第十四話「少女たちの友情」
鈴森ほてりは困っていた。
どれくらい困っているかというと、給食で嫌いなひじきのサラダが出た時くらいに困っていた。というよりも今、実際に給食の時間であり、ひじきのサラダが出ている。
ほてりはひじきのサラダに入っている豆が嫌いなのだ。なぜ小学校最後の給食にこんな不味いものを出してくるのか。否、最後だからこそ栄養士の先生は試練を用意したのだろう。そして試練の先にあるデザート、ケーキを誂えてくれたのだろう。ほてりは給食係の子から豆乳入りケーキを受け取った。落ち込んだ。
隣ではサイドテールの可愛らしい少女が友達と話している。小玉藍。ほてりの最初の親友だ。しょぼんとしているほてりに気づくと、「どーしたの?」と訊ねてくる。
「藍ちゃん、あのね、わたし豆乳ケーキが苦手で……」
「そーなの? じゃあらんがもらってあげよっか!」
目を輝かせてよだれを垂らす藍。ほほえましいなあ、とほてりは思い、渡そうとする。しかし藍は気が変わったのか、「あ、やっぱり」と別の方向を見て言った。
「りじゅむんにあげてあげて!」
「り、りずちゃんに?」
「うん! りじゅむん今、勉強がんばってるでしょ? あんまりやると頭に『とーぶん』がなくなっちゃうから!」
ほてりは別の班にいる、もう一人の親友を見る。神崎理珠夢。彼女は背筋を曲げてカリカリカリカリと紙に鉛筆を走らせていた。合格した私立中学の勉強をしているのだろう。
そこへクラスメイトの綱島くんがやってきて、「ガリ勉だー。それ、中学生の内容?」とからかう。「そんなの勉強したって、大人になって仕事を始めたら意味ないのに!」
理珠夢がはあとため息をつき、鉛筆を置く。
そして立ち上がった。
「綱島」
「な、なんだよ」
理珠夢は元気そうにポーズを取ると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、静かに言い放った。
「十字軍は何故敗北を重ねたか知っているか?」
「知らない? っはーん! ではお教えしよう」
「まず、十字軍とは、中世ヨーロッパのカソリック諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還するために派遣した遠征軍のことだということを知っておいて欲しい」
「当時のカソリック諸国は、宗教優先の社会だった」
「そこでは、科学者は神の教えを冒涜しているとして弾圧された。十字軍の時代ではないが、ガリレオが地動説を唱えて裁判にかけられたことからも、カソリックの頑迷さはわかるだろう」
「十字軍の時代、哲学や科学やその他の学問はそのように破壊され、忘れ去られてしまっていた」
「一方、当時のイスラム諸国にはギリシャの哲学等の学問が渡りついていた。イスラム人はそれの翻訳を進め、大切に保存し、熱心に研究していた」
「しかしヨーロッパはどうだ。戦闘に関し実用的な剣術ばかりを学んでいた。ならば戦争にだけは強くなると思うであろう? だが! 結果として、イスラム諸国に遠征した十字軍は痛烈な敗北を喫する」
「イスラム諸国は一見非実用的と思われるような学問を利用して、戦争に勝ったのだ」
「当時のヨーロッパ人はイスラム人の使う技術を見て『ユダヤ人は魔術を使う』と恐れたという。哲学やその他の学問を捨て去らなければ、その魔術を自分たちが使えたというのに」
「そう」
「実用的なことを学ぶだけでは心が貧しくなるだけでなく、その実用すらも疎かになってしまうということを歴史が証明しているのだ」
「つまり……」
「全ての勉強には意味があるっ!」
生意気な女の子、理珠夢の演説が終わった。
ほてりは教室が少し静かになっていることに気づく。班で喋っている子も、給食係の子も、じっと耳を傾けていたのだ。やがて、パチパチパチ、と手を叩く音が起こる。北村先生が微笑みながら拍手を贈っていた。周りの児童たちもぱちぱちとやり始めるが、そこで理珠夢が「うっ、うるさい! わがはい勉強するの! 邪魔するな!」と照れるので、万雷の拍手が湧き上がる。
