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火涙の少女  作者:
7/12

第五章 『偽りの幸福、やさしい幸せ』


 小鳥の囀りが聞こえる。瞼をそっと開ければ、カーテンから朝日が零れているのが見えた。


「ん……。あ、さ……?」


 寝惚けたまま声を出す。むくりと起き上がって、ぼーっとしたまま宙を見つめる。


「っ……」


 少し、頭が重い。なんだか、とても長い夢を視ていた気がする。もっとも、それがなんなのかは、わからないけど。


「――――」


 思考を切り替える。今日から夏休みだ。だからと言って、生活リズムを崩していいというわけじゃない。いつも通り、わたしは起きる。

 寝起き特有の、緩慢とした動作で着替える。そして眠たい目を擦りながらキッチンへ向かう。

 キッチンにあるテーブルの上には既に、一人分の朝食が用意されていた。

 わたしはそのことに感謝しながら、テーブルに座って朝食を食べ始める。


「うん、美味しい」


 その朝食は、わたしの作るものより遥かに出来が良く、とても美味しかった。

 朝食を食べ終えたわたしは、そのまま部屋に戻りゆったりと本を読む。

 正午を告げる鐘の音を聞き、わたしは顔を上げる。どうやらかなり読みふけっていたらしい。キッチンへ移動し、昼食を作る。二十分ほどで出来上がったそれは、相も変わらず不出来なものだった。


「……失敗は成功の素って言葉が東洋にあるって本で見たから、大丈夫だよわたし。次はがんばろう」


 残さず、ちゃんと最後まで食べる。うん、前に作った時より多少はマシになってる。


(うーん……お昼から何しようかなぁ)


 唸りながら考える。夏休み、というのは暇なものだ。特に出された課題も無い――というより、夏休み自体の日数が少ないため、根本的に量が少ない――ので、昨日のうちに片付けてしまっている。


(夏休みに入る前に買った本は全部読んじゃったしなぁ……そうだ)


 本が無ければ、本を借りに行けばいいんだ。

 ということで、お昼からの予定が決まった。午後は、学校の図書館に行こう。

 手早く洗い物を済ませ、部屋着から制服に着替える。そして、支度を終えると、戸締りをし、外に出る。


「今日も暑いなぁ……」


 太陽の日差しが眩しい。帽子でも持って来れば良かったかな。

 今更そんなことを言っても仕方ないのでそのまま学校を目指す。

 石畳みの街道をテクテクと歩く。人とすれ違う度に「こんにちは」と笑いながら挨拶し、そこらを自由気ままに歩くネコを見付けては、柄にもなくハシャいでしまう。

 なんだろうな。久しぶりに、こんな風に生き生きと――ありのままで過ごしている気がする。

 そんなハズはないのに、まるで、しばらくこんな感じで生きていなかったようだ。


「あっ……おーい! リンちゃーん!」


 学校の前に差し掛かった時、ふと横から声が聞こえた。振り向けばそこには、白いワンピースを着た、金髪碧眼のボブヘアの女の子が走りながらこっちへ来るのが見えた。


「あっ、マリアちゃん(・・・)


 その姿を見て、わたしは笑いながらその人物の名を呼ぶ。

 彼女はマリア・クロード。この地域の地主の一人娘で、わたしの親友だ。


「どしたの、リンちゃん。制服なんか着て」

「これから学校の図書館へ行くの。マリアちゃんも一緒に来る?」

「うへぇ。夏休みの時まで学校になんか行きたくないよ……相変わらず、本が好きだなぁ。リンちゃんは」

「これが生きがいみたいなものだからね。それに、用事もあるし」

「あ、そっか。学校だから、会えるもんね」

「そうそう」


 女の子特有のお喋りが続く。日差しが暑いけど、マリアちゃんと話していると、とても楽しいから、それが全く気にならない。

 友達って、やっぱりいいな。

 このままお喋りを続けていたいけど、時間には限りがある。


「じゃあ私、これで行くね。今度ウチに遊びに来なよ。お父さんもリンちゃんに会いたがってるから」

「うん。今度お邪魔するね」


「ばいばーい!」と、元気な声を出しながら、マリアちゃんはわたしの来た方向に向かって歩いて行った。わたしも、早く図書館に行かないと。

 学校へ続く道を行く。さすがに夏休みだから、ここを通る人はいない。そんな中、わたしはただ一人歩く。しばらくすると学校が見えてきた。

 校門は閉まっているので、用務員口から入る。一応、長期休みでも図書館が開放されているこの学校ではあるけれど、利用者が少ないため校門は開けていないらしい。結構不便だからこっちのことも考えて欲しいといつも思う。

