16.貴方だけは大丈夫、なんて定番の展開でしょうよ
マンドリンをつま弾くのにも疲れて、窓から外を見れば太陽も傾いでいた。
これは…お昼ご飯忘れてたなぁ。もうお茶の時間になっている。
夕飯に備えてパンでも軽く食べておこうと、床を掘って作った食糧庫の蓋を開けた。
ユトリロの店に通うようになってから、今の寝床である石造りの廃屋を、くつろげる仕様にするために努力は惜しんでいない。
店のマスターと女将さんには、火の扱い方。大工のおっちゃんには壁に出来た隙間の埋め方を習い、多分昔城勤めだっただろう老淑女にはレースや縫い物を。
冒険者にはとっ捕まった時用に食料や道具の隠し方、それに簡単にできるけど、そこそこおいしく食べられる料理の仕方。
その他にも家で使わなくなったとかで、少しずつお菓子や食糧、食器や服、敷物や毛布を譲ってくれる人が増えた。
何だ…このひと達本当に優しいけど、一体どうなってるんだ……?
たまに不用品と称して、新品混ぜ込んでくるから油断ならないけど。下手に恐縮すると、ならお礼に一曲とリクエストされて、おひねりを頂く堂々巡りになるのは学んだ。最初は染みのついた洋服一式しかなかったのに、いつの間にか五着くらいに増えていたから恐い。
…うん。正直、最初こそ城での扱いとの落差で風邪ひきそうだったけれど。今は慣れた。
そもそも真っ当に働いて稼いで生きている人と、仕事をさぼって横領を繰り返す連中を比較するのが間違いだったんだ。うん。
私自身が、こういう状況にある人にかける言葉も、するべきことにもどうすればいいか迷って、結局どうにもできないだろう人でなしだからね。やさしさが染みるのと同時に、戸惑ってしまうのだ。こんな奴を気にかけて後悔するよ?って。
しかしありがたいのは確かだし、こうした周囲の親切がなければ、気軽に死ぬのは目に見えている。
多分めちゃくちゃ人がいい方々に当たったんだろう。運が続いている今の内に、さっさと独り立ちすることだけを考えなければ。生き延びなければ、恩返しも何もないだろう。
となればまず食事である。薄く切ったライ麦パンをフォークで刺して、見た目は変に割れた鉢植えにしか見えない火鉢で炙る。
城とか店の裏手で拾った炭とか木片を使うやり方は、街の路上生活者に教わった方法である。
今日の昼は、これにバターをひとかけ塗って、上にサラミみたいなのを薄く切ってサンドイッチにでもしよう。煮出した茶に牛乳を入れてミルクティーにすれば、もう少しカロリーが摂れるだろう。
ちょっとチーズとバターと蜂蜜の組み合わせが頭をよぎったけれど、軽く頬をはたいて自制する。一食にかける値段じゃない。
「……ちゃんと料理したの、食べたいなー」
ユトリロの店で贅沢を覚えてしまったから。スープとオムレツがちらつくのが辛い。うん、せめて晩御飯は瓶詰マスと牛乳でスープにしよう。臭み消しのハーブもまだ在庫があったはずだ。豆も入れれば腹もふくれる。
せっかく店で事情を聞いたローエン君が食料を差し入れてくれて、前より切迫感はないんだから。贅沢言わないで何でも少しでも多く量を食べて、身体を作った方が良い時期だ。どの栄養素も致命的に足りないんだから。
……ん、でも今焼き上がったパンとサラミに、壺のピクルスを合わせたら、実質BLTサンドにならないかな?
そう思って一番小さ目なピクルスはどれか壺を探っていると、蹴り開けたのって勢いで、木のはめ戸が重たい音を立てて倒れ込んで来た。
あー…あのドア、重いから開けるのも閉めるのもめんどくさいのに。遮るものがない窓から出入りしているこちらの苦労も考えてほしい。
この時点で既に人に押し付けた仕事を忘れていた私は、メイドかと思って振り向いてからぎょっとした。
逆光でもよく分かる太めのシルエットは、もしかしなくてもあのお助けキャラである。
ここに来るまで随分走った…歩いたのだろうか。肩で息をしている。つらそうだ。自覚症状で動悸とこきゅうくのうむ……じゃない。そうじゃない。
そっとピクルスの瓶を戻して、パンを皿の上に戻す。王女っぽい受け答えとか無理だからどうしようね。そっちの管理が行き届いてないってことで諦めてもらうしかないけど。
「………ノックくらいしたらどうです。レディの廃屋ですよ」
「何ぁ故、王女が廃屋にいるのですっ……!!」
何とかそれだけを絞り出した大臣は、控えめに行って寺の門脇に立ってそうな顔をしている。何だっけアレ。仁王像?
