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結婚

作者: もみぃ

「え?お前が?」

 由美からその報告を受けたのは、冷たい風が踊り雪がちらつく午後一時。

 明日から二月。外はヒト、ヒト、ヒト。マフラーやコートに身を包み、それぞれの目的地へと急ぐヒト、ヒト、ヒト。粉雪が降ろうが、雪合戦サイズの雪が降ろうが、雪だるまが降ろうが、どうやら関係ない様だ。俺はそんなヒトタチをただ眺めていた。ガラス窓を少しずつ白くしていく、ハッキリとしない自分の姿と一緒に。

 由美と共に始めたDVDやCDのレンタルショップのバイトはもう四年経つが、就職が決まれば春までのあと僅か。毎日毎日就活で様々な会社に足を運ぶ。その為に最近はバイトの時間を減らしてもらい、今日みたいに午前中までが多い。

 由美と終わる時間が一緒でお互い午後に何も予定がない時は、バイト先から一番近い喫茶店に行くのが日常になった。

「そうなの、いきなり決まっちゃって!どうしよう!ねぇどうしよう?」

 ココアに砂糖をいっぱい入れ、必要以上にスプーンでかき混ぜている由美。俺もまだ残っているナポリタンを、意味無くフォークでグルグル巻きにしている。

「ねぇ、早くそれ食べてよぉ。デザートが来ないじゃん」

「げっ・・・お前あんだけ食ってまだ胃に入んの?」

「レディースコースなんだからしょうがないでしょ?ぺペロンチーノとセルフのパンだけだったじゃん」

「あのパンの量だけで俺は腹が満たされるぞ」

「パンはパン、ぺペロンチーノはぺペロンチーノでしょ?」

「デザートはデザートってか?」

「早く食べてよ!チーズケーキが来るんだから」

「すげぇなぁ」

「アンタが少食なの!マサヒロくんと違って」

 俺のフォークの動きが停止した。見ると由美のスプーンも止まっている。

 店員が俺の視線の先、由美の後ろに客を案内してきた。派手な金髪と銀髪の二人組の男。金髪の方が、黒いケースに包まれたギターっぽい物をソファーに置き、遠慮なく腰を下ろした。ソファーは前後に背もたれで繋がっていたので、由美はその反動を強く受けた。スプーンとココアが若干踊る。