 昇降口へ行き、そこで靴を履き替える。そして、図書館へ続く渡り廊下を目指す。


(だーれもいないなぁ。当たり前と言えば当たり前なんだけど)


 こう、一人だと何だか寂しくなる。それが嫌だったから、足早に図書館の方へ向かう。

 図書館へ着くと、そのまま扉を開ける。すると目に入ってくるのは無数の本。鼻腔には紙とインクの匂い。やっぱり、ここに来ると落ち着く。


(何を読もうかな……)


 適当に本棚を見ながら歩いていると、ふとある本が目に入った。


「これは……」


 それは、赤いハードカバーの本。厚いけど、それでも読むとなれば丁度いいくらいの厚さ。

 パラパラ、と冒頭部分を読んでみた感じ、これが面白そうだと感じたわたしは、それを手に抱える。その後、適当に数冊ほど選び、合計で五冊の本を借りることにした。


(これだけあれば、とりあえず数日は保つかな)


 いっぺんに読んでしまわないよう、気をつけないと、と思いながら、いつものスペースへ向かう。

 図書館の最奥には、小さなスペースがある。一つだけ、外が見える窓と、小さな背もたれ付きのイスと机があり、まさに一人用のスペースと言った感じだ。そのせいか、そこは人が誰も訪れず――もっとも、図書館の利用者自体が少ないのだけれど――密かにわたしだけの場所になっていた。

 そこにポツンと置いてあるイスに座る、そして何もせず、窓の外を見つめる。

 わたしはこの場所で、こうやってボーッとしている時間が好きだ。本を読むことが一番の楽しみだけど、こうやって何も考えずに過ごす時間も、贅沢な時間の使い方って感じがする。

 窓の外は、いたって普通の景色があり、空には夏特有の澄んだ青があった。


「よし」


 机に置いた本の中から、一冊チョイスする。あの赤いハードカバーの本は最後に読むとして、今は別の本を読むことにする。

 本を開く。イスに座り直して、少し楽な体勢になる。

 そしてわたしは、本の世界に入っていった。


 ***


 次に顔を上げた時には、時刻は既に夕方になっていた。


「……はっ。しまった。つい二冊も読んじゃった」 


 一冊目を読み終わると同時に、何も考えずに次の本へ手を伸ばしていた自分が恥ずかしい。別に、面白かったから後悔は無いんだけど……ものすごく、損した気分だ。

 ともあれ、時間もいい頃だし、そろそろここを出ることにする。

 借りた本を持ってきたカバンの中に入れ、コツコツと、少し音を立てながら、出口を目指して歩く。

 チラ、とカウンターを見る。そこには司書さんがイスに座って物静かに本を読んでいる姿があった。この図書館は、扉のすぐ傍にカウンターがあるため、近くまで来ると必然的に司書さんと顔を合わせることになる

 ……思わず、注視する。

 腰まで伸ばされた、わたしと同じ黒色の髪。その髪を、今は後ろで一つに結っている。瞳は紫色で、透明のフレームのメガネをかけ、見る人全てに、知的な人だという印象を与えている。


「……何か」

「え?」

「何か、用ですか」


 多分、かなりの時間見つめてしまっていたのだろう。司書さんは、無表情のまま、視線だけをこちらに向け、わたしにそう言う。


「え、あ、その……なんでも、ないです。ごめんなさい」


 とりあえず、謝っておく。読書の邪魔をされるのが嫌だというのは、同じ読書家としてわかる。本を読んでいる間は、その物語に入り込みたい。この世界のことを忘れて、その世界の住人になれる、至福のひと時なのだ。

 共感できるからこそ、邪魔はしちゃいけない。そう思い、そっとその場から離れ、図書館を出る。

 図書館を出て、最初に目にしたのは真っ赤な夕日。綺麗だな、と思いながら、わたしは校舎の方へ向かう。


「あれ、ない」


 廊下を通り、昇降口へ向かう途中、職員用の下駄箱を確認する。けど、目的の人が居ないということに気付く。


(走れば間に合うかも)


