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火涙の少女  作者:
8/12

幕 裏 『出逢い/ハジマリ』




 始まりは偶然だった。


『………あ………』


 僕が、あてもなく人間界を彷徨っていた時、偶然その人物を見かけた。

 肩口まで伸ばされた髪。それは夜のように深い黒。その黒に対し、眼は鮮やかな赤色なのだから、とても綺麗だった。

 彼女は、彼女の姉らしき人物と一緒に並んで、とても楽しそうに歩いている。

 風が吹き、花が揺れる。そのことに気付き、ふと周りを見渡せば、そこは花畑だった。どうやら、彼女を追いかけている内に、こんな場所にまで来てしまったらしい。

 彼女は、美しく咲いた花達を見て、実に嬉しそうに、楽しそうにしている。

 しばらくして、彼女が僕の方を向く。もちろん、彼女には僕の姿は見えていない。ただの偶然だ。

 しかし、それによって僕は見てしまった。

 そこに咲いている花達と同じくらい美しい、彼女の笑顔を。


『――――ッ』


 目を奪われた。

 心臓が激しく動悸する。自分の鼓動が、ここまで聞こえてくるようだった。


 ――この感情は、いったいなんだ。


 未知の感情に対し、動揺する。目を閉じても、あの子の笑顔が脳裏に焼き付いてしまって、僕から離れようとしない。

 再び、あの子を見る。そこには、変わらず花のような、眩しいほどの笑顔がある。幸せというのは、あの少女のことを言うのではないかと、柄にもなく思ってしまう。

 心臓の鼓動がうるさい。うるさくはあるが、なぜかそれが心地よくもあった。

 彼女を見ていると、心が満たされるとでも言えばいいのか。そんな事を言うのは柄じゃないと判っていても、この心は満たされていくいっぽうだ。

 ふと、この未知の感情に、ひとつ思い当たるモノを思い出した。

 これはいつだったか、誰かに聞いた言葉。

 絶対に、自分とは関わりのない言葉だと決めつけていたモノ。


(この感情は、確か――)


 ――恋、と言ったか。

 どうやら僕は、あの子に恋をしてしまったらしい。俗に言う一目惚れという奴だ。今までこんなことに全く縁が無かった為に、それを理解するのに時間を要した。

 一度自覚してしまったら、後はどうしようもない。

 僕は、姿を消したまま、じっと彼女を見る。


「ほらリン、帰るわよー」

「あっ。待ってよ、お姉ちゃん!」

『……リン……』


 彼女の姉らしき人物が、彼女を呼ぶ。

 あの子の名前は、リンというのか。恋をしたのに、相手の名前も知らないのでは格好がつかなかったので、ここで名前が知れたのは嬉しい。

 リンの後ろ姿を、じっと見つめる。


 ――もし、自分が人間だったら。なんて考えるだけ無駄だ。


 この恋は、叶うことは無いだろう。僕とあの子は、住む世界が違う。

 僕は、悪魔だ。それは、変わることはない。

 わかっている。わかっているとも。

 だけど、許されるのなら。許してくれるのなら。

 あの子の笑う姿を、幸せに過ごす姿を、この眼でずっと見守り続けたい。

 それくらいは、願ってもいいだろうか。

 そして僕はそのまま、リンがこの場から遠ざかっていくのをずっと眺めていた。


 ***


 それから、僕は密かにリンを見守り続けた。それがどれくらいの月日だったのかはもう忘れたけれど、その間、魔界に帰ることはしなかった。帰ったとしても、僕は独りだからだ。それなら、人間界(ここ)で彼女を見守り続ける方がよっぽど良い。そう思いながら、僕は毎日を過ごしていた。

 そんな日々がしばらく続いたある日、僕は何処かに向かうリンを追いかけて、その先で見てしまった。


「ひっく……ぐすっ……」


 リンが、泣いている姿を。


『……リン』


 静寂に包まれた図書館。そこに人は誰ひとりとしておらず、まるでリンだけを世界から切り離したようだ。

 リンの啜り泣く声が聞こえる。窓から差し込む夕焼けがやけに眩しい。


『…………ぁ』


 声を発しようとした喉が僅かに震える。けど、声が出ることはない。


 ――どうして、泣いているんだい?