「あー!女ってめんどくせぇ!」

 金髪の方がいきなり上を向いて叫んだ。

「何だよ?」

 銀髪が苦笑いで質問する。またか・・・という感じだ。

「ジュリに大学卒業と同時に結婚するか?って言ってみたんだよ」

「おぉ!お前らもう長いもんな。んで?ジュリちゃんは何て?」

「それがよぉ・・・」

 金髪が煙草に火をつける。

「まだ早いってか?」

「いや、『うれしい!』ってさ。でもその後言いにくそうによ、『バンドはいつまで続けるの?』だってよ」

「あぁ、定職に就いてもらわねぇと困るってやつか」

「ちょっと・・・いや、かなりショックだったな。付き合い始めた頃は『バンドやってる人ってカッコイイ!』とか言ってたくせによ」

「現実を見ろって事だろ」

「ムカツクな。俺、あの女やめてやろうかな」

「俺達がもっとビックになってりゃ文句言わせねぇんだけど」

「これからじゃねぇか。やっとライブやりゃあ客も安定して集まって来る様になったってのによ」

「ジュリちゃんよりも、ジュリちゃんの親がもっとうるせぇんじゃねぇのか?」

「さあな、今は会いに行く気もねぇし」

 金髪と銀髪の前にサンドイッチが運ばれてきた。二人とも無言でそれを食べ始める。

「ねぇ、いい加減食べきってよそれ」

 由美が俺のナポリタンを指差し、口調を少し荒げて言った。金と銀の派手な髪から、由美、そしてナポリタンへと視線を戻す。

「お腹、落ち着いてきちゃったじゃない」

「いい事じゃねぇか。お前は少し食を減らした方がいいぜ」

 俺は絡み合ったナポリタンをやっと食べ切った。もうすっかり冷めてしまっていたが、今の俺にはどうでもよかった。

「何さ・・・マサヒロくんは美味しそうにいっぱい食べる女の子が好きって言ってたもん」

 ぬるくなった様に見えるココアを、由美はまだかき混ぜている。

「その・・・マサヒロって奴はさ、どんな奴なんだ?」

 俺は口を拭きながら聞いた。出来れば凄い奴ではない事を願っていた。

「別に・・・普通の人よ」

「普通って・・・何歳とか、何やってるとか、色々あるだろ?」

「二十二歳で同い年。今大学生ってのも同じ。卒業したら親の仕事を継ぐんだって。お父さんはでっかい会社の社長さんよ。自宅がオフィスなんだってさ」

「へぇ・・・」

「ほらぁ!そのリアクション!普通だって言ったでしょ?」

「社長の御曹司で次期社長だろ?俺からしたら普通じゃねぇよ」

「まぁ・・・そのおかげでアタシの将来がとりあえず決まった訳なんだけど」

「将来・・・ねぇ」

 俺は由美の後ろに居る金髪と銀髪を見てしまった。由美もそんな俺を見て、体ごと向きを変える。後ろの席のサンドイッチはもう無くなっていて、二人とも真剣にノートに何かを書き込んでいる。一息ついた銀髪が、金髪にノートを差し出して嬉しそうに言った。

「この歌詞よくねぇ?『普通に生きるより己の道を貫いて生きろ』お前のハスキーボイスでこれ歌ったら、客、絶対感動するぜ!」

「・・・今の俺には微妙な詞だな」

 ノリが悪かった金髪の返事に、銀髪はあからさまにガッカリした様子でノートを自分の手元に戻した。

「己の道を貫くには犠牲が必要なんだよ。今の俺にはよく分かる・・・普通が一番だぜ・・・俺、就活しようかな・・・」

「・・・」

 銀髪が俺と由美の視線を感じたのか、こちらを見た。由美が慌てて俺の方に体の向きを変え、俺も慌てて視線を逸らした。

「セットのチーズケーキでございます」

 タイミングよく店員がチーズケーキを二つ持って来てくれた。由美はとても嬉しそうにそれを見つめ、鼻を近づけ香を楽しんでいる。

「あの・・・俺はセットは頼んでないんですけど」

 由美が目で俺に言った。『バカ!黙っときゃいいのに!』

「サービスですよ。よくここに来て下さっているので」

「すみませんねぇ・・・」

「当店のチーズケーキはカップルでお召し上がりになると、このケーキみたいにずっと甘い関係でいられるってジンクスがあるんですよ。どうぞごゆっくり」

 裏の無い笑顔で立ち去っていく店員。俺も由美も何となく下を向いて黙ってしまった。頬が少し熱い。

「ほら」

 俺の前に置かれたチーズケーキを由美の前へずらす。由美はきょとんとした。

「食べないの?」

「俺達二人が食べるより、その・・・マサヒロだっけ?・・・に持って帰ってやれよ」

「・・・そうよね。アタシ達にはチーズケーキなんか必要・・・」

「すみません!テイクアウト用に・・・」

「やっぱいい!アタシが食べる!」

「・・・二つとも?」

「二つとも!」

「いいのかよ?近々ドレス着るんだろ?」

 途端、もの凄い勢いで食べていく由美。チーズケーキはすぐに二つとも姿形を無くした。

「甘い!二人分の甘さだ!」

 お腹を擦りながら幸せそうに由美が言った。



「送ってくれてありがと」

 由美の家の門の前。辺りはすっかり暗くなり、冷たい風と粉雪が一段と身に沁みる。

「じゃあ・・・ね」

 由美が軽く手を振って玄関へ歩き出した。

「いつまで続けるんだ?」

「え・・・?」

 由美が振り向き首を傾げた。

「バイトだよ。もう辞めるんだろ?」

「うーんどうしよう・・・」

「両立するのは無理だろ?」

「もしもマサヒロくんと駄目になったらどうしよう。帰ってきていいのかな?」

「・・・いいんじゃねえの」

「でもアンタがいないとつまらない。じゃ!」

 玄関を開き再び振り返った由美は、軽く投げキスをして扉を閉めた。俺は頭を掻いた。

 マサヒロはさぞかし豪華な家に住んでいるんだろうな。由美はきっとマサヒロとうまくいく。曇った夜空を見上げながらそう思った。

「・・・俺も頑張らなきゃな」

                    ○

「ホコリ臭せぇ!」

 久々に押入れから卒業アルバムを取り出した。もう読まなくなった漫画やら、もう二度と開くことのないだろう教科書やらが入っているダンボール。何箱あるのかは数えなかったが、とにかく沢山のダンボールのマンションの一階にそれは入っていた。中学と高校の卒業アルバム。若干黄色くなっている。