「お手紙に書いたでしょう?数か月前から恋人たちの逢瀬に使うからと、鍵をかけられて締め出されたのです」
「……食事の件は」
「いやあ、散々王と血のつながりがない、と言われたもので。それを聞いたメイドが、ただ飯ぐらいの平民が自分達より良いものを食べているのが許せない、と義憤にかられたのが発端のようですよ。それが罠とも知らずに浅はかですよね」
ていうか、あんな手紙で飛んでくるまで本当に事態を把握していなかったらしい。どうかしている。余程王女に関心がなかったと見た。
だからこうやって数か月も好き勝手に出来たのだけど。シャロンなら本当死ぬ寸前まで……行く前にヤバ王がどうにかしているか。この数か月、どうやら体調が思わしくないようだけど。
「何故その時点でお父上に助けを乞わなかった!何故今!私に!手紙を書いたのです!」
うわなんか知らないけどめっちゃ怒ってるウケる……私が出した手紙を指先で小刻みに叩いて、今にも地団太を踏みそうな雰囲気だった。
「こんな弱みを握られて、芋づる式に中立派が壊滅すると非常に困るからですよ。……何だ、余計な真似でした?なーにかこそこそ、してたでしょう?あまりかんばしくないようですが」
それには答えずに、横幅はともかく、まだ貫録の足りない若きアンガーマン氏はうなるに留めた。
うん、やっぱりあのヤバ王、本当に人気がないな。おだてて良い思いしている人もいれば、そう言う連中によって仕事にしわ寄せがくるひと達はなんだこいつと思っている。
かと言って、決定的なことがない限り、国を乱してまでトップを変えたいと思う人もいない。だって死ぬかもしれないし、ヤバ王の代わりに据えても良いような人材がいないからね。だからアンガーマン伯爵の呼びかけに答える人もぼちぼちという所だ。
だからいっそ、恩を売って弱み握って協力させた方が早くない?と思ったんだけど。なーんで私のところまで来ちゃったかな。本当に。まあ来てくれたら来てくれたで、助かることもあるのだけど。
「さて、もう昼も過ぎました。時間ごとに食事が来ないもので、よく食べ忘れましてね。……ご一緒にどうです?大したものは出せませんが」
直接話すのは難しいかと諦めていた家臣の訪問である。積もる話も、というより私も確認したいことがあった。そして冷める前にご飯を食べたかった。最悪、大臣にはユトリロマスター作のとっておきの焼き菓子がある。
マクラーレン・シュナイダーとシャーロットって結局どこの誰だよ、とか。私の立ち位置ってなんだ、とか。大臣の見解は、ゲームでもさっぱり出てこなかった。だから、私もシャロンの情報だけで動いていたんだけど、最近あちこちでずれが目立ってきている。
今のところ、私はマクラーレン氏とシャーロットさんに、やばい具合に入れ込んでる連中が多いことしか知らない。皆言うことが違うから、確実にこれと言える答えがないのだ。ゲームでシャロンが知っていた、どこかの平民が攫われた説は既に大分揺らいでいる。
この人は、何か知っていることはないのかな。知っているからこそ、あの王を良しとしない可能性はあるのだろうか。
「……ちょうどいい。私もそう思っていくらか包んできましたからな。是非とも召しあがっていただきたい」
どこまで首かわかりづらいアンガーマン大臣がうなずくと、しっかり二重顎になる。
そんな彼の後ろから、バスケットを持った人たちが3人ほど出てきた。いずれも立ち居振る舞いが堂に入った老執事である。
あちこちひびが入った粗末な石床に軟らかそうな敷物を敷いて、その上に次々とバスケットから出した料理が並べられていく。
大皿には卵フィリングと薄切り胡瓜、ハムのサンドイッチ。鮮度のいい葉物野菜のサラダ、まだ湯気が立っているなめらかに赤いスープの大鍋。
これトマトスープみたいで多分美味しいやつ。すっごく匂いがいい。廃屋の中ってのを忘れそうになるくらい。
料理の盛りつけも仕上げ方も、全体的にこの国の貴族が食べる仕様だ。サンドイッチなんて、耳の部分がきっちり落としてあるもんね。そのまま食べるのも好きだけど。
さっさとご馳走を用意し終えると、一礼した執事さんたちは廃屋の隅に控えている。
……こういう熟練したひと達集められるってやっぱこの大臣すごいひとなんだな。でも本当なんでわざわざ廃屋に来たの?うける。差し入れはありがたいけど。
「彼らは我がアンガーマン家の使用人です。……口は堅い。互いこの場は他言無用でお願いしましょう。私たちが、今日食事をともにすることはなかった」
言われるまでもない。
今はそんなことよりも重要な、何を置いても確かめねばならないことがある。
「……ちなみに、大臣のおすすめの一品は」
「隣国でシェフが習得してきたトマトのグラーシュですな。肉団子をたっぷりの野菜と煮込み、トマトの酸味を引き立たせるまろみがある。こればかりはいかな大鍋でも底が浅く感じて、翌日にも同じものを頼むようにしております」
あ、素が出た。やや紅潮した頬は、多分スープの味わいを思い出しているんだろう。
……料理に、毒を仕込めとは言わない人だろうし、今のところ始末される理由はないかな。