#06 覚醒
ヘルメス、アスタロトの前に出るシェムハザ。教室中の注目が集まる。突然の出来事にジッと黙り込むヘルメス、アスタロト。
(おお、この緊張感たまらん!こんなビッグネームの前にかっこよく出てきちゃったよ!ユニもクラスのみんなもバッチリ見てる。後はこの魔族を退治すればOKだ。大丈夫、過去生を覚えていた奴なんて滅多にいない。これは大神に見込まれているってこと。きっと俺にはすげえ力が備わっているんだ!あのキマイラを退治した時のように、なんかしらの助けが用意してあるはず!恐れるな、俺!)
恐怖を押し殺そうと必死に笑って見せるシェムハザ。しかし、顔が引きつってるだけである。それを見てアスタロトが口を開いた。
「なんです君は?君には用はありません。怪我をしたくなければ引っ込んでいなさい」
アスタロトは手でシッシッとシェムハザを追い払った。だが
「俺の名はシェムハザ。この学校の天使候補生だ。だがただの天使候補生と思うなよ。俺の過去の名は『ベレロポーン』キマイラ殺しの英雄とは俺のことだ!俺の前で勝手な真似は許さん!」
それを聞いたアスタロトはちょっとだけ彼に興味を持った。
「ほう、過去生を覚えているとは珍しい。そんな人は大英雄『ヘーラクレース』ぐらいしか思い浮かびません。ちょっとは見込みのある子のようですね。いいでしょう、ヘルメスを殺る前に、余興としてあなたの相手をしてあげましょう」
アスタロトはシェムハザに向き直った。
「坊や、止めるんだ!」
ヘルメスはシェムハザを止めようとした。彼がアスタロトに勝てるはずがない。
「ヘルメス様、心配しないでください。すぐ片付けますんで」
シェムハザもアスタロトに向き直った。
この瞬間、シェムハザのクラスでの好感度は過去最高を記録していた。ユニもこのときばかりは彼をかっこいいと思ってしまった。ヘルメスも、ここまで格好をつける彼に『もしかしたら?』とちょっと期待してしまった。なのでこれ以上止めようとはしなかった。
「では、いきますよ」
そういうとシェムハザはアスタロトに向かっていった。
◇
次の瞬間だった。クラスの女子たちが退避している廊下寄りの教室の壁にものすごい衝撃が走った。粉がパラパラ落ちてくる。何事かとみんながそこを見ると、誰かが頭から壁に突き刺さっていた。
シェムハザだった。
彼はなぜか下半身スッポンポンだった。しかも失禁までしていた。当然その周辺にいた女子たちは・・・
「ぎゃー!」
悲鳴を上げながら教室中を逃げ回った!
それを見てクスクス笑うアスタロト。
「生意気なガキにはお灸を据えないとね」
シェムハザが『身の程知らずのかっこつけ』であることを看破していたアスタロトは、わざと女子たちの前で彼を下半身スッポンポンにしたのだ。まさか失禁までするとは思わなかったが。これだけ恥をかかせてやれば二度と目上に舐めた態度はとらないだろう。
(くくくっ、彼はいい素質を持っていますね)
「さあ、余興は終わりです」
そういうとアスタロトはヘルメスに向き直った。
◇
「ぐあっ!」
すさまじい力が重力のようにヘルメスと彼の従者に襲い掛かる。この2人も壁に張り付けにされてしまっていた。この結界内ではヘルメスたちは本来の力を発揮できないのだ。
「ゼウスの片腕ともいわれるヘルメスにしては、あっけないものですね。このまま終わりですか?」
アスタロトは拍子抜けしていた。もちろんヘルメスがこの程度なわけがない。結界内とはいえいくらでも手があるのだ。だが、生徒たちが近くにいるため、力を発揮すると彼らを巻き込んでしまうことになる。そのため動くに動けないのだ。
「自分たちの命が危ないのに、子供たちを気遣って動けないのですか?さすがというか馬鹿というか・・・」
アスタロトはヘルメスが反撃してこない理由を十分承知していた。しかし、だからといって容赦などしなかった。討てる時に討つ、魔族の彼には当然であった。
「これで終わりです」
そういうとアスタロトは懐からいくつものリング状の宝石を取り出し、ヘルメスと従者に投げつけた。そのリングは彼らの首、両手、両足にはまった。
「そのリングは少しずつ締まっていきます。外すのは私しかできません。そこでおとなしく最期を迎えてください。この結界が破られるまでには締まりきるようになってますので。と、その前に、あなたが守ろうとしたこの生徒たちの悲しい最期を、そこからご覧ください。そして自分の無力さを存分にかみしめてください」
そういうとアスタロトは生徒たちに向き直った。
◇
アスタロトの重力波が生徒たちを壁に張り付けにした。
「ユニ!」
アスタロトはユニの名を呼んだ。
「みんなを助けたいですか?」
彼は彼女にチャンスを与えた。このままでは全員死ぬ。だれももう打つ手がない。この状況ではユニは『はい』と答えざろうえなかった。
「よろしい、ではこちらに来なさい」
