26.まず剃刀がその手にないか確かめた。
私にとってのフォスター医師とは、大変真っ当な感覚をお持ちな一般人である。
この人の考えはふっつうに全肯定してしまうことが多々あった。現代日本人からすると、そもそも他人に傅くなんて考えからまずないからね。無理だからね。
フォスター医師は妻と家族を心から愛し、職場とは労働条件の契約のみでつながり、忠義とかで命を粗末にしない素晴らしい人だ。
こういう人が先輩にいると、見てるこっちが諸々のバランスを思い出す気がするから最高である。
そしてその妻エデルさんは、ちょっと不器用なとこがめっちゃかわいい。……じゃない、そうじゃない。
娘にフォスター医師が一目惚れした、とアルフレッド医師に相談されて気付いたけど。実は元々この人のことは知っていたから驚いた。
何せゲームで普通にシャロンの命を狙ってくるライバルキャラだったからね。しかも嫉妬にくるって、ではなくすごく真っ当な理由でだ。
飾りの王妃エデルガルド。赤毛の貴婦人。
独裁政治を敷くマクラーレン王を暗殺せんがために。不甲斐ないキルケーリアの一族から玉座を奪うために。マクラーレン王に嫁いで国の中枢から病巣を破壊しようと試みた一派の女性だったのである。
美女を宛がって骨抜きにしようとしたマクラーレン王は、完璧にシャーロットに狂っていたから。外交の時に飾りでも妻は必要、と何度も説得したところ、狙い通りしぶしぶ彼に歯向かうことのできない家の女性を妻にした。
キャラデザは無暗に王に手を付けられないよう、可愛げがなくて目に留まりにくいシャーロットと真逆の女性にしたそうなんだけどね。
ゲームではただただ気遣って肩に置いてきた手で、そのまま喉元をかき切りに来ないか不安な女性だったけど。今のエデルさんは一途で惚れた人には本当可愛い、と言ったら、別に誰にも惚れてなくたって最初から女神のように麗しかった、とマウントを取ってきたフォスター医師が相当うざいのでこの話題はやめよう。
実家が医療の研究をしているエルケンス家だってのは、ゲームには全く出てなかったけど。彼女は王をたしなめてしぬことも、自ら立ち上がって反抗することもしないでいたシャロンを、病巣の一部として排除しようとしていたのだ。
今思えば幼いころから看護師として働いていたキャラが存分に活かされているよね。正直気付いた時、これ続編が出るなって確信したもの。まだ全然明かされてない謎多すぎてやばいし。……ヤンデレはもうこれ以上増えなくて十分だけどな!
エデルさんはヤバ王辺りのルートで父親を殺された、って言ってた気もするけど。まあアルフレッド医師は現状ぴんぴんしてるし、フォスター医師なんて跡取りも出来たから、仕事減ったし。初めてあった頃より、格段に健康状態は改善してそうだけどね。何より~!
まあだからそそのかして王位を取らせる王妃、実はゲームと違うヒトなのだ。
多分あいつの事なので、この王座簒奪騒動でも全然生きているとは思う。そんなタマじゃない。
だから今気にするべきは、これからどんな目に遭うんだろうってところだけかな。
フォスター医師と入れ違いに入ってきた女性に、会釈しようとして踏みとどまる。昔のことを思い出すと、どうにも下町のヤンになってしまう。
「やぁやぁ随分と華やかだなぁ。城に店でも開く気かい、ホーリィ?」
軽口に朗らかに微笑んだのは、緩やかな茶色の巻き毛を複雑に編みこんで、精緻な刺繍のドレスが特徴的な女性である。目の色は茶色のはずなんだけど、いつでもきらきらして見える。
恭しく裾を持ち上げて淑女の礼を取ってはいるが、まあ苦労を重ねて結構な守銭奴だ。
彼女の名前はホーリィ・トット。子爵家のお嬢様だ。流行の仕掛人と本人は自称して、実際人気の仕立て屋をやっていた。
「ええ、私の王様をそんな裸も同然のドレスでいさせる訳にはいかないからね!前からぴったりのものを用意していたの!」
「はぇー……前から、かい」
「ええ!何か文句がおありで?」
「いや~別にぃ?」
ありすぎて困るけど、予見してたんなら止めろよと言えるような間柄でもない。
でもこの人との関係って、私が無茶言ったり、その代わりに店の広告塔やってことくらいしかないんだけどね。世話にはなったけど、こうまで言われるほど深い話をしたつき合いではない。
……さっきフォスター医師、仕立て屋ホーリィの名前上げてたけど。この人私と会う前から守銭奴だったから、変化したといっても普通に私とは無関係だよ。ただ私が王になれば、一番使ってた仕立て屋的にお金が集まりそうだものね。不用意なことは言わない方が無難だろう。
