たかっ! これが僕の本気。最強の炎弾だっ!」
そう言って、彼女からの賞賛の言葉を待っていた。
しかし、いくら待っても返事が来ない。
「あの。メーラ様」
ルナはあらぬ方向を見ながら言った。
「私は目隠しをされており、メーラ様を見付けることができません」
ルナはきょろきょろと頭を動かしている。本当に前が見えていないようだ。
もちろんこの反応は分かっていた。わざとだ。こうやって先ほどの仕返しをして憂さを晴らそうとしているのだ。
「どこを見ている。僕を見ろ」
ルナは見計らったように、そっぽを向いた。
こいつ本当は見えているんじゃないだろうか。
「私、深く傷つきましたよ」
わざとらしく泣き真似をしてみせる。
どうせ口だけだ。もう騙されはしない。こいつには自分を敬う気持ちなどないのだ。
「エネミーレーダーは見ていますか?」
ルナがさらっと助言をしてきた。
そこでメーラはさっきからレーダーを確認していないことに気付く。
しかし、ルナの助言が役に立ったと認めるのは癪だった。
「ふん。僕も今から見ようと思っていたんだっ!」
レーダーの反応をチェックする。
ぴこん、と音がして、地図の中に点が表示される。
西の方に一つ。けっこう端にある。
さっきからわりと起こっているありがちな反応だ。
「さてと、じゃあ、狩りに行くか……ん?」
点が動いている。モンスターが移動しているのだ。
わりと速い。一直線にこちらに向かっている。
ぴこん、と音がして、更に二つの点が表示された。
その点は南側に動いている。こっちも動きが速い。
偶然にしては出来すぎている。モンスター三匹が示し合わせているのか。何か狙いがあるのか。例えば後方に回って挟み撃ちを狙っているとか。
「いやいや。そんなわけないだろう。雑魚モンスターだぞ。雑魚にそんな知能があるわけがない。こんなものただの偶然だ」
そう言って自分を納得させる。しかし呼吸が荒くなっていた。嫌な予感がするのだ。
ルナは目隠しをされながらも、その動揺を感じ取ったのだろう。
穏やかな声で、彼のプライドを傷つけないように言った。
「メーラ様。まずは詠唱をしましょう。杖のリピートを使用してください」
魔導士の杖には『リピート』と『メモリ』という二つの機能が付随されている。
『リピート』とは、一つ前に使った魔法を杖が代わりに詠唱してくれる機能。
『メモリ』とは、杖に記憶させた呪文を、杖が代わりに詠唱してくれる機能。
これらの機能で発動した魔法は術者の実力以上の威力を出すことはできない。また詠唱時間が短縮されることもない。
ただし杖に詠唱させている間に、術者自身が全く違う種類の魔法の詠唱をすることは可能。
また、これ以外にもう一つ『スペシャル』と呼ばれる特殊な機能がある。これは杖によって効果が異なり、量産品には付いていないものもある。
通常、魔法を使用する場合は杖または魔法陣が必要となる。
杖を使用する魔法は、術者の精神状態に作用されやすく威力にも精度にも非常にムラがある。だが、極めてしまえば高い威力と効果を常に出し続けることもできる。
一方、魔法陣を使用する場合は安定しているが、術者の設計した想定通りの威力と効果しか望めない。
どちらがより優れているかは術者の能力や考え方によっても変わってくるので、一概には言えない。
「あ、ああ。そうだな」
メーラは杖を構えて、リピートを使用した。
杖の先端がぼんやりと赤みを帯びた。