1.関係は最初から詰んでる。
基本昼はぷらぷらと街歩きを楽しんでいたのだけど。今日ばかりはそうもいかなかった。呼び出された玉座の間は、天井のステンドグラスも華やかなホールだ。今にも古びて崩れそうな味わいがある。妙に晴れ切った空から透かした鮮やかな光が、素っ気ない石の床を彩っていた。
「何を見ている」
これ鳥とかぶち当たって割れないのかな、と見る度思う。よくわからない英雄譚を模った物らしいが、教えてくれる人もないので知らない。
さっさと呼び出し終わらないかな、と思っていたら憔悴しきった声がして、振り向いた先には一人の男がいた。髪は艶を無くし、肌はいつから陽射しにあたっていないのか、青ざめて病人のようだ。
華々しいはずの玉座も、主がこの風体では映えないだろう。
気の毒なことだ。病でも患っているんだろうか。あまり長くはなさそうだ。
「ええ…まあ、ユトリロの店で今日は安売りしていたかなー、と」
贔屓の酒場だ。味のよく分からない薄焼きのパンケーキみたいなのを、酸味が勝る果物で誤魔化して食べるデザートが裏メニューのところだ。
まあ、量だけはあってお腹がふくれるので、死に体の王に呼び出された案件よりは重要である。
何故余を見ない、と絞り出すように吠えた男に、首を絞めにかかられた瞬間のことだ。
ここで死ぬ気もないので、さっさと逃げようと王に背を向けていたから、視界の端に柱に隠れた鎧が見えて、あ、これ死んだわと思ったものである。
けれど、柱から繰り出された突きは、寸分違わず王の胸を貫いた。
響く断末魔に、見事な槍に装飾された緑眼の蛇が、鎌首をもたげるようにくるりと回旋した。ようやく絞り出せたような憎悪に満ちた低い声で、黙れと鎧のそのひとは言う。
銀の鎧に緑布の差し色。緑の目を持つ蛇が装飾された銀槍。
この色の組み合わせを許されたのは、国が誇る騎士団長、銀槍のローエングリンそのひとに他ならない。若くしてその槍の腕と忠心を買われ、平民の身分としてはこれ以上ないほど上り詰めた男であった。
ローエンが無造作に死体を踏み抑えて、槍を引き抜く。その足元には、心臓を一突きにされた男がこと切れていた。一瞬、ごみのように見下ろした目が、私に向くと熱を帯びてとろけるようだから背筋が寒い。
「お怪我はありませんか?! ……ああ、いけない。これではシャロン様を汚してしまう。……おい、早く片付けろ」
号令と共に、どこに潜んでいたのか分からない兵士たちが殺到した。鎧だけでもかさばる体格の男が隠して、どんな有り様になったのかは見えなかった。
「ローエン」
「はい!」
「こっちに来なさい」
まあ、私が知っているこの男の特徴なんか、ふわふわした茶色の短髪、ちょっとくすんだレモン色の目。くるくると柔らかに表情の変わる懐っこさ。甘いものが好きで、尽くしてくれても褒美なんか何も差し出せない私が焼いた、簡素な菓子でも喜べる人ってことくらいだ。
ただそう呼べばにっこりと嬉しそうに笑う顔が、昔、近所の家が飼っていた柴犬の花ちゃんに似ていたんだよね。
一体目を離した隙に、どこで暴れてきたんだろう。腰に佩いた短剣も手にしていたから、懐にでも入りこまれたのだろうか。顔にべっとりと返り血がついている。
ハンカチで、まだ乾いていない顔の血を拭ってやる。ひとつ、ふたつ、深く息をしながら。恐怖で逸った動悸を収める。
こうなった以上、確認をしなければならない。
なんで、城の中がこんなにも騒がしいのか。
なんで、今しがた勝鬨の声が上がったのか。
なんで、頬を拭うだけでそんなにとろけそうな顔をしているのか。
私は既に、その答えを知っている。
「ねえ、ローエングリン。………何故騎士たる貴方が、王である父を殺したの?」
ローエンは一生懸命に引締めようとして、失敗したように緩んだ顔になる。
奮発して菓子に練り込むフルーツとバターの量を増やした時の顔を、ここで見たくはなかった。
「俺は一介の騎士であり、決して貴方様の手を取れるような身分ではない。……ですが、貴方という百合を汚す泥濘を全力で排除すると、あの日誓ったのは嘘じゃありません!」
心を違えたのかと勘違いしているのでは、と慌てたように頬をかいた彼の後ろを、父と呼んだ男が布に巻かれて引きずるように運搬されていくのが見えた。
うん、心臓一突きだもんね…血の跡が絨毯につくからね…。
よし、オッケー現状は理解した。諦めたとも言う。
記憶とかけ離れるようにしてきた行動は、確かに関係を変えたけれど。
