24.希望通りの職種につけるかは運による。
とりあえず私が持てるだけ墓守くんが書いた解剖図集をまとめて、以前冒険者の人に教わった方法で背負う。
木のコップに入っていた危険薬物も、部屋からなめし皮が見つかったので、上から被せてそこら辺の糸でぐるぐる巻きにしたのを腰につるした。
追われて逃げる際も、背中に荷物があるだけでちょっと違うらしいし。何度か練習して置いて本当によかった。国から出る時に荷づくりにも、きっと役立つことだろう。
私の支度が済んだのを確認したトルドーさんが降ってきた窓に合図すると、縄ばしごが落ちてきた。
上れるかい?としきりに心配されたけど。今日は幸い動きやすい下町ヤン君ルックである。
するすると上った先は、やけに薬草の匂いが立ち込めた部屋だ。薄暗い部屋の中、灯されたランプだけが光源である。
瓶詰の薬草らしきものがみしりと詰まった棚に囲まれるように、青ざめて酷い隈の男がいた。黒ぶち眼鏡の、雰囲気だけは穏やかそうな男性だ。
私に気づいて、作法に則り頭を下げた男は、ユトリロの店でクダを巻いていた男である。トルドーさんと歳が近いようで、いつも突発的なゲームを楽しんでくれていた。
そんな、ずっと街医者と思っていた男は、今上等な生地の白衣を召している。
「あれ、アルフレッド先生じゃないですか!?え、城勤めだったんですか?……このたびは大変ご迷惑おかけしました!」
驚愕の後にそっと同行者の所業を思い出して、元凶としてきっちりと90度に頭を下げると、うすら寒くなるほどの空笑いが響く。
「無事…本当に無事でよかったよ。その恰好ならヤン君と呼びますね。しかしこれで君に何かあったら、本当……」
じっとメスの刃先を凝視しているから、もちろん私を心配しての事ではない。ストレスが振り切ることがなかったのは幸いである。
どんな世界でも医師は忙しいし、責任も伴う上に、何かあったら気楽に処刑される立ち位置である。
おまけにそろそろ冬だ。ここには宴会を開く度に吐き戻しては量を食べ、コルセットでぎちぎちに細いウェストを保つせいで、栄養が足りてない連中が多過ぎる。
免疫力の低下した貴族どもが軒並み何かの病を得ても、薬となる薬草の仕入れがないそんな時期。秋までにいかに薬と薬草を貯めこむかが重要なんだと、ヤバい目で語っていたのを思い出す。
ああ、後継者の話もこの時にしたんだっけ。実習扱いでもいい、多少は使える部下が欲しいと嘆いていたんだった。
時折酒場で飲んだくれて現実を忘れなければやってられない。そんなクソ忙しい時に、自分より階級が上な貴族による襲撃を受けたせいで、完全に仕事がストップしていたようだ。
「僕が行ったんだから、問題ないに決まってるじゃない。ね?シャロン」
「ええ、助かりました。袋に入れて担ぐのも検討していたところでしたから」
のほほんと参上した元凶は、手早く紐でまとめた墓守くんを小脇に抱えて持って来てくれた。
アルフレッド先生は医者である。床に下ろされても反応がなく、ぜろぜろと重たく息をするだけの人間が、異常だとは早々に勘付いたらしい。
床にクッションを置き、手早く姿勢を側臥位にして、呼びかけて反応を見ている。
「……ヤン君の他に人がいたのですか?」
「城の連中がはしゃいだ時のお片付け担当君だよ。シャロンをお出迎えしようとして、変なものキメちゃったみたいで」
「これですね」
腰に提げていたジョッキを差し出すと、慎重に皮を外した後。そっと首を振ってから、何か壺を持ってきた。小さなものがうごめく音が聞こえるので、実験用の動物か何かかな。
「何だい?それ」
「……バルドゥル先輩、ちょっとヤン君の目を塞いでおいてくれますか。きっとつらいかと」
「やだなー。鼠なら一時期住居の争奪戦してたので大丈夫ですよ」
あいつらなんでもかじるし、行けると思ったら人すらかじりに来るからね。
最初は悲鳴も上がったけど、最後の方はなんで私が逃げなきゃらないのかと、開き直るくらい酷かった。
もう駆除対象だから、死んだところでショックを受ける方じゃない。純粋に結果が知りたいし、伝聞じゃ伝わらないこともある。
「もー……貴方って子はもー……泣いたって知りませんよ」
先生がトングみたいなので壺から出したのは、真白い鼠だ。
簡素なケージに入れたそれに、匙で数滴分薬草茶を含ませると、すぐに先程の墓守くんと同様の状態になった。酔っぱらったように動き、しきりにちゅうちゅうと鳴いている。完全に腰が砕けて力の入らないような有り様だ。
「確かに、薬のように劇的な作用ですが……これは、人間が治療として使う必要があるものなんです?」
「死ぬ直前に通常の鎮痛剤では苦痛が強すぎて、どうしようもない人が使うと良さそ…いや、ここまで活発にするなら不向きですかね。まだ度の強い酒の方が効きそうです」
「……確かにそんな時でもなければ、過ぎる幸福は病でしょう。しかし、そうした状況に使うならもっと適した薬はありますからね。それにこの手のは他国で学んだ際に覚えがあります……いずれにせよ、まず薬が抜けるまで待たなければなりません。その間は吐物を誤嚥して死なないように、私の娘にでも看護させましょう」
