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火涙の少女  作者:
11/12

第八章 『この花と、共に』


 夏が、終わった。

 わたしの視ている世界は、少しだけ、その在り方を変えた。

 

「リンちゃーん。おはよー!」

「マリアちゃん、おはよう」


 朝、登校する途中、親友マリアに出会う。そのまま、他愛もない話をしながら一緒に歩く。

 あのあと、わたしは真っ先にマリアちゃんのところへ行った。これまでの態度を、全部謝るためだ。

 そして、「友達になろう」と言うために。

 わたしがそう言うと、マリアちゃんは、笑って


『――うんっ!』


 と、言ってくれた。わたし達は、友達――いや、親友になったのだ。

 そして他にも、変わったことがあった。


「リンちゃん、マリアちゃん、おはよー」

「おはよう、アストロアート」


 学校に着いて、教室へ続く廊下を歩いていると、すれ違う誰かに挨拶される。


「うん、おはようっ!」


 それに、わたしは笑顔で返す。

 わたしは、他者との間につくっていた壁を壊した。

 そうすることで――前なら、考えられなかった光景が生まれた。それはかつて、わたしが願っていたモノで、わたしはそのことが、とても嬉しかった。

 あの人が言っていた通りだ。目の前に掴み取れる日常は、確かに存在していたのだから。

 

  ***


 放課後、わたしはいつものように図書館へ足を向ける。扉を開ければ、眼前には大量の本があり、視線を横に向ければ、そこにはいつものごとく司書さんの姿が――。


「あら、こんにちは、リンさん」

「ぁ……はい、こんにちは」


 そこに居たのは、あの黒髪と紫の眼をした女性ではなく、四十代半ばといった女性がイスに腰をかけて本を読んでいた。


「……あの、前にも聞いたんですけど、司書さんって、本当にここにはもう一人いないんですか?」

「あら、またその質問? そうよ、ここの図書館には、私しかいないわ」

「そう、ですか……」


 それを聞いて少しだけ落胆する。聞けば、ここには目の前の司書さんしかいないらしい。たしかに、この人とは面識もあるし、昼間などはこの人がカウンターの中に座っている。

 じゃあ――夕方、いつもわたしが来ると居た、あの女性は、いったい誰なんだろう。


(ううん、違う)


