21.お気になさらずしんでしまいます
ちょっと死体の処理がどうのこうのと話してますし、だいたいフィクションです
したたかに打ったおしりをさすれば、手についた泥に思わず舌打ちが出る。
雨に濡れた芝生の斜面は、大層滑りやすい。あまり鍛えられている訳じゃないから、受け身も取れずにすんなり転がり落ちた私は、変な隠し通路に迷い込んだようである。下町少年ヤン君仕様でよかった。ドレスの洗い方なんて知らないしね。
これは…城の中、なんだろうか。いや、まるく周囲の石壁で丸く区切ったような外だ。誰かが動いている物音はない。所々軒先はあるけど、雨が降っているせいかどことなく踏んだ土が湿っぽい。
そしてどう見ても墓場、である。
ただ以前たまたま嗅いだことのある、痰がこごったような、不思議とあまったるい腐臭のしない………全体的に茶色く薄汚れて簡素だが、きっちりと管理された墓場のようだった。いや、この時代の墓とか知らないけどね。土葬って言うから、結構臭うのかと思ってた。
斜面を登って、落ちたと思わしき場所を確認したけど。古びた木戸らしきものがあった。
上から思い切り滑り落ちた勢いで開いたらしく、子どもの筋力では押しても引いてもびくともしない。諦めて他に入口を探そうと、壁伝いに歩いていく。
隠し扉、というくらいだ。石を組み合わせて作る壁の見分け方なんて、日銭稼いで暮らす私が知るはずもない。というか、そんな偶然看破される侵入口を、あちこちに作らないでほしいんだけどな。
しばらく行く内に、ずどん、と何か落ちる音がしたので、身を隠しながら移動した。何か……薄汚れたシーツを、積んだ藁に被せたようなものがあって。そこに横たわる大きな袋を見つけた。
あれか?いや、ただの荷物かもしれない。様子をうかがっていると、かぱり、と木戸を開けて、顔の見えない誰かが追加で同じ袋をもう一つ放り込んでいる。
え、なに。ここゴミ捨て場でもあるの?まさか。
岩陰に身を隠して周囲をうかがっていたら、ぐちゃりと後ろで泥が鳴る。振り返る間もなく、喉元に宛がわれた何かで、無理やり後ろに引かれてえづいた。
うん、こういうのすぐ気付けよって?気持ちは分かるけどね、無理だって。街の浮浪児みたいなもんだしさ。
「………シンイリか?」
「え、なんのです?」
「いや、いい。……ジキ分かる」
上から、前髪に隠れた真っ暗な目に覗きこまれた。うん、前見たキャラデザを幼くしたらこう、だね。どことなく狂ったイントネーションも、確かに画面で見ていた男の癖だ。先程まで私の喉元に当てていたツルハシを、気怠そうに担いでいる。
しかし、新入り。新入りか。ははは。
そう言えば、あのキャラがどういった経緯で墓守になったのかさえ知らないものね。こうやって何も知らない孤児でも放り込んで、元からいる墓守に養育させているのだろうか。この時代に人権がどうのと言えないけど、本当にどうかしている。
「着いてこい……シゴト、教える」
「うっす!お世話になりまッス!」
遠慮したぁい……個人的にしなくていいなら、したくないこと筆頭が仕事である。
恐らくは放り込まれた墓管理の新入りとでも思っているんだろう。まだ私より6~7歳は年上に見えるけど、まあ、すぐ喉掻っ切られるよりいいでしょ。隙見て逃げよ。
声ばかり明るく返して、渋々着いて行った先に掘っ立て小屋のようなものがあった。
……嘘でしょ、私の廃屋よりぼろい。
小屋の中は、これまでの管理人の物も含むんだろうか。
ゴミ捨て場から必要なものと、必要になりそうなものを拾って来た、みたいな棚に比べて、仕事道具らしき物がきっちりと整頓された机が対照的だ。
まず文字の読み書きができるのを確かめられて、今日中に読んでおけよと渡されたのは、いろんな紙を寄せ集めた冊子のような物だった。
意を決してめくってみた。大きさもバラバラで、一体何が書いてあるのかと思ったけど。中に描かれていたのは、シャロンよりも沖内智子に馴染み深い、詳細の描かれた人体の解剖図と、せつめいぶん……。
「………あっれー?えっ……いやこれ、とんでもない、お宝じゃないのかな」
多分、殺されて死んだ連中、あるいは穴から落とされる過程で遺体が損壊したんだろう。
遺体の洗浄方法。例えば裂かれた腹の縫合と、そこから見える内臓が腐らないようにする薬剤を用いた処理。折れた頸部を整復してうつくしく整える方法とか。頁をめくるたびに、次々と真新しい図が飛び出してくる。
「えんばーみんぐ……?だっけか」
前に実習先の研修会に参加して、薄らと記憶にある。
私の目指した職業で、普段触れはしない分野ではあるけど。選んだ病院次第では知識として持っておいた方が良いと、参加を勧められたのだ。火葬が基本の日本では、家族がよりよくお別れを迎えるためにも用いられる技術で、そうしたことを求めている人もいるのだと。
なんだっけ…土葬が主体の国だと、それに加えていずれ土の中で迎える腐敗で病原菌とかが発生しないようにする目的もあるんだっけ?うん、恐いよね。流行ったら純粋に死ぬって言うのに、何で城の中に墓場あんの?馬鹿じゃん。
あー…だめだ。あの時レポート書くので徹夜してたから、寝ないようにするだけで大変だったんだ。翌日、レポートていしゅつび……うん。ヒトに説明できるほど詳しくもないや!
