ミミック①
ダンジョンというのは不思議な空間であり、他の場所とは違う部分が多い。
木立を眺めているだけでも分かる。
木の並びは雑なようで規則性があり、草の伸び方も全て同じ。
冒険者が通る道も不自然なほど綺麗だ。誰かが定期的に舗装をしているわけではないのに、路面は常に平坦で落ち葉すら見当たらない。
途中にある裏道は長い草で覆われているが、それにも分かりやすい目印がある。
穿った見方をすれば、冒険者にひたすら都合が良い空間だと言える。
もしこの世界に神様がいるのだとしたら、きっとダンジョンは冒険者のために作られたのだろう。
だが、それによってモンスターが得することもある。
冒険者は道を逸れない。作られた道に沿って歩くのだ。
これは良いことだ。何故ならモンスターが自分から道に入らなければ、人間と遭遇することはないからだ。
まあ、中には変わり者の冒険者もいる。狙いのモンスターやアイテムがあるから、それを探しているものもいる。
けれど、気配を殺して忍び足で近づき、後ろからザクリということもない。
遭遇確率はかなり下がる。注意してればまず安全と言っていい。
「よし。誰もいないな」
木に登ったゴブリンが周囲を注意深く観察する。
話し声はしないし、人間の匂いもしていない。
「よっと」
枝から飛び降り、地面に着地した。
そこでは二匹が待っており、スライムが質問する。
「どうだったの?」
「人の気配はないな」
「そう。それはよかったわ」
ここからは木立がまばらで生えている草も長い。
ゴブリンを先頭に草をかき分けながら進み、そのあとに二人が続く。
「ねぇ。ボクって弱いの?」
みんなが黙っていると、ヨミが唐突に話を切り出した。
「急に、どうしたの?」
「人間がボクのことを弱いって」
「そうね。弱いわね。あなたは弱いわ」
スライムは当然のことのように言った。
「でもね。それは私も同じ。私も弱いの。私だけじゃない。ゴブリンもベアモンキーも、この森に棲むモンスターはみんな弱いの」
「みんな弱い?」
「そうよ。みんな同じ。みんな弱いの」
「みんな同じかあ」
何故かはわからないが、ミミックはちょっと嬉しくなった。
「おい遅れてるぞ。ちゃんとついて来い」
ゴブリンの案内により、二匹はようやくベアモンキーがいるという湖のほとりまでやってきた。
ここはよく寄り合いとして利用されており、モンスターにとっても快適な環境だった。
よく陽が照っているが、風通しがよく、非常に涼しい。
湖では、モンスター達が水面に顔を突っ込み、水を飲んでいる。
よく知る顔触れだったので軽い挨拶を済ませると、ヨミも隣で水を飲ませてもらう。
舌の中心をへこまして窪みを作る。
そこに水を貯めて、スプーンのようにして体の中に運ぶ。
冷たくて体に染み渡る。普通の水ではあったが、とてもおいしく感じた。
ついでに水をかけて、体を洗っておく。宝箱はこんなことで朽ちたりはしないので気軽に水浴びできる。
それから水面を覗いてみる。
そこにはミミックが映っている。
当たり前だ。ヨミはミミックなのだから、ミミックが映るのは当然のことだ。
でも最初は知らなかった。このダンジョンには鏡がないので、ヨミが自分の顔を知ったのは、この水面に映った自分を見たときが初めてだった。
「うん。ボクだ」
ヨミはいつもと変わらない自分を見て、心を落ち着かせる。
「ヨミ。ここには水を飲みに来たわけではないぞ。ベアモンキーに会いに来たんだ」
ゴブリンに言われて、ヨミは周りを見る。
「でも、ベアモンキーいないよ」
たしかにいない。湖にいたモンスターに聞いても知らないという。
「本当にここで合ってるの?」
スライムが尋ねた。
「ああ。間違いない。いったいどこに行ったんだ」
みんながキョロキョロしていると、どこかから声がした。
「ここじゃよ」
そして、どさっと音をさせ、一匹のモンスターが落ちてきた。
クマとサルをあわせたような風貌で、手足の指が長く先端がかぎ爪のようになっている。
「おまえ達、待っておったぞ」
立ち上がると、細い腕を振ってきた。
ベアモンキーの唐突な登場に、三匹は開いた口が塞がらなくなった。
「驚いた。木の上にいたのか」
「まったく気付かなかったわ」
それを聞くと、ベアモンキーは誇ったように胸を張る。
「わしは木登りの達人じゃぞ。おまえたち程度では見つけられん」
実際に腕前は達人級なので素直に褒めるしかない。
「わしを見つけたければ王都の騎士を千人は連れて来んとな」