 そう考え、急いで自分の靴を置いている昇降口へ向かう。そして、すぐに履き替え、校門を出る。


「はっ、はっ」


 本を入れたカバンが重い。五冊も――しかも全部ハードカバーの本――入れているのだから、当然なんだけど。

 そうやって走り続けて数分。さすがに体力の方が保たなくなって歩き始めた矢先、その後ろ姿を捉えた。

 わたしと同じように、長く伸ばされた黒髪。わたしが髪を伸ばし始めたのも、ひとえにこの人の影響のせいだ。 

 その黒髪を揺らしながら、その女性は街道を歩いている。

 わたしはその人を見付けた途端、心が弾んだ。

 だってわたしの、たった一人の家族だから。だから、わたしはその人のもとまで近付いていって、その名を呼んだ。



「――クロエ(・・・)お姉ちゃん(・・・・・)!!」



 わたしの、最愛の姉の名を。


「あら? リンじゃない。もしかして、学校に居た?」

「そうだよ。やっと追いついた……もうっ、てっきり職員室に居るかと思ってたのに」

「ごめんね。今日やる仕事が案外早く終わったから」

「いいよ別に。元々約束はしてなかったし。ほらっ、帰ろ!」

「ああもう、引っ張らないでよ」


 お姉ちゃんの手を引っ張って歩く。お姉ちゃんは笑いながら、わたしの後ろを歩く。わたしも、つられて笑った。

 お姉ちゃんは、学校の先生で、歴史の教師を務めており、そしてわたしのクラスの担任でもある。わたしとは十歳年が離れており、わたしがいま十五歳だから、お姉ちゃんとは一回りほど年齢が違うことになる。

 わたし達の両親は、早くに亡くなり、お姉ちゃんは、まだ小さかったわたしの親代わりになってくれていた。

 そんなお姉ちゃんのことがわたしはとても大好きで、たった一人の家族で、大事な存在だった。

 けど、今のわたしには、もう一人、大事だと思う人が居る。


「――――あ」


 通りの向こう、夕焼けに照らされながら歩く、一人の少年の姿が目に入った。


 とくん、と胸が鳴った。

 だんだん顔が火照っていく。その人が誰なのか、脳が理解した瞬間、目を背けたくなった。

 でも、話したいから。その声を聞きたいから。

 わたしは彼を、見続ける。


「ねぇ、お姉ちゃん。ちょっと、友達見付けたから話してきていい?」 

「ん? いいわよ、行ってらっしゃい」


 お姉ちゃんに一言断りを入れ、その少年のもとへ走る。

 近づく度に、胸が高鳴る。この感覚を、わたしは知っている。いや、教えてもらった。

 お姉ちゃんに向けるそれと同じ括りではあるけど、全く別の性質を持つモノ。

 彼を知って、彼に触れて、そして気付いた、尊い感情。

 そしてわたしは彼の名を呼んだ。


アミー(・・・)くん!!」


 赤い髪に、わたしと同じ紅い瞳。

 その少年――アミーは、わたしの声に気付いて振り向く。

 その顔は笑っていて、わたしを安心させる笑みで。 


「やぁ、リン」


 いつものように、そう、挨拶してくれた。

 街はいつも通りの、穏やかな日々。

 そんな日々の中に、わたしが居て、お姉ちゃんが居て、親友が居て、好きな人が居る。


 ――ああ、わたし、いまとても幸せだ。


 そう、感じずにはいられなかった。

 