だからここに描かれている処置が正しいかなんて判別つかないけど。少なくとも、やたら分厚くて高い教科書で、あるいは解剖学実習で実際観察させていただいた、内臓の位置に変わりはない。
むしろ実際見て書いてるから、普通見やすいように省かれた部分も描写しすぎじゃない?ていうか、何使って書いてんの本当……炭?インク?こまかすぎる。
あと、いろんな方法による比較の結果も書いてるから、何度も試行錯誤をしてるんじゃないかな。
字は汚いけど。単純で簡潔で、分かりやすい文章だ。読んで字を学び始めた私にでもわかる。これが意外と難しい。私が書いたら、少しでも紙の枚数と文字数を増やすべく水増しするからね。
ああもう。この書き溜めたメモが並々ならぬ研鑽と研究の産物ってことくらい、死ぬほどレポートが苦手で、読むのはともかく書くのは嫌だった私にだってわかる!ていうか手書きでレポートとか考えただけで吐きそう!
もう夢中になって読んだ。文字の練習に使った異国のおとぎ話よりも、国の歴史書よりも、一番馴染み深い分野だ。
これまで数か月単位で教科書すら読めない状況だったから。筋のきしていし……ROM、腱反射、周径……。あっだめだ。なんかくそみたいな学科特有飲み会のコールしか今ぱっと思い浮かばなくなってる。やばい。
いつ帰れるかも分からない。必死に覚えたことも薄れそうな中で、少しでも記憶を鮮明にするよすがになる書き物は貴重だ。むさぼるように読んで、次々と机に置いてある書き物を消化する中、墓守が戻ってきていたのも気づかなかった。
書き物は数年前の症例から始まって、どんどんと最新のものになっていく。
その中で、見覚えある顔を見つけた私は手を止めた。
心臓を一突きにされていると書かれたその男と直接の面識はない。
…………画面の中だけで知っている男だ。
「…はっくしょん!」
「おダイジに」
思わず名前を呟きそうになった口を、人がいるのに気づいて即座にくしゃみでごまかした。墓守の気遣いに会釈して、改めて書き物を読む。
間違いない。ヒース。年齢不詳、国を渡り歩く凄腕のスパイ。気分次第で味方を変える快楽主義者。ある夜シャロンの部屋に忍び込んだ、蜘蛛がモチーフの優男だ。紫髪の、ホストみたいな男である。
ゲームでは何も知らない王女をどうしても欲しくなって攫い、ハッピーエンドでは飾り立てたシャロンを箱に閉じ込めて末永く幸せに暮らしたとか。バッドエンドでは彼を拒絶したシャロンを手に入れるべく、キルケーリアを他国に攻め滅ぼさせて、お前のせいだよと拘束したシャロンを抱きしめて甘くささやく役どころだ。
そいつがなぜここでしんでいる。
え、捕まって拷問死じゃないの?……違う、確かに心臓を一突き。その他には古傷しかなくて、ここでも簡単な処置だけしかされていない。
え、暗殺者とか言っておけば、多少ぶっとんだ身体機能でも許される風潮あるのに。
ゲームだとスパイとすら見破られず、事を起こしたときには動きの身軽さを活かして、護衛騎士とか次々殺してたのに。
そんなヒースを殺せた奴が、この城にいるのか。いや、大臣が優秀な人材を集めてるから、それ関連で看破されて死んだ可能性もある。
ゲームの通りにさせる訳にはいかなかったし。スパイなんて見つけたらころすべきだったから、仕方がない……大臣に教えられたことが、いらない形で為になってるなぁ。
「オレが言うのもナンだが、よくそんなものヨめるな」
「めちゃくちゃタメになりますよ?これ、書いたのは……」
「タメ……?オレだ。まえにいたヤツラ、全員シンだから」
「え、すごすぎません?」
「すご……?」
んん。ややイントネーションも狂ってるし、こうして会話に使う単語への反応がいまいちだ。あんまり人と話してないんだろうか。他に墓守がいたらしい言い方だけど。いったい死因は何だろうね。
「いや……なんていったらいいのかな。うん、いろんな方面に役立つ発見だなって」