「えっと・・・一組一組・・・」

 まず中学の方のアルバムを手に取り、俺と由美の三年一組のページをパキパキ言わせながら開く。

「うわ!由美でっけぇ眼鏡」

 みつあみ、丸眼鏡。その外見のイメージの通り由美は秀才だった。あか抜けていない笑顔。 出会った時の由美。

「あいつ高校デビューだったか?」

 すぐに高校のアルバムをパキパキ言わせる。

 少しパーマがかかった明るい髪。クリッとした瞳にはもう丸眼鏡はない。優しく微笑むその顔は、クラスの男女が全員一致で認める程かわいい。この頃、お遊びでかわいい子ランキングを作ろうと無邪気な男子軍団が提案した事があったのだが、結果が丸見えという理由から、それは実施されなかったという出来事があった。

 天使の笑顔。

「そりゃモテるわ」

 高校時代、由美が何回も告白されていたのを知っている。俺が直接目撃した訳ではない。

『ねぇどうしよう!四組の瀬川くんにいきなり言われちゃったよぉ!喋った事ないのに・・・ねぇ何て断ったらいいと思う?ねぇどうしよう!』

 必ず由美は俺に相談してきた。慌てて、慌てて、面白いくらいパニックになって。

『・・・ごめんなさいでいいんじゃねぇの?』

 俺の回答は殆どこれだ。由美は、そうよね、変に期待させたら駄目よね、ハッキリ断るのが一番よね・・・と納得していた。慌てながら。パニックになりながら。

「待てよ・・・」

 四組の瀬川くん・・・確か下の名前は・・・

「やっぱり・・・」

 正弘まさひろ

 瀬川正弘せがわまさひろ

「ははっ!マサヒロなんて名前珍しくねぇよな」

 ふと視線を四組の瀬川くんの隣に移すと、何とそこにもマサヒロくんがいた。

 昌弘まさひろ

 高川昌弘たかがわまさひろ

「な?珍しくねぇ」

 苦笑いで四組男子全員の名前をチェックし終え、再びパキパキ言わせて五組のページに進む。

 正博まさひろ

 相原正博あいはらまさひろ

 五組にもマサヒロくんが一人。

 六組は・・・?

 勝宏まさひろ

 澤田勝宏さわだまさひろ

 大急ぎで一組から順に全ての男子をチェックしようと、左手がページをパキパキ言わせる。しかしマサヒロくんはもういなかった。

 続いて中学・・・

 正気に戻る。

「何やってんだ俺・・・」

 同じ学校とは限らない。由美は俺が全然知らない友達の輪を持っていて、その中に本当のマサヒロがいるかもしれないのに。

 アルバムを放り投げ、大の字に寝転ぶ。エアコンの風が直撃して少々暑い事に今更気付いた。

 ・・・と、いきなりダンボールのマンションが、ボズッガスッと音を立てて崩壊した。見事に下敷きになった俺は、中から飛び出して来た漫画の雪崩に襲われた。

                    ○

―久しぶり!今こっち帰って来てるんだ。どっかで会わないか?―

 メールが届いた。何ヶ月・・・いや、何年ぶりの奴からのメールだろうか。

 雅裕まさひろ

 神部雅裕かんべまさひろ

 メールの差出人の名前だ。中学卒業まで隣に住んでいた俺の幼馴染み。けれど同じだったのは小学校までで、中学から神部は私立に通った。朝や夕方、玄関先でたまたま遭遇すると、いつも鞄は教科書でパンパンで、難しそうで触る気にもなれない参考書を抱えていた。

 俺の幼馴染みでお隣さんという事で、中学時代は神部と俺、そして由美も混ざって遊んでいた事が多かった。秀才同士の神部と由美はテストが近くなるとよく『勉強会』なるものを開き、俺が脱走しない様に監視をしつつ、仲良く疑問を解消し合ったりしていた。

『神部くんといると落ち着くのよね。仲間って感じで』

 これが由美の神部に対する評価だった。

 神部の引越しが決まった中学三年の終わり、俺と一緒に見送りに来た由美はうっすらと瞳に涙を浮かべ、鼻をすすりながら言った。

『メール送るね。ずっと友達だからね。向こう行っちゃったからって、ずっと連絡なしなんて嫌だよ?』

 神部が引っ越して月日が経つにつれ、メールの回数も減り、最後に近況報告をしたのはいつだったのか分からなくなってしまった。携帯に登録されているアドレスや電話番号がもう通じるのか自信がなかった程だ。

 由美はどうなんだろうか?俺と違って、あの時の言葉通り頻繁に連絡を取り合っていたのだろうか?