 ◇◆◇◆


 ――。

 ――――。

 ――――――。


 暗い、暗い場所に、僕は居た。

 暗い、というのにも少し語弊がある。たった一本の蝋燭だけがこの場所を照らし、ゆらゆらと、いつ消えてもおかしくないくらい弱々しく燃えている。

 けれど、それでもここにあるのはただの無だけで、在るのはただ己だけ。

 古い石畳と、少しだけ(かび)の匂いがする。このような匂いがするということは、多分地下なんだろうなと、ぼんやりと思考する。

 ああでも、なんで、ここに居るんだっけ。


「――――――」


 呼吸する音が聞こえる。手足は既に動かない。いや、動けない。何故なら両手足が磔にされているから。

 今の僕に残っているのは、虚無感と後悔、そして想い。

 けど、それすらも喪くなりつつある。

 何か大事なモノがあった。けどそれは一体何だったか。


「――――――リ、ン」


 名を、呼ぶ。

 そうだ。その名を持つ少女こそが、己にとっての大事なモノ。

 喪くしちゃいけない、大事なモノ。


「っ、ぁ……」


 大事なハズの少女。心の底から愛おしいと思った少女。

 この身に犠牲にしてでも、救いたいと願った少女。

 だから――行かなきゃ。


「――――ぁう、ぁ」


 声にならない声が、喉から漏れる。

 行かなきゃ、行かないといけないんだ。

 彼女を、助けないと。

 ガチャガチャと、鎖が揺れる。

 五月蝿い、五月蝿い。こんな所に居る暇なんて無いんだよ。

 早く、行かないと。

 そうやって、外れない鎖と奮闘していると、ふと、カツン、カツンと、音が聞こえた。誰かが、こっちに来ている。


『やぁ』


 ソレは僕の前までやってくると笑いながら――姿は見えないが、おそらくそれで合っている――僕の名前を呼ぶ。

 瓜二つの容姿。赤色の髪と、紅色の瞳。その声を、忘れるはずもない。


「ア、ミー」

『無様なモノだね。いや、この方が君には似合ってるかな?』

「この鎖を……外せ」

『嫌だね。外したら、君は間違いなく彼女の許へ向かうだろう?』

「当たり、まえだ……!」

『どうして、行くんだい? 今の君が行っても、意味は無いと思うけど』

「僕は、誓ったんだ。彼女の助けになるって、だから」

『いまの彼女に、君は要らないと僕は思うけどね』


 依然として、姿は見えない。けど、間違いなくアミーは嗤っている。その表情には、いったい何の意味があるのか。


「いいから、外せ。いや、待て。それより、ここは何処なんだ。そもそも、リンは無事なのか?」

『要求と質問が多い。少し黙れ』

「――――がっ」


 ドス、と。何かを脇腹に突き刺された。

 痛覚が鈍くなっているのか、鋭い痛みではなく鈍い痛みが、突き刺された箇所に走る。

 アミーは、突き刺した何か――おそらく刃物――を、そのままグリグリと僕の腹を抉り続ける。


『勘違いするなよ。君はいま僕に囚われているんだ。生かすも殺すも僕の自由ということを忘れるな』


 アミーは感情の篭ってない、冷めた視線をこちらに寄越す。それは紛れもなく、悪魔のモノ。


『でもまぁ、安心してよ。君にはこのまま、僕の計画の犠牲――いや、礎になってもらう』

「……どういう、意味だ」


 脇腹に刺したモノを抜きながら、アミーは不可解なことを言う。


『そのままの意味さ。何のために君を殺さず生かしておいたと思っている。全ては僕の――ひいては、リンの為だ』

「……リンの、ため?」

『だから、君が真にリンを想うのであれば、そのままここに居てくれ。確かに僕は悪魔だけれど、わざわざ無抵抗の君を殺そうとは思わない。さっき、殺さずに生かしておいたとは言ったけど、単純な理由としてはそれさ。なにより僕も――僕を、殺したくはない』

「――――――っ」

『安心してくれよ。リンは、僕が幸せにする』


 そう言って、アミーは僕から背を向ける。


「ま、て、アミー……!」

『あぁそういえば、ひとつ言い忘れていたことがあったよ』


 この場から立ち去る直前、不意にアミーが立ち止まって僕の方を向いた。そしてそのまま、その手を僕の方――ちょうど胸の辺りへ指さした。

 僕はそのまま、視線をそこへ向ける。そこには、


「――――――あ」


 己の肌に刻まれた、赤があった。

 駆け巡るかのように、刻まれた赤い文字――それは、人では読めない悪魔の文字。刻まれているのは胸だけじゃない。腕、足、指先、顔といった、身体中の至るところにそれは刻まれている。


「…………」


 それを見て、気付いた。

 ああ――そうか。そういうことか。

 アミーがやろうとしていること。僕を殺さず生かしている理由。それが全て、解った。


(僕は――――)