目を細めるほてり。
にこにこする藍。
顔を真っ赤にしておろおろとする理珠夢。
理珠夢の格好良さに当てられたのか、今回、食べ残しをした児童はいなかった。
明日は、卒業式だ。
◆ ◇ ◆ ◇
アヅル星人の男の人をたおした後、わたしはキラキラ光りながら消えていくその人を見ていた。りずちゃんによると、「剥がれていくテクスチャのようだ」だそう。よくわからない。
たおしたのと同時に“だんぜつそうち”の効果がなくなったのか、いつの間にか黒猫のラプラスが肩に乗っていて、ふうと息をつく。
「ラプラス……」わたしはつぶやいた。
「私たちは何も知らなかった」ラプラスも言葉をつむぐ。
「そう、知らなかったんだ。たとえ全知全能でも……様々なことを知らなかった」
「ど、どういうこと……?」
「知るとは経験すること。私たちは経験と言うものをしたことがなかったのさ。もちろん経験と同じレベルの電位変化を起こすことは可能だ。だがそれは本物じゃない。いくら肌触りを知っていても、かじった感触を知っていても、経験していないという事実は私たちを虚しい気持ちにさせた。だからきみたちを観測することにしたんだ。憑依システムを使ってまでね」
わたしの肩からぴょんと飛び降り、ラプラスはコンクリートの床に着地する。
「きみたちに怖い思いをさせた責任は私にある。ただ、忘れないで欲しい。大人は――」
ラプラスは何か言いかけるけど、わたしたちの顔を見回して、言い直した。
「――わかってくれているみたいだね」
「ラプラス」
りずちゃんが彼を抱き上げる。
「わがはいにくれた全知の力、セーブしていただろう。無数の未来を見通せる全知なら、本来ならばアヅル星人が妙な装置で未来を変えたとしても、その未来すら知ることができただろうし」
「面目ない」
「いいのだ。わかっている。おかげでわがはいたちはきっと大人になれる」
ラプラスが、ニャッと笑うとふわりと浮かび上がった。りずちゃんの腕をはなれていく。
辺りはすっかり夜だった。街灯に照らされるわたしたちは、同じように黒猫さんを見つめる。
「お別れだ」
そう言われることもきっとわかっていた。
「ラプラス、いっちゃうの? らんたちともっと遊ぼうよ!」
「藍。きみは自分の力で答えを見つけた。それはとてもすごいことだ。お父さんとお母さんも、誇りに思っていることだろう。彼らのもとで、存分に愛されるんだよ」
藍ちゃんは、ぱぁっと笑顔になってラプラスを抱こうと手を伸ばしたけど、ひっこめた。
そして今度はさびしそうに笑う。
ラプラスはそれをかくにんすると、座るような体勢で空中に浮かび、ダンディに口の端っこを上げた。
「アヅル星人に復讐などさせない。地球の平和は私が守ろう。その間、きみたちは伸び伸びと育つんだよ。きみたちなら絶対に自分が望んだ大人になれる。成功でも失敗でもいい、様々な経験を重ねて、人生を彩って欲しい」
ざざざ、とラプラスの姿が壊れたテレビの画面みたいに消えかかる。
「ラプラス、じゃあね!」
「ありがとう、ラプラス」
藍ちゃんとりずちゃんに続いて、わたしも手を振った。
「わたし、がんばるねっ!」
夢をくれた黒猫さんは、ニャ、と尻尾をくねらせ、そっといなくなった。
◇ ◆ ◇ ◆
卒業式、当日。
わたしはちゃんとした正装を着て、学校にやってきた。
学校の門の前には桜が咲いていて、とてもきれいだった。わたしはその桜ふぶきの下を、藍ちゃんやりずちゃん、その他の友達と通った。十二年の長い人生の中で、一番すてきな桜だった。
教室に入ると、いっぱい飾り付けがされてあった。きっと下級生のみんなだ。わたしはうれしい気持ちになりながら、イスに座った。
この机につくのも、さいごなんだなあ、と思って、ちょっぴり胸がちくりとした。
「はい、みんな集まったね? じゃあ、最後の先生のお話を始めます」
教壇に立った北村先生が言った。わたしはくすりと笑った。他の子たちも、にやにやしたりしてる。
実は、みんなで決めたことなんだけど、卒業式が終わったら北村先生に教室に来てもらって、プレゼントをあげる作戦をしているのだ。だからたぶん、先生のお話はさいごじゃない。