「いいんですか?」
娘さんですよ?薬物中毒で様子のおかしい人の世話をさせて大丈夫、とも含ませて聞いたけれど。
どうも、父親の手伝いがしたいと自ら看護を学び、今や城で手伝いをしているそうだ。死体処理役の保護は、あまり宰相派に割れて良い情報でもない。彼女の状況への対処能力は高く、信頼しているからこそ任せるというアルフレッド先生は静かな自信に満ちている。
しかし……なんだその方。聖女?聖女なの?中々いないよ、きっつい仕事で父親兼上司にそこまで言われる能力持った社会人。
「ええ。ですが、経緯だけは説明してください。貴方を助けるためと言えど、薬を確認していたら、小斧を携えた先輩が押し入ってきた理由もわからないんです」
「いやそれは私も分かりませんけどね。先生はバルドゥルさんの後輩なんですか?」
「城勤めは僕の方が長いからね」
ちょっと得意げにトルドーさんは胸を張ったが、こっそりとアルフレッド先生は言う。
「この人を味方につけると、城での生活がぐっと楽ですから。宰相派閥でも適わない、中立派にはありがたい爆弾なんですよ」
「なるほど!」
「うんうん、持ちつ持たれつだね。僕としても、なにも聞かずに誰でも治してくれるからありがたいんだよね。あと僕、もうシャロン派閥だから勘違いしないでね」
「あ、無視していいでーす」
「………さようで」
さらっと事故で私が王家秘密の処理場に落ちて、そこで墓守くんに会ったこと。歓迎の意を表してついでくれたジョッキを飲んでから、今のネズミみたいにおかしくなったこと。
死体を処理する技術として見せられた解剖図を広げたところ、アルフレッド医師の目の色が変わった。私としては目論み通りである。興味深げに床に寝転がったままの墓守くんを診察している。
「ほーう……この子がこれをね……へぇ……」
さっきより真剣…いや、この人診察には何時も誰にでも真摯だから。どっちかというと鬼気迫る?
念入りに墓守くんの健康状態を確認すると、先程までの空笑いが嘘のように微笑んでいる。
「……ヤン君。この子、治ったとして行き先はあるんでしょうか」
よっしゃかかった。
死体にも臆さず、ある程度の解剖経験のある少年は見事に一次審査を通過したらしい。
前も愚痴言われただけで採用条件なんか聞いてなかったし、マナーどころじゃない有り様だったから、ちょっと心配したんだけど。攫って服装から整える必要がなくなったのは、純粋に楽でいい。
だから私も眉を情けなく下げて、頭を抱えて応対する。まあ、これも必要な茶番である。
人材紹介で今回の件は水に流してほしいけど、無理めかな~!だいたい職場に斧持った男が押し入って暴れたことないから、その程度のストレスか想像したくもないもんな!
「いや~…僕も、今は食客としてアンガーマン伯爵のところに厄介になってますけどね。しょーじき、自分の食い扶持稼ぐのに精一杯なんですよ。よくしてくれた人なんで、ぜひ助かっては欲しいんですけどね」
「そうですね……では、この子のことは私に任せてはくれませんか?珍しい症例の経過も観察したいですし。この子にはその間、私の手伝いをしながら治療費を払ってもらおうかと」
「願ってもないことですが、お任せしたの僕ですし、何とか治療費は用意しますよ?」
「いいえ。こればかりは彼自身が稼ぐべきです。自身でどうにかした経験がなければ、また同じ物に手を出してしまうでしょう……彼の為にも、です」
優しいこと言っているけど、治療費はコイツ以外からは受け取らないとやんわりと断言された。
だいたい城勤めの医者の治療費って、手伝いで賄えるもんなのかね?墓守なんて現物支給だから、問答無用で医師の助手か、もしくその先の医師が墓守くんの生涯の仕事になるかもしれない訳だ。
治療の同意も取らずに強行した上に、随分高い治療費だよね。日本だったら裁判沙汰だけど、なんせここはよくわからない異世界の王国。彼の労働環境を、下町の吟遊詩人にはほんとどうすることも出来ないから仕方ない。
「お願いしますね、先生!僕は頭が悪いから、彼がどんなにすごいかなんてよくわからないけど。すごい人だと思うんです」
「もちろんですよ、ヤンくん。何としてでも彼は治してみせますから」
「んんんんお手柔らかに~!」
まあ墓守くんにとったら、親切心から淹れたお茶で命を落としかけた上に、昏倒している間に借金返済のために進路が強制される訳だけど。
この国は元々人権ふんわりしてるから…特に仕事の選択肢なんて、ある程度自分で勝ち取らなきゃいけない感じだから…。つまり負けた連中に選択肢なんてご用意されないからさ。うん。
いや本当ごめんね墓守くん。真面目に頑張っていたからと言って、自分で進路を決められるとは限らない良い見本だね。うん……まあ命は拾えそうでよかったね!多くは望まないでほしい!
まあ、運悪くよろしくない大人に良いようにされるのなんか、きっとどこの世界にもあることだからね。諦めて良い医者にでもなって、さっさと闖入者のことは忘れてほしい。切実に。