盛大にドヤ顔をかました。このモンスターはこういう冗談をよく言うのだ。
声が随分としわがれており、顔に皺が多い。
人間で例えるなら爺のようだが、彼は生まれてからまだ六年である。
とはいっても、雑魚モンスターで六年というのはかなり長い。
生まれた瞬間に冒険者に殺される者もいるような過酷な世界、さらにその中でも最弱に近いレベル3で、六年間である。
その長生きの秘訣は木登りにある。
もともと生まれたときから木に登れたが、彼はそこから訓練を積み気配を消せるようになった。
今では熟練の冒険者ですら木の上にいる彼を見つけることは不可能のレベルだ。
そうしてベアモンキーはマシロの森の長となったわけだが、そこからは他のモンスター達に木登りを教えることに専念した。
これはモンスター達のためというより自分のためだった。
他のモンスターに冒険者を監視させることで、自分の死亡確率を大幅に減らす。
そういう算段だったが、これによりモンスター達が集団行動を覚え、知識も増えてきた。
もともとモンスターは粗暴な性格で、群れを嫌う者も数多い。ミミック、スライム、ゴブリンが一緒に会話をするなど他のダンジョンでは非常に珍しい光景だろう。
今のヨミ達があるのはベアモンキーの功績が大きい。要するにとにかく偉いモンスターなのだ。
「おはよう。ベアモンキー」
ぱかぱかと蓋を動かして、ヨミが挨拶した。
「おお。ヨミ。おはよう。じゃが、今は昼どき。挨拶ならこんにちは、じゃ」
「わかったよ。こんにちは。ベアモンキー」
「おお。ヨミ。こんにちは」
「挨拶なんてどうでもいいから! 用事があったんじゃないの?」
スライムがぷるぷると揺れている。
「おまえ、せっかちじゃのう。用事というのは、『開かない宝箱』についてじゃ」
先ほどの冒険者が話していたものだ。
だが、ヨミはそのとき眠っていたので聞いてない。
「冒険者の間で噂になっとる宝箱のことらしいんじゃが。あれのせいで道を逸れる者が多いんじゃ。この辺りまで来ることもあった」
ベアモンキーはジェスチャーを交えつつ、『開かない宝箱』について説明した。
誰にも開けられない宝箱を開けて有名になりたい冒険者が増えているそうだ。
それでまずは宝箱を見つけるために、森の中をくまなく探そうとする。
他の者に横取りされたくないから、みんな場所を教えないのだろう。
「なるほどな。それは大変だ。モンスター達が危ない」
ゴブリンが相槌を打つ。
「そうなんじゃ。モンスターの平和のために。輝かしい未来のために……というか、わしがまだ死にとうない。死にとうないんじゃ」
「本音がだだ漏れよ」
「……おっと、いけない。それでわしの案としては冒険者よりも先にわし達で開けてしまおうと思うんじゃが。おまえたちの意見が聞きたい」
ベアモンキーが三匹に意見を求めた。
「それ大丈夫なの? 宝箱が見つからないと、冒険者が躍起になって探すんじゃ……」
「その点は心配ない。道の真ん中に空の宝箱を捨てておけばいい。これでみんな分かるじゃろう」
「そうね。それなら問題ないかも」
スライムは賛成した。
「俺も異論はないな」
「ボクも賛成」
スライムは手を出すと、ミミックの蓋を叩いた。
「あなたちゃんと考えてないでしょ」
「考えてるよ。ベアモンキーが言うんだから、正しいよ」
「それを考えてないって言うのよ」
三人の賛成意見が得られたところで、ベアモンキーが「ゴホン」と咳き込んだ。
「みんな感謝するぞ。それではみんなで宝箱を開けに行くとするかのう」
ベアモンキーが手を振り上げて、行動を開始した。
みんながそれに従い、後ろを付いていく。
「あっ、ベアモンキー」
ヨミが声を出したので、みんなが立ち止まる。
「おお。ヨミ。どうしたんじゃ」
「その『開かない宝箱』、どうやって開けるの?」
「……ん?」
「いや、だから、冒険者が誰も開けられないんでしょ? どうやって開けるのかなって」
「それは、あれじゃ。見つけてから考える!」
自信満々に答えた。
「望みは薄そうね」
「いやいや、宝箱の位置に目星はついておるんじゃ。あとは開けるだけ。宝箱を開けるだけの簡単な仕事じゃよ。ついて来てくれ」
というわけで、みんなは元の道を半分ほど戻り、そこから脇道を右にそれてしばらく歩き、目的地に着いた。
落ち葉が多いところで、なだらかな傾斜がある。
「ねぇ。大丈夫なの? 冒険者も探しているんでしょ」
スライムは冒険者と運悪く鉢合わせるんじゃないかと心配していた。
