第七話「少女たちのキュートな日常 ~モアイ三重奏~」
石板が消えた、盗まれたのだろう、という報せを受けたその翌日。
曇天が灰色の膜を被せているみたいに、街はどことなく暗かった。
そして小学生という生き物は、けっこう天候に気分が影響されやすい。
「はぁ……」
ほてりがため息をつけば、
「うがぁ……」
藍も脱力したようにお馬さんに覆い被さり、
「あぁぁ……」
理珠夢も落胆の表情で声を漏らし。
「ニャァァ……」
ラプラスは彼女らに興味なさそうにあくびをする。
謎の黒猫はともかく、女子小学生三人はがっかり三重奏を編成していた。曇り空で気が滅入るというのもあるのだが、最大の理由はもちろん、石板のことだ。
理珠夢の姉経由で東大の考古学研究室に送られたロンゴロンゴの石板。それはその研究室に在籍する教授が責任を持って、厳重に、保管されていた。しかしいざ調べようと石板を保管庫から出そうとすると、そこで既に無いことに気づいたのだという。
研究室の誰かか、部外者かはわからないが、盗まれたとしか考えられない。神崎さんと鈴森さんと小玉さんには本当に申し訳なく思っています、とメールには書かれていた。また、こんなことがあったが考古学に興味を失わないで欲しい、と勧誘のような文章がつらつらと続けられていた。三人は遺跡マニアの卵だとでも思われていたのかもしれない。
「大人はヒキョーだ」
お馬さんに覆い被さった藍が呟く。
「きっと石板をぬすんで、マニアの人にひゃくまんえんで売ろうとしてるんだ。ヒキョーだ」
「ほんとだよぉ……不思議なことを知りたい気持ちをじゃまするなんて……」
ほてりもブランコの周りの柵に座ってうつむく。世の中にはひどいことをする大人もいるのだ。悲しい気持ちになる。
「よし……こうなったらもうあれをやるしかないぞ」
がっかりの音色を奏でていたほてりと藍に、理珠夢がまた何か言い出した。ほてりは「あれ、って?」と訊いてみる。
「ふふん。あれとは、ずばり、必殺技の修行だ!」
「おぉーっ!」
「な、なんでぇっ!?」
藍は目を輝かせている一方、ほてりからすれば何故いきなりそんな話になったのかがわからない。必殺技とは一体何なのか。クラスの男子が、ギアセカンド! とか言いながら相撲の仕切のような構えをしたりしていたが、理珠夢もその相撲を題材にした少年マンガに影響されてしまったのだろうか。
ほてりがそのようなことを思って心配していると、「明後日!」と理珠夢が声を張り上げた。
「明日は各自、自主的に特訓だ。そして明後日、その成果を報告しに集まろう」
「ねぇねぇりじゅむん、必殺技ってどんな?」
「ああ、言っていなかったな。悪い大人に対抗する武器となる技術、それを必殺技と呼んだのだ。体術、知識、交渉術、何でもいい。それを明日考え、明後日報告するのだ」
必殺技とはそういう意味だったらしい。だが少年マンガなら打ち切られそうな設定だ。
「たのしそー! らん、やる!」
「で、でも……」
ほてりは小さく口ごもる。
理珠夢も藍もその意味を察したのか、なんとなく肩を落とした。
小学生の自分たちが体術を得ても、知識を得ても、交渉術を手に入れたとしても――大人に対抗するのには限界がある。
それをわかっているから、三人は曇天のように暗く落ち込んでしまった。
「ニャー」
と、ラプラスが口に小さな何かをくわえて引きずってくる。
その瓦のような何かには、
謎の絵文字が描かれていた。
「「「石板だああああ!!!!」」」
三人は晴天のように明るくなった。単純である。ぼろぼろ公園にだけ、雲間から陽が差したかのようだった。
◇ ◇ ◇ ◇
ほてりと理珠夢と藍は、ぼろぼろ公園の地面に絵文字を三つ描いた。
ラプラスの額にあるもの。
最初の石板にあったもの。
先程見つけた石板の模写。
それをしゃがんで眺めているほてりの隣で、理珠夢がすっくと立ち上がる。
「わがはいたちが独自に解読してその価値を敷衍、広めよう!」
