ミミック人間②
「ボ、ボク、外に出ましゅっ」
宣言するだけで、噛んでしまった。
明らかに緊張している。それもそのはず、ヨミは外に出ようとしているのだ。
外に出る。当たり前のことのように思えるが、ヨミは一度も外に出たことはないのだ。
「ややこしいけど、ボクは外に出たことはあります。というか外から来ました」
「そうだぜ。森で倒れてたところをに俺たちが発見して家の中に入れたんだ」
「やはり記憶に混乱があるようだな。頭部に外傷はなかったんだが」
ハシルクが言うように、これではどう考えても変な人である。しかし、いずれは外に出なくてはならないし、これも乗り越えなければならない困難の一つであった。
「じゃあ、おさらいしとくぜ。まずこれが扉。この扉を開けて外に出るんだ」
「いえ。それぐらいのことは分かっています。とにかく出ます。出ます」
「さっきから口だけで、まったく外に出る気配がないわけだが」
確かに口だけのヨミは扉の前で固まったままだ。
(何故なんだ……)
何故そんなにヨミは外に出ることを恐れているんだ。
その恐怖の理由をもう一度考えてみようと思う。
今まではマシロの森に住んでいた。
見渡す限りが木ばかりで、上を見れば青空が広がっていた。
しかし家の中は壁と天井で囲まれており、閉塞感を抱いてしまうほどの息苦しい空間だ。
せっかく人間になったのだから、もっとこの体を存分に伸び伸びと使ってやりたいという気持ちもある。
(え? じゃあ、外に出ればいいんじゃ……)
でも、ここから出れば人間の町なのだ。そうは問屋が卸さないのだ。
人間。森では冒険者をたくさん見たことはある。でも、大概は木の上だったし、その頃は人間の匂いを嗅ぎ分けることができたから、ちょっと安心感というものがあった。
家の中にはランドとハシルクがおり、自分も人間だから人間の匂いなど分からない。
ランドとハシルクは命の恩人だし、たぶん良い人だ。森で出会ったときは殺しにかかってきたし、雑魚だのクズだの散々な言われ様だったが水に流そう。
彼らは毎日のようにダンジョンに潜って同類のモンスターを殺しまくっているわけだが、それも水に……やっぱり無理。でも、生活のためだし、自分もそれでご飯が食べられてるわけだし、何も言えない。この件は複雑なので思考放棄。考えるのをやめる。
では、ランドとハシルク以外の人間はどうなのか。会ったことはないが、いきなり刃物を振り回して襲い掛かってくることはないだろう。それではただの危ない人だ。
今の自分はランド達を騙せる程には人間の姿をしているのだ。問題はないはずだ。
それなら、速く外に出ろよ。いつまで悩んでいるんだという話だが、実は最大の問題は自分自身にあるのではないかと思う。
目が覚めて初めてランドとハシルクの姿を見たときだ。そのとき胸の中で異様な感情が芽生えたのだ。どす黒い感情といえばいいのだろうか。自分が今まで人間に抱いてきた感情とは違う。気持ち悪くて、悲しくなるほど冷たい感情だった。
あれが怖いのだ。なんだったんだろう。他の人間にも抱いたら、危ない気がする。
「うわああ。ダメだボク。気をしっかり持てっ!」
「おい。ヨミの奴。相当、思い詰めてんぞ」
「やめておくか。次の機会にしておくか」
いや、ダメだ。せっかく二人が付き合ってくれているんだ。
ここで行かなきゃミミックの恥。自分以外のミミックを知らないけど。
「ボ、ボク、外に出ましゅっ」
「振り出しに戻ってるぞ」
「もはや末期だな」
気を落ち着かせて集中だ。集中。集中。
「ミミッ! ミミッ! ミミッ!」
「それ流行ってんのか」
「放っておいてやれ。かわいいしな」
