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錬金術師②


 錬金術師には年に2回、会合への参加が義務付けられている。


 そこでは錬金術師達がお互いの研究を発表したり、仕事の進捗状況、これからの未来について話し合う。


 王都で開かれるものは千人近くが集まる大規模なものだが、トラップは地方出身なので、多くてもせいぜい三十人程度しか集まらない。

 

 だが研究を発表できる場は基本的にここしかないので、トラップも当然行くことになる。

 開催場所までは早朝に家を出れば昼前には着くので、日帰りで戻って来れる。

 

 トラップは軽い朝食を済ませると、支度を始める。

 クローゼットから正装であるローブを引っ張り出した。

 身嗜みを整え、姿見で自分を見てみる。


「あいかわらず似合わないな」


 子供の晴れ着姿のようで、どうにも馴染まない。身長はそれなりにあるのに、この童顔のせいで浮いた感じになる。

 威厳が増すかと考え髭を生やしたこともあったが、気持ち悪いのですぐやめた。

 もしかしたら、時間が止まっていたのかもしれない。神か悪魔か知らないが、成長しない自分を戒めるために、超常的な力を使ったのかもしれない。

 だが、それも今日まで。

 これからは前に進んでいくのだ。


「よし!」

 気合を入れ直す。

 あとはアイテムボックスだ。

 指輪を嵌めて、手を握る。


「オープン!」

 掛け声と共に、扉が現れた。

 開けて中を確認する。ほのかな明るさで壁面が白い。温度は5℃で軽い肌寒さを感じる。

 足を踏み入れてみると、けっこうな奥行きがあり、天井も高い。

 中心には研究データや薬の試作品が置いてある。

 実際に触って裏返してみる。埃や汚れも付いておらず保存状態は良好だ。


「うん。全て揃っているな」

 ひと昔前までは、アイテムボックスは冒険者専用というイメージが強かった。道具袋を拡大したような使い方だ。


 最近ではこうした金庫のような使い方をする者が多い。実際、金庫より遥かに安全性が高いのだから当然である。


 扉を破壊することはできないし、持ち運んで逃げられることもない。指輪が破壊されても修理するか、代替品を用意すればすぐに使える。


 もちろん扉を無理やりこじ開けようとするなど論外だ。赤の他人が利用するにはパスワードが必要となり、間違えるとすぐにロックがかかり、扉が消失してしまう。

 

 あと当然のことながら、中では魔法の使用は不可。


 生物が入ることもできない。体が完全に中に入ると、センサーが働いて数分もすれば外に吹き飛ばされる。蠅や鼠に至っては侵入すらできない。入口に薄い膜が張られており近寄ることも困難だそうだ。


 ちなみに高性能なアイテムボックスは明るさや温度、湿度などを自在に調節できる。トラップが利用しているものがまさにそれで、もはや錬金術師には欠かせない必需品となりつつある。


「最後は錬金術師の資格証だな……」


 滅多に使うことはないので探すのに苦労したが、ようやく発見できた。正装用のズボンのポケットに入れたままだった。こういうミスはよくやるので、気を付けなければならない。

 忘れ物がないことを確認し、玄関へ向かう。


「ん? どうしたんだい?」

 セレーネが足にまとわりついてきた。


「……にゃあ」

 鳴き声が、かぼそい。すすり泣きをしているようにも聞こえる。別れを惜しんでくれているのだろうか。


「大丈夫だよ、セレーネ。すぐに戻ってくるから」

 滅多に外出はしないので不安なのかもしれない。


「そうだ。今夜は君の好きなディナーを用意しよう。だから良い子にして待っていてくれるかい?」


 頭を撫でてあげた。


 まだ切なそうだが、少しは落ち着いてくれたようだ。


「それじゃあ、行ってくるね」


 馬車に乗り開催場所に着く頃には、もう陽が完全に上っていた。手元の懐中時計を見ると、時刻は正午を過ぎている。


 予定ではちょうど会合が始まったところだ。


 来る前に、もたもたしすぎていたかもしれない。


 まあ、そこまで厳しい取り決めはないが、できるだけ急ぎつつ目的地までやってきた。

 

 二階建ての屋敷で造りは新しい。元々は貴族の住宅だったものを改装したのだと聞いているが、そう言われるとそんな気がしてくる。豪奢で物々しく、使われている素材も塗料もこの辺りの住宅と比べて高級そうだ。

