モグラ②
(この人達はたしか……)
ヨミは下を見る。地面。土。
そうだ。いきなり土の中から現れて、ここまで担いで連れて来られたのだ。
この三人組は土の中に潜ることができる。この能力を使って冒険者たちに見つからずに悪さをしてきたのだろう。
スベリの町は石畳。そして町から出ても本道はずっと石畳が敷かれていた。本道まで戻れれば彼らは追っては来れない。仮に今まで石畳を壊していたなら、冒険者が発見してもっと大騒ぎになっていたはずだ。彼らはそういうリスクを負わずに、陰でこそこそと行動していた。
(相手に背を向けないように)
隙を見て逃げ出そう。ここは森の中だ。追手を振り切る方法ならよく知っている。それは人間の体だろうと関係はない。
「えっと、そう言えば、お名前が分からなくて、なんて呼べば」
とりあえず話を振り、隙を伺う。その間にも足踏みをして自分の調子を確認する。
調子はいい。担がれたときにどこかケガをしたということもない。家にいるときも体を動かすようにしていたから人間の体にも慣れてきている。これなら全力で逃げることができる。もしも捕まりそうになっても木に登る方法だってある。そうすれば、奴らが土に潜れても関係はない。今よりもっと時間を稼げるだろう。
「おや。私の名に興味があるのかな」
嬉しそうに鉄の爪をいじっている。
「教えてあげよう。私の名は」
「名前はドゲルだなんて素直に言うと思ったかっ! バーカっ! バーカっ!」
「……悪いね。モラン。少しだけ黙っていてくれないか。今はヨミくんとお話してるんだ」
そのときドゲルは横を向いた。チャンスだ。これで逃げる隙が出来た。
ヨミはさっとステップを踏み、右側に移動した。ドゲルは向かって左を見てるから、その逆側。できるだけ木陰で彼らに見えにくい場所に動く。そしてその勢いのまま、背を向けて駆け出した。
「あっ、ドゲル隊長。あいつ逃げますよっ!」
モランがこちらに気付く。残りの二人もその言葉ですぐに気付いたようだ。しかしヨミは止まらない。振り向く暇も惜しい。落ち葉をかき分け、踏み込むルートを見極めながら、脱兎のごとく駆け抜ける。一応、飛び道具も警戒しジグザグに。木々を盾に使いながら。とにかく走り距離を広げる。
彼らも追ってきたと足音でわかる。わりと速い。それに余裕もありそうだ。相手を追いかけるのに慣れているのか。
でも、このまま止まらなければ逃げ切れる。もう少しで森を抜けられる。それから本道まで行ければ……。
「おやおや。ヨミくん。君は何か忘れていないかな?」
ドゲルが息も乱さず語りかけてくる。
(どうせハッタリだ)
風の音のせいにして聞こえないふりをする。だが、そうしようと思ったのに気付いてしまった。腰の辺りが妙に寂しく違和感があるのだ。慌てながら手を回し調べてみると持っていない。自分の顔が青ざめるのが分かる。そんな。今朝にはあったはずなのに。
ヨミは立ち止まってしまう。逃げるべきなのに足が動かないのだ。そして、気はすすまない。あまり見たくはないのだが、後ろを向いた。
三人組が先ほどと同じように、横並びに立っている。ヨミはその中心にいるドゲルに注目する。
彼の右手。その鉤爪に引っ掛かっている一つの袋。あれは間違いない。ヨミがギルドで持たされた道具袋だ。中にはクエストに必要となるアイテムが詰まっている。
「なんで……」
こんなことを呟いたところでドゲルを喜ばせるだけなのは分かっているのに。それでもヨミは呟いてしまった。
「いいよ。その声。その表情」
ドゲルは仮面を抑えて、面白そうに笑っている。袋の中から石を取り出すと、品定めするように眺める。
「待ってください。その石は……」