「えぇーっ!?」
「おぉーっ!!」
ほてりが驚き、藍が目を丸くする。そして理珠夢博士の言葉の続きを待った。
しゃがむ博士。
「方法は全くわからないが」
「わかんないんじゃーん!」「し、仕方ないよ、一緒に考えよ?」
これらの絵文字はイースター島の未解読文字“ロンゴロンゴ”だと思われる。そのロンゴロンゴは多くの学者が解読に挑戦したが、未だ有力な説は上がっていないという。
「で、でも、これ、不思議な形の文字だよね……。イースター島の本にはこういうのがいっぱい書いてあったの……?」
「本ではなく、木の板に刻まれていたとお姉ちゃんは言っていたな」
理珠夢が記憶をたぐるようにこめかみに指を当てる。
「流木、杖、また“レイミロ”という三日月形の装飾品などに刻字されていたようだ。木の板にこういう感じのものがたくさん、ズラリと、規則正しく並んでいるところを想像してもらえればいい」
ほてりはその文字列を想像した。
魔法使いの書く意味不明な呪文のようで、少し怖い。人のような形にも見える不気味な文字が、これまた不気味な杖に踊っているのだ。ほてりは寒気すら覚えた。
「なんか、わくわくするねっ! らん、ごろんごろんをオカイドクしたい!」
目をきらきらとさせる藍。この子はあまり恐怖を感じていないらしかった。ほてりもつられて、ロンゴロンゴを見つめる。
そうだよね、と思う。
もし、世界の誰にも解読できていないロンゴロンゴを――解読することができれば。
「しかし……如何にして解読しようか……」
「見た目でカンで当てる!」
「うむむ……ロンゴロンゴに関する論文をお姉ちゃんに読んでもらったとしても、そも有力な説がないのなら解読は……」
論文を読むのは姉頼りの理珠夢。
それを見てほてりは、はたと思いついた。
「じゃ、じゃあ……こう、しない?」
◇ ◇ ◇ ◇
「できたー!」
「んむ、わがはいもできたぞ」
「わわ、みんな早いよぉ……」
ぼろぼろ公園からほど近い、藍の自宅。
藍の母親に元気に挨拶し、三人は子供部屋に行って床に寝そべっている。うつ伏せになり、三人同士顔を付き合わせている形だ。それぞれの手元には白いメモ紙があるが、ティッシュ箱やぬいぐるみを使って互いに紙が見えないようにしている。
「よし、わたしも書けたよ!」
ほてりが紙に何事かを書き終わると、理珠夢と藍もにやにやとして、自分たちのメモを掲げた。
「じゃあ、せーのでしよ! せーのっ!」
藍の合図で、理珠夢、ほてり、藍の順で、紙を並べた。
そこに書かれているのは、三人なりの絵文字の解読方法――
「な、なにこれぇ!?」「あははははは!」「ぷくくく……意味不明……」
ちょっとよくわからないが、つまりこうだ。三人がそれぞれ解読案を出し、それを合わせてみることで、何らかのヒントを得ようという試み。ただのゲームのようだが、少女らは割と真面目であった。
「ジャンプしながら腹筋とは……水揚げされた活きの良い魚としか思えない」
「あははは! これのどこがイースター島の人なのー?」
「それを言ったら藍、おまえだって腹筋要素が一つもないではないか」
「ゲームだからてきとーでいいの!」
「げ、ゲームじゃないよぉ……」
「よーし、次やろっ!」
三人はまた独自の解読案を考え、せーので並べた。
三人が笑い転げて本棚にぶつかった。上に乗っていた柔道のトロフィーが落下し、理珠夢の頭にごちんと直撃し「ぎゃ」と悲鳴が上がり、大事なトロフィーが落ちたことで藍が「ぎゃああ」と叫び、ほてりが訳もわからず「ひゃ、ひゃくじゅうきゅうばん!」と言いながらおもちゃの黒電話を回し、部屋の扉が開き、藍のお母さんが現れて怒鳴った。
「静かにしなさい! 近所迷惑でしょう! 食べさせてあげませんよ、イモアイス!」
二個目のトロフィーが落ちた。
◇ ◇ ◇ ◇
