新月の日①
新月の日。
イディスとの約束の日だ。
足取りは軽やかだ。
友人という存在は大切だ。
裏社会で生きていると裏切るかもしれない、と疑わなければならないことだらけで、おちおちと友達なんてつくっていられない。
それに自分の年に近い人なんてなかなか出会わないものだから、なおさらだ。
屋敷の部屋の明かりは付いていなかった。
寝静まる時間に来たのだから当たり前なのだが。
そうしてまた窓から屋敷に侵入する。
イディスがいる部屋には今度は窓が開けられていた。
勝手に入っていいという解釈でいいだろう。
イディスは窓の方を見ていたので、すぐ目に入った。
「こんばんわ」
すぐには反応していなかった。
一歩遅れて「こんばんわ」と返すが、どこかぼうっとしているように見えた。
「眠たいの?」
「いえ?そんなことはありませんが……」
「眠たかったら、好きなときに寝ていいよ」
「だから違います。……背のためにも睡眠は重要ですが」
私が幼いように扱ったせいで、イディスはムッとした。
二歳離れているのだ。
だから、ついついそうしてしまうのは許容してほしい。
「なんだか変な感じです」
「なんで?」
「最初に会ったときと似ていて。違うところは色々あるんですけど……」
「ふーん?そうかな」
私は細かいところは覚えていない。
だから、そんなこと言われても分からない。
「今日も猫の姿なんですね。何か理由でもあるんですか?」
「うん。便利だし、かわいいでしょ?」
「うーん。人間の姿のほうがいいと思いますが」
「えー。でも猫もいいでしょ?」
「僕は犬派なんです」
その言葉は私の禁句だ。
犬はだめだ。
猫でいるとわんわんと吠えて追いかけまわしてくる。
人間のときは殺気を放てば逃げていくのに、猫だと何をしても効果がないのだ。
「うー。……あ、なら猫を好きにさせてあげるよ」
私が魅力を伝えれば、イディスは見事犬派から猫派に回心できる。
きっと良さを気付いていなかっただけなのだ。
犬なんかより猫のほうが何倍もいいにに決まっているのだし。
「ほら、見て。手と足がすらっとしているし、毛並みとかさらさらなんだよ」
どう?と色々なポーズをしてみる。
だが首をひねって微妙そうな顔になっていて、効果が出ていない様子だ。
うんうんとどうすればいいか悩む。
一年の中で一番頭を使っている気がする。
そして私は気づく。
私が猫が好きになったときの猫と同じ行動をすればいいのだ。
思えば、先程の私は人間らしさが出ていて全然猫っぽくなかった。
それならば魅力が伝わらなかったのも多少は頷ける。
私は行動に移す。
まずは猫の動作を意識する。
猫に変身するための魔法の習得のためによく観察していたからこのぐらい簡単だ。
イディスはぱちりとめを瞬いた。
これから私の本気だ。
とくとご覧見るがいい。
私はイディスに近づく。
なるべく優雅に見えるようにだ。
そして何をするのだろうと興味深そうに見ているイディスの足下にすり寄る。
あざとくも上を見上げてじっと見つめ、にゃーと鳴く。
ふふ。
これでどうだ。
ころっと猫が好きになっただろう?
イディスは考えるようにじいっと見つめている。
まだかなまだかなと私は内心をおくびにも出さないで待ち続ける。
イディスは急にひょいっと猫の私を持ち上げた。
視線が高くなり、手と足がぶらぶらとなる。
なんだか嫌な予感がする。
私の直感はよく当たる。
慌てて逃げ出そうとすると、イディスは何か含むことがありそうな笑みを浮かべ、ジタバタとする私を腕で逃さないよう捕まえる。
「失礼しますね」
イディスは私の肉球をぷにぷにと押す。
何をされることかと思ったらこんなことか。
私も触りたいと思う経験があったので、黙って受け入れる。
その次は耳を確かめるように触る。
触れる手は優しい。
ただただ感触を確かめるようなのだが、頭を撫でられたときは心が暖かく感じた。
気持ちいい。
知らずしらずの内に喉をならしていた私だが、背中を触られたときは思わずびっくりした。
むずむずとした感じだ。
もう終わらせようと声をかけようとするがその前に繊細なしっぽを触られ、猫パンチを顔面にくらわせてしまった。
痛いと言っているイディスを置いて、私はそのままの勢いで屋敷から出た。
しっぽだけは駄目なのだ。
触られると鳥肌が立つようなぞくっとなる。
人間にはしっぽはないのに不思議なものだが。
私は落ち着いてから、何も言わずに出てきたことを後悔したが、あれはイディスが悪い。
次回までには猫心を分かってもらうことにしよう。
私はイディスのいるほうへあっかんべーをして、真っ暗な道を駆け抜け闇に紛れた。