決してフラグは折れてなかったのを。
……ゲームでは、見たことのないエンディングを。あるいはオープニングを迎えたことを。
そもそもシャロンと呼ばれた私の生まれは、日本のちょっとした田舎だったし、姫と呼ばれる立場にもない。本名は沖内智子っていう、そこら辺にいるような専門学生だ。
遡ること十…何年だろ。まあどうでもいい。ともかくぱちん、と風船がはじけたような音がした途端、家で寝ていたはずの私は知らない場所にいた。
古めかしい服装の人々の中、赤い絨毯の部屋で膝をついたまま。やけに細って小さい手に握ったのは、実用には不釣り合いに華美な装飾のついた短剣だ。
どうしたぐずが、と蔑むような声があったので、前を見れば一際豪奢な椅子に掛けた、性格の悪さが溢れ出るが顔だけは良い中年がいた。
…見覚えあるなぁ、この男。例えば画面の中だとか。ここまでやるか、と大仰な見出しのついた雑誌の乙女ゲーム特集で、一際やばい奴と紹介されていた。
ああ、もしかして。
「聞いているのか?」
「いえ、聞いておりましたよ。忠心を示すためなら、ここで腹でも裂けるかと仰せでしたね」
夢かぁこれ。そうと分かれば、この現状にも納得がいく。
寝るまで姉と一緒に攻略した、散々乙女の背筋を冷やす乙女ゲーム…「病みいる孤月」が原因だ。主人公が、父である王に呼び出されて、辛い仕打ちを強いられるあのシーン。
このゲームはタイトルそのままに、攻略できるキャラクターが大変病みやすい。それくらいで病む?って言いたくなるほど病む。大丈夫じゃないよ医者にかかってほしい。
その手の愛好家には大変支持されているらしく、秋の夜長にうっすら背筋を寒くしようと、姉が友人から借りてきたのである。
完璧ホラー扱いだが、もうこれが面白かった。トゥルールートでときめくより先に、キャラをどれだけ病ませるかに重点を置いてしまうほど作りこみがすごかった。ほら、慣れてくると一番難易度高いの試したくなるでしょ。あれだよ。
普通清涼剤となるキャラがいたっておかしくないのに、そんなぬるま湯は全く用意されていない。トゥルー、ハッピー、いくら口当たりよく言ったところで、所詮は被害の程度が違うバッドエンドだ。
どんなに温和なキャラも逃さずヤンデレ。種類もバラエティに富んでいるから、もう主人公が原型留めているだけで十分になってくる。これのハーレムエンドなんか目も当てられない有り様だった。
この超尊大な王様チックな男に似た攻略キャラは、確かマクラーレンとか言っただろうか。舞台となるキルケーリア国の王様である。特徴として、若くして政権争いに良いように利用されてから、はちゃめちゃに性格が歪んでいる。
父って言ってたし近親相姦キャラだと思った?残念、事実はもっと救いようがない。主人公を身ごもった母親を見初め、その夫を殺して無理やりにさらったのだ。ここら辺、何かのトゥルールートで明かされる予定だったから、詳細を詳しくは知らないけど。
違う男の血を引いた主人公を殺さなかったのは、マクラーレンに人の心があったというより、自分こそ腹の子の父親であるからと思い込んでいたからである。
それで殺しこそしなかったが、母は出産と共に何かの理由で死んでしまった。死因は分からないが、夫が目の前で切られ、知らぬ男に腹の子の父親を名乗られて愛を囁かれ続けたし無理もない。
当然家臣はどこの馬の骨とも知れない赤ちゃんが、王の娘として王位継承権を与えられることに猛反対した。真っ当だ。しかしちょっとばかり遅かった。妻と定めてさらった女は、既に他の男と番っていたと説明を繰り返されて、マクラーレンは更におかしくなってしまったのである。
目の前にいるのは、愛する人が死ぬ原因となった自身の娘である。
愛する人が命を賭して産んだのは、自分以外の男の娘である。
この決して両立しない記憶が混ざって、その場時々で都合の良いように思い出したり忘れたりだけど。どの記憶に立っても、シャロンに優しくする理由がない。
話してるこちらとしても、もうなんのことかも分からないが、理解出来るようなもんなら病なんて呼ばないんだろう。
妙齢の女性に成長した主人公につらく当たったり、急に優しくしたりとDV夫みたいなことになってたし。周囲としても、シャロンはうっかり死んだ方がありがたい存在であったのだ。
ルートはハッピーが、王の理想通りに会ったこともない母のように振る舞って妃になる。
トゥルーが別人であると一念発起して訴えたせいで王の心を溶かし、惚れ込まれて塔に幽閉されて囲われて産んだ子とも離される。