 由美のマサヒロは神部?



「悪ぃな!ちょっと前にこっち着いてたんだけどよ、色々あって連絡すんの遅れちまったんだ!」

「・・・」

「俺の家、駐車場になってんだなぁ?何か切ないぜ!」

「・・・」

「明日には別んとこ行くんだけどよ、少しでもお前に会えてよかったぜ!」

「・・・」

「お前変わってねぇな!安心したぜ!」

「・・・」

「何だよ?無口になったなぁお前!」

「・・・なぁ、ひょっとして神部・・・バンドやってる?」

「うおっ?何で分かった?」

「・・・相方銀髪?」

「えぇっ?トシオの事知ってんのか?」

「・・・ハスキーボイス?」

「すげっ!俺達有名?」

「・・・彼女に結婚申し込んだ?」

「ギョッ!何でそんな事まで?」

「・・・ジュリ・・・さん?」

「ひぃっ!お前超能力者?」

「・・・あぁ・・うん・・まぁ・・バンド頑張れよ!」

                    ○

 今日もいつもと変わらない毎日。いつものバイト。いつもの場所。顔を覚えた常連客の接客。DVDやCDを受け取っては渡し、受け取っては渡す。特別意識をしなくても、返却日を尋ねる言葉が勝手に口から飛び出す。聴き飽きた誰かの最新アルバムがエンドレスで店内に響く、響く、響く。

 この空間は異様だ。外が雨だろうが、雪だろうが、嵐だろうが、そんな事全く関係ない。天候の影響で客の数に変化があろうが、俺は決まった時間までここに居て、覚えきったマニュアル通り行動していればいい。春になってもずっとそれでもいい様な気がしてきた。

 ここで働くようになって、わりとすぐ要領が掴めた。先輩や同期が減り、後輩がどんどん増え、そしてまた減っていく。気が付けば、店長の次に長く居るアルバイトの一人になっていた。

 もう一人は由美。俺がここで働くようになったキッカケは、由美。何年か前に辞めた先輩に誘われた由美は、初めてのバイトで一人じゃ不安、と俺を勧誘した。初めは戸惑ってパニックになっていた由美も、ゆっくり要領を覚え仕事もスムーズにこなせる様になり、常連客の人気者になった。由美を指名する客もいるくらいだ。由美が居ても居ませんと言っていた俺に、イジワルねぇ・・・と笑いながら言い接客をこなしていた由美。今でも時たま失敗しパニックになっている事はあるが、その姿がまた人気を呼んだ。店内のカウンターという独特の空間で、隣にいることが多かった由美。

「明日?明日で辞めるの?」

 いつもの喫茶店。雪は降っていなかったが風がとても冷たい日だった。数え切れない程のマフラーが外の世界を行き交い、先を急いでいる。ヒト、ヒト、ヒト。みんな何をそんなに焦っているのだろう。

 そんなヒトタチを観察していた俺に、いつも通りの慌てっぷりで、ココアを何度も何度もかき混ぜながら由美が話し始めた。

『アシタ?アシタデヤメルノ?』

 俺がこんな質問を慌ててする事になったキッカケを。

「卒業までは学校優先でいいから、出来るだけ早く来て欲しいって言われちゃった。ねぇどうしよう!」

                    ○

 雅洋まさひろ

 翠川雅洋みどりかわまさひろ

 そいつはいきなり俺の前に現れた。いつも通りのバイト中、「会員になりたいんですけど」とやって来た客だった。身分証明書の提示を求めると、すぐに財布からそれを取り出し俺に渡した。それを眺めながらパソコンに諸項目を打ち込み、出来上がった会員証を手渡す。ペコッとお辞儀をして受け取ったそいつは、いきなり俺に訊いてきた。

「あの・・・ここに由美って子いませんか?結構前からバイトしてるって聞いたんですけど」

 少し躊躇した俺が答える前に、返却されたDVDを棚に戻しに行っていた由美がカウンターに戻って来た。そいつの顔を見るなり、由美の表情がパァッと明るくなったのが分かった。