「大丈夫じゃ。他のモンスター達に見張らせておる」
ベアモンキーが案内したのは、地面が盛り上がったいかにも怪しそうなところだった。
宝箱と同じぐらいの丸い石が一部だけ切断され、その断面が綺麗に磨かれている。
「なんだこれは。石碑か?」
ゴブリンが触って確かめる。
「どうじゃ。なんかそれっぽいじゃろ? ビンゴじゃろ?」
ふふん、とベアモンキーが鼻を鳴らす。
「そうね。それっぽくはあるけど」
スライムは石の周りをぐるっと一周してみる。
特に不審な点は見られない。
「おい。表面に何か書いてあるぞ」
ゴブリンが手招きするので、スライムが一緒に見てみる。
黒い線で何か書いてある。
掘られた跡がないので、どうやら魔法で書いたようもののようだ。
線が太いせいか、どことなく古めかしい。
「うーん。読めん」
「読めるわけないでしょ。人間の文字なんだから。私たちには無理よ」
「ふふっ。そいつはどうかのう」
ベアモンキーが2匹の間に割って入る。
「まさか。ベアモンキー、読めるの?」
「いんや。わしは読めん。読めるのはヨミじゃ」
そのために呼んだんじゃよ、と付け加えた。
それを聞くと、スライムとゴブリンはヨミの方を向き、目を丸くした。
「驚いたわ。あなたが読めるなんて」
「ああ。俺も驚いた。いったいいつの間に……」
「えへへ。勉強してたんだ」
ぱかぱかと蓋を動かし、ヨミは嬉しそうにする。
「どうじゃ。凄いじゃろう。格好いいじゃろう。チートじゃろう」
「なんであなたが威張るのよ」
ともかく、みんなはヨミに文字を読んでもらうことにした。
「どう? 読めそう?」
「うん。えっとね」
石碑にはこう記されていた。
弱き者へ
力を望むなら 右に十歩 左に十五歩 進むべし
ヨミはばっちり解読していた。
「ふーん。ちなみにあなたはこれ意味わかってる?」
「わかるよ。ミギニさんとヒダリニさんが進むんだよね」
「ええ。よくわかったわ。あなたがわかってないってことがね」
「たぶん記号の羅列として丸暗記してるんだろうな。それでも十分に凄いが」
言葉を素直に受け取るなら、指定された位置に立てば何か良いことがある。
ここまではみんな分かっている。
「その上の『弱き者へ』、『力を望むなら』とは何だ。実はこれには深い意味が……」
「ただの格好付けでしょ。こういう大仰な言い回しが冒険者の好みなのよ」
「まあ、細かいことは抜きにして、とにかく進んでみればわかるじゃろう」
とここまできて、みんなの歩幅がばらばらであることに気付いた。
歩幅は人間にできるだけ近いベアモンキーに合わせることにした。
そして、指定の位置に到達。
そこにはまた石碑があり、文字が書いてある。
ヨミが解読する。
弱き者へ
力を望むなら 右に十二歩 左に九歩 進むべし
「さっきと同じじゃないの」
「違うよ。数字のところが」
「そういう意味じゃなくて」
「まあ、諦めずに前に進めば夢は叶うものじゃよ。レッツゴーじゃ」
そして、指定の位置に到達。
そこにはまた石碑があった。
以降、同じことを何度も繰り返し。
ようやく最後の石碑まで到達したのだった。
「って、これ最初の石碑よね。私たち戻ってきてるわよ」
「ああ。俺たち、いったい何してたんだろうな」
スライムとゴブリンは頭を抱えた。
「あっ、見てみて。石碑に書いてある文字、さっきと違うよ」
ヨミが指摘するように、先ほどとは文面が違っていた。
おそらく特定の条件を満たせば、文字が変わるしくみだったのだろう。
ヨミが解読する。
弱き者へ
力を望むなら 後ろへ一歩 さがるべし
書いてある通りにしてみると、空から宝箱が落ちて来て地面に着地した。
普通の宝箱よりずっと小さいが、デザインは普通のものと変わりない。
「うーん。なんというか、子供騙しというか」
「そうね。面倒ではあったけど、なんだか拍子抜けね」
「おまえたち忘れておらんか。ここはマシロの森じゃぞ。ここではなんでも低レベルじゃ。謎解きのレベルもこんなものよ」
作業的ではあったが、なんとか宝箱を見つけることができた。
だが、問題はここからである。
熟練の冒険者でも開けられないという『開かない宝箱』。
それを雑魚モンスター達だけで開けようとというのだ。
「あっ、蓋のところに何か書いてあるよ」
弱き者へ
あなたが選ばれし者なら 箱はきっと開く
「今度は選ばれし者ね。この中にいるのかしら」
「なんとかなるんじゃねー」
「いい加減になってるわよ。ベアモンキーも少しは考えて」