 僕じゃ――無くなっているのか。

 僕という存在が、消えていっているのか。

 揺れる、朧げな蝋燭の炎。

 あれは、僕の存在を示している。


『確かに、僕は君を殺しはしないよ。けどね、それは僕が殺さないだけであって、君を死なせないというわけではないんだ』


 アミーは依然として嗤いながら、僕を見る。

 そして、告げた。


『君は間違いなく死ぬよ』



 ◆◇◆◇


 ――。

 ――――。

 ――――――。


「おはよう、お姉ちゃん」

「あら、おはようリン」


 夏休み六日目。わたしはいつも通りの時間に目を覚まし、着替え、そしてキッチンの方に足を運ぶ。するとそこには、朝食の準備をしている姉がいた。


「もう出来るから、とりあえず出来てる分だけ、テーブルに並べてくれるかしら、リン?」

「はーい」


 食器の配膳を頼まれ、それをしっかりと遂行する。

 特にすることもないので、イスに座る。しばらくすると、先ほどお姉ちゃんが作っていた、残りの朝食がテーブルに運ばれてきた。

 お姉ちゃんも席に着いたところで、朝食を食べる。昨日は二人で食べることができなかったので、今日は一緒に朝食を共にすることができてよかった。


「――――ふふ」


 当たり前のことなんだけど、なぜだかそれが、とても幸せなことだと感じた。


「リン、今日は何をするの?」

「んっと……とりあえず、たまには外に出ることにするよ。いつも部屋に篭ってばかりじゃいけないし」

「あら、リンが外出だなんて、珍しいわね。……もしかして、この前の男の子が関係あるのかしら?」

「ちっ、違うよ!! アミーくんはまったく、これっぽっちも、ぜんっぜん関係ないんだからっ!!」

「そうやって直ぐに否定するところも怪しいわねぇ」


 ふふ、と微笑を――どことなく含んだ笑み――を見せながら、今日の予定について話す。お姉ちゃんは、当然だけれど今日も仕事だそうだ。

 ほどなくして、朝食を食べ終わる。二人で食器を洗って、お姉ちゃんは仕事の準備をしに部屋へ戻り、わたしは自室へと戻る。そしてそのまま、ぼんやりと窓の外を見つめる。窓の外には見慣れた街並みが見え、そこを行き交う人々で溢れている。

 ……その人々の中に、あの赤髪の少年が居ないかと、つい探してしまった。


「~~~~っ」


 だめだめ。いったい何をやっているんだ、わたしは。

 お姉ちゃんの言葉に釣られすぎ。あの人は、なにも関係ない。

 ……それでも、自然と眼は窓の外に向いてしまうわけで。

 トン、と窓に手を当てる。視線の先には窓が反射して映ったわたしの姿。

 長く伸ばされた黒髪。火のように紅い眼。身長は、前に比べたら少しは大きくなった気がする。

 わたし自身の、変わらない点と、変わった点。そのひとつひとつを意味もなく確認する。本当に、何の意味もない、ただの突発的な行動。 

「……ふふっ」

 けど、なぜだかそれが無性に大事なことのように思えて、なぜか笑ってしまった。でも、どことなくぎこちない笑いになってしまって、傍から見たらさぞかしおかしなことのように見えるだろう。 