 答えは既に知っている。


「それで、今日も本を借りていくの?」

「いいえ――今日は、別の用事があってきました」


 一言、そう告げてわたしはこの図書館の最奥へ向かう。


『――――――』


 いつもの場所へたどり着くと、誰かの息遣いを感じた。


「……そこに、いるんだね」


 名前は呼ばない。そこに居ると、わかっているから。


「何も言わなくていいよ。いまから言うのはぜんぶ、わたしの独り言」


 窓から差し込む夕日が眩しい。斜めに傾いているそれは、もうすぐ地平線の向こうへ落ちていく。時間は、あまり残されていなかった。


「わたしね、好きな人ができたの」


 言いたいことはたくさんあった。でも、そこに居るって気付くのが遅かった。


「わたし、ずっと後悔してた。ずっと自分が悪いって思ってた。でも、それをそうじゃないって言ってくれた人がいた。わたしは幸せになっていいって、その人が言ってくれた」


 あの『夢』で――初めて気付いた。


「だからわたしは……前を向くことにする。後ろだけを見て、後ろだけに縛られるんじゃなくて、未来まえもしっかり見て生きることにする」


 家族はずっと、そこに居たんだってことを。


「だから――心配しなくて、いいんだよ。お姉ちゃん」


『夢』で一度告げた言葉。それを今度は、現実ここで告げる。



『――――強く、なったね。リン』



 その言葉と同時に、太陽が、完全に沈む。黄昏時が、終わる。

 そして、その気配が、消えた。


「……ばいばい」


 夢と、現実。二つの場での別れ。

 わたしは――姉の死を、受け入れた。


 ***


 図書館を後にして、帰路につく。けど、その道は、いままでの道とは違っていた。

 住宅区を抜け、少し郊外に近い場所へ向かう。そこには、一軒、大きな――といっても、マリアちゃんの家には負けるけど――お屋敷が立っていた。

 門をくぐり抜け、扉の前までやってくる。そして、扉を開け、帰宅する。

 扉を開けた先には玄関ホールが広がっており、ちょうどそこに、誰かが通りかかる。腰まで伸びた銀髪を揺らし、その翡翠の双眸が、わたしを捉えた。


「あら、おかえりなさい、リン」

「うん。ただいま、セラ姉さん」


 その人物――セラ・ユーベルは、笑顔を浮かべ、わたしに「おかえり」と言ってくれた。


 あの夏以降で変わったこと。その一番大きなものは、わたしがセラ先生――あらため、セラ姉さんに引き取られたことだろう。いわく、先生はアミーに操られ、彼の手足となっていたらしい。そのときの記憶は、朧げながら覚えているそうだ。


『まずは謝らせて。貴女を自分勝手に恐れたことを』


 そう言って謝罪し始めた姉さんに対し、わたしは慌ててそんなことはしなくていい、と言い、そして自分の過去を聞かせた。

 悪魔との出逢い。地獄の始まり。この街での過ごした間の出来事。クロード家のこと。そして、悪魔との再会――余すところなく、全部話した。

 姉さんは何も言わず、ただ聞いてくれた。そして全部話終わったあと、


『ねぇリン。よかったら、私の家に来ない?』


 と、言ってくれたのだ。

 嬉しかった。だから、受け入れた。


『その、こんなわたしでもよければ、いいですか……?』

『ええ、もちろん。よろしくね、リン』

『はいっ、えっとセラさ……』

『だめよ。そんな他人行儀じゃ。私のことはお姉ちゃんと呼びなさい』

『え、でもそれは……』

『姉さん、でもいいわよ? それかぁ、お姉さまとか……』

『じゃあ姉さんで』

『即答!? 少しは考えてくれたっていいのよ!?』


 こうしてわたしは。セラ・ユーベルの、義妹いもうととなった。

 お姉ちゃん、遅くなったけど、わたし、新しく姉ができました。


 ***


 ――そうやって新しい環境で過ごしていく内に、時間は、あっという間に過ぎていった。


 春が訪れ、夏が来て、秋を生きて、冬が終わっていく。


 そうしてわたしは、一年、また一年と、三百六十五日という時間を、重ねていった。

 その間、たくさんの出来事があった。

 学校を卒業して、進学して、わたしは図書館の司書として働き始めた。本に囲まれて仕事をするのは楽しかったし、図書館に訪れる人々の様子を眺めるのも好きだった。だからこの仕事は、天職とも言えた。


 そういえば、わたしが二十代の後半を過ぎた頃、マリアちゃんが結婚した。お相手はわたし達が通っていた学校の人らしい。なんでも、当時付き合い始めてそのままゴールインだとか。いい話だ、と思いながら純白のドレスに包まれた親友を祝福したのを覚えている。


 そんなわたしにも、そんな浮ついた話は無かったのかと聞かれると、実はあったりする。学生の間や就職してからも、わたしは異性からかなり告白された。

 マリアちゃんいわく、


『リンちゃんは美人だから、男どもはこぞって狙ってるんだろうねぇ』


 というわけらしい。もちろん、その告白を受ける気は全くないのだけれど。


(他人の好意を拒むのは嫌だったんだけどなぁ……)


 そんな告白されるのが多かった時期も、やがて鳴りを潜めた。それ以降は、誰もわたしに言い寄る人は居なかった。たぶん、わたしは誰とも添い遂げる気はないと、周りが理解したんだろうな。まったく、失礼な話だ。

 わたしには、心に決めた人が居て、ただその人を、ずっと待ち続けているだけなんだから。

 


