脱出?
メアリによって、私が読み書き皆無だと伝えられた伯母さまは、さすがにダメだと言ってすぐに家に呼び戻す事にしてくれた。本当は王子達に習ってから自分でも勉強をしたりして少しは出来るようになったけど、そこは黙っておいた。
伯母さまが言うには、王妃様は始めは私が帰る事に難色を示していたが『読み書きが出来ないし、それに他の手習いも出来ないなんてロザムンドが可哀想です』と伯母さまが悲壮感たっぷりに申し伝えた結果、許してくれたらしい。
それ以外でも裏では「色々すったもんだあったようですよ」とメアリは悪いヤツみたいな笑みを浮かべていたが、帰れるならこの際どうでも良い。
明日から我が家に、勝手も知らない我が家に帰れる〜とご機嫌に私は準備をそそくさと進めていた。
大事な作戦ノートに、アルバートから渡された本やロバートから貰った諸々の物、ギルから渡されたお菓子とか藍色のリボンとかを鞄にしまって行く。
「2ヶ月もいなかったはずだけど、案外物って増えるもんね」
閉じない鞄の蓋の上に乗って、無理矢理閉じようとした。
「お嬢様、荷造りは私がしますから・・・」
「自分の物は自分でしまわなきゃ、出す時に困るじゃない」
「いえ、出すのも私がしますから・・・」
「そういうものなの?」
「やはり、帰って少しマナー特訓をするのは正解かもしれませんね」
やはり貴族と言う生活は分からない。メアリに荷造りを託し、そばの椅子に座って貰ったリボンを掌にのせて眺める。
これはここに来てすぐのころ、ギルがくれた物だ。
王妃様のお部屋を探検した後で、「お母様のリボンをじっと見ていたから」と準備したそうだ。そんなに物欲しそうに見ていたかなー?とも思ったが、ありがたく受け取った。
次の日からメアリに髪の毛につけてもらった所「とても良くお似合いです!」と褒められ、つけている所を見たギルも喜んでいた。汚したら大変だから今日は外すけど。
ぼんやりとこの期間を思い返していたらドアをノックする音が聞こえた。
メアリが確認しに行くよりも早くドアが開き、ギルが中に入って来た。
「本当に、お家に帰られるのですか」
やってくるや否や、ギルは伺うようにそう言った。
この2ヶ月でギルの言葉はとんでもなく上達した。片言だったのが今ではなぜか敬語である。
私よりも多分上手い。もう教える事はない、と免許皆伝をするような気持ちになる。ーー実際のところ私は何も教えていないし、むしろ教わった方だけど。
「ええ、申し訳ございません。私も色々勉強をしなくてはならないんです」
読み書きが出来ないのもそうだけど、貴族的な振る舞いを学ばなければならない。
「ここでも勉強はできるでしょう」
「私に必要なのはまず初歩なので・・・」
しょぼん、とあからさまに肩を落とすギルに罪悪感で心臓がちくちくしたが、心を強くもって家に帰ると伝えたい。
「ええ、王族でもない私があまり長居をしてしまうと噂なども怖いですし。これからはシャポーの家で過ごして少し特訓を致します」
『フラグが怖いので距離をとります』とは言えないので対外的な理由を言った。ーー読み書き以外に何をするのかを考えると正直不安だ。
引き攣りつつも笑顔でそう告げた。
すると、ギルの緑色の目玉はみるみる潤み、そして大きな涙をぼろぼろと零し始めた。
な、泣かせちゃった!!王子様を泣かせちゃいましたよ!!!静かに大粒の涙をこぼすギルを見て、嘘ではないが、(対外的には)本当の事を伝えたのに、罪悪感がでてくる。
ど、どうしようどうしよう。
「ぎ、ギル、別に一生会えないわけではないので!」
「シャポー邸に帰られるということは、今みたいに一緒にいられないということなのでしょう」
ぼろんぼろんと落ちて行く涙を拭いもせず悲壮な表情を向けられて、絶望って表現がぴったりだと思った。こんなに小さい子を泣かせるなんて私はとんでもない悪党なのかもしれない。「さすがに急すぎたかしら」と目の前がぐるぐる回転する。
「すぐ会えますよ!」
思わずそう叫ぶ。すると大声に驚いたギルは涙を流しながらも目を見開いた。
「なら週の半分はこちらに来て下さい」
「え・・・?」
思いもよらない提案に動きが止まった。
「週の半分は・・・無理ですよ・・・」
「なら2日です。これ以上はまかりません」
「2日・・・」
ごにょごにょと口ごもる。嫌とは言えない雰囲気だ。
「ロスが来ないなら、私はまた話しません。『ロスのせい』って皆に言います」
そんな恐ろしいだめ押しをしながら、ギルは切り替えたように笑みを浮かべた。アルバートに似てるーーいや、もっと腹黒い感じの笑顔。これ、幽閉コース来ちゃうんじゃないか。
「そもそも、ロス、文字読めますよね?私たちで教えましたし、お母様が『全く出来ないなら』って言ってましたけど、それなりにできますから、嘘ですよね」
「嘘・・・嘘ではなく本当にできませんけど・・・」
ゴゴゴゴ、という効果音を引っさげるように悪い笑顔を浮かべながらギルが私に顔を近づけてきて血の気が引いていく。子どもに気圧されるなんて考えたこともなかったわ。
「それに、もともと他の文字はできますよね。ノートに何か書いてましたよね?見ましたよ」
いやちょ、おま、まてよ。何でノートの事まで知ってるんだ。
というか、さっきまでのしおらしい小動物感何処へ隠したんだよ、と心の中でクレームを入れながら、表情筋だけは微笑んでいるギルから顔を背けようとするも、背けた方に顔を寄せられ逃げようもなかった。
幽閉された場合って、部屋の中では自由はきくのか・・・。しかもまだストーリーも始まっていないのにバッドエンドを迎えた場合って、実際のストーリースタート時にはどうなるのかな。
「ね」
冷や汗がこめかみから顎をつたい床に落ちたのがわかる。
「う、嘘ではなくて!本当に出来ません!出来ませんったら出来ません!!・・・分かりました!なら週に1回家に来て下さい」
とっさにそう言うと、メアリが総毛立っていた。
話に聞く限り、シャポー家は王族を御招き出来るような状況ではないのだろう。
「シャポーの館に?」
突然出た名前にギルがコテンと首を傾げた。こういった仕草はあまり変化はない。
そうじゃない。いまはそれは問題ではない。
「はい。・・・今はとてもお呼び出来るようではないかもしれませんので、準備ができたらご連絡致します」
「・・・分かりました。でもあまり遅いようでしたらこちらから伺います」
あー、退路も断たれた。
これは1週間くらいしか猶予をくれないつもりか。
「はい。頑張って準備致します」
もう王宮から出られればとりあえず良いってことにしよう。それに私の家をみたら幻滅して興味をもたなくなるかもしれない。
ふっふっふ。貧乏暮らしを見せるのもいいかも。
そう思って、今度は私が悪役のような顔をした。そんな私の顔に気がつかないギルは、周囲を見渡していった。
「このお部屋は残しておきますね。ロスが戻って来た時にすぐに今と同じに過ごせるように」
なんだと?!
予想外の提案に口調が戻る。
「えっ!?私、戻ってくるなんて一言も・・・」
「特訓が終わったら問題ないでしょう」
妙な威圧感のある口調に口答えできず、「はい」と言ってしまった。
あれれー?おかしいなぁ??私の幽閉先は塔だったはずだけど、この部屋なのかしら?