 

 入口まで行くと、門番がいないことに気付く。前に来た時は信用のおける雇われ冒険者が門を塞ぐように立っていたはずだ。そして資格証を提示しなければ、中には入れてもらえなかった。


「妙だな」


 まさか昼休憩なんてことはないだろう。交替で誰かが立つはずだ。

 しかし、ここで待ちぼうけていても仕方がないので、とにかく中に入ってみる。


「やけに静かだ」


 人の声がしない。それどころか物音ひとつ立っていない。


「おい。誰かいないのか」


 小間使いが荷物を預かりに出てくることもない。


 胸騒ぎがする。幼い頃に真夜中の教会に忍び込んだことを思い出してしまった。ひんやりとした冷たさで、異様な物寂しさがあった。あのときとそっくりだ。


 不安になり周りを見渡すと、ある事に気付く。

 足元のカーペットが土で汚れているのだ。扉を中心に広がるようについている。その中には足跡の形をしているものもある。多くのものが出入りしたことが分かり、少しだけ溜飲が下がった。

汚れはまだ続いている。それは玄関から通路を渡って行き、階段を昇って行く。

 たしか研究会は二階の大部屋で行われているはずだ。


「行ってみるか」


 手すりを持ち、ゆっくりと階段を昇る。二階の扉が見えてくる。汚れはここで途絶えている。やはり他の者はここに集まっているのか。いったい何をしているというのだろう。


 扉の取っ手に触れて、中を覗くように開ける。


「……誰もいない」


 いや、一人だけいるようだ。


 おそらく会議用に使う予定の長方形の机。その奥に男が足を組んで座っている。


 全身が黒ずくめで、長いマントに目深な帽子を被っている。痩せ型だが、軟弱な印象は受けない。年齢は二十代前半。トラップより多少若い程度だが、彼よりは大人びて見える。

 錬金術師のローブを羽織っていないところを見ると、関係者ではないのだろう。


「よう。待っていたぜ」

 男は落ち着いた態度で、足を組み直した。


「あんたが錬金術師のトラップ、で間違いはないな」

 ここで嘘を吐いても意味はないだろう。


「いかにも私がトラップだが。君こそ誰なんだ」


 男はほくそ笑むと、帽子を押さえながら立ち上がった。


「おお、そうだ。自己紹介がまだだったな。俺の名はロッド。殺し屋をやっている」


 随分と物騒な経歴を持った人物のようだ。

 確かに今まで会ったどの人間とも纏う空気が違う。


「他の錬金術師はどうした」

「他? ああ、ここにいた奴らか。それなら殺した」

 

 自分は遅刻していたから、出席者はみんなこの部屋にいたはずだ。

 並べられた椅子を見ても、最低でも二十人はいる。


「まさか。本当に全員を……」

「殺しには慣れてる」


 それにしては不可解な点がある。

 

 死体がどこにもないのだ。それに血痕や争った形跡なども見当たらない。だが、かすかに他の人間がいた気配は残っている。机の上には何もないが、今まで大勢の人間がここで会話をしていた。その空気は伝わってくるのだ。


 男にも嘘を吐いている様子は微塵もない。


 黒い手袋をした両手を何度か握ると、近くの窓を開けた。外から風が入ってくる。それからまるで自分の家にいるかのように、腕を上げ体を伸ばした。


「どうやって消したんだ」

「それは言えないな」


 気を悪くした様子はなかったが、男はここで会話を切り上げた。

 席から離れると、緩慢な歩みで近づいてくる。

 トラップは恐怖を感じ、彼が動くだけで鼓動が速くなった。


「……ま、待て」

「どうした? 声が震えているぞ」


 男が立ち止まったことを確認すると、トラップは呼吸を整えた。

 慌てれば、向こうの思うツボだ。


 まずは冷静になり、状況を整理したい。

 ロッドと名乗る殺し屋が探していたのは錬金術師トラップ。

 このタイミングで来たということは狙いが薬なのは間違いない。

 モンスターを進化させる薬『エボルンジェン』。

 何者かがこの薬の重要性に気付き、トラップに殺し屋を差し向けた。

 相手の目的が分かっているなら、こちらにも手はある。


「ロッド。君はアイテムボックスについて知っているかい?」


 あくまで冷静を装いながら、トラップは彼に尋ねた。


「ん? ああ、知ってるぜ。使ったことはないが」


「そうか。私はよく利用していてね。重要な研究データや薬の試作品は全てその中に入れてある。そのデータがなければ私でも製作が難しいほどの本当に重要なデータだ。おそらく他の研究者では、これがなければ薬を作ることが絶対にできない。断言できるよ。この分野の専門家は数えるほどしかいないからね」


