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第十話「少女たちのつらくて

 神崎家の一軒家。

 そのリビングに、ほてり、理珠夢りずむらんの三人が集まっていた。


 誰も言葉を発さない。


 芦田を名乗る男に脅された後、泣きじゃくるほてりたちを見て心配してくれた藍の両親だったが、三人は男の本性について何も話せなかった。殺気に満ちた双眸がほてりたちの脳裏にこびりつき、どうしようもない恐怖で蝕む。結局、誰にも打ち明けられずにいる。


 理珠夢がぽつりと呟いた。


「……諦めよう」


 藍が、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。しかしすぐに座り直し、俯いて何も言わない。それを見たほてりが、藍の手をそっと握る。


「り、りずちゃん……諦めるって、ぼろぼろ公園のこと……?」

「そうだ」

「……」


「あんな危険な人間が開発計画に関係しているとは思わなかった……。催眠を行える高度な技術といい、わがはいたちを脅迫したことといい、相手は本気だ。膨大な権力を持つ国が、人権を無視するほどに本気を出している……。もうわがはいたちに抗う術はない」


「で、でも……今まで、りずちゃんと藍ちゃんとでいっしょうけんめい……」


「だがそれは無駄だったのだ!」


 声を荒げる理珠夢。ほてりはびくっとして、涙をじわりと滲ませる。すぐに理珠夢の方もはっとして「ご、ごめん……なさい……」と泣きそうになった。




 謝ることなんてなかった。

 無駄だったのは本当だからだ。

 石板の謎も解けず、大人にも頼れなくなった。




 消えるのだ。

 三人にとっての友情の象徴である、ぼろぼろ公園は。




「このままでいいのかな」

 訪れた沈黙を破るのは、藍の小さな声だった。


「藍ちゃん」「藍」

「らんにとっての大人」


 そして語り出す。


「らんにとっての大人は、おとーさんとおかーさん。おとーさんは柔道家で、大会でゆうしょうしたこともあって、筋肉もりもりのつよい大人。おかーさんは弓道家で、いつもおしとやかできれいな人で……」


 言葉を探す藍を、ほてりと理珠夢はじっと見ている。


「おとーさんはどんなに負けちゃいそうでも、相手のスキをついてがんばってた。おかーさんはどんなにかなしいことがあっても、弓を持てばすごく集中してた。らん、そんなおとーさんとおかーさんが好き。だから、らんにとっての」


 藍は唇を震わせながらも。


「らんにとっての、大人は……」


 顔を上げた。


「大人は、ぜったいに負けない」




 藍が問いかけるようにほてりと理珠夢に目を向ける。ほてりが考え込む一方、理珠夢は頷いた。

「わがはいは……そうだな……わがはいはお姉ちゃんが好きだ。わがはいにとっての大人は、お姉ちゃんなのだと思う」


 細く短い腕を組み、目を瞑る。


「お姉ちゃんは考えすぎる人だ。一つのことを考えすぎて、時に他のことをおろそかにしたり、精神を不安定にさせたりもする。しかしだからこそ最後には必ず卓越した答えを導き出すのだ。そんな姿にわがはいは憧れている。だから」


 目をぱちりと開き、不敵に笑う。


「わがはいにとっての大人とは、思考することをやめない者のことだ。だからわがはいも、打開策を考えることを放棄しない」




「わたし、は……」


 ほてりは考えていた。

 大人って何?

 自分で自分の意見が言える人。


「わたしの思う大人は……」


 藍と理珠夢が真剣な顔でこちらを見ている。息をのむほてり。冷や汗で体が湿ってくる。

 泣きそうになってくる。


「わたし……大人になんてなりたくない……」


 そして小さな額に両手をやった。


「どうどうと自分の意見が言えるほど、わたし、自信がないし……いつもどもってばっかりで、本当に弱いわたしだ、って……でも、でもね。思っちゃったの。あの時……北村先生がわたしたちをしかってた時、すっごく思っちゃったの。かっこいいなあ、って。自分だけの考えがある大人ってかっこいいなあ、って……! わたし……だから……わたし……!」