大切な石だ。もしもあの石をギルドまで届けることができなければ、それはクエスト失敗を意味する。そうなれば割りを喰うのはランドなのだ。このクエストはランドの名前で引き受けている。クエストに失敗すると、ランクが下がってしまう。ランド達が悲しんでしまう。その姿を想像するだけで胸が苦しいのだ。そんなの自分には耐えられない。
「なんの価値もない石ころです」
ヨミは視線を逸らして言った。
だが、ドゲルはもう勘づいてしまったらしい。
「この石に価値があるどうかを決めるのは君じゃないけどね」
石に触れながら楽しそうにしている。頬ずりでもするように自分の仮面に押し付けて擦りつけている。こちらに見せつけるようにベタベタと執拗に触れてくる。そのたびに気持ちの悪い下卑た笑みを浮かべるのが分かってしまう。
苦しさを通り越して腹が立ってきた。こんな適当にクエストを受けてしまった自分にもむかつくし、それを利用するドゲルにも腹が立つ。なんで自分は目の前の男に良いように遊ばれているんだ。
「返してくださいっ!」
「嫌だ。返してあげない」
「じゃあ、いいです」
ヨミは構えて戦闘態勢を取った。それを見るとグランとモランも構えを取った。戦闘が始まるのかと思ったが、ドゲルがすぐに制止した。
「モランとグランは下がっていてくれるかい」
石を袋にしまうと前に出て来た。ヨミは睨み付けて威嚇する。だが、ドゲルにはまるで効いていないようだ。また笑っている。
「その顔つきも良いね。でも忘れてないかな。君はレベル1なんだよ」
「忘れてませんよ」
「そうなんだ。参考までに教えておくね。私はレベル30。君のレベルじゃダメージすら与えられないと思うよ」
ドゲルは言うが、そんなことは知ったことではない。どのみち戦わなければならないのだ。せめて石だけでも取り返さなくちゃならない。
「行くぞっ!」
ヨミは最短距離でつっこむと、顔面に渾身の突きを喰らわせた。今の自分が出せるありったけの力。それを全て込めた。仮面がミシミシと音を鳴らす。割れることはなかったが、今ので顔がぺちゃんこになったはずだ。
手応えはあったので、一旦後ろにさがる。仮面に赤い血が付いている。奴が鼻血でも出したのかと思って、少しだけ胸がすかっとした。
「おお。強い。よく頑張ったね」
ドゲルが拍手する。どうせやせ我慢だ。しかし自分の拳を見ると顔色を変えた。皮膚が捲れ、血が地面に零れている。遅れて痛みがやってきた。仮面に付いているのは自分の血。ダメージを受けているのは自分の方だったのだ。
「仮面はダメだよ。ケガをしちゃうから。今度は別のところだよ。分かったかい」
ドゲルが何か思い付いたように首を揺らした。
歩いて来ると、懐に手を入れて物を取り出した。
「血が出ちゃったね。これで拭いて」
ハンカチを手渡してきた。柄のないシンプルなデザインで綺麗に四つ折りされている。ヨミはそれを乱暴に掴み取ると、すぐにドゲルに投げつけた。仮面がハンカチで覆われる。そのまま間髪入れずに肩を殴りつけた。拳が痛い。涙目になったが気にしない。目の前の男をどこかにやりたい。ここから消えて欲しい。そう願いながら更に何発も殴った。
「ちょうど肩が凝ってたんだよ。ありがとう」
ドゲルはのんびりとした動作でハンカチをしまった。それから首をコキコキと鳴らすと、体の向きを変えた。
(何をする気だ)
ヨミは動きを止めて立ち止まった。しかし、それは杞憂だった。ドゲルはあろうことかモラン達と会話を始めたのだ。
「この辺りは蒸すよねぇ」
モラン達も頷く。そこから何の意味もない会話を続ける。くだらない。本当にくだらない内容だ。こっちは真剣に戦っているのに。
(くっそーっ!)