「ほう。それで?」


「アイテムボックスは安全性が高い。他人には開けることができない。そして、私が死んだ場合、アイテムボックスの中身は全て消失する」


 これは嘘ではない。中身の消失は先人たちが死亡するときに証明されている。


「なるほど。『だから私を殺すな』。こう言いたいわけだ」


 突然、ロッドがそばの机を叩いた。


 鈍い音と共に、焦げた匂いが部屋の中に充満した。


 そして、ロッドの顔の右側、その空中から魔法陣が現れた。掌に収まるほどの小さなもので橙色に光っている。節々から黒い煙を吹き出し、不気味に伸縮を繰り返している。まるで意思があり生きているようにも見える。

 

 トラップは魔法に詳しくないが原理ぐらいは知っている。

 魔力は体から溶け出すもので、それで術者は魔法陣を描く。そこに空気中のマナが群がり、魔術的な変化を起こして誰の目にも見えるようになる。

 属性も魔法陣を見れば判別できると聞く。ロッドは典型的な火属性の魔導士だった。


「待ってくれ。私の話を聞いていたのか」

「魔法陣を出しただけだ。まだ殺してはいない」

 

 これは脅し。その気になればいつでも殺せると言いたいのだろう。

 だがロッドには殺せないはずだ。殺してしまえばもう二度と薬を作れなくなる。

 そうなれば依頼主にも殺し屋にも利益がなくなるのだ。できるはずがない。

 それにロッドが魔導士だと分かったことで、こちらにも反撃のチャンスが生まれた。


 錬金術師が護身用に持ち歩いている小型爆弾がある。これは相手の魔力に反応して起爆し、相手の魔力が高ければ高いほど、ダメージ量が何倍にも膨れ上がる。

 あの魔法陣を見る限り、ロッドの魔力が並以上あることは明白だ。もしも当てることができれば、いくら彼でも無事では済まないはずだ。

 戦闘の心得がない軟弱なトラップでも高威力を出せる。だからこそ護身用のアイテムとして重宝されている。


「そうだ。君に薬を一つ分けてあげよう。どこかの商人にでも売るといい。きっと高値で買い取ってくれるはずだ」


 爆弾はトランクの中に入っている。こう言っておけば自然と爆弾を取り出すことができるだろう。


「ちょっと待っていてくれよ。よいしょっと」

 