 殻を破る直前の恐怖。震えるほてりは、それに侵されていた。しかし、その細い手にあたたかいものが触れる。優しい手の感触。


「ほてりん」

 藍がいた。

「ほてりちゃん」

 理珠夢がいた。




 ほてりには、深い絆で結ばれた、友達がいた。




「わたしは……!」




 ほてりはすっくと立ち上がる。一緒に藍と理珠夢も肩を並べる。かつて中途半端な知識で屁理屈をこね、人を煙に巻こうとしていた少女がいた。無邪気ゆえに気楽すぎた少女、そして、いずれ大人にならなくてはならないという現実から目を背け続けてきた少女がいた。今は違う。三人は不撓不屈の闘志を帯びた瞳で、お互いを確かめ合う。それは友情が意志を定まらせた証。

 少女は大人になっていく。






 ◇   ◇   ◇   ◇






 西区公園、通称ぼろぼろ公園は、既に赤いコーンで封鎖されていた。


 公園の隣の四丁目――空き地には、草しか生えていないはずだったが、今は何か大きな機械が置かれている。学校の屋上の室外機ほどもある黒い機体は夕方の斜陽に照らされて、オレンジ色に光っていた。


 そしてその隣に、男が立っている。


 黒色のフォーマルな背広を身に纏い、なにやら機械を操作していた。向こうを向いているのでこちらからは表情は見えない。

 しかし、足音に気づいたのだろう。

 振り返って、こちらを見た。

 その顔はなぜか出会った時と違って、三十代、下手すれば四十代並みに老けて見えたが――精力には満ち溢れていた。


「芦田さん」ほてり。

「あなたは……」理珠夢。

「そこで何をしてるの?」藍。


 三人は公園に足を踏み入れ、十数メートルの距離を挟んで、立っていた。

 男は眉をひそめると、機械の操作を中止した。それから、「あなた方こそどうかされましたか」と気怠げな声を出す。


「あ、芦田さんの計画を、聞いてからじゃないと、わがはいたち納得できません」

 理珠夢が相手を刺激しないよう慎重に言う。

「ここの開発にはどんな計画があるのか、教えてくれませんか」


 男の表情がいかにも面倒そうに歪む。機械の方に向き直り、操作を再開してしまった。理珠夢が、芦田さん、と口を開きかけるが、動きを止める。

 どうしたのかな、とほてりは隣の理珠夢を見ようとするが、首が回らない。


 動けない。


 こちらを振り返った男は、無表情で今度は手元の小さな機械を操作した。

 パリッ、と音がして、理珠夢のポケットから煙が上がる。


「小学生三人だけだと俺を油断させて計画を語らせ、集音機で外部に筒抜けにさせるつもりだったのか? 浅知恵にも程があるだろう。ああ、公園の外にも数名の大人がいるようだな。小学生を囮に使うクズ大人か。いや、弓で狙撃……か。まあいい、広範囲催眠をしておくか」


 ほてりは動けない。物理的に、指一本動かせないのだ。幸いなことに内蔵は機能しているが、それすら動かなくすることも男には可能なのではないかと思えた。


「さて、俺は今非常に気分がいい。起動に時間と技術が必要な“断絶装置”が完成しつつあるからだ。計画は最終段階を残すのみ。いいだろう、子守歌代わりに話してやる。話し終われば貴様たちは文字通り消させてもらうがな」


 橙色の空が着々と暗くなっていく。冬の風に髪を揺らし、男は語り始めた。


「惑星アヅルは機械の星だ」




「正確には、地表面の九十四パーセントを様々な素材・仕組の機械で覆われた星」

「古代から行われてきた星の機械化に伴い、天然の動植物は既にほとんどが死滅した。データとして保存され“結像装置”による再構成が可能なものもあるが、自然はほぼ無に帰したといっていい」

「そんなアヅルが天の川銀河系太陽系第三惑星を見つけたのは最近のことだ」

「素晴らしい緑、息づく動物たち。我々は現地人が地球と呼ぶその星に“第二のアヅル”と名称を付け、丸ごと自然保護区に指定することにした。そうすれば我々アヅルの民はいつでも自然を鑑賞することができる。しかしそれには」