なんかもう最近、生き残ることしか考えてなかったし。新しいことを覚えると元あったことは忘れるしね。でもこれ、明日から実践できるだろうか。それまでに大臣がいなくなったの、気付いてくれないかなー。
「大丈夫そうだ。助かる。前にキたのは、吐いてつかえなかったからステたんだ」
でしょうねぇ。うちのクラスにも、そもそも解剖学実習の現場に立ち会うのも苦痛、といったひとがいたし。もうこれは向き不向きでしかない。現に私も含めたほとんどは、集中しすぎたせいかお腹減りすぎて焼き肉行ったしね。
まあ、献体してくださる人たちは、そもそも今後の医学のためにと目的だから。こうして殺されて死んだ人たち、というのは私だって胃に来るけどね。
「………ノメ。これ、シンイリにも馳走することになってる」
「あ、ありがとうございます」
そう言って渡されたのは、木を削って作られたジョッキだ。香りがまるで花の、ような……。
一嗅ぎした途端、背中を走るのは悪寒だ。ついで、何も理由がない、容赦のない多幸感に頭がぶん殴られて、とろとろと脳が煮えるような心地がする。
これ、ヤバい。
思わず手放したジョッキが、床に落ちるより早く。足の力をなくして尻餅をついた私は、ようやく我に返ることができた。くらんくらんと目眩が収まるのを待って、ようやく鮮明に像を結ぶまでは更にかかった。
何、なんで今日こんなにおしりに打撲が集中するの?絶対痣できてるでしょ。
「これ、何です?」
騙し討ちで飲ませるには悪質だ。呟きに答えは返らなかった。まあ、元から期待していない。
「はっ、はははははははははっ!」
先程から顔をひきつらせたように、高く笑い続ける墓守は、私と違ってしっかりとこの液体を口にしていたらしい。
私もうっすらと舐めた多幸感と比較にならないんだろう。声が裏返る程に笑い続けて、呼びかけに反応もない。何もないところに向かって何か摘み取る動作をしたりと。
………これは、もしかしなくてもきけんやくぶつの類では?
そっと扉を開けて出た。腰も砕けた様子でいるので、追って来るまではかかるだろう。
いや、気付くべきだったんだよね。紅茶は基本的に高級品だ。城下町で手に入るのは、地面にばらまいただけでも採れる、カモミールとかのハーブティーがほとんどである。まともに飲める水だって買わなくちゃいけない。
それを、なんでこんなやっていけるかもわからない新入りに?
こんな基本の物資も揃ってない小屋の中で、定期的に供給されてるなら必要なものなんだよなぁ~!多分ここの生活で金なんて役に立たない。外に出られないからだ。薬漬けにして、それを報酬に働かせるくらいはしないと、誰もやりたがらないだろう。死体の処理も含む墓守なんてものはね。
さっき、元からいた連中は死んだと言っていた。もしかしたら、加減も知らず前任たちがやっていたからと、歓迎の意を込めて用意してくれたのかもしれない。飲まなくてよかった!
「いや~……参ったな」
放っておけば、普通にしにそうで目覚めが悪い。しかし、私よりいくらか年上の男を、場所の分からない出口を探して運搬するのも難しい。……どうしたものかな、これ。手当たり次第に壁ぶち抜く訳にもいかないし。
「あれ、姫様。お困りなんです~?きっと僕ならお力になれますよ!」
「……ん?」
声が聞こえた。滑らかで、歌うようで……少年かな。
きょろりと辺りを見れば、おかしそうにきゃらきゃらと笑う声が落ちてくる。
「上です、上!とうっ」
どういう身体能力をしているのか、軽やかに飛び降りてきた男の子は、難なく着地して人懐こく笑っている。
肌が浅黒くて、黒髪のくせっ毛だ。女の子みたいにかわいい顔と、つやつやとひかる緑色の目をしている。……服が、上着の袖のない麻の服。鮮やかな青に染めたゆったりとしたズボン。大ぶりな耳飾り。この国では見ない、異国の服だ。
あと特徴的、って言ったら、この年齢でも珍しいくらい鍛えられた腕の筋肉だろうか。
そっと財布を確認してから、小首を傾げて笑う少年に賭けてみることにした。
「…………おたすけ料交渉していい?」
「やだ、姫様話が早くて助かるぅ!」




