2.生活環境も詰んでる
ここがあまり優しくないゲームの世界だと諦めてから、まず立ち塞がったのは食料の問題だった。ご飯は1日2食で少量。多分貴族的な苛酷ダイエットと、弱ってうっかり餓死しないかな、すればいいのにな、といった大人の事情である。
ゲームだとあまり詳しく描写はしていなかった部分だけど。カビ生えたパンの切れ端とか、何か器の底に茶色いのが沈殿した黄色味がかった水とか、ログインボーナスにしても苛酷が過ぎる。首謀者割れたら、どんな手使っても絶対殴るからな。覚悟しろよ本当。
そんなもの食べてたら病気になるのは確定である。だからなるべくじっとして消耗を防いだりしていたけど。レポートが立て込んでも、そんなに食べなくても諦めのつく体になっていたから、子どもの食べたものが直接血肉になる体って結構つらい。
城のひとが良さそうなひとに手助けを頼んで、ヤバ王が何かしないとも限らないので、城のゴミ捨て場にあった服をちょろまかして、夜の城下街チャレンジをすることにした。街の酒場で皿洗いしたら、カビ生えてないパンの切れ端とか、少しでもましな水が飲めるんじゃないかと思ったからだ。
多分この服、下働きの男の子のものだろう。茶色い染みと少しの穴があちこちにあるシャツとズボンは、城で働くにはみすぼらしくても、扮装には役立った。ちょうど髪も短くなって少年じみていたし、こんな時間でもランプをつけるような油はこの廃屋にはない。見回りも、冷遇される姫の廃屋を素通りするぐらいだ。わらを人の形に盛り上げれば、これで十分誤魔化せる。
「城のいりぐちに門番いる……まじか……」
いやいるよね普通……糖分足りてない頭だと、ほんっと働きませんわ。むり。ガソリンないのに車動かないでしょ、ふつう。人なら動くって?内臓動かすのにカロリーいるんだから、何もしなくたって緩やかに餓死してるようなもんだからね。
これうまい具合に深夜にぱしられた下働き、ってことにならないかな。無理かな……。そう思いつつ適当な言い訳を考えていたら、脇から手を差し込まれて、瞬く間に門番の前まで運ばれた。初老の男と、青年だ。
「……はぁ?!」
ちょっとまって出直して策練ることまで考えてたのになんでノープランでここにいるのちょっと!誰だ今の!まじでなんだ今の!
しかし呆然としてはいられない。いきなり出てきた薄汚い少年に、門番は剣を向ける前に呆気に取られているのが幸いだけど。下手したらヤバ王に呼び出されて、またあのめんどくさい茶番が待ってる!何より武装してる門番に、侵入者と思われたら確実に詰む!
どうしたものかと思っていたら、初老の男が寄って来た。険しくしわを刻んだ顔は、突飛な出来事に緩んでいるように見える。目線を合わせるように屈んで話しかけてくる。
「どうした坊主、お前は街遊びには早いだろ」
「いやぁ……さる方にお使い頼まれましてね」
「この時間に人使い荒ぇのもいたもんだな」
「あっはははは……!いえまあ、その……」
「……モルさん、この方は」
「ああ、そうだろうね。…そうだろうな。だが口に出さなきゃ真実じゃない。分かるか、ハロルド」
「はい!」
武器に手がかかってないのは幸いですけど。門番さん、そろって意味深に口元抑えて黙り込むのやめてくれませんかね……?!いいとこ城の規則で今は無理、って言われるくらいがいいんだけど!