 ――君は、笑っている方がずっと綺麗だ。


 そう、言ってあげたかった。でも、無理だった。

 僕が姿を現したら、この日々は崩れる。それは他ならぬ僕自身が恐れていたことだった。こうやって、彼女を見守り続けることが、僕の恋なのだから。


 でも、でもだ。

 僕は、このまま彼女が苦しむ姿を見続けたいと思うだろうか?

 僕は、彼女が笑う姿を見たいんじゃないのか?


『――――っ、』


 悪魔だから、人の願いがわかる。

 彼女の願いが、わかる。彼女が望む願いが。

 彼女の願いと、僕の欲望。それを天秤にかけたら、誰でも自分を優先するだろう。

 けれど、真に彼女を想うのなら――、



『――泣かないように、なりたいかい?』



 彼女の願いを、叶えてあげるべきじゃないのか。

 リンの怯えた表情が僕の目に映る。

 ――怖がらないで、リン。

 僕は、君の願いを叶えるから。

 君を、救うから。


『僕は……そうだね、俗に【悪魔】なんて呼ばれている者さ』


 名は明かさない。僕の名を明かす意味が無いからだ。

 僕の名は階位の高い悪魔と違って名称が知れ渡っていない。明かしたところで知らないと言われるのがオチだ。

 これが終われば、僕とリンの道が交わることは無い。闇に生きる者が、光に生きる者と触れ合うこと自体が、そもそも間違っている。


 それでも僕は、彼女の願いを叶えたいと思った。


「うん。わたしは――泣かないように、なりたい」

『その願い、僕が叶えよう。さぁ、目を閉じて』


 彼女の願いは、泣かないようになること。

 僕は考えた。

 彼女が泣く理由は、すべて周りのせいだ。つまり、その周りさえ排除できれば、彼女は泣かなくなる。

 なら僕がすることは――出来ることは――ひとつしかない。

 元よりこの身は悪魔。出来ることなど、限られている。

 リンのきめ細やかな肌に触れる。触れて、その手は彼女の両目へ。その両目に、僕の魔力ちからを通す。

 僕は、炎の悪魔。故にその力は炎。

 だから僕はこの力を、彼女の涙に与える――。


「これで………泣かないようになったの? 何も感じないけど」

『まぁ、そのうちわかるよ。これで君は、もう泣かない』


 そう。これで君はもう泣かない。泣く原因が無くなるのだから。

 僕がそう告げると、リンはとても嬉しそうな顔をする。

 その顔は、あの時と同じ顔だった。


「そうだ、悪魔さん。あなた悪魔なら、何か代償が必要なんじゃ……」

『いや、それは気にしなくていい。……そうだね、強いて言えば、代償は君が喜ぶ姿かな』


 僕は、君の幸せな姿を見たいだけ。代償など、本当にそれだけで充分なのだ。

 月並みな言い方だが、彼女の幸せが、僕の幸せ。心の底から、そう思える。

 リンが僕に向かってお辞儀をする。その間に僕は肉体を消す。

 やがて顔を上げたリンが面食らった表情をしていたが、それも束の間。数秒後には、実に晴れやかそうな顔でこの場所を後にした。

 その姿を、僕はいつの日かの再現のように見つめる。


『これで……彼女は……』


 ――救われる。


 これで彼女は泣かなくなる。正確には、彼女がもう一度泣いて、その涙に込められた炎が全てを焼き尽くした時、彼女は泣かなくなる。彼女を脅かす要因が無くなるのだから。

 これで良かったのだ。もう僕とリンの道は交わることはないだろうが、それでも好きな人の助けになれたのだ。それは彼女に恋する者として、この上なく嬉しいことだ。

 実ることのない恋ではあるが、それでもこの恋に救済を求めるのなら、それは自分自身で与えるしかない。エゴと言われるかもしれないが、僕にとってはこの行動こそがそうだったのだ。


『――――――』


 いま僕の中に溢れるこの気持ちは、今まで僕が知らなかったモノだ。

 知らない感情だった。

 初めて知った感情だった。

 恋というものは、こんなにも心を満たすモノだったのか。


『僕は、リンの力になれたかな』


 そう呟きながら、僕もこの場を後にした。


 ***

 