「人類が邪魔だ」


「我々は全人類を洗脳することにした。人類は自然を破壊する一方保護に使える面もある。ならば隷属させた方が有益だろうと判断したからだ」

「我々は生物に働きかける強い洗脳波を使用することができる。手始めに、電子寄生虫――洗脳波の発信などを行うナノマシンを空中散布することにした。しかしそのためにはそれなりの設備が必要だ」

「アヅルから派遣されたエージェントである俺は、我が星の技術を駆使して人類掌握計画を進めた。地位と権力を獲得し、遂に散布設備の建設を不自然さもなく決定させた」

「その設備こそがこの公園と四丁目を埋め尽くすはずの、巨大“浄却装置”だ」


「公園には潰れてもらう」

「それが貴様たちを圧倒する文明度を持つ星」

「アヅルの意志だからだ」






 ◇   ◇   ◇   ◇






 ほてりは震えることすらできない体を、それでも粟立たせていた。


 自分たちは国家権力と戦っているのだと思っていた。それならば、相手は人間。なんとかなるのではないかと思っていた。

 しかしほてりたちの平和を悪意で侵していたのは、高度な文明を持つ別の宇宙生命体だったのだ。


 彼らは地球を侵略すると言っている。

 それが可能だと言っている。

 スケールが、違いすぎる。


「そういうわけだ。俺は潔癖性、今の話を聞いた以上は消えてもらう。なに、この“解滅装置”で撃てば痛みもなく――」


 男が言葉を止め、怪訝な顔をした。

 砂利石がまばらに落ちた公園の地面に、ざざ、と足音が響く。

 ほてりは目だけを動かして、それを見た。




 動けないはずの藍が、見えない束縛を解いて、歩き出している。




「貴様」

「こんなので、らんをうごけなくしたって……」


 そして、だだっと駆け出した。


「らんは気合いでうごけるもん!」


 男は最初こそ驚いていたが、今は呆れたような表情で、その場に突っ立っている。そこへ藍が走っていき、ジャンプした。


「くらえ! すとーむ・きぃっく!!」


 その時、ほてりは男の周囲の空間が陽炎のように歪むのを見た。同時、跳び蹴りを放った藍が空中で回転し、勢いよく吹き飛ばされる。


 藍ちゃん!

 ほてりは叫ぼうとするが、声が出ない。


「うがーっ! いたい!」


 ほてりと理珠夢の前まで転がってきた藍が、捻った脚を押さえて悶絶する。男は「無駄だということがわからないか」と嘆息した。


「どうやって封じた筋肉を動かしたのか知らないが、小学生に一体何ができる。貴様たちは蹂躙される存在でしかない。子供は子供らしく、大人の言うことを聞け」


「あん、たは……」


 隣で藍ではない声がする。ほてりは目を見開いた。

 理珠夢がなんとか口だけ動かして、男を睨んでいる。


「あんたは、大人なんかじゃない」

「そろそろ断絶装置が起動する。貴様たちと話している時間はない」

「大人っていうのは、あんたみたいな、私利私欲のために人に絶望を与える奴のことなんかじゃないっ!」


 その理珠夢の啖呵に、しかし男は全く動じる様子がなかった。ただ少し話す気にはなったようで、冷ややかな目でこちらを見る。


「そうか? しかしこの星の大人は欲望に溢れている。金、女、その他の権益……それらを手中に収めるため、大人はどれだけの弱者を貶めてきた? 貴様たちにも覚えがあるはずだ。公園を保護したいと役所に訴えかけても、俺の手が及んでいない末端の役員ですら、自分の地位を守りたいという欲のために貴様たちを追い返した。そういう大人もいる……だがそれは仕方のないこと。何故ならそうしなければならないからだ。大人としての理想の振る舞いをすることを諦めなければ、立ちゆかないこともあるからだ」


 そして男は遊具に目をやった。

 取り壊し予定の、ぼろぼろな遊具たち。

 今撤去しても同じか、と呟き、男は手のひらをそちらの方へ向けた。

 腕が赤く光り輝き、熱量を高めていく。


「な、何を……するつもりだ」

「大人になるということは」


 カッ、と手のひらから光の弾丸が射出される。


 それは赤く錆びた滑り台に、


 不気味な音を立てるブランコに、


 泥に汚れたお馬さんの遊具に着弾し、


 爆発を起こした。


 ほてりはもうもうと舞い上がる土煙を見ながら思い出していた。何かを宣言する時はわざわざ滑り台に上って、仁王立ちする理珠夢。ギシギシ危ない音が鳴るのにも構わずに、ブランコで遊ぶ藍。そして、馬の遊具に乗って、ちょっと怖いけどいつもそこにあるという安心をもらっていた自分。


