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第八話「少女たちのキュートな日常 ~ゼノンのパラドックス~」

 その日の夕方、なんとなくテレビをつけると、テレビはなんとなく男の子向けアニメを放送していた。ほてりはなんとなくリビングの椅子に座り、なんとなくそれを眺める。『なんとなくなんとなくうるせえ!』という声がしてきた。一瞬どこからかと思ったが、テレビからだった。


(……必殺技)


 アニメではキャラクターが武器を持って必殺技の名前を叫んでいた。ほてりは昨日の理珠夢りずむが言っていたことを思い出す。


『ずばり、必殺技の修行だ!』

『悪い大人に対抗する武器となる技術、それを必殺技と呼んだのだ。体術、知識、交渉術、何でもいい。それを明日考え、明後日報告するのだ』


 その明日が、今日だ。今日から見て明日までに何か考えなくてはならない。


 しかしどんな技を修得すればいいのか。体術。体育は苦手だ。知識。あるのはサンリオのキャラクターについてくらいだ。交渉術。どう考えても、こちらが不利になってしまう交渉しかできそうにない。


(わかんないよぉ……)


 ほてりはリビングの去り際に、母親に「NHKにしといて」と言われたのでリモコンを操作した。天下の日本放送協会も、大人に下克上する秘奥義など教えてくれそうにない。






 ◇   ◇   ◇   ◇






 自室のピンク色のベッドに座ったほてりは、簡単な携帯でらんに電話をかけた。


(りずちゃんは、お姉ちゃんみたいな大人になりたいと思ってるみたいだったけど……藍ちゃんにとっての大人って、誰なのかな……)


 敵を知り己を知れば百戦殆うからず、ということわざを、実は読書好きなほてりは知っていた。敵=悪い大人。己=良い大人になりたい自分。自分にとっての大人が何なのかよくわからないほてりは、答えを友達に求めた。


『もしもーし!』

「あっ、藍ちゃん。あのね、わたし――」

『ねえほてりん、聞いて聞いて! らん、小学校そつぎょうしたら、おきなわ旅行に行くことになった!』

「えっ、沖縄に?」

『うん! おきなわにお引っこしして、空手のお勉強するの!』


 旅行ではなかったのか。ほてりは「ふぇぇ……?」と戸惑う。


「で、でもそれって……同じ中学校に行けないってこと……?」

『あ』


 電話の向こうが沈黙する。「ら、藍ちゃん?」心配になって名を呼ぶと、震える声が返ってきた。


『そ……そうかも……』

「えぇーっ!? わたし、藍ちゃんと一緒の中学校に行きたいのに……」

『うう、らんもだよぅ……でも、らん、空手で世界一になりたいし……』

「そうなの!? すごい! じゃあ、夢を叶えるためなんだ……?」

『うん……』


 藍はかねてから『強い大人になりたい』と言っていた。沖縄は空手発祥の地。そこで鍛錬することで世界一の夢をものにしたいというのだろう。


 ほてりは訊いてみた。

「ね、藍ちゃん」


『んー?』

「藍ちゃんにとっての大人って、どんな人?」

『おとーさんとおかーさん!』


 即答だった。『おとーさんはね、すごい柔道家で、おかーさんは、すごい弓道家なの! って、前にも言ったかな?』


 藍の父親は無差別級柔道で日本一になりかけたこともある、屈強な男だ。そして母親は淑やかで時に鋭い眼光を見せる大和撫子、その弓の腕は一級品だという。


『らん、おとーさんとおかーさんにいろんな武道をやらせてもらったの。その中でいちばん楽しかったのが、空手なんだ! でもね、らん、おとーさんのつよいタマシイと、おかーさんのすごい集中力を受けつぎたい! だから、らんにとっての目標、らんにとっての大人は、おとーさんとおかーさんなんだよー』


 えへへ、と笑う藍。

 ほてりが心から、すごいなあ藍ちゃん、と言うと、空手家少女はきょとんとしているふうだった。

 それからしばらくは取り留めのないことを話して、夕食に呼ばれるのと共に携帯を閉じた。






 ◇   ◇   ◇   ◇






 藍も、理珠夢も、まっすぐだった。


“じゃあ、わたしは?”


 ほてりは悩んだまま、その日は眠りに落ちた。






 ◇   ◇   ◇   ◇






 翌日。

 曇天が灰色の膜を被せているみたいに、街はどことなく暗かった。

 しかし小学生という生き物は、そんな中でも元気な時は元気だ。


「え、えーっと……こほん……こ、これより、第一回すとろんぐぷれじで……ごっど……」

「ストロンゲストプレジデントカイザーゴッド竜王棋聖エベレストスカイツリー不可説不可説転カップだ」


 ほてりはうなだれる。理珠夢が考えたその呪文のような大会名を覚えるには、魔術師の資格が必要なのではないかというようなことを思った。


 一方、理珠夢と藍という生き物は元気そうな強面を浮かべながら数メートルの空間を挟んで対峙している。


 ス(中略)カップ。

 それは大会とは名ばかりの、大人に対抗する技を披露する遊びである。


 まず習得してきた技を見せ合い、次にお互いに意見を交換してより素晴らしい大人に近づこうというもの。


 の、はずだった。


 しかし今、理珠夢と藍はお互いを睨みつけ、今にもホルスターのリボルバーを抜いて早撃ちバトルを始めそうな雰囲気を醸し出している。原因は明白。『わがはいの技の方が有効だ!』『らんの技の方が強いもん!』という会話をきっかけに、マシンガンのような言い合いになったからであった。リボルバーどころじゃなかった。