 ――その翌日、彼女の涙が、街を燃やした。


 ***


 眼前に広がる焦土まちを見て、息を漏らす。


『……これで、リンは』


 救われた。彼女を脅かす要因は全てあの炎の中へ消え去った。

 街を一望出来る丘。僕はそこで、リンの様子を、一部始終見ていた。

 彼女が泣き、その涙が業火になり全てを燃やしていくその様を、ここで見ていた。


『さて……リンの所に行かなきゃ』


 彼女はどんな顔をするだろうか。

 喜んでくれたら、いいな。

 丘から飛び降りて着地する。そして焦土と化した街へ歩を進めた。

 街を見渡せば、幾つもの死体が燃えていた。そこに救いは無く、あるのは無数の死だけ。

 それを、何の感情もなく視る。感じた唯一の感情が、ただ、邪魔だな、ということのみ。


『あ……居た』


 進み始めて十分。学校から数一〇〇メートル離れた場所に、リンは居た。

 彼女の足下には血の水溜りがある。

 誰か、そこで死んだのだろうか。


「ああああ――――ッ!!」


 突然、彼女が泣いた。零れ落ちた涙は炎になり、燃え上がる。そして、何を血迷ったか、リンは燃え盛る炎の中に手を伸ばしていた。

 だが、それは無駄なこと。あの炎は、彼女の涙だ。自分の涙で燃える者がいる訳がない。

 僕が彼女にしたこと。それは、彼女の涙の性質を『炎』へ変えたのだ。涙の成分は体液――つまりは水だ。僕はそれを『炎』へと変えただけ。しかしその本質は『涙』である以上、その涙を流す自分自身は燃えはしない。


 ――だが、他人は、燃える。僕が、そうしたから。


 案の定、彼女は燃えない自分の体に戸惑っている様子だった。その間に、僕はリンに話しかける。


『やぁ、リン』

「あく……ま……!」


 声をかければ、リンはやけに恨みがこもった視線で僕を睨みつける。

 なんだろう。僕、何かしたかな。

 昨日は僕に対して、さん付けだったのに、今日は呼び捨てになっている。


『どうだい? これで君の願いは叶うだろう?』

「ふざけ、ないで……! あなたはっ、わたしを、騙して……!」


 ――騙した? 僕が、リンを?


 いったい何を言っているんだろう。僕はただ、リンが泣かないようになるために、僕の力を与えただけなのに。事実、これでリンは泣かなくなるはずなのに。

 なのに、なんで彼女の眼はあんなにも、悲しい色をしているんだろう。

 なんで彼女は、僕を憎むように視ているのだろう。


『……っ? 何を言ってるんだい? 僕は、君を騙してなんかないよ』


 震える声で、その真意を問う。


「嘘をつかないでっ! 泣かないようになるなんて言って、ただわたしの無様な姿を見たかっただけでしょ!」

『騙してなんかないさ。僕はちゃんと、約束は守る。だってほら、それを見てごらんよ』


そう言って、僕は彼女の流した涙を指さす。そうだ、実際に事実を理解してもらった方が早い。


「なに、これ……」


リンは、それを呆然とした様子で見つめる。


『僕はあの時、君にある(せいしつ)を与えた。それは、君の涙が炎になる(・・・・・・)というものさ』

「涙が……炎に、なる」


 リンは、何か重大な事実に気付いたかのように、僕の言葉を反芻する。


『これで君は泣かなくなるよ。だって、全部燃えたんだもん。君をいじめる奴も、物も、環境も、ぜーんぶ燃えた。これで君は、泣かなくなる。ほら、君の願い通りだろう、リン?』


 そこに追い討ちをかけるように、僕は言葉を重ねる。

 これでリンも、気付いてくれたはず。

 だからきっと、すぐに、あの時のような笑顔を僕に見せて――、


「……って」

『え?』

「どこか行って! もうわたしの前に来ないで!!」


 ――けれどリンは、その笑顔を見せてはくれなかった。


 代わりに告げられたのは、僕を拒否する、冷たい言葉。


『――――ぇ?』


 その言葉の意味が、よく解らなかった。理解したくなかった。

 僕の戸惑いが顔に出ているのがわかる。その戸惑いを、必死になって隠す。

 そして僕は、その言葉を理解するより先に、この場から姿を消した。

 だって、見てしまったから。

 今にも泣きそうな、リンの顔を。


――なんで? 僕は、何か間違えたのか?