 そんな思い出が壊れていくのを、ただ呆然と、眺めていた。

 土埃のベールが剥がれると、そこには金属片すらなく。

 クレーターがぽっかりと開いているだけだった。




「大人になるということは、『諦める』ということだ」




 諦めろ。

 善いことをする自分に酔わず、現実を見ろ。

 そう言いたげに男は息を吐くと、今度はこちらへ手のひらを向ける。

 それは、まるでほてりたちを撃ち抜かんとする銃口のようだった。


 ほてりたちの命は今や風前の灯火に過ぎず、生殺与奪の権は男に握られている。


「安心しろ、爆発はさせない。今度はただ消滅させるだけだ」


 赤くではなく、白く光を発し始める男の腕を見て、ほてりはもう何も考えられなくなっていた。絶望する段階はとっくに越えて思考を停止する。

 一つだけわかっていることがあった。

 ほてりたちの全ては終わろうとしていた。

 深い穴に落ちていく時のような慄きの中、気を失う一歩寸前で――




 大切な友達が「ちがう」と言った。




「ちがう……」


 ほてりの意識をすんでのところで繋ぎ止めたのは、藍の、絞り出すような声だった。


「ちがうもん……大人になるっていうのは、そういうことなんかじゃない……」


 そして、一歩、また一歩と脚を引きずりながら進んでいく。


「大人になるっていうのは……」


 ほてりから見えるその背中は、小さくて、土で汚れていて。

 それでも、輝いていた。


「大人になるっていうのはっ……!」




 カメラのフラッシュが瞬き、ほてりの網膜を焦がした。あれ、なんでカメラが、と思うも束の間、気づく。男の腕がもう光っていない。そして更に気づく。藍の体が変だ。傾いている。傾いていく。仰向けに倒れていく。ほてりはわかっていた。自分たちが終わるしかないことを悟っていた。だから藍の挙動の意味を理解し、叫んだ。泣き叫び、動かない体を動かした。見えない拘束を解き、藍の元へ駆けていく。理珠夢も隣で同じように、藍の名前を呼んでいた。二人で倒れる寸前の藍の体を受け止める。誰より元気なその少女は、今は力を失っていた。

 しかし。

 仰向けの体勢のまま、

 ほてりと理珠夢を見て、微笑んでくれた。


「ほてりん……りじゅむん……」


 藍の体は発光し、光の粒子となって徐々に消えていく。


「はは……、らん、どうなっちゃうのかな……」


 ほてりは自分で自分が何を言っているのかわからなかったが、とにかく藍を救けたい気持ちでいっぱいで、それでも何もできないことはわかっていて、ひたすら泣き続ける。

 そして、藍の「たぶん……しぬのかな……」という言葉で、タガが外れたように泣き叫んだ。


 理珠夢も隣で喚き、親友の体を揺すっている。しかし消滅は止まらない。

 藍は慟哭する二人を見て、優しげに目を細める。


「らん、ね……?」


 消えゆく手で、二人の頬を撫でた。


「らん、ほてりんとりじゅむんと一緒に、公園のいいところさがしたり、ビラを配ったりして……わかったんだ……。失敗をいっぱいしたり、怖い人におどかされたりしても、それをのりこえた分だけらんたちは、少しずつ、つよくなってるって。それはほてりんや、りじゅむんが、くじけなかったからだよ」


 サイドポニーテールの根本を彩るさくらんぼの髪留めを外し、差し出す。


「あげるね、ほてりん、りじゅむん。それでね、ずっとおもいだして。らんが思った答えを、おぼえてて。らん、失敗しても、怖がらせられても、がんばったからわかったよ。ふたりといっしょだから、わかったよ。――大人になるっていうのはね、」




「大人になるっていうのは、『諦めない』ってことだよ」




 "ほてりん、りじゅむん"


 "今までありがとう"




 "だいすきだよ"










 藍の体はまばゆく煌めき、虚空へ沁みて消え去った。

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