 仕事をしている傍ら、わたしは『罪』を償うために、あることをしていた。それは、わたしが燃やした街の、復興作業だった。

 クロード家の方々に協力してもらって――このとき、わたしは初めて情報が外部に漏れていないことを知った――着実に、復興を進めていった。いまでは建物は再建されて、人も住み始めている。わたしもある時期を境に、ユーベルの家を出て、この街へ戻ってきた。

 街の中心にはいまも慰霊碑があり、きっとあれはあの街のシンボルとなるんだろうなとわたしは思っている。



 ――少しは償えたかな、と思う時がある。

 奪ったから、返す。その責任を果たすために、わたしは復興作業に努めた。

 けど、まだ足りないと感じてしまう。

 何が足りないだろう、何をすればいいんだろう、漠然とした不安が、わたしの中にあった。

 街はかつての姿を取り戻した。これでいいハズなのに、何かが欠けている気がしてたまらなかった。


 そんな日々を過ごしていた、ある春の日、わたしは思った。


 ――花を埋めよう。


 花を埋めて、咲かせ、一面の花畑をつくろう。

 彼と出会った場所、そして、わたしの憧憬の花畑をつくろうと、そう考えた。

 春には春の花を、

 夏には夏の花を、

 秋には秋の花を

 冬には冬の花を、

 絶やすことなく、咲かせ続けよう。

 そして、彼を待ち続けよう。


 ***


 そしてまた、新しい春が訪れる。

 昔日の彼方、そう決意してから、いったいどれくらいの年月が過ぎただろう。

 窓から差し込んだ穏やかな日差しに眼を細め、読んでいた本を閉じる。最近は身体が思うように動かない。病気を患ってから、こうしてベッドの上で過ごす生活も、随分と長くなる。


「具合はどうですか、アストロアートさん」

「そうねぇ……今日は、いつもより良いみたい」


 上も下も、真っ白な病室を訪れたナースに一言、そう告げる。嘘は言ってない。実際に体調はいつもより良い。でも、時間はあまり残されていない気がした。だから、


「ねぇ、ナースさん」

「はい? なんですか?」

「――外に、連れて行ってもらえるかしら」


 と、ナースに頼みごとをした。

 視線を外に向け、外の光景を眺める。窓から見える復興した街は、活気づいており、多くの人々が、街道を行き交っている。そこにかつての地獄の面影など微塵もなく、ゆえにその光景が、ひどく尊い。