僕は姿を消したまま――と言っても、リンから見えなくしただけだ。今も、リンの傍にいる――、先の言葉について考える。


 ――何を間違えた? いったいなぜ、リンはあんな顔をしている?


 理解が追いつかない。

 理解したくない。


 それでも、僕の頭はそれを理解しようと思考する。

 止まらない思考の中、ふと僕はリンの姿が目に入った。

 リンはただ、そこに佇んでいるだけ。そこに立って、燃える街を見ているだけ。ただそれだけなのに、彼女は。


「う、ぁ……ぁ」


その地獄(まち)を見て、泣いた。


『――――ッ!!』


 それを見て、僕も気付いた。

 ぐるぐると、思考の末に導き出された答えが、僕の頭を回る。

 もし、僕が考えてることが本当だとしたら、


『僕は……僕は……!』


 ――なんてことを、してしまったんだ。

 僕はリンに、取り返しのつかないことをしてしまった。

 僕はリンをいじめる要因を排除するだけでなく――リンの幸せをも、排除してしまったのだ。

 他ならぬ、僕の力で。


『あぁ……ぁ……!』


 声にならない声が出る。

 気持ち悪い。吐き気がする。

 自己嫌悪で自分自身を殺したくなる。

 何が、リンを救うだ。

 救うどころか、奪ってしまっているじゃないか。


(そうだよ……僕は)


 ――悪魔なんだ。悪魔に、人を救うことは出来ない。

 悪魔が人に対して出来ることは唯一つ。契約を交わし、奪うことだけだ。ただ、その過程で人を救うだけのこと。最終的には、奪うしかない。

 その絶対的な悪魔のルールを、どうして僕は忘れていた。

 知っていながら、なんでリンに、力を与えた。

 僕はただ、リンを救いたかっただけだ。それだけだったら、他にもやりようはあった。

 僕は、アイツらとは違う存在になると決めたじゃないか。

 アイツらのような、非道な存在にはならないと決めたのに、なのにどうして、僕は、悪魔のような(・・・・)考え方をした。


 善の心を持ったとしても所詮、悪魔は、悪魔でしかないのか。


『――めん、よ』


 呟く。

 視界が滲む。なぜかは、わからない。

 それでも、言葉を、紡がなければならない。


『――ごめん、よっ。リン……!』


最愛の人(リン)への、償いの言葉を。

 燃える街を歩く、火涙の少女。

 僕のせいでそう成ってしまった、独りの少女。

 こうやって、リンの後ろ姿を見るのは三度目だ。


 一度目は恋をしたとき。

 二度目は彼女を救ったつもり(・・・)だったとき。

 そして三度目は、彼女から奪ってしまった、いま。


 リンの後ろ姿に手を伸ばす。

 でも、届かない。届くはずはない。そう解っていても、僕は伸ばす。伸ばし続ける。

 今すぐにでも謝りたい。憎まれて、殺されてもいいから、謝りたい。

 けど、それは叶わないだろう。リンは優しい子だ。あの子は、たとえ悪魔であろうと、殺すことは出来ない。


『――僕、は』


 僕は、リンから奪ってしまった。

 リンの大事なモノを。リンの幸せを。

 その責任は、取らなきゃいけない。

 たとえ僕が、異端な悪魔だったとしても。

 僕は、リンが好きだから。

 リンの助けに、なりたいから。

 だから――、


『待っててくれ、リン』


 今度は間違わない。

 絶対に、君を独りになんかさせない。

 許されなくていい。許してもらおうなんて思ってない。けど、これからすることが、彼女に対する僕の償いだ。

 燃える地獄を見る。

 ある意味、僕のせいでつくられた地獄。

 何が起きたのか理解できないまま死んでいった、名も知らない人々。

 その人々に、祈りを。

 僕は、この光景を目に焼き付け、ここを後にした。


 ***


 そうして、その地獄は燃え続けた。

 僕は、総てを喪う決意をした。

 彼女の助けになると、誓ったんだ。



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