貴族の依頼
ある日のことだった。
特に用事もなく、あてもなくぶらぶらと裏道を歩いていた夜。
音もなく、黒装束を着た男か女かも分からない人が目の前に現れた。
「付いてこい」
中性的な声で、有無を言わせないものだった。
私は黙ってついていった。
害そうとする意志が感じられず、そして断る理由もなかったから。
距離をあけながら前を先導して歩いていたのが止まる。
到着したようだった。
「連れて参りました」
護衛らしき隠れている気配が複数人感じられるが、それを除いて私の前に現れていた者が一人いた。
相手はじろじろと体の隅々まで観察するかのように見てくる。
そのさいの視線は遠慮がなく不躾で、思わず顔をしかめてしまった。
「用件は何?」
見られているばかりでは話は進まないので、さっさと話せと急かす。
相手はそのことが気に食わなかったのか、鼻を鳴らした。
予想していたことだが、殺しの依頼だった。
日時は定められており、わざわざ屋敷に侵入をしなければならない。
まえの金払いが悪かった依頼者と似て、随分と面倒くさい内容だ。
「一つ聞きたいんだけど、直接依頼してきたのはどうして?」
私は自分の拠点を転々と移動しているので、依頼の際はグラマを通してもらうようにしている。
そのほうが仕事は入ってくるし、それに依頼人は金持ちが多く傲慢な言い方でイライラしてくる。
そのことで一度面倒くさいことになって追われることになったので、それなら誰かに頼めばいいと考えたからだ。
それはもう何年も続けているし、裏では知られているほうの話だと思うが、相手は子飼いの者らしき人に探させていた。
直接依頼することにこだわっているように見え、私はそれが疑問に思った。
「貴様がそうさせたのだろう」
話を聞くに、どうやらこの間の金払いが悪かった貴族の後ろ盾の者だった。
本当はこの前依頼を受けた貴族が今回の依頼をさせるつもりだったのだけど、私が拒否したことやグラマも相当苛立っていたのか話すら聞かなかった。
そしてグラマが仕返しで金を払わないことを噂にしたようで、どこからも依頼を受けてくれない。
結果、貴族は後ろ盾の者に泣きついた。
そうしたことから自ら依頼しなくてはならなくなったのだとか。
また別の者に依頼させやればいいんじゃないのと思ったが、また同じことをやらされたら計画が崩れる。
それに暗殺のことを無闇に知らせる訳にはいかない。
こうしてグラマの元に向かったそうだが、私に直接してくれと言われたらしい。
理由は分かる。
また金払いとかが悪い客だったら、私の怒りに触れてしまうからだろう。
私が短気だってことはよく知っているだろうから、自分で決めろということだと思う。
「大変だったんだね」
悪党相手には厳しい私もさすがに同情してしまう。
相手は「大変という言葉で片付けられるものではないわ」と憤ってはいるが。
「それで依頼は受けるのか」
「うーん。内容は厳しいしな……」
殺す相手は公爵らしく、屋敷の防御は固い。
現在お金には困っていないから、命をかける意味はない。
「ふむ。だが内容を聞いてしまったからには、受けるか消えてもらうしかないが」
「私は強いよ?」
「知っておるわ。だからわざわざ依頼しにきたのだ」
つまり私を殺すための犠牲も承知のことか。
殺されなかったとしても王都では暗殺業は出来なくなりそう。
「……依頼を受ける。でも成功率は低いからね」
「貴様の他にも人をつける。失敗したら、もちろん報酬はなしだ」
「前払いぐらいはして欲しいんだけど」
「はっ、小娘ごときが何を言う。成功させればいいだけだろう。ずいぶん自信があるようだから、出来るであろう?」
ここから報酬をめぐる争いが始まる。
それは口の達者な貴族という無謀なもので、そう時間はかからず私は泣く泣く敗北した。