ぼんやりとソファに座っていたら、各々荷物を抱えたメイド達が次々と運び込んだ箱と鏡台に、すぐに部屋が彩られていく。
何となくみていたメイド達も、昨日まではいなかった顔が多い。それに以前のメイド服より手の込んだ、動きやすそうなデザインになってるんだけど。これ、もしやホーリィのところのメイドさんなのかな。
いつの間にこんなにメイドさん雇えるほど、お店がおっきくなってるんだろう。
最初、宰相派閥のとこが抱え込んだ仕立て屋連中に押されてたよね?最近服のサイズが変わらなかったから、訪ねてはいなかったから分かんないな。
彼女たちが動き回る度、新しい布とお化粧品の匂いがわずかに香って、血だとか恐怖体験で大分鼻が馬鹿になっていたのに気づく。
さっきから受け付けないものばかり見てきたから、まともな刺激にほっとしたのかもしれない。
靴を脱がされて、ソファに横になれと促されても、大人しくされるがままの私に、ホーリィが訝し気に呟いた。
「……もうちょっと抵抗されるかと思ったわ」
「その過程はさっきまでで見送ったね。私だって尊厳は惜しい。……こういう装いは必要じゃなかったから、どうせわからないしね。専門なのは貴方だろう。任せる。ああ、風呂は今朝入ったからいいね?」
「ええ、もちろん!アンガーマン伯爵にお願いしてよかったわー!爪までちゃんとしてくれるなんて分かってるぅ!」
「ああもうそこから仕込みかぁ。どうりでバスタブに石鹸まであるはずだよね」
たかが食客に大盤振る舞いが過ぎるとは思った。数年ぶりにヤバ王に呼ばれたからって、メイドさんまで導入されてえらい目に遭ったんだ。
気合の入りようの割に装飾もなくて、見覚えないドレスは質素だったから、返り血を見越してか疑ってしまうよね。勝利して着替える前提か。少しは失敗を疑ってほしい。いや、失敗したらどうせ斬首だし理にはかなっているのか。勝手に人の首を賭けないでほしい。
まあ私には街の流行と、医療現場で必要な格好は分かっても、貴族社会で適切な身なりなんてのは全く分からないんだけど。ドレスなんてそもそも一着が私の財布に収まる額ではないからね。
ローエンの口ぶりだとこの後人前に立つらしいし。あんまり変なもの着てくと煽動も虚しく、うわこんな奴の為に命、張ってた……?となって大変謀反が危険なので、ここはホーリィの店の化粧詐欺に身をゆだねる他はないだろう。これまでもしょうもない件で散々世話になっているので、腕前は疑っていない。
私の顔を花の香りがする水で拭いながら、ホーリィはふくふくと笑っている。
「こうやってちゃんと貴方に合わせたお化粧と衣装を用意するの、本当に嬉しいわ」
「いつも特別な服を仕立てる時は頼んでいたでしょう?」
「貴方ときたら、下町の酒場で吟遊詩人やってそうな恰好、とか。なんか不思議な情報知ってそうな意味深な女、とか。変なのが多かったんだもの」
「その節は大変お世話になりました…」
まあ一応城から脱走してたから、変装は必要だし。暇してて変な注文でも金次第で請け負ってくれる店は大変貴重だった。
あれはあれで楽しかったけど、と、石鹸の泡を載せて顔の産毛を剃っていく。優しい手つきでつい眠くなってくる。泡を拭って、最後に温かなタオルで顔を蒸されるようにされたらこれはね。もうね。トドメだよ。いつもなら此処で寝落ちしていた。
「だからずぅっと、ずぅっと貴方に着せたい服が何か考えていたの。毎日毎日、貴方の為に刺していたのよ?私のとっておきを着た貴方のお披露目が、戴冠式になるなんて……本当に最高よね?」
「…ひぅっ!!」
耳の裏から指先を滑らせて、したたるように甘い声が耳に吹き込まれなければだけどな。
「あらやだ、かーわいー!耳ヨワイのね。長いつき合いだけど初めて知ったわ!」
思わず跳ね起きた私にホーリィさんは動じない。
はーとすらつきそうな甘ったるさだ。背筋まで走ったぞわぞわした感じをどうしてくれるんだい、ほんとこのぅ!
「じょうだんがすぎるよほーりぃ……!!!」
「やだわ、私一途な方なのに。全部本気よ?」
心にもないことを言って、タオルを取り去った時のホーリィはいつものホーリィだったはずだ。
きらきらした茶色の目が、悪戯っぽく私を覗きこんでいる。柔らかに添えられた手が、眼を逸らすのを許さない。くっきりとした色合いの口唇が、奇妙に歪んでいく。
「全部嘘の方が良いなって、思ったんでしょ。ほんとう酷い女よね」
ブックマークが初めて100人超えて、ひぇっとなりました。
投稿するたびこれ面白い?もうちょっと病ませた方がよかった?任せろって自問自答してしまうので……
続きを気にしてくださる方がいると本当励みになります。ありがとうございます。