「雅洋くん!わぁどうしよ!来るなら来るって言ってよぉ。アタシ今日寝坊して化粧適当なんだから!わぁどうしよう!」

「いつもよりナチュラルな今の方がいいよ」

「ありがと・・・って、それ、いつも化粧が濃いってこと?」

「うーん・・・ノーコメント」

「だってさ!どう思う?」

 由美がいきなり俺にふってきたので何て答えていいのか分からず、苦笑いをしてしまった。由美が俺の脇腹をグーで押す。

「あ、この間話した雅洋くんよ」

 由美が俺に雅洋を紹介した。雅洋がペコッとお辞儀をする。

「せっかく来てくれて嬉しいんだけどさ、私今日で辞めるの」

「そう言ってたな。ごめんな俺のせいで」

「雅洋くんのせいじゃないわよ!自分で決めた事なの」

「そりゃありがたい。じゃあ、バイトが終わったら式の打ち合わせな」

 そう言って雅洋は、軽く右手を挙げて店内の奥へ進んで行った。

「洋画が好きなの」

「へ?」

「雅洋くんよ!洋画が好きで暇さえあればDVD観てるの。春から社員になったら暇なんてなくなるのかもしれないんだけど」

「ふーん」

「凄いのよ!家に映画専用の部屋があってさ、画面だってこーんな大きいの!さすが会社の社長さんの息子!」

「その、こーんな大きい画面をこれからお前も観れる様になるんだろ?一緒にさ」

「どうかなぁ。アタシ洋画好きじゃないから」

「そうですか」

「・・・安心した?」

「はぁ?」

「もう、ヤキモチ焼かないでよぉ。今まで一緒にいっぱいDVD観たじゃん。お笑いの!」

「そうですねぇ」

「また一緒に観ようか!雅洋くんの家で」

「そりゃまずいだろ」

「きっと平気よぉ。雅洋くん優しいもん」

「俺が次期社長さんの家に出入りしてたらおかしいだろ?」

「ちゃんと紹介するわよぉ!」

「俺は嫌だね」

「・・・何よぉ?今日のアンタ何か変・・・」

「悪かったね。ヤキモチですよ」

「・・・ばぁか」

 それっきり、カウンターは静かになってしまった。店内には相変わらず最新アルバムがエンドレスで流れている。雅洋が店内をグルグル回っている姿が視界に入った。

 もっと回れ 

 グルグルグルグル・・・

「・・・どうしよう」

 由美の呟きがカウンターの沈黙を破った。

                    ○

 結婚式当日は良く晴れた。明日からもう三月。風は冷たいが空は快晴。俺は午前中にこの春から決まった就職先の説明会に行った。それが終わり、スーツ姿のままこの場所に来て、外で由美が出て来るのを待っていた。

 由美がどんな顔しているのかが気になって仕方なかった。緊張して、緊張して、混乱して、混乱しているに決まってる。出て来た途端俺を探して叫ぶに決まってる。今までも、いつだってそうだった。何かあれば俺を探し、叫び、走って、事のあらすじを息を切らして話し出す。俺の相槌が曖昧だと、不満気な表情でもっとちゃんと聞く様に催促する。頼むからもっと落ち着いて話してほしい。そうじゃないと分からない。分からなければ正しい相槌も打てない。いくらそう言っても、いくら訴えても、由美の癖は治らない。