「――さて、出掛けようかな」


 気持ちを切り替える。

 今日は、どこへ行こっかな。


 ***


「「あ」」


 偶然出会ったその人物を前に、思考が停止する。


「やぁ、リン」

「う、うん。こ、こんにちは……」


 出会ったのは赤い髪の少年――アミー。

 突然の事態に、わたしはつい反射的に下を向く。恥ずかしくて、顔が直視できない。

 ……どうしよう。顔、赤くなってないかな。


「リン? どうしたの、なんか様子が変だけど」

「へ!? あ、や、その……なんでもないよ!!」


 アミーくんにそう言われ、大慌てで否定する。こんな顔を見られたりでもしたら、たまったもんじゃない。


「……ぷっ」

「むぅ……なんでそこで笑うの」

「いやごめんごめん。ちょっとその、可愛いなって思って」

「ふぇっ!?」

「あ……」


 しまった、と言わんばかりに口を抑えるアミーくん。なんだかおかしいけれど、その動作が少し可愛いと思ってしまった。


「い、いやその、なんでもない、ごめん!」

「う、うん……」


 さっきのわたしだ……と内心思いながら、返事をする。

 訪れる沈黙。まるで先に動いたら負け、とでも言わんばかりに、わたしたちはどちらかが喋りだすのを待っている。


「あの」「ねぇ」


 そして沈黙が耐え切れず、口を開いたが――それも二人同時だった。


「……ははっ」

「ふふっ……」


 それがあまりにもおかしくて、わたし達はお互いの顔を見合わせて笑い合う。

 少し歩こう、という彼の提案により、わたし達はひとまず歩き出す。


「リン、どこか行くつもりだったのかい?」

「そう、だね……図書館でも、行こっかな」

「またかい? ほんと、君は本が好きだな」

「い、いいじゃないっ別に」

「まぁ、それが君のいいところ、なんだけどね」


 夏の日差しに照らされながら、わたしとアミー君は歩く。上を見上げれば、そこには透き通るような青があった。


「きれい、だね」

「――……そう、かな」

「うん、とってもきれい」


 いつだっただろう、前にもこんな青空を見た気がする。けど、思い出せない。ということは、そんなに重要じゃないってことだろうと決め付ける。


「僕には――ただ、目障りでしかないよ」


 隣の少年が、何か呟いた気がしたが、吹いた風のせいで、よく聞き取れなかった。


 しばらくすると、図書館が見えてきた。


「アミーくんはどうするの?」

「ここでお別れかな。僕も、やらなきゃいけないことがあるし」


 そう言うと、彼は非常に申し訳なさそうな顔をする。


「ううん、別にいいんだよ? ここまで一緒に来てくれてありがと。それじゃ、また」

「うん、また」


 一言告げ、わたしは図書館の方を目指して歩く。一瞬だけ振り返った先には、もう彼の姿はなかった。

 ギギィ、と音を立たせながら図書館に入る。

 そこに在るのは、相も変わらず本棚が所狭しと並んだ、薄暗い場所。そしてカウンターには、いつものごとく司書さんが――――。


「あれ……居ない」


 どうしてだろう。普段ならあそこで仏頂面で本を読んでいるというのに。

 時計を見る。時刻は、二時を過ぎたあたりだった。


「……ま、いいか」


 たぶん、トイレにでも行っているんだろうと勝手に決めつけ、わたしはいつもの定位置へ向かう。

 イスに座り、カバンの中から家から持ってきた本――と言っても、ここで借りた本だ――を読む。この前借りたのがこれに加え、あと一冊……あの赤いハードカバーの本で最後なので、ここで読んで、そして返して、新しい本を借りるという計画だ。

 そういうわけで、本を読み始める。読み始めてしまえば、時間が過ぎるのなんてあっという間だ。

 パラリ、パラリ。ページを捲る音が、心地よいリズムを生み出している。そのリズムに身を任せ、わたしは物語に沈んでいった。


 ***

 

 ――気付いたら、日差しが傾き始めていた。

 茜色が空を染め始める時刻。わたしはその一時間前に最後の本――あの赤いハードカバーの本を読み始めていたところだった。けど、


「………この本、」


 ――読んだこと、ある?

 そんなわけないと思いつつ、再びページを読み進めていく。だけど、その内容に既視感を覚える。

 間違いない。わたしは、この本を知っている。わたしはそれを気に入り、誰かに薦めようと思えるほどの内容だったハズ。

 大抵、わたしは一度読んだ本の内容は覚えているのだけれど……。


「………」


 軽い頭痛がする。その頭痛から逃れるように、わたしは本を閉じる。


「……まぁ、わたしだって人間だし。こんなこともあるか」


 などと、適当に理由をつけて考えないようにする。まるで、考えてはいけないとでも言うかのように。

 そして、別の本を読もうと席から立ち上がり、本棚の方へ足を向けた瞬間。


「え―――?」

「……………」


 その人――司書さんが、立っていた。

 腰の近くまで伸ばされたわたしと同じ黒髪。今日は眼鏡を掛けていないのか、その紫色の双眸がはっきりと見える。でもおかしな話だけど、顔が曖昧に見える。そこにいるのは誰なのかわかるのに、顔が見えない、夢みたいな変な感覚。