扉に手をかける。というより扉そのものにそこはかとなくトラウマを感じるのだが。まさかこの扉を開けた先にまた扉があったり。そしてそれを開けるとその先にまた扉が。
いいから出よう。はやく出よう。
「えいっ!」
扉を開けて、外に出た。
日差しが眩しい。人間になってから直に浴びるのは初めてだ。風が吹き、それを肌で感じる。ミミックのときと違う感覚だ。音の響きも、匂いも、違うようだ。
「わあ。ボク、やりましたよ」
「いやいや。俺たちを見るな。外を見ろよ」
「あっ、はい。そうですね」
外を見れば、家がたくさん建ち並んでいる。この家のような形のものもあれば、四角くて色が違うものもある。
「見てください。家ですよ。まさに家って感じの家です」
「コメント下手すぎだろう」
手始めに家の前を横に往復する。歩くときの感触が違うと思ったら、地面が土じゃなくて石畳だからか。靴で歩くと、コツコツと音がしてちょっと楽しい。
そんなことをやってると、横から人が歩いてきた。
(うわ、人だ。どうなるんだボク)
びびっていたが、特に何もなかった。あの胸の中を渦巻く黒い感情は現れなかったのだ。もしも何かあったら、どうしようかと思ってしまった。
一安心。通りかかったのがお婆さんのようなので、挨拶をする。
どうやら優しい人のようで、笑顔で挨拶を返してくれた。
「ちゃんと挨拶できて偉いねー」
褒めてもらった。ついでに飴もくれた。舐めてみると、とてもおいしい。
「わあ、外に出たー。人にも会ったー。ボク、頑張ったぞー」
そのまま後ろを向く。
二人が扉の前に立っているが、間を上手くすり抜けて家の中へ入った。
よし。これで帰宅できた。目的も達成できたし、ばっちりだ。
「はやっ! まだ家の前に立っただけだぞ」
ランドが突っ込む。しかし自分は家の前を横に往復した。立ってたわけではない。ちょっとは頑張った。ただの言い訳だけど。
「まあ、そう言うな。よく頑張ったじゃないか。なあ、ヨミ」
そう言って、ハシルクが頭を撫でた。少し力が強いけど、悪い気分じゃない。最初の頃よりずいぶんとスキンシップが増えてきた。
「ほら、ご褒美だ」
袋からパンの耳を取り出すと、ヨミの口まで運んだ。先っぽから齧り付き、段々と口の奥まで入れていく。
「ぱくぱく。おいひいです」
このパンの耳の触感がたまらない。日を追うごとに癖になってきた。
「あっ、おまえずるいぞ。俺が食べさせたかったのに」
「バカめ。こういうのは早い者勝ちだ」
二人でパンの耳を取り合い、最後には取っ組み合いが始まっている。喧嘩するほど仲が良いということか。
なんだかペットのような扱いを受けているのだが、今は気にしないでおこう。
* * *
(……どうして、こんなことに)
ヨミは我が目を疑った。
無理もない。目の前にランドが倒れているのだ。彼は口から吐血し息を乱しながら、その体を痙攣させている。二つの虚ろな目は天井を向き、うわ言のように何かを呟いている。
よほど信じられない体験をしたのだろう。普段の明るい彼からは想像できない悲哀を含んだ痛々しい光景であった。
「おまえがやったんだ」
ハシルクがランドの体を起こしながら言った。最愛の友を抱きかかえる腕は打ち震え、その眼には一筋の涙が伝っていた。
「おまえがやったんだ。ヨミ」
責めるように同じ言葉を繰り返す。
「うそ。違います。ボクは何も……」
身に覚えがないのだ。気付けばランドが倒れていたのだ。彼は毎日のようにダンジョンに潜る屈強な冒険者。その体はたくましく後ろから押した程度ではびくともしない。そんな相手をどうにかするような力は自分にないはずだ。あのランドをここまでの状況に追い込めるほどの力なんて自分には。