 まぁ、そういうところが好きなんだけど。

「どうしよ!ねぇ、どうしよう!」

 予想通り由美が来た。重たい扉を必死に押し、着慣れないドレス姿で何かに追われている様にこちらへ走って来る。

「もう駄目!アタシ駄目!もう逃げる!アタシ逃げる!」

 俺の胸に飛び込んで来た由美。頭を撫でてやっても相変わらず落ち着きがない。

「みんなこっち見てくるんだもん。ちょっとつまづいたら笑い必死に堪えてさ!余計恥ずかしいよ。どうせなら大きな口開けて笑ってくれた方がマシよ!」

 地べたに座ろうとした由美をドレスが汚れるからと必死に止めても、それを振り切ってペッタンとお尻から着地してしまった。

「アタシ、もう二度とこんなトコ来ない!」

「へぇ、そうなんだ」

 俺の言葉に由美がハッと顔を上げる。

「・・・前言撤回。 もうしばらく(・・・・・・)こんなトコ来ない」

「へぇ、いつ頃なら来るの?」

「・・・」

「じゃあ、俺、帰ろうかな。ご挨拶ご苦労様でした」

「待ってよぉ・・・もうどうしよう・・・」

 俺を巻き込んで必死に作った新郎新婦への挨拶の原稿を握り締め、慌てて追いかけてくる由美。

「ねぇ!止まってくれなきゃここでドレス脱ぎ捨てるよ!走りにくいもん!」

 俺は足を止めた。由美なら本当にやりそうな気がした。それだけは勘弁してほしかった。

 やっと俺に追いついた由美は、

「ご感想は?」

 と言いながらドレスを大きく広げた。

もうしばらく(・・・・・・)してから こんなトコ(・・・・・)に来た時は、真っ白なドレスを希望します」

「えぇ?この薄ピンク着回ししようと思ってたのに。どうしよう」

「こけて笑われたドレスを着回ししないでほしいね」

「違うよ!つまづいたの!こけてない!」

 由美はクルリと回ってドレスを風になびかせ、ニコッと笑った。

 天使の笑顔。

「お見事お見事」

 俺は拍手をし、由美と腕を組んで歩き出した。由美は頭を俺の肩に乗せた。

「ねぇ、ひとつ言ってもいい?」

「何?」

「・・・寒い」

                    ○

 この春から、由美は雅洋の家に泊まり込み、秘書として働き始めた。由美と雅洋は高校時代に塾で同じクラスだった。後から聞いた話。

 雅洋の奥さんになった人は、結婚式の時の由美の挨拶を見て、聞いて、由美の事を大変気に入り、いい友達になった様だ。同い年という事もあって、奥さんと秘書という関係を少しも感じさせず、気さくな親友といった二人のやりとりを由美からのメールで聞いて、俺は笑ってしまった。

 陽が延びてきた春の夕方。外はヒト、ヒト、ヒト。それぞれの目的地へと急ぐヒト、ヒト、ヒト。身軽な服装になったヒトタチが相変わらず急いでいる。まだ真新しいスーツで身を包んでいるヒトタチも。みんな何をそんなに急いでいるのだろう。そう思っていたが、気が付けば俺もそんなヒトタチの仲間入りをしている。

 あの時の喫茶店。久しぶりに訪れた。仕事帰りのスーツ姿の俺と、俺を呼び出し雅洋の家を抜け出して来た由美。何があったのかはもう少し後から訊く事にして、とりあえず美味しそうにココアを飲む姿を見て安心した。

「いいなぁ結婚って。仕事は大変みたいだけどさ、夫婦二人で協力して、時には喧嘩して、仲直りして。あの二人だからこれからもずっと幸せに暮らしていくんだろうな」

「仕事が安定するまで待って下さい」

「・・・」

「それまでは何かあったら飛び込んでいい場所として居させて下さい」

「・・・」

「雅洋みたいに凄い奴じゃないけど許して下さい」

「・・・」

「それから・・・えっと・・・」

「・・・ばぁか」

「え?」

「アンタはスーツ姿だからいいけどさ、アタシの格好見てよ?急いで着替えたからこんなシャツにジーパンなんだけど。どうしよう・・・」

「ああ・・・それはそれでいいんじゃねぇ?」

「今度そういう話する時は前もって言ってよ」

「・・・ああ・・・そうします」

「そしたら真っ白なドレス着て来るからね」

 チーズケーキが運ばれてきた。今度は二人で食べた。甘くて、甘くて、甘かった。

 満足そうにお腹を擦り、ココアも飲み切った由美は、天使の笑顔を見せた。

「ありがと。ずっと待ってます」

 俺はやっと、雅洋への嫉妬と不安が消え去った気がした。

「でも冬はやめてね」

「え?」

「寒いから」

                    ○

 由美は相変わらず何か事が起こってパニックになると、雅洋の家を飛び出す癖がある。

 そんな時は決まって俺の所へ飛んで来る。

「こら美人秘書!ちゃんと働かないとクビになっちまうぞ」

 俺はそう言いながらも、慌ててパニックになっている由美を受け止めるのを密かに楽しみにしている。


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[一言] 展開が早くて、あれ?となったところはありましたが、面白かったです。 純愛ですね。 私は僕のようなタイプが一番読みやすくて好きなので、感情移入しやすかったです。 また美しい純愛を期待しています…
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