「え、と」


 司書さんは何も喋らない。たた黙ってそこにいるだけ。

 その様子は、まるで幽霊のようで。

 よく見たら、それは誰かに似ている気もして。

 沈黙が訪れる。永遠にも感じられる刹那。傾き始めた斜陽が、図書館の窓から入り込む。


「……貴女は、」

「え?」

 不意に、司書さんが口を開く。その声につられ、顔を上げれば、その双眸はわたしを見ていた。

「本当に、そのままで良いのですか」


 淡々と告げられたその言葉。

 それは、いったい何を意味しているのか。

 斜陽が朱く、燃えるようにわたしたちを照らす。彼女の紫紺の瞳がわたしを――わたしだけをその眼に映し、捉えている。

 

 ――生者と死者が交じり合う、黄昏時。 


 司書さんのその風貌が、あまりにも幽霊じみたせいか、ふとそんなことを思い出した。

 未だこの世に未練を残す死者達の想いが、夕焼けを介して伝えてくる。だから、黄昏時は寂しくもあり、切ないのだ――。そんなことを昔――昔っていつだろう――聞いた気がする。 


「――――――、っ」


 頭が割れるように痛い。


「……私には、何もできない。こうして貴女と話をすることだけで、精一杯。けどそれも、時間は限られている。――この時間でしか、私は貴女に語りかけられない。たとえその場所が、微睡みの中でも、貴女の中に私がいる限り、私は語りかけられる」


 独白するように、司書さんは何か言う。少し、その瞳が哀しげに揺らいだような気がした。


「進むのは貴女、止まるのも貴女。選ぶのは貴女の自由よ。でも、もう一度だけ、貴女の生きる意味を……貴女にとっての『本当の幸せ』を考えなさい」


 最後に、そんな不明瞭なことを言うと、司書さんは逃げるようにその場から離れていった。それと同時、夕日が完全に沈み、暗くなる。その闇に溶け込むように、司書さんの姿も次第に見えなくなっていった。


「……かえ、ろう」


 ズキリズキリ痛む頭を抑えながら、わたしは図書館の外へ出て、校門へと向かう。

 夜の帳が落ちた街。ポツポツと光る家の中の明かり――でも人の気配がない――いつもの街の風景だ。

 けど司書さんの言葉のせいで、わたしの中には謎の不安と焦燥が在って。それに耐え切れなくなったわたしは、思わず走り出す。

 お姉ちゃんの顔を見れば、安心できると思ったから。


「……リン? どうしたんだい?」

「っ――アミー、くん」


 だけど、校門まで差し掛かったとき、赤髪の少年に出会った。彼は、そのすぐ側にある街灯の下で、当然のように――まるで狙ったかのように――そこに立っていた。


「―――――」


 それが怖かった。同時に、既視感が芽生えた。まるでユメのように、都合の良いシーンを――知っているシーンを繋いだかのような、そんな感覚。それが、ただ、怖かった。


「――――っ」

「ちょ、リン!!」


 走った。恐怖に駆られるまま、走った。

 どうしてそう感じたのかなんてわからない。探したくもないし、知りたくもない。

 いまのわたしの中に在ったのは――最愛の姉に、会いたいということだけ。


「ぁ………」


 でも、家に帰ってもそこにお姉ちゃんの姿は無く、在ったのは伽藍とした部屋。

 いや――それが、元あるべき姿だと、そう告げるような、漠然とした予感があった。

 孤独、という事実が、わたしを締め付ける。胸が苦しくて苦しくて、ひどく辛い。

 ドッドッと心拍数が上がった心臓の音が聞こえてくる。わたしはそれを無理やり止めるかのように深く呼吸して、息を整える。だけど、ちっとも息は整わない。不規則な呼吸のリズムを刻んでいく。

 苦しい。すごく、すごく。

 眠ってしまえば、明日が来る。幸福に満ちた、日常がやってくる。

 でも――、眠るのが、怖かった。掴みかけたなにかを、手放してしまいそうな気がしたから。

 増大する不安。恐い、怖い、こわい。


『リン』

 

 ――誰かの声が、聴こえた気がした。

 それは、わたしを安心させるような声で、決してひとりのものではなくて。


 ――そこで、わたしの意識は途切れた。



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