まさか無意識のうちに、モンスターとしての心が彼に攻撃を。自分の中に渦巻くどす黒い感情が彼を痛めつけたとでもいうのだろうか。
「教えてください。ボクは何をしたのですか?」
それを聞くと、ハシルクは軽蔑するように息を吐いた。
「しらばっくれるのも大概にするんだな」
「そんな。ボクはしらばっくれてなんか」
「じゃあ、自分の胸に聞いてみることだな」
ヨミは胸に手を当てた。心臓の音が早鐘を打っている。
思い出さなければいけない。この状況の理由を。これまでの経緯を。
(えっと、たしか、ボクは……)
目が覚めてから、ベッドから出て顔を洗って歯を磨いて、それから、朝食にスープとパンが出たのだ。代わり映えはしないけど、豆スープだったから少しばかり珍しかった。食べてみれば、コリコリとした食感で意外と新鮮。だから、思わず三杯もお代わりしてしまったのだ。そしたら、ランドの分のスープがなくなっちゃって。
「そうか。それがショックだったから」
「時間をさかのぼり過ぎだ」
もっと後のことのようだ。ということは、あれに違いない。
朝食後に腹ごなしの運動と称して、倒立を始めたのだ。思いのほか長く体勢を維持できたので、自分へのご褒美としてパンの耳を食べたのだ。そしたらあまりにおいしいので、袋の中のものを全てたいらげてしまった。
「まさかあの行動がこんな悲劇を招くとは、このときのボクはまだ知る由もなかったのだ」
「もっと後だっ! 食べ物から離れろ」
どうやら、ついさっきのことのようだ。それならきっとあれのことだろう。
この間からずっと気にしてたことなのだ。勝手に視界に入ってきて、うっとおしくて、邪魔くさくて、気持ち悪くて、腹立たしくて、耳にまで触れてくるから、もういい加減うんざりしていたのだ。だから、思い切ってばっさりと。
「髪を切ってしまったんです」
セミロングだけど。まだわりと長いけど。
「近づいてきたな。だが、重要なのはそのあとだ」
「そのあと?」
「おまえはある一言をランドに告げたはずだ」
あのとき、引き出しの中にハサミがあることを知っていたから、それを持ち出した。髪を掴んで、ばっさばっさと切り刻んでいったのだ。そこで、ちょうどランドがギルドのクエストを終えて帰ってきた。
ランドはこちらを見ながら、口をあんぐりと開けていた。
「もったいねぇ」
そうだ。彼はもったいないと言ったのだ。しかし、ヨミには何がもったいないのか不明だった。ランドが言うには栗色の流れるような髪が綺麗で、近くに寄ると甘い匂いがしたと。とても似合っていたと、自分の好みだったと。熱く語り出すのだ。
そこでやっと話が噛み会っていないことに気付いた。
曖昧な発言をすると誤解を招くので、はっきりと言っておくことにした。
「ボク、男ですよ」
「それだっ!」
「……へ?」
ランドの口からタイミングよく血が流れた。小刻みに揺らしながら腕を上げている。先ほどから呟くうわ言もようやく耳に届いてきた。
「……男……男…」
なるほど。男と言ったことがショックだったのか。そりゃあ、女性の中には綺麗で長い髪を持っているものが多いけど。
「そこまで落ち込むことでしょうか?」
「ふっ、おまえにはわからんさ」
ハシルクが自嘲気味に言う。
「ランドは期待していたのさ。冴えない冒険者が偶然にも森で美少女を拾い、自分の家で手厚く介護。最初はただの親切心のつもりだったのに、いつしか二人は恋に堕ちていき、永遠の愛を誓うようになる。そんなヒロイックファンタジーのようなベタベタな展開を」
そういえば、ランドはヨミとは別に自分でも本を借りていた。こっそり内容を見てみれば、ハシルクが話したような内容であった。
「でも、そんな感じは全くしなかったような……」