バッドは5通りくらいあって、だいたい斬首である。鬼か。ちなみに斬首の後は想像にお任せしたい。大体銀のお盆かガラスの大瓶が、トラウマになるのは確約しよう。
長くはなったが、つまり王は主人公シャロンにその母親を重ねて見ている。
この場面は、一番母に似ている、というか王にはそれしか見ることが叶わなかった、許しを請うてすがりつく顔を見て、彼女の面影を忍びたい。動機はそれだけである。
やばいしクズいし救いようがないんだけど、こういうシーンよくあるのだ全体的に。開幕の回想でちょろりと挟まる箸休めの癖して、絶望感を増していたこのエピソード。布団で夢見た気分でいる自分には恐いものなしである。
うっわマジでこんなこと言うのか、と内心茶化して、手にした短剣を当てたのは、腹ではなくて粗末な服に不釣り合いなほど艶々と梳かれた黒髪である。
……母親が見事な黒髪を語り継がれる美姫だったので、理由はお察しである。
結んだ根元から切り落とした途端、悲鳴が上がった。
立ち上がってから、愕然としたようなマクラーレン王に引きつる頬で愛想よく笑って、短剣を片手に持ったまま、ぼろぼろのスカートの裾をつまみあげる。淑女の礼の取り方だ。
「……ええ、王の望まれるままに」
この世界、慣習的に女が髪を切るのは自殺に等しいそうだ。日本でいう出家しますみたいな?知らないけどね。ゲームのトピックス読んだだけだから。
主人公のシャロンは粗末な装いに、髪だけが不釣り合いに美しい子だったから、何度かこういうシーンがあったなぁ。神に身を捧げたからって衆目の前では引いてくれたけど、修道院に行く途中でかっさらわれたりとかね。
多分これ夢から覚めるには結構な衝撃いるよな、とふかふかした絨毯の手触りが、やたらリアルで困っていたのだ。大抵こういう時は醒めづらい。
華美な装飾の短剣を、腹に向けてひと息に刺したつもりだった。さっくりお腹でも裂いたら、その恐怖で目が覚めると思ったんだけど。
重たい打撃音があって、弾かれた短剣はお高そうな絨毯にささってしまっていた。びりびりと手が痺れるから、暗殺部隊とか控えてたんじゃないのかな。なんかそういうキャラもいたよね。知らないけど。夢にしては凝りすぎじゃないかな。
あらまあ、と思いながらマクラーレン王を見ると、鬼みたいな形相だから大変恐ろしい。
これは伝説の床に這えイベントくるか、と思ったのだけど。深く息をついて眉間を揉み始めた。
「興が削がれた。失せろ」
「……はい、かしこまりました」
あれ、意外とすんなり帰してくれるな。流石夢。私に優しい仕様。この後、媚の売り方がうまくなったな、とか。超理屈で拳があると踏んでいたんだけどな。
何せゲームしてても、立ってるより頭下げてるか、床に這いつくばってる時間の方が長い主人公である。見慣れた作法は、案外すんなりと身体を動かしてくれた。
ちなみにこの時の私、好き勝手やった夢だってのに、展開の補完が案外丁寧でその…すごいなと思ってたんですよ。この期に及んで。
あ、これ夢じゃないねこれって思ったの、数回石造りの、城の中にわざわざ建てたのって感じの廃屋で、ワラに包まって寝起きしてからだった。遅い?現実逃避は許してほしい。極力体力は温存したいじゃないか。
こういう目が覚めたら物語の世界に系、もうちょっとガチでこういうゲーム愛好している人にお願いしたかった。何、あの展開で笑ってたし、余裕そうだからコイツでいいじゃんってなったの?頼んでないんだけど。こうなると刺されて死んだらどうなるのか、まるで見当もつかない。
ふざけないでほしい。まだ度重なるソシャゲイベントで、積みゲーを消化できていないというのに死ぬ訳にいかない。めっちゃ楽しかったけど、あのゲームだけで人生終わるの勿体ないが過ぎるんだよ!夢と希望に折り合い着いた人間を、ファンタジーに送るのどうかしてるって!
まあその後、諦めて前述のヤバ王と、忠心迷子ワンコ騎士と、2重スパイなアウトローと、ネクロフィリア墓守が思い出せる主な攻略キャラだったから、徹底的にヤンデレフラグは折ろうと頑張ることにしたよね。
死亡フラグはもうしょがないよ。私だって布団で寝てたらこうだもの。
でもね、ヤンデレはヤバ王だけでお腹一杯だよ。あいつだけ死亡ルート数ぶっちぎりだからね。死ぬにしても、あいつが原因なのだけは超いやだった。負けた気分になる。やられたくないなら、やる覚悟でいかなければ。