 床に膝を突き腰を落とした。ちょうど机が障害になって、ロッドの位置からでは何をしているか見えていない。

 緊張で顔が汗ばんでくる。それを腕で拭いながらトランクを開けて中を漁る。爆弾はすぐに見つけることができたが、まだ早い。探すふりをしてタイミングを伺う。

 息を詰まらせつつも、横目にロッドの姿を確認する。

 彼は動かずに立ち止まったままだ。不審がる様子もない。

 いけるような気がしてきた。


「あれ、どこにやったかな…………喰らえええええええっ!」

 爆弾のピンを外すと、間髪を入れずに敵の懐へ投げ込んだ。

タイミングは完璧だったと思う。

 その証拠にロッドは反応できていない。避けようと右に動いたが、間に合わず肩に直撃した。


 乾いた音を立て爆弾が破裂する。同時に突風が巻き起こり、壁や天井に亀裂が走った。さらに窓ガラスが砕け散り、机が折れ曲がった。

 咄嗟に床に伏せなければ、トラップも巻き添えを喰っていたかもしれない。

 予想していた以上に高火力だったので、自分でも焦ってしまった。

 しかし、当てることには成功した。


「……やったのか」


 頭を上げて、おそるおそる前を見る。

 どうやらロッドは崩れた天井の下敷きになったらしい。


 トラップが安堵していると、少しして瓦礫の中心に魔法陣が浮かび上がった。

 黒い煙を上げている。

 やがて瓦礫全体が橙色に輝き出すと、熱したバターのようにドロドロに溶け始めた。

 焦げた匂いそして異様な熱気を放ち、瓦礫は床に広がり消えていった。


 あれほどの熱を放ちながらも瓦礫以外のものには何も影響がない。後から見た者なら瓦礫が忽然と姿を消したように錯覚するだろう。

 おそらく死体が消失したのは、この魔法を使用したに違いない。


 つまり、この魔導士は錬金術師達をバターのようにドロドロに溶かしている。

 想像するだけでも恐ろしくなる。


 瓦礫が消えたことで、ロッドが動き出した。

 彼は帽子を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。

「……ゲホッ…ゴホッ…」

 咳き込んでいる。

 だが、彼に外傷はない。

 マントが擦り切れ、多少は汚れているがそれだけだ。


「今のは焦ったぜ。まさか抵抗するとは思わなかった。情報だともっと大人しい男だと聞いていたんだが」

 爆弾は直撃したはずだ。そして威力も申し分なかった。

 しかし、目の前の男は顔色ひとつ変えていない。

 もう効果は期待できないが、やるしかなかった。


「爆弾はまだ残っている」

 ピンを外し、手持ちの爆弾を全て投げつけた。

「喰らえええええっ!」

 ロッドは避けようともせず、爆弾は全て彼に命中した。

 さすがにこの数を当てれば、致命傷は作れるかもしれない。


「やった……」

 いや、やってなかった。

 爆弾が破裂しない。

 本来なら相手の魔力に反応して起爆するはずのに、何も起こらない。

 ロッドの体に当たると、そのまま床に落ちて転がっている。


「……ど、どうして、さっきはちゃんと破裂したのに」

「遊びは終わりだ」


 ロッドはトラップの前まで来ると、彼の額を小突いた。

 急に悪寒が走り冷や汗が流れたが、もう遅かった。

 トラップの額に魔法陣が浮かび上がった。

 節々から黒い煙が上がっている。

 他の錬金術師達と同じ結末が、トラップの直前まで迫っていた。


「待ってくれ。私が死ぬと薬の研究データが……」

 それを聞くと、ロッドが呆れるように息を吐いた。


「ああ。なにか誤解があるようだから、説明しておくぜ。俺はあんたの研究のことも薬のことも知らないし興味もない」

「どういうことだ」


「俺が受けた依頼は『錬金術師トラップの研究およびその研究に関わった全ての者を抹消すること』。その中には錬金術師トラップ、あんたも含まれている」

 

 依頼主の目的は薬を奪うことではなく、消すことだった。

 だが、この男は夢の薬『エボルンジェン』の真の重要性に気付いていない。また興味を示そうともしていない。おそらく依頼主も同様だろう。

 それがトラップにとって一番のショックだった。

 彼らからすれば、自分が苦労して作り上げた夢の薬も、ただの色付きの水でしかなかったのだ。


「本当に何も知らないのか? どんな効果を及ぼすかも、どれだけの価値があるかも」

「だから、そう言ってる」


 そうか。自分はこんなところで死ぬのか。

 誰にも自分の研究を理解してもらえないまま、自分のことを誰にも理解してもらえないまま、世界中の誰にも気づかれず、こんな場所でひっそりと。


「……くっ…まだ私は死ぬわけには……」

「死ぬか。それは違うな。あんたは最初からいなかったんだ。錬金術師トラップも研究も 薬も初めから存在しなかった。生まれて来なかったんだ」


 額の魔法陣が橙色に輝いた。

 頭が熱くなり、異常に喉が渇く。腕を見ると血管の中から痛みが始まり、それが肌まで突き上がってくる。皮膚が橙色に代わる。目の前が徐々に暗くなっていく。音も匂いも触覚も失われていく。

 体が溶けるとき、鉄もこんな気分なのだろうか。そんなくだらない考えが頭をよぎる。しかし指が溶け出す頃には、その考えすら失われていた。


「じゃあな、錬金術師。恨むなら自分の才能を恨むんだな」

「ぐああああああああっ!」


 トラップの体はドロドロに溶け、トラップではない何かに変貌していた。

 それは徐々に沈み込んでいき、やがて床の中へ消えて行った。


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