死体蹴り②
「来たっ! 来たぞっ! 死体蹴りが来たぞっ!」
ヨミは息を呑む。町の外からたしかに何かが迫って来ているのが分かるのだ。地面が僅かに揺れている。そいつはゆっくりと着実な歩みで、皆の前にその姿を現した。
あれは熊か。いや、違う。あたかも熊を思わせるような体躯だが、その姿は間違いなく人間であった。道着を身に纏った巨漢。周りの冒険者たちが子供に見えるほどの体格と、それに負けぬほどの異常に発達した筋肉が、男を怪物に仕立て上げている。
怖い、というわけではない。しかし、こんな奴を本当に倒せるのかとは思う。現に冒険者たちは先ほどから男を見上げ固まったままだ。みっともなく口を開けながら武器を落とす者までいる。
「……はっ。みんな囲めっ! 囲むんだっ!」
怒号が飛び交い、なんとか正気に戻った者たちが男を取り囲む。武器を構えると、その矛先の全てが男に向けられる。
「死体蹴りのコウヨウ。おまえ何しにこの町へ来た」
コウヨウと呼ばれた男は武器を前にしても顔色一つ変えることはなかった。
「オレは飯を食いに来ただけだっ!!」
野太くも、よく通る声だった。威圧されたように、冒険者たちが一歩さがる。
「騙されるものかっ! 貴様は勇者の留守中を狙って攻めて来たんだっ! 皆がそのことを知っているんだぞっ!」
冒険者の一人が脅迫するように声を荒げるが、コウヨウは無視して前に歩を進める。
「ひいいいいぃっ!」
誰かが怯えたような声を出す。それにつられて背を向ける者が現れる。
「怖気づくんじゃないっ! 全員でかかるんだっ!」
武器を構えて四方から攻撃する。たしかにこれならコウヨウでも全てを受けるのは不可能だろう。
しかし、コウヨウは両腕を振り上げ構えると、一気に前に突き出した。
「だりゃああああっ!」
掛け声と共に、空気を裂く音がした。見ると四方の武器は全て根本から折られている。コウヨウが握った拳を広げると、武器の先端が地面に転がった。今の一瞬で全て掴み取ったとでも言うのだろうか。
男たちはすぐに切り替え、予備の武器を手に取ろうとする。その首根っこをコウヨウが掴み、持ち上げた。
男の体が宙に浮く。そのまま放り投げ、地面に落とした。
「ごふっ!」
落ちたのは石畳の上だ。防具がなければもっと痛かっただろう。わりと衝撃があったのか、その場で意識を失ってしまった。
次の相手は足から掴まれ逆さまになった。頭に血が上り、その顔は紅潮している。必死に腕を振り回すが、その手は空を切るばかり。身長差がありすぎるのだ。
投げつけると壁にぶつかり、その男も気絶し脱力してしまった。
それからも、コウヨウは似たような動作で次々と冒険者たちを放り投げて行く。その姿を見かねたのか、ようやく後方の魔導士たちが動いた。握りしめた杖からいくつもの魔法が放たれた。
コウヨウは再び構えると、その腕を高速で振りぬいた。
「だりゃああああっ!」
腕に当たった魔法が全て消し飛んでいく。魔導士たちはまたすぐに詠唱を開始するが、まだ時間がかかる。武装した男たちが次々と投げ飛ばされる。
隙を与えないように、今度は狩人が一斉に弓を放った。それをコウヨウは虫でも払うように全て叩き落としていく。
その間にも、二本の足は止まることはない。緩慢な動作ではあったがすでに町の入口から随分と離れてきた。
「くっ! なんて乱暴な奴だっ!」
乱暴? この人は乱暴なのだろうか、とヨミは思う。先ほどから周りの人間がコウヨウのことを乱暴だの野蛮だのと言っているが、ヨミにはそう思えないのだ。
マシロの森にいた頃には多くの冒険者の戦う姿を見てきた。その中には稀に強靭な肉体を持つ者もいたし、常識離れした能力を持つ者もいた。
しかし、コウヨウはそうした者たちとはまた違っていた。彼の攻撃からは殺意がまるで感じられないのだ。その証拠として彼から攻撃を受けたどの冒険者も傷を負っていない。衝撃による多少の痛みはあっても、壊れているのは装備だけだ。
もしも相手を倒したいだけなら頭を掴んで握り潰してしまえばいい。あるいはその重量でもって圧し潰してしまえばいい。その方が遥かに手早く効率的だろう。だが、コウヨウには初めからそんな方法を念頭にすら入れていない。
意外だった。慈悲を持った人ならまだしも、あれほど身体を鍛え上げながらも、あそこまで殺意を失くして敵と戦うことができるのだ。
強くなりたい気持ちと相手への殺意が繋がっていない。これがモンスターのヨミにとっては新鮮に映ったのだった。
「……はあ……はあ…」
気付けば、冒険者のほとんどは地面にひれ伏していた。立っているのは先ほどから指示を出していたこの集団のリーダーだけであった。
その男は随分と息を乱している。彼はまだ一度も戦ってはいないが、コウヨウの放つ威圧感により疲弊させられていた。
「くっ! 勇者さえいればっ!」
歯噛みする。状況は最悪だった。大袈裟に騒いでいるのは冒険者たちだけで、コウヨウは直進するのみ。一太刀すら浴びせることができていないのだ。
