20.出会いはぬかるんだ泥の上
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白衣にきっちりと固めた黒髪のオールバック。周囲を睥睨するような黒目は、眼鏡のレンズでいらない威圧感を足している。
フォスター医師、と呼ばれたその男は、室内を見渡してひどく疲れたように息を吐いた。
いつも持ち歩いている使い込まれた治療用鞄を机に置くと、その前に置いてあったソファに顎をしゃくって座れと促してくる。警戒しながら座ると、治療しかしねぇよと、酷くだるそうである。
「あのオッサン、ヒトに面倒くせぇとこだけ押し付けて逃げやがったな……おら。指出せよ、ヤン」
「うっす。おなしゃっす」
あ、すっごくいつも通りだこの人……患者が来ること自体そんなに好きじゃないから、舐めてんの?って感じの雰囲気がまるで崩れていない……。
基本自業自得だったり、襲われての怪我が心底嫌いなこの人に、一体何度お世話になったことか分からない。おかげさまで、未だに扱いは下町のくそがきである。いや、酷くない?自衛してたのに襲われての怪我は仕方なくない?
大体のことは誰かから聞いて来たらしい。舌打ちしながらも、迷わず右手の指を診察している。
色々ありすぎて、ちょっと痛いの忘れかけてた指だけど。大事にされると痛く感じるよね。大丈夫腫れてない、と言いかけたけど。痛いし熱いし赤いし、腫れてるから指曲がらないって時点で、炎症5徴候そろってんじゃん。もうまじむり……お布団に帰りたい……。
「あんのバカ野郎……氷を持って来させている。折れちゃいねぇが、しばらくマンドリンは弾くなよ。大人しくしとけ。……氷来るまでは、知ってること教えてやるからよ」
「フォスター兄ちゃん……話早すぎて助かる……」
「お前より重篤な怪我人がいるんだよ、この程度に時間割くほどヒマじゃねぇんだ」
「うっす」
「いいか。お前はこのクニの王に仕立てられた。逃げ場はねェ。せいぜい励めよ」
「説明が雑にも程ってものがあるんだよなぁ!王家の血は引いてないって言われてんだよこっちはさあ!」
薄々勘付いていたけど、それが何故かを聞いているんだよぉ!庶子ですらないって言ってんじゃん!ていうか、それを抜きにしたってなんで私が王なんだよ!普通、夫取って王妃くらいじゃない?!知らんけど!
他人の進路決定の瀬戸際と言うのに、フォスター医師はクソ面倒くせぇという態度を崩そうともしない。いや、この人が真摯になるのなんか、それこそ治療と技術の発展と家族にだけだ。教えてくれるだけ贅沢は言えない。
「お前、正直マジでそれ言ってんのか?もう死んだヒヒ爺共のネゴトだろ……いや、最初っからクニ捨てて行く算段立ててたもんな。そっちの見解のがありがたいってか?俺のとこに来たのも、自分の出生の秘密求めてなんざ殊勝な理由じゃなかったろ?」
「うん、道に迷ったら怪しい人がいたからね。聞いたのもその場しのぎで興味はなかったかな」
皆シャーロットさんに関しては好き勝手言ってたからね。誰が話すことも何一つ確かじゃなかったから、まあ私の親じゃないしなって妥協してた。
「それならハナシが早い。命がけで産んだ親も気にならねェ人でなしで正直助かる」
元々は名無しの墓守だったフォスター医師は、死体運びの連中からの聞きかじりと、書き捨てのメモで言葉を覚えたから、イントネーションに独特な癖があるひとだ。けれど頭がいいので吐く言葉の切れ味は凄まじい。
「言い方ァ!」