「よし。俺が挑戦してみよう」
というわけで、ゴブリン、スライム、ベアモンキーと順番に挑戦していったが、結局のところ誰にも開けることができなかった。
「ああもう。分かってたわよ。冒険者が開けられないものを私たちが開けられるわけないわよね」
「うーん。あとちょっと。あとちょっとで開けられそうなんだが」
「惜しいのう。わしがあと三年若ければこんな宝箱たやすく開けられたんじゃが」
ちょっと諦めムードになってきていた。
「ねぇ。ボクにも貸して」
宝箱の中から、舌を出した。
今更だが、この舌は疑似的なものであり本物ではない。
舌を出しながら流暢に喋ることができるし、切断されても死ぬようなことはない。
「そういえば、あなたはまだ挑戦してなかったわね」
スライムはベアモンキーから宝箱を取り上げると、ヨミに手渡した。
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
ヨミは宝箱を受け取ると、地面に置いた。
それから石を持ってきて宝箱を挟んで固定すると、舌で覆って吸い上げるように引っ張る。
その様子を他の三匹は近くから見守っていた。
「おお。いけそうじゃ。これはいけそうじゃぞ」
ベアモンキーが大袈裟な口調で場を盛り上げようとする。
「ここからだ。本当に難しいのはここから……」
ゴブリンが言うように、しばらくは硬直状態が続き、ミミックだけがウンウンと唸っていた。
「ヨミ。頑張って」
「うんがああああっ!」
力を込めすぎたミミックの体は姿勢を崩してひっくり返ってしまった。
覆っていた舌も一緒に外れる。宝箱は開いていない。
「やっぱりみんなダメみたいね」
みんなが落胆していたそのとき。
カチっと音が鳴り、宝箱が開いた。
「……開いたわね」
「開いたな」
「開いたのう」
ひっくり返っていたミミックが起き上がると、宝箱が開いていることを発見した。
「やった。宝箱が開いたよ。みんなよかったね」
ミミックがぴょんぴょんと跳ねて喜びを表現する。
「そうね。よかったわ。さっそく宝箱の中身を確認しましょう」
スライムは手を作って、ミミックの背中を押した。
「なにをぼさっとしてるの。あなたが確認するのよ」
「え? ボクが? どうして?」
「あなたが開けたんだから、あの宝箱の中身はあなたのものよ」
「ボクのもの……」
「そうよ。あなたのものよ」
スライムは他の二匹にも同意を求めた。
ゴブリンにもベアモンキーにも異論はなかった。
もともと冒険者より先に宝箱を開けることが目的だったのだから、中身について考えているものはいなかった。
「わかった。ボクがやるよ」
ヨミは宝箱を舌で持ち上げると、みんなが見やすい位置まで移動した。
中を確認すると、そこには赤い液体で満たされた薬瓶があった。
「これだけしか入ってない」
「待って。底に何か書いてあるわ」
ヨミは読んでみる。
弱き者へ
力を望むなら この薬を飲んで
あなたも きっと なれる から
「あなたもきっとなれる。含みのある言い方ね」
「ふむ。わしはこのあとの展開が読めたぞ。薬を飲んだヨミが、ミミックを超えてスーパーミミックになり、魔王を討ち倒し、世界を救ってハッピーエンドじゃ」
「その展開は嫌いじゃないが、難しいんじゃないか。飲むのはヨミなんだし」
「そうじゃのう。ヨミにスーパーヒーローのイメージはないのう」
ベアモンキーの冗談はさておき、ヨミはあっさり決断した。
「ボクは薬を飲まないよ」
理由は他のモンスター達と同じでいたいと思っていたからだった。
仮に力を望んで薬を飲むと、周りと差が生まれてギスギスした関係になり、仲良くできなくなってしまう。
それなら弱いままの方がずっといい、というのがヨミの考えだった。
「なんじゃ。ヨミはスーパーヒーローになりたくないのか」
「うん。ボクなりたくないよ」
はっきり言うので、ベアモンキーも黙るしかない。
「飲まないで正解じゃないのか。人間用だろうしな。俺たちが強くなっても誰も得しない」
「そうじゃのう。強くするならせめてドラゴンにするよのう」
「俺たちにとっては毒かもしれないぞ。やめておけ」
色々と言ってるが、ヨミはもう飲まないことに決めたので関係ない。
「でも、この薬は捨てずに持っておくといいわ」
スライムは地面に置かれた薬を拾って手渡した。
「これはあなたの勲章だから。冒険者ではなくあなたが手に入れた。その事実は変わらないもの」
ヨミは彼女の言う通り、持っておくことにした。