装備は全て破壊されていた。魔導士たちの杖も、後方からの狩人の弓矢も破壊済みだ。残るはこの男の持つ鎧と盾だけである。
もう退却の機すら失っていたが、男の目はまだ死んでいなかった。身の丈ほどの盾を構え、声を張り上げる。
「この装備だけは他のものよりレアリティが一つ上なのだ。貴様のその怪力を持ってしても砕けはしまい」
自信を持つだけはありそうだ。その意匠は隅々まで凝られており、大物の風格を漂わせている。しかしそれは装備の話であり、本人は汗だくでかなり苦しそうである。
「ちぇいいいいいっ!」
男は奇声を上げると地面を蹴って前に出た。力のコウヨウに対して、スピードで対抗するつもりなのだろう。そのまま進路を阻むように腹部にタックルを仕掛ける。
コウヨウはその場から動かず、攻撃をまともに喰らった。鋼鉄の盾が腹に食い込む。
「どうだっ! まいったかっ!」
勝利を確信した瞬間、男の体がよろけた。気付くとコウヨウが目の前から消えていたのだ。タックルの勢いもあり、そのまま前のめりに地面に突っ込む。
うつ伏せに倒れたため、その背中は完全に無防備になった。
「……しまったっ!」
男は焦り出し、急いで体を起こそうとする。
この状態はまずいのだ。敵が地面に倒れた状態。これがコウヨウのもっとも得意とするポジション取り。そして彼が死体蹴りという異名を持つ所以でもある。
しかし装備の重量もあり、動作が遅れる。
コウヨウはその遅れを見逃さなかった。
「はあああああっ!」
気合を込めると、男の背中に右手を当てた。
「睦月っ!」
掌底が背中に突き刺さる。鎧から幾重ものヒビが入り、バラバラに砕け散る。
「ぐふっ!」
男は心臓が止まるような衝撃を受けると、その場で意識を失ってしまう。
コウヨウは何事もなかったかのように、町の中へと歩き出した。その後ろには何十人もの冒険者が意識を失ったまま、転がっている。
「……つよい」
ヨミは素直に感動してしまった。特に最後にやったのは何だろう。あれは技なのだろうか。あの男には異様に惹かれるものがある。もっと彼のことを知りたくなった。
「まあ、たしかに強いが。あいつは悪党だからな」
ハシルクが説明を入れる。
「ギルドから除名処分を受けた元冒険者で、今ではお尋ね者の賞金首。倒せば多額の賞金が手に入るから、皆が躍起になってあの男に挑むんだ」
「じゃあランドさんやハシルクさんでもコウヨウを倒せば、お金が貰えるんですか?」
「倒せればな。俺たちのような下っ端じゃ土台無理な話だ」
卑屈になっているわけではなく、本当に無理そうだ。目の前で見てれば分かるが、コウヨウは他の冒険者たちとは格が違う。年齢が高いというのもある。たぶん四十近いだろう。けっこうな貫禄があった。先ほどの集団は比較的若い人が多めだったので、傍目から見れば戦闘訓練の一環でコウヨウは教官のようにも思えた。
「でも、一度は勇者に敗れたんだぜ」
ランドが自慢気に言う。
「俺たちは見ちゃいねーが、勇者の華麗な一撃であっけなくやられて、みっともなく命乞いしたんだと。心優しき勇者はその悪党を許した。コウヨウは二度と悪さをしないことを誓って、山に帰って行ったんだ」
あれを倒したのだから、勇者というのはやはりかなりの手練れなのだろう。だが、コウヨウにそんな目立った傷跡はあっただろうか。
「コウヨウがこの町に頻繁に訪れるのは、勇者に恨みがあるからだろうな」
「おまえも見たことあるだろ。通りにある台座。あそこには勇者の像が立ってたんだが、コウヨウがぶち壊しやがったんだよ」
そうだったのか。なんで台座だけがあそこにあるのか不思議だったのだ。なかなか修復されないのは、コウヨウにまた壊されることを危惧してか。
まあ二人が言うのだから悪者なのだろう。それでもやはりヨミはコウヨウのことが気になった。そもそも元モンスターのヨミにとっては、人間の悪党と言われてもいまいちピンとこない。法律に違反しようと殺さないだけマシじゃないだろうか。
「ボク、コウヨウの後を追ってみたいです」
ヨミが要望を言うと、二人は驚いて目を丸くする。
「おまえ正気かっ!」
「そうだ。やめておけ。何をされるかわからん。服をひん剥かれて、あんなことやこんなことをされるかもしれないんだ」
「え? つまりコウヨウがボクに×××××させたり、××××を××××して……」
「やめろっ! 想像させるんじゃないっ!」
服を剥かれるのは少し嫌かもしれない。今の服はセーラが以前に着ていたものを自分用に仕立ててくれたものだ。今の格好はちょっとおしゃれな少年のようなのだ。
「でも、行きたい。コウヨウのことがどうしても気になるんです」
ランド達は困っている様子だったが、しばらくすると決意するように頷いた。
「仕方ない。行ってやるか」
「何があっても泣くんじゃねーぞ」
失礼だ。これではまるでいつも泣いているようではないか。いや、よく泣いてはいるが。