「ホメてんだよ。会ったこともねェ、勝手な推測でビカしたオヤに期待も傾倒もしない。……普通は出来ねェよ」
それで助かった俺からすればなと、鞄をあさり始めている。彼の鞄は何でも放り込む、というよりは、多忙だからいつの間にかごちゃつくらしい。ようやく目当ての書類を見つけたらしく、苦労して引き抜いている。
「いいか。よく聞け。お前に誰もそうじゃないと……お前がこの国の王女が産み落としたと教えなかったのはな、それぞれがお前をどう使うかの算段が長引いたからだ。……救いがたいことに、このクニには思惑がどうであれ、お前以外、王になっても許せる人間がいないんだよ」
どさり、とソファ前の卓に紙束で置かれたのは、すっかり読めるようになってしまったキルケーリア語の書類だ。
ここに至るまで何人もが読んだらしい。少しばかりよれた紙の細かい字に、目は勝手にシャーロット、と慣れた字列を拾った。
「多分これ聞いたって、お前はこう言うだろう。えー、いるじゃん私以外に王になりそうなの、だめなのってな。俺らからすりゃお前以外に、王がいてたまるかよって話だ。ふざけんな。正直、お前にゃ本当に世話になった。感謝もしているからシアワセは願うが、限度があるのでギセイになってもらう」
終始不機嫌そうだったフォスター医師だが、ここにきてくわっと八重歯を見せて微笑んだ。
そしてマジもんの殺意でもって書類のシャーロット、の文字を人差し指の爪で抉るように示す。
「いいか、お前の母親。シャーロット・キルケーリアは隣国で生きている。同情を引いて、とある騎士の妻に収まったんだ。お前の双子の兄と一緒にな。……マクラーレン王の殺害を聞きつけて、正統な王位継承者として凱旋するだろう」
「……は?」
「反吐が出るなぁ?お前を囮に逃げて、クニのために血すら流してない連中が王ってェのは」
そう言って笑うフォスター医師は、潰えたはずの未来……積極的に棺桶に叩き込む、名無しの墓守の顔になっていた。
……………私だって国の為に血なんか一滴も流してないんだけどね~?比喩だって?くそりぷ止めてもらっていいです?
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うん。ここで整理しておこう。『病みいる孤月』。概ねヒロインに救いのないエンドが話題のゲームでも、異色のキャラがいる。
どろりと濁りすぎてつやさえある黒目。何日寝てないの?って感じの目の下の隈と、肌の張りの無さ。分厚い前髪で隠されたそれらが発覚するのは、やべえのに目をつけられているヒロインに、永遠の安息を約束した時のみ。それが名無しの墓守である。
そう。名前がないネクロフィリア。それが彼だ。
出会いは雨降る夜にシャロンが外に締め出されたのがきっかけで、身を隠すところを探して秘匿された墓場に迷い込んでしまったことから始まる。
ひっそりと眠るひと達の安寧を羨ましがり、死臭が染みついたと自虐する墓守を素晴らしい仕事だと励ましたから、本当器用だなって思う。死亡フラグでビーチフラッグしてるの?ってくらい器用。そして言っちゃう訳だ。私は死んでも、ゆっくり眠れそうにないからと。
それ以来惚れたヒロインに自分が唯一与えてやれるのが、土の中で安楽に眠ることだけと豪語して、夜な夜な城の隠し通路から現れては、ツルハシで暗殺を仕掛けてくるようになる。何で、って思うよね。私も何で?って思った。
そこはせめてお前は手ずから墓に入れてやる、ただし老後にな!!!をつけてさらう所だろうと思うでしょ?