「坊主、知らんかもしれんが、門は陽が落ちて以降は開けられんことになっている」
「そう、ですよね」
「正門はな。だがそれでも夜遊びや出稼ぎする奴は目を忍ぶ。うまくやりな」
そう言って懐から小さな袋を出すと、こちらに差し出してくる。思わず受け取ったそれから、ちゃりんと硬貨がこすれる音がした。
「……まあ、夜遅いから気をつけろ。なるべく人には分からんように持っておけよ」
「ありがとうございます!」
う、うわー!何だこの人いいひとだ!何がしかの裏事情は有りそうだけど、ここはありがたく使わせてもらおう!教えてもらいながら、何枚かは靴の中に。使いそうな分だけ胸ポケットに入れた。
「全部使わねぇで、いざって時は一枚握らせるのに取って置けよ。いいな?」
「はい!」
「ローエン、ローエングリン!仕事だぞ、寝てねぇで起きろ!!」
青年がどかん、と木箱を蹴ると布の塊と思ったそれからむっくりと男の子が出てきた。茶色のふわふわした髪で、黄色い目をした……何かこの組み合わせ、最近どっかで見たな。
多分私よりいくつか年上だ。眠たいのか、どろんとした目でこちらを睨むように見ている。最近人手が足りなくなって、見込みがあると雇われた見習いらしい。
「そこの坊主を案内してやりな。うちの兵連中が出入りしてるとこがあんだろ」
「……はーい。ほら行くぞ、そこのアンタ」
「はい、お願いします」
この年でこの色のローエングリン、と言えばゲームに出ていた騎士だけど。まあなんかすっごい目が死んでるから大丈夫だろう。
確かあのゲームでの彼は、かつてお花畑で会った可憐な少女がおっさん(ヤバ王)にいいようにされてるのを見て、庇護欲と独占欲とで玉座簒奪するガッツがあったけど。
あのゲーム、主人公の存在自体で病むヤバ王ならともかく。他のキャラはヤンデレを誘発するにも結構好みがうるさいから、ちょっとでも外れると対象外になるのだ。逆ハーレムルート攻略できた時は、思わず姉とハイタッチしたもんである。
まあともかく、あくまで可憐で守りがいのある少女が好みの男になる予定なので、袖の下とか仕込まれた抜け道上等系はするっと忘れてくれる見込みである。フラグだって?気のせい。
◇◆◇
辛うじてランプが照らし出した道を外れて、小さな背中が二つとも見えなくなった。
ハロルドと呼ばれた青年は、これまで堪えていた憤りと安堵でどうにかなりそうだった。
あんな、骨の目立つような細さで。幼さも削げたような頬で。女の命である髪すら捨てた。
その幼子の名前は知らない。それでもつややかに光を放つ黒髪と、凪いだ湖面のような青い目が誰から継いだものなのか。騎士の身分から、雑用に落とされた彼らは知っている。
神の名のもとに守られた門は、閉め切ってしまえば万人が落とせぬ要塞となる。
本来であればここに門番などいらない。こうして人目につかぬように門付近の清掃と、警戒を繰り返す夜を強いられたのは、彼らの元々の主に成り代わった男に遠ざけられたからだ。
「生きて、いたんですね。あの方の忘れ形見は、姫様は…っ!」
「そうだな」
「生きてて、よかったぁ……!」
「そうだな」
モル…モーリッツはハロルドの背をぞんざいに蹴ると、さっさとその場に立たせた。
せっかく何か活路を見出した少女の邪魔をする訳にいかない。むしろ、このまま戻ってこなくても詮無きことだが、割り切るには足りない。
ぱち、とひび割れたランプの灯が揺れる。
これほどまでにかすかな希望ではあったが。両親のことすら知らぬ彼女に、仇討ちを頼むほど彼らは腐ってはいなかったがそれでも。久方ぶりに浮き立った心を沈めるには、出会いはあまりに鮮やかだった。
「しかし……あの目は何だ。あの方を久しぶりに思い出せたよ。あんなに静かな目の色なのに、苛烈で、自分こそが王であると疑わない目は」
「また、来てくれますかね」
「さぁな……おら、しゃんと立て。ローエンをつけている。あの方が戻ったら、無事に部屋に戻してやらなければ」
「俺たち、あの方の力に、今度こそなれるんですかね……?」
モーリッツはその問いに答えを返せない。分からなかった。かつて、主君が弑されるのを防げなかった自分達に、そんな機会すら許されているのかも。
「さぁな。……だが主君に請われもせず、死ねなかった後悔はもう腹いっぱいに飲んだだろ」