ユニのみ重力波の束縛から解放された。そしてアスタロトの元へ。
「どうすればみんなを助けてくれるの?」
ユニは気丈にもアスタロトに質問した。
「私と一緒に魔界に来なさい。そして私の妻となり子を成すのです」
「そんな!」
「イヤとは言わせませんよ。みんながどうなってもいいのですか?」
そういわれては返す言葉がない。思わずイカロスに振り返るユニ。
(イカロス・・・)
その目は悲しみに満ちていた。
「姉上、そんな話聞いちゃだめだ」
重力波で満足にしゃべれないイカロスが必死に声を絞り出す。しかし、そこまでだった。
「さあ、ユニこちらに来なさい」
そういうとアスタロトは彼女を抱き上げた。
イカロスを見つめるユニ。
(さようなら、イカロス)
「では、これで最後です」
アスタロトがそういうと、生徒たちへに重力波はさっきよりもずっと強くなった。
「なっ!どういうことです!みんなを助けてくれるんじゃないのですか?」
ユニがアスタロトに問いただす。
「戦とはこういうものです。あなたはこれから魔界の姫となる。こういうことにも慣れましょう」
あっさり約束を違えられるユニ。しかし、もはやどうすることもできない。
「ではユニ、魔界に引き上げましょう。死にゆく彼らに最後のお別れをしなさい」
そういうとアスタロトはユニを抱きかかえながら結界外にゆっくり移動を始めた。
(イカロス、みんな・・・)
ユニはイカロスをじっと見つめていた。目に涙を蓄えながら。
「姉上・・・」
イカロスは猛烈な重力波に耐えながら、ユニを追おうとしていた。しかし、顔を見るのがやっとだった。そしてようやく見えた彼女は、アスタロトに後ろから抱きかかえられ首筋に唇を這わされていた。
それを見た瞬間、イカロスの中で何かが弾けた。
◇
イカロスの中で何かが壊れた。そして彼の脳裏に懐かしい記憶が蘇ってきた。
それは、波の打ち寄せる岩に鎖で縛りつけられたユニであった。彼女はこれから生贄として海獣に捧げられようとしていた。
(助けねば)
その衝動に突き動かされるかのように心の底から力が湧き出してきた。
「ぎゃー!」
アスタロトが痛みで悲鳴をあげた。いつの間にか彼は教室で転げまわっていた。ユニを抱えていた右腕は切断されていた。そんな彼に何かがぶつけられた。それは彼の右腕だった。
「イカロス!」
喜びのあまり声を上げるユニ。転げまわるアスタロトの前に立ちはだかるのはイカロスだった。彼はユニを救出し抱きしめていた。切断したアスタロトの右腕を投げつけたのも彼である。
「姉上、下がっていてください。決着をつけます」
そういわれ後ろに下がるユニ。
「みんなを解放してください。全身をバラバラにされたくなければね」
そういうとイカロスはアスタロトに対して身構えた。彼は武器は持っていなかった。彼の武器は素手であった。手刀でアスタロトの右腕を切断したのだった。
「お、おのれ小僧・・・」
魔界の大侯爵たるアスタロト。まさかこんなガキにここまでやられるとは思ってもみなかった。
「ちょっと油断したようです。本気で行きますよ」
アスタロトは、剣を取り出すとイカロスに斬りかかった。だが・・・
「えっ?消えた?」
すでにイカロスは彼の背中に取り付いていた。そして首を締め上げる。
「ヘルメス様やほかの子たちを解放してください。でなければ・・・」
イカロスは首をさらに締め上げた。苦しくてまともに立っていられなくなるアスタロト。
「わ、わかった。だからそれ以上はなしだ」
アスタロトは重力波を止め生徒たちを解放した。ヘルメスらにはめこんだリングは親となる宝石を砕き割ると粉々に砕け散った。
「これでいいだろう?俺を解放してくれないか?」
イカロスは約束どおり首を絞めつけるのを止め、背中から降りた。
だが、次の瞬間だった。
アスタロトはイカロスに剣で斬りかかっていた。
「お前はこの場で斬っておかねばならん!今斬らねば、われらにとって一番危険な存在となる!」
アスタロトは本能的にイカロスが自分たち魔族の最大の敵になることを察知していた。
無論、そのままやられるイカロスではない。手刀で反撃する。しかし
「もう、その手は喰わん。その短い間合いに入らなければどうということはないからな!」
アスタロトはイカロスに後ろに回り込まれないように注意していた。それさえされなければ間合いの長い剣の方が有利なのだから。
イカロスとアスタロトは大立ち回りを続けた。なかなか決着がつかない。そこへ
「イカロス、これを使え!」
ヘルメスが一振りに剣を彼に投げ渡した。それを掴むイカロス。
次の瞬間、勝負はついた。
ヘルメスから渡された剣を抜くとイカロスはアスタロトを正面から切り伏せた。
スピードが全く違った。アスタロトは間合いに入られたイカロスに気付くいこともできなかった。