SNSなら人気出そうな漫画の展開だけど、残念なことにこのゲームヤンデレしかいない。決して年老いた墓守が、新しくできた墓に祈ってる図で引きにはならないし。同じように年老いた王女が、幽霊になって墓守の傍に寄り添ってることもない。
ここだけミニゲーム式で、もう何……何のゲームしてるの、ってなったよね。ミニゲーム苦手な人用の奴はテキスト形式の運ゲーだったしね。幸運値低いと、右選ぼうが左選ぼうが来るからね奴が。幸運値が高いとツルハシ引っかかって出てこれないんだけど。
これ運を鍛えるのが、延々ゴミ捨て場で食べられるものをさが……話が逸れた。
つまり忌避された存在である彼が、ヒトに触れられるのは死体のみ。凄惨な死体も丁寧に繕って、うつくしく棺に納める仕事をしていた彼は、惚れた女に触れるには死体になってからと思い込んでいた訳だよ。
建前と本音がごっちゃごちゃだよね!もうシャロンが好きって言ってんだからちゅーくらいしろよ根暗、と大騒ぎしてた。姉と。
お察しの通り、彼に関しては現状でばっきばきにフラグは粉砕されている。もう前髪とかオールバックでフルオープンだからね。
ちなみにもう彼、この世界的に言えば人生の勝ち組にいる。
実践(死体縫い)で培った技術を見込まれて、医師家系の貴族に養子入りして、宮廷の医師として働いている。おまけにお互い一目惚れの赤毛の美しい妻との間にかわいい小児が三人いる。何なら去年も生まれた彼の愛娘、私がフォスター夫妻に頼まれて名付け親になっていた。冗談かと思って断ったら、泣いた妻に顔が般若だったからね。一週間くらい悩んでつけた。もっと生まれる数か月前に言って~?
ましになったイントネーションも、彼の妻が子どもたちにしている読み聞かせを聞いているからだ。オールバックを小児の無慈悲な狼藉に乱されては、この野郎とくすぐりながら微笑んでる男にゲームの面影は全くない。口では悪いことを言うので、いずれ思春期の娘からウザがられる運命にある、どこにでもいるお父さんである。
何で家族ぐるみの付き合いになったか?知らないんだなそれが。
なんかうっすら、ユトリロ常連のおっちゃんの一人に医師足りないって愚痴言われて、誰かいい奴知らないか、って聞かれたのは覚えてるんだけど。なんでそれで王家の薄暗いあれやこれやがごみのように突っ込まれた墓場を管理する少年なの?頭おかしい。
トルドー氏と銀盆騒ぎで、あそこら辺の記憶を全力でなかったことにしてたみたいだ。数日刻みで事件起きてたからね。仕方ない。
あの銀盆騒ぎの後から、何をどう言い含めたのか知らないが。私はアンガーマン伯爵の家の居候になっていた。
国から出てくにしろ、読み書きくらいは出来た方が良いとたしなめられたのだ。ぐうの音も出ない。金の単位くらいは覚えたけど。文字は拙いままだった。
こうして言われるままに始めたけど。この国で一般教養とされる知識も、私からすれば博物館や歴史の教科書に載る知識だ。
かつてどうやっていたのかを未だ探り探りに研究されている分野で、大変興味深かった。実際に学ぶキルケーリア国の歴史も、元々知っていたゲーム知識とのすり合わせるのが面白い。
やはり、虐げられて何も知らない少女、が主人公のゲームだ。そもそもそんなもんゲームに織り込むと、何ゲーか分からなくなるもんね。ちょっと出てもフレーバー程度だ。
私もゲームをプレイした想像と思い込みで補足していた部分も多い。これは同じ、ここは違う、全く知らない、と少しずつ確かめた。基礎はあったから飲みこむのも早い。
そうしてその過程で、私はひとつ余計なことを思い出す羽目になった。
城に隠し通路あるじゃん、と。
そして即座になかったことにした。割と致死性の何かが潜むのを知っていたからだ。
虚弱な小児が踏み込むのは迂闊が過ぎる。おまけに季節は既に秋。気温も当然下がっていた。遭難すればことである。凍死しかねない無理。
いかない理由だけは即座に10個くらい挙げられたので、じゃあ行かなくていいじゃんと思ったわけですよ。積極的に行くつもりなかったんです。
つまり意に反して、落っこちる羽目になったというか。ここ危ないでーす、って自己主張強い看板位立てて注意喚起してほしかったというか。
「マジ無理……」
苔むした上等な墓石と、土饅頭に板を刺したのがが立ち並ぶ墓場。
わざわざ人もいないのに誰が灯してんのって感じの点在した蝋燭。
全体的に陰気な雰囲気の中に、渇くのか疑問に思える茶色がかった洗濯もの。
ここはかつて画面で見た。……決して来る気はなかった、ネクロフィリア墓守のねぐらである。