「ふっ。男だからな。女子の前では下心は見せないものなんだ」
そういうものなのか。男心というものは複雑なのか。
「ヨミ。誤解すんじゃねぇ」
ランドが血反吐を吐きながらも、頭を起こして言った。
「俺にやましい気持ちなんてねーよ。ただ、寝顔がかわいいなあ、唇やわらかそうだなあ、キスしたいなあとか、シャツの隙間から胸が見えそうだなあとか、無防備だなあ、ちょっと押し倒せばいけるんじゃないかなあとか、もしかして誘ってる、こいつ俺に絶対に惚れてるだろ、とか。その程度だ。誠実だ。俺の心は勇者のように誠実だった」
どう解釈しようとも、意識しまくりだった。
めちゃくちゃ下心があるではないか。実はこちらが鈍感なだけだったり。
「ごめんなさい。ボクが気付けなかったばかりに」
こんなことなら早めに言っておくべきだった。性別など些細な問題だと思っていた。そもそもマシロの森に棲む雑魚モンスターには繁殖能力はなく、雌雄の判別はできないのだ。だから、本当はおまえは男だと言われてもいまいちしっくり来ない。女だと言われれば、明日から女になっている。そのぐらい自分の中では重要度の低い部分であった。
でも人間はモンスターとは違う。男女が交わることで子供を作り、子供は親の意志を引き継いで行かなくてはならない。その繁殖能力により、どんなに環境が変わろうとも適応し、種を存続させていくのだ。
「つまり、ランドさんはボクが女なら、ボクと子づくりがしたかったってことですよね。ボクの××××に××××を入れて、××××を出したかった。つまりは、そういうことですよね」
「ゴボホオッ!」
ランドの口から血の固まりが噴き出てきた。
おかしい。本に書いてあったことなのに。どこかに間違いでもあったのだろうか。
「おまえ、そのかわいい顔で、そのセリフは反則だぞ。もう凶器だからな。どんな鋭利なナイフよりもよく切れるからな」
おお。このセリフは男には凶器なのか。気を付けよう。
「ランドはこう見えて繊細な奴なんだ」
「……よく言うぜ。ハシルク。おまえも他人事じゃねーだろ」
ランドが体を起こし、立ち上がった。
「俺は知ってるんだぜ。おまえがヨミに抱きつかれたとき、アホみたいなニヤケ面をさらして、もだえてたのを」
知らなかった。たぶん後ろから抱きついたときだろうか。ランドも大概だが、ハシルクは見た目には強面の男なので、あの顔がニヤケる様を想像するとたしかにきつい。本人も相当に恥ずかしいことだろう。
「何を言うかと思えば、そんな口から出まかせを。ヨミ。騙されるなよ」
「じゃあ、ヨミの似顔絵を枕元に忍ばせてることはどう言い訳するつもりだ」
「それはおまえがやったんだろう。人のせいにするな」
まあ、ベッドは二人で一つのものを共有しているので、どちらが入れたのかは分からない。というか、似顔絵とは『ニガオエール』で描かれたものだろう。明らかに間違った使用法だが、いいのだろうか。
「仕方ねぇ。アレを言うか」
「ふん。何を言おうが、俺には効かん」
「ハシルク。おまえヨミが着た服を夜中に自分のベッドに持ち込んで……」
「やめろおおおおっ! それは言うなああああっ!」
言い逃れできなかったようだ。ハシルクはランドに掴みかかると、顔面を殴り飛ばした。ランドは口に付いた血を拭うと、お返しとばかりに顔面に拳をぶち込む。そして、互いに両手を掴み合い、頭突きをかます。ついには押し合い、突き合い、こかし合いの激しい攻防が開始された。
(わああ。喧嘩だあ。乱闘だあ)
もう何度か見た光景だ。喧嘩するほど仲が良いのだ。
どう考えても、やりすぎだが。気にしない。
とりあえず、側にあったパンの耳でも食べることにしよう。