その後もロンゴロンゴ解読作業、あるいは三行作文ゲームは続いた。藍がふざけるので理珠夢もふざけ始め、ほてりも陥落し、途中からは目的を忘れて笑い合った。「メロスは激怒した」→「キティちゃんと」→「がったいだ!」という名作や、「らんちゃん、ふざけすぎだよ~」→「まじかる☆らんらん、かれいにさん上! まじかるパンチをくらいなさい☆」→「敬具」という傑作を生み出した後、三人は笑い疲れて寝転がっていた。
そして誰からともなく呟いた。
「なんにも解読できてない……」
忘れかけていたが、ほてりたちは公園の価値を広めるためにロンゴロンゴを解き明かそうとしていたのだ。それなのに得たものといえば、腹筋の疲れくらいのものだった。遊んでいる場合ではない。
「もしも……」
理珠夢がぽつりと漏らす。
「もしもわがはいがラプラスの悪魔だったなら、ロンゴロンゴも全て理解できたのだろうか……」
「ラプラスのあくまって?」
「前にりずちゃんが言ってた、この世のことを全部知ってるすごいもの……?」
理珠夢は仰向けのまま、はあと息を吐いた。「そうだ。“全知”と言い換えてもいい。そんな存在になれたらなあ……」
確かに、全知になれればロンゴロンゴの解読すら可能だろう。遥か昔に意味を知る術を失った言語が、復活する。それはとてもファンタジックであり、わくわくすることだ。
ほてりは理珠夢を見る。
博識な姉を慕っていることからもわかるように、理珠夢は知識をひたすら求めている。ほてりは、りずちゃんにとっての大人の姿は物知りな人なんだろうなあ、と思った。
外で四時半を示すチャイムが鳴る。冬はすぐに暗くなるから、もう帰らなければならない。
ほてりと理珠夢は、藍とそのお母さんにさようならを告げた。
「ほてりん、りじゅむん、またきてね!」
「うむ。必殺技、考えてくるんだぞ」「じゃあね、藍ちゃん。藍ちゃんのママも」
お邪魔しましたー、と玄関を出て、夕暮れの中に一歩踏み出す。
オレンジに染まる街並みに、カラスの声が寂しげに響いた。
光が失われる、その直前の景色は、ぼろぼろ公園とどこか重なった。
「りずちゃん……」
ほてりはなんとなく不安になって、隣の理珠夢を呼ぶ。
「……ほてりちゃん」
理珠夢もほんの少しだけ泣きそうな顔で呼んでくる。
やがて二人は小さな手と手を繋ぎ合い、指を絡め合って、歩き始めた。
ほてりも、理珠夢も、そして藍も。
いろいろなことを、まだ知らない。
☆ ☆ ☆ ☆
天の川銀河系太陽系第三惑星、通称“地球”は美しい星だ。
『彼』の母星“アヅル”のネオンに彩られた風景ほどでもないが、青と白と緑が調和した地球の外観は素晴らしい。そこには12平方アグナンタを超える面積の塩水が満ち、アヅルでは構築に時間を要する“木”がそこら中に生えている。そこに住む様々な生物――地球における知的生命体の頂点“人間”を含む――もまた、学術的に研究する価値だらけだ。
住んでみたい。天然の水を飲み、野生の獣を食べ、広大な自然を歩いてみたい。
知識のフロンティアを開拓したい――。
そう思ったのは彼だけではなく、アヅルの最高機関も同じであった。最高機関“アヅルチル”は様々な面から見た地球の有用性を提示し、彼にある一つの命令を下した。
“電子の門”を経由して地球に降り立ったのはつい4クランタも前のことだ。計画のため、まずは地球人とコンタクトを図る。丁度いいイベントが開催されるようなので、それを利用することにした。
そして彼は順調に計画を遂行していったが、途中、不可解な情報を手にする。
“東大の考古学研究室”なる場所に保管されていた遺物が、教授の目の前で跡形もなく消滅したというのだ。
混乱を避けるためと教授自身も半信半疑なために、研究室では「盗まれた」ということにしたようだが、『彼』は確信する。
地球には、やはり予想もつかない何かがある。
ならば、計画は必ずアヅルにとって有益なものとなる、と。
そうしてこうも思った。
もし地球が危険な存在であるとすれば――