怒りがこみあげてくる。その感情の全てをぶつけてるつもりなのに、ドゲルはまるで応えていない。先ほどから一歩すら動いていない。体が仰け反ることもない。
そこであることを思い出した。ギルドでセーラにもらった小型爆弾のことだ。錬金術師が護身用に持ち歩くもので、レベルに関係なくダメージを与えることができる。たしか相手の魔力に反応して爆発すると言っていた。ドゲルが魔導士かは分からない。威力にもムラがあり、効く保証はない。だが、試してみる価値はある。
ヨミは小型爆弾を手にすると、ピンを抜いてすぐさま投げつけた。どうせドゲルは横を向いている。ずっと油断しまくりなのだ。投げるタイミングなど考慮に入れる必要はない。
簡単に当たると思っていると、ドゲルが反応した。彼は前に向き直り数歩さがると、余裕を持って鉤爪ではじいた。金属音が響くと、向こうの木陰に落ちる。そのまま転がる。
ヨミは驚いた。初めてドゲルがこちらの攻撃を真面目に受けたのだ。はじく瞬間だけ見ても、その行動には焦りがあった。
よほど危険な爆弾だったのだろうか。こんなことなら意地を張らずにもっと貰っておけば良かった。しかし、手持ちの一個は投げてしまった。どこかに転がったので、もう使うことはできないだろう。
「危ないな」
その声には僅かに怒気が感じられた。
「これはお仕置きが必要かな」
すたすたとこちらに歩いてくると、手を上げて頬を叩いてきた。もろに喰らってしまう。避けるなりすれば良かったのに動けなかった。きっと心の中で自分が攻撃されないと思っていたのだろう。しかし、ダメージを受けない堅い体が攻撃に転じれば恐ろしいことになる。それぐらい気付くべきだった。
鋭い痛みが入ると膝が曲がりその場で跪いた。向こうはただのビンタのつもりだろうが、その一撃だけで意識が飛びそうだった。ガクッと腰まで落ちると、その場で動けずに固まってしまった。
「おや。私は触っただけなんだけどね」
こちらに手を差し伸べて来た。その手を払いのけようとしたが、腕が上手に上がらない。なんだか気分が悪い。酔ったみたいに目の前が回るのだ。嘔吐しそうになり、思わず口を抑える。
頭の上でドゲルの溜息が聞こえる。
「これがレベルの差だよ」
ヨミにもそれがじゅうぶんに思い知らされた。ぜえぜえと呼吸を乱し、汗を垂れ流す自分に対して、ドゲルは無傷。
彼のこれからには何も支障がない。きっと昼になれば一人前の食事を綺麗に平らげ、日が暮れればベッドで朝までぐっすりと眠ることだろう。そして明日になればヨミのことなど綺麗さっぱり忘れていることだろう。彼にとってヨミなど取るに足らない虫のようなものだ。
結局、あの頃と何も変わっていない。姿は人間になっても自分は雑魚モンスター。所詮は強い人間たちに狩られて搾取されるだけの存在なのだ。
「飽きてきちゃった。もういいかな」
ドゲルは道具袋から石を取り出すと、それを地面に落とした。
「よーく見ていてね。今からこの石を壊すから」
そう言って、ヨミに見せつけるように片足を上げた。彼は踏みつぶして石を壊すつもりなのだ。
必死に腕を伸ばした。あの石が壊されると思うだけで、胸が張り裂けそうなのだ。
「せーのっ!」
「待ってっ! やめてっ!」
それを聞くと、ドゲルの体が震えた。ここにきて一番の喜び。ヨミが取り乱し懇願する様に打ち震えているのだ。
「お願い。もうやめて」
ヨミには選択肢がなかった。力ずくでどうにかできないのなら、こうやって頼み込むことしかできない。
「やめて欲しいの? でも、タダじゃ嫌だな」
ドゲルは足を下ろして、ヨミに命令する。
「君は私に酷いことをしたんだから。ごめんなさいをしなくちゃね」
ヨミの顎に触れて自分のところまで持ち上げた。
「ほら、言わないと壊しちゃうよ」
「…………なさい」
「聞こえないよ。もう一度」
「ごめ―――」
「ちょっと待ったあああああっ!」
どこからか大きな声が響き、ヨミの言葉は遮られた。