「……ええ。先生に、聞いてきますね」


 明るい声でそう言って、ナースは部屋から出ていく。しばらくして、ナースは車イスを押しながら、「オーケーみたいですよ」と言って戻ってきた。

 ……外に出る。しばらくぶりの外の空気は、とても新鮮だった。


「どこへ行くんですか?」

「……慰霊碑へ、向かってもらえるかしら」


 なるべく人が居ないところを選び、車イスは進む。

 雑踏を抜け、やがて慰霊碑の前までたどり着いた。

 街の中心にそびえ立つ慰霊碑。つい数年前に補修されたそれは陽に照らされ輝いている。


「これ、昔この街で起きた火災の被害者さんを弔ったものらしいですね」


 車イスを押しているナースが、慰霊碑を眺めながら呟く。そうか、あのとき、まだこの人は生まれてなかったんだろうな。


「ええ、そうよ。わたしがまだ十五のときくらい。わたしの姉も、ここに眠ってるわ」

「そう、なんですか……。ごめんなさい、失礼なこと言って」

「いいのよ別に。……でも、そうね。だったら、一緒に祈ってくれるかしら」

「ええ、わかりました!」


 ナースと共に、慰霊碑に、手を合わせ、祈る。

 数分、ずっとそこに立っていた。祈りを終え、そこを後にする。


「アストロアートさん、お身体は大丈夫ですか?」

「ええ、だいじょうぶよ」


 嘘だ。少しだけ呼吸がつらい。でも嘘を吐く。

 どうしても、行きたい場所があるから。


「……ねぇナースさん。最後に、もうひとつだけ、連れて行って欲しいところがあるのだけれど」

「別に構いませんけど……どこですか?」

「とてもいいところよ」


 ナースに場所を告げると、ナースは笑って「わかりました」と言ってくれた。

 車イスが向かう先は、わたしの家からすぐ横を行った、開けた場所。


「わぁ……っ!」


 ナースの感嘆の声が聴こえる。

 ――そこには、一面、花畑があった。色彩に溢れ、カラフルな景色を作り出している。


「ここ、アストロアートさんがつくったって、私聞いてますけど」

「そうね……最初はただの自己満足だったんだけれど、いつからか街の名所になっちゃって」


 一年中色彩が絶えることのない花畑。ここは、そんな風に呼ばれている。


「さすがにもう管理人は別の人に変わってもらってるけれどね。でも、ここがそんな風に人々の心に残っていることが、わたしはとてもうれしい」


 だってそれは、奪った自分が、何か少しでも返せたっていうことだから。


「ねぇ、アストロアートさん」

「なぁに?」

「アストロアートさんは、寂しくなかったんですか? 結婚もされてませんし、ご家族も……」

「――――――」


 突然聞かれたその問いは、いったいなにを意味しているのかはわからなかった。

 数年前、この街で姉さんセラを亡くしたから、聞いているのか、それとも、わたしの人生が、この生活が、寂しくないのかと聞いているのか。

 ……きっとどっちもだろう。いろいろ引っ括めて、彼女はわたしに聞いてるのだ。


「――寂しくは、ないわ」


 笑顔を浮かべ、そう答える。

 嘘は言っていない。姉さんを亡くしたときは寂しかったけれど、それを乗り越え、受け入れるくらいには、心は強くなったと思う。涙も、流すことはなかった。

 そっと、右手を左手に重ねる。

 左手の薬指に在る、ひとつの指輪。

 永遠の愛を誓い、ずっとあなたを待ち続けると約束した、大事な指輪。

 それが、たまらなく、愛おしい。


「…………」


 眼を閉じ、刹那の間に、あの夏からの人生というものを振り返る。

 あれからずっと、わたしは、独りだった。けど、周りには人が居た。

 ひとつの幸せというモノが確かにあった。だから寂しくはないし、悲しくもなかった。


「――――、」


 花畑の、遠い向こう側。

 そこを駆け回る、黒髪の姉妹の姿が、見えた。


「ああ――わたしは……」


 それになにより、

 悲しくないのは絶対があるから。

 苦しいけれど、報われると、約束が果たされると信じているから。

 わたしは前を向いて、歩いていけたのだ。


「アストロアート、さん……?」

「ごめんなさい、少し、眠くなっちゃって」

「っ――ええ、いいですよ。ちゃんと、私が病院まで連れて帰りますから。いまは、この景色を見ながら、ゆっくり休んでください」

「ごめんなさいね……そう、させてもらうわ……」


 眼前に広がる花畑を映しながら、だんだんと瞼が降りていく。陽気な日差しが眠気を促す。


「――――」


 頭の中で考えていたのは、やっぱり彼のこと。

 ずっと、ずっと待ち続けていた、大好きなひとのこと。



 ……けど、やっぱり、遅いわね。

 ああ――はやく来ないかしら。

 あなたが遅すぎるから、わたし、おばあちゃんになっちゃったじゃない。

 もう、待ちくたびれちゃったわ。

 ――ねぇ、わたしね、幸せだったわ。ここで、幸せになれたのよ。

 あなたが教えてくれた場所で、幸せに生きれたの。

 けどね、あなたが居ないと、わたし、やっぱりダメみたい。

 わたしの本当の幸せは、あなたが居ないと――ダメ、みたいだから。

 はやく、迎えに、来て欲しいの。



「ね……アウ、ナス」



 そして、わたしの意識は、眠るように、ゆっくりと沈んでいった。



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