そんなことは全然知らないままで、北村先生は話し始めた。
「今日の卒業式で、壇上で名前を呼ばれた人は将来の夢を言いましょうって宿題を出していたけれど、みんなはちゃんと考えてきた? ……うん、うん。だいたい大丈夫かな? 考えてない人は今考えてね。将来の夢を考えることは、とても大切なことです。でも、夢は変わるもの。今はパティシエになりたいと思っている人も、もしかしたら中学生高校生になる頃くらいにはアーティストになりたいと思うようになっているかもしれません。社会人になったら、エンジニアの人を目指し始めるかも知れない。でもそうしたら、小学校卒業の頃に思っていた将来の夢は、無駄だったのかな?」
北村先生はみんなを見回す。みんなは、うーんと考え込んでいた。わたしも何も言えない。そんなわたしたちを見て、北村先生はうなずき、続けた。
「先生は少し前、自分が何をしたいのか見失っていた時期がありました。学校の先生を目指して勉強しているのに、なかなか上手くいかなかったの。そんな時、実家にいる先生のお母さんが、小学校の卒業文集を持ってきてくれました。どうして? って思うでしょ? でも先生はそれを読んで、小学生の私の『しょうらいのゆめはサッカーせんしゅ!』という元気な字を見て、思い出したんです。あの頃は未来に希望を持っていた。未来がすごく楽しみで、絶対に明るい未来があるって信じてた。じゃあ今の自分も、その頃の気持ちを思いだして頑張ろう。悩んでいた先生は、小学校卒業の時に夢を語っていた自分に、助けられたんです」
みんなは北村先生の話をしんけんに聞いている。ふだんはふざけている子も、背すじをピーンとさせていた。
「だから、もうすぐ始まる卒業式では、しっかり元気良く自分の夢を言いましょうね。大人になった時の自分を助けるつもりで、大きな声で!」
いいですか? と先生。
はいっ! とわたしたち。
ほほえむ北村先生の目には、少しだけなみだがあった気がした。
◇ ◆ ◇ ◆
『卒業生、入場』
わたしたちは、足をふみ入れる。
◇ ◆ ◇ ◆
静かに、上品な曲が流れる。
卒業式会場、卒業証書をわたされる時間。
壇上に上がったりずちゃんが、誰かに気づいて微笑んだ。
「神崎理珠夢!」
「はい! わがはいは、将来、学者になって世界中全ての謎を解き明かしたいです!」
壇上に上がった藍ちゃんが、誰かに気づいてにっこりした。
「小玉藍!」
「はいっ! えっと、らんはしょうらい、世界でいちばんつよい空手家になりたいです!」
壇上に上がったわたしは、
ママ、
パパ、
北村先生、
そして――誰よりも仲良しな二人の親友の笑顔に気づいて。
わたしも一番の笑顔をお返しした。
「鈴森ほてり!」
「はい! わたしは大人になったら――子供たちの目標になるくらいかっこいい、学校の先生になりたいですっ!」
◇ ◆ ◇ ◆
卒業式がおわり、わたしたちはいろいろなことを思った。
そのどれもが、やさしくて、特別で、しあわせなことだった。
◇ ◆ ◇ ◆
ランドセルをパパに預け、とびはねるように走る。
手には、卒業証書の入った筒。
正装を着たわたしは、となりのりずちゃんと藍ちゃんを見た。
りずちゃんは、東京のすごい中学校に行くために、お引っこしをする。
藍ちゃんは、空手で強くなるために沖縄へ行く。
だから、お別れ。
わたしたちはその場所で足を止めた。
赤くさびた滑り台、こわれかけのブランコ、ちょっぴり怖いお馬さん。
ぼろぼろ公園はわたしたちの居場所だった。
だから今日もまた待ち合わせをする。
約束の時間はいつになるかはわからないけど、
きっと会えるはずだから。
いつまでもそこにいるわけにはいかなくて。
でもそこは、ぜったいに必要な場所だから。
わたしとりずちゃんと藍ちゃんは三人で手をつなぎ、公園に向かっておじぎし、元気いっぱいにさけぶ。
「「「ありがとうございましたっ!!」」」
顔を上げ、
笑いあい、
わたしたちはその先へ向かって走り出した。