 藍が一歩踏みだし、空手のような構えをとる。チャームポイントのちょこんとしたサイドポニーテールがそよぐ。


「ふっふっふ……らんの“すとーむ・きっく”を受けて立ち直ったヤツはいない……きのう考えたばっかだから受けたヤツもいないんだった……まあいーや……」


 なんとも迫力のない威圧。ほてりはうんうんと頷きながら、藍ちゃん頑張って、と心の中で声援を送る。


「“すとーむ・きっく”? っはーん!」


 対して理珠夢がいつものキザな仕草で言い返す。ほてりはうんうんと頷きながら、りずちゃんも頑張って、と心の中でエールを送る。


「よいかね藍。キミの蹴りのみならず、あらゆる攻撃はわがはいに一切届かない」

「な、なんだとぉ……!?」

「“ゼノンのパラドックス”を知っているかね? 古代ギリシアの哲学者ゼノンが考案した数々のパラドックスの総称だ」


 彼女は、パラドックスとはちゃんとしているように思える前提と推論から変な結論が出ることを指す言葉だ、と補足する。ほてりにはよくわからなかったので、諦めて続きを聞いた。


「その中でも“二分法”と名の付いたパラドックスは、有限の時間の中では、ある地点から別のある地点まで移動することは不可能であるとした。つまりこうだ」


 理珠夢は、胸の前で両手の人差し指を立て、指と指との距離を近づけたり遠ざけたりする。


「藍の蹴りをわがはいに当てるまでは、まず藍の足は、藍とわがはいとの距離の半分という位置に到達しなければならない。更にそこから蹴りを当てるには、また藍とわがはいとの距離の半分の位置に到達しなければならない。それ以降も同様に考えると、どうなる? ほてりちゃん」


「ふぇっ!? わ、わたし!?」

 ほてりは突然矛先を向けられてびっくりしたが、一生懸命考える。

「えーっと、藍ちゃんとりずちゃんの間が半分になって、それがまた半分になって、また半分になって半分になって半分に……あ、あれ? なかなかたどりつけない……」


「その通り」

 理珠夢は不敵にうなずく。

「藍の蹴りをわがはいに届かせるには、百万回半分の地点を通っても足りない。無限回、半分の地点を通過することができるなら可能かもしれないが、そんなことは少なくともこの戦いという有限の時間の中では不可能だ。従って! 藍、おまえの“すとーむ・きっく”とやらは絶対にわがはいに当たることはなぁい!」


 指をさして勝ち誇る理珠夢。一方藍は膝をつき絶望する。

「そ……そんな……りじゅむん何言ってるかぜんぜんわかんないけど……らんのケリ、ぜったい当たんない気がしてきた……」


「ふははははーん! 二分法が成立する以上、わがはいにはどんな物だって当たることはないのだー!」


 自信満々に言い放った直後、鳥のフンが落ちてきて理珠夢の肩に当たった。否定されたゼノンのパラドックス。敗退する理珠夢。悲しみに暮れる少女に、ほてりは励ましの言葉を投げかける。その声による空気の振動は、パラドックスを覆し、確かに理珠夢の鼓膜に届くのであった。






 ◇   ◇   ◇   ◇






 翌日。

 ぼろぼろ公園に向かう途中の道路脇を、三人は楽しげに喋りながら歩いていた。


「ごめんね、わたしだけ何にも必殺技考えられなくって……」

「いいのだ、ほてりちゃん。一日で思いつくのは難しい。わがはいもお姉ちゃんの助けがあってこそだった」

「そーいえば、けっきょく、らんのすとーむきっくがサイキョーってこと?」

「はぇ? えと、えーと……」


 藍の無邪気な言葉に、理珠夢の顔をうかがうほてり。理珠夢が怒り出すのではないかと思ったのだが、いつものような謎理論による反駁は飛んでこない。

 見ると、理珠夢は神妙な顔をしていた。


「り、りずちゃん……?」

「わがはい、決めたのだ」


 小さな拳をきゅっと握って、空を仰ぐ。


「わがはいはもう屁理屈は言わない。藍に負けて思ったのだ……純粋な心こそが成長を生むと!」


 その瞳はきらめいていた。「おおーっ!」「か、かっこいい……!」ぱちぱちぱち。藍とほてりが拍手をする。理珠夢は照れてしまって、む~、と頬をピンク色に染めた。


 それから、ぼそりと言う。


「屁理屈を言ってたら……大人になれないし」

「え? りじゅむん、なに?」

「大人になりたいなと言ったのだ」

「ふーん? らんもなりたいなーオトナ! ほてりんもオトナになりたい?」

「ふぇ……あ、えっと……う、うん……」


 道の雪はだいぶ溶けてきていた。ところどころに雪かきで積まれた塊がギリギリ残っているだけで、アスファルトの大部分には残滓すらない。

 それを眺めながら、ほてりは寂しい気持ちになっていた。


「冬も……終わらなきゃいけないのかな」


 呟いた、その時。


「えっ」「ああーっ!!」


 理珠夢と藍が驚きの声を上げる。

 何が起きたのかとほてりも二人の視線を追う。

 愕然とした。




“工事予定地”




 そんな看板が置かれ、ぼろぼろ公園の中には視察に来た大人たちがうろついていた。


 時間は刻々と過ぎていく。

 どんなに幼い時期でも確実に進んでいく。

 そしていずれ、その時は来る。

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