真っ二つに切り裂かれるアスタロト、だが、その体は無数の蝙蝠となって飛び散っていった。
「イカロス、この次はこうはいかん。覚えておれよ!」
そんな捨てセリフを残して、アスタロトは去って行った。
◇
結界の解けた教室には、外から救援がどっと押し寄せた。
幸い、大きな怪我を負ったものはいなかった。
シェムハザも生来頑丈な体だったため、特に問題はなかった。
「やれやれ、えらい目にあったな」
ヘルメスは学校の保健室にいた。従者とともに。
「だから言ったんですよ、こんな警備もままならないところに視察に行くのはマズイって」
従者は文句タラタラだった。
「そういうなよ。今回もどうにかなったじゃないか!」
「どうにかなったじゃありません!危なく死ぬところだったじゃないですか!」
従者の怒りをかわそうと必死になってるところに、イカロスが現れた。
「先ほどはありがとうございました」
そういうとヘルメスに渡された剣を返そうとした。
「いや、これは君が持っていなさい。私のような非才の者が持っていても仕方がない物だ」
そういうとイカロスの両肩を両手で叩いた。そして自分の前にイカロスの顔を寄せじっと見つめた。
「あ、あの・・・」
イカロスは意味が分からなかった。ヘルメスはなぜか泣いていたのだ。
「ああ、すまん、すまん。つい昔を思い出してしまってな・・・。なあ、イカロス」
「はい、なんでしょう?」
「オリンポスに来ないか?」
◇
その後、学校は大変な騒ぎとなっていた。
しかし、生徒たちはみな多大なストレスに見舞われたため早々に自宅に帰された。
ユニもイカロスも同様である。
事件の詳細についての事情徴収は明日以降ということとなった。
ユニとイカロスが屋敷に帰ると、今日の務めは免除されすぐに部屋で休むようにといわれた。
と、いわれてもすぐに眠れるわけもない。
ユニはこっそり部屋を抜け出して庭を散歩していた。今日起こったことを頭の中で整理しながら。
武道場の近くに来た時だった。
「ユニ」
彼女を呼ぶ声がした。振り向くユニ。その先にいるのは
「イカロス!」
イカロスは彼女を手招きして建物の陰にユニを導いた。
「イカロス、今日はすごかったわ。やっぱり強かったのね」
ユニは今日のイカロスの活躍がうれしくてたまらなかった。
「ねえ、ユニ」
「なあに、イカロス」
彼の顔が月に照らされる。その目は涙ぐんでいた。
「ずっと捜していたんだ・・・」
そういうとユニを抱きしめた。
「やっと会えた・・・」
月明かりの下2人は無言で抱きしめ合い続けた。
「おかえりなさい」
「ただいま、アンドロメダ」
◇
ヘルメスは今回の事件を受けて、視察を切り上げて一旦オリンポスに戻らなければならなくなった。
色々とやり残したことがあり、気が進まなかったが仕方がなかった。
「で、彼には何と言われたのですか?ぼそぼそしゃべっていたからよく聞こえなかったんですが」
従者の天使がヘルメスに聞く。
「守りたい人がいるからいけないだとさ。何度生まれ変わっても変わらないね、あの人は」
「体よく振られましたな」
「そういうなよ。でも、彼に会えたのが一番の収穫だぜ。今後を左右する重要人物だ。間違いない!」
「はい、そうですか・・・。しかし、ゼウス様にどう説明するんですか?」
「それなんだけどさ、このままオリンポスに戻らないで寄り道してくれないかな?」
「寄り道?はてどこに寄られるのですかな?」
「アテネに、女神アテナに会いたいんだ」
◇
「はあ!たあ!」
剣を振るシュエムハザ。自宅近くの森で修業中のようだ。
「いい振りですね。さすが元英雄ベレロポーン。キマイラをその剣で倒したのですね。では次はその剣で何を倒すのですか?」
後ろから声がした。振り向くシェムハザ。そこにいた者は・・・
「ア、アスタロト公爵」
先ほどまで対峙していた敵であった。瞬間的に身構える。勝てる相手でないとわかっていても。
「待ちなさい、あなたと矛を交えに来たんじゃありませんよ。私はね、あなたの才能に惚れ込んだのです」
突然の物言いに驚くシェムハザ。自分は全く歯が立たなかったのだ。惚れ込むなら自分ではなくイカロスにではないか?
「あなたの考えていることはわかります。さっきはああなりましたが、私が見るに才能はあなたの方が上でしょう。どうです?私に援助させてもらえませんかね?きっとあなたは天界一の英雄になる。私はそう見てるんですよ!どうせこの後彼とは・・・」
「もちろん、決闘で決着をつける!」
「そうでしょう、そうでしょうとも。そうでなくてはいけません。大丈夫、まともにやれば勝つのはあなたです。なにせあなたはキマイラ殺しの英雄ベレロポーンなのですから」
「手を貸してくれるのか?」
「もちろん、満座でイカロスを叩きのめしてしまいましょう」
シュエムハザの心の隙間に入り込むアスタロト。
2人の影は夕闇に消えて行った。