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第一話「少女たちのキュートな日常 ~割れ窓理論~」

 鈴森ほてりは困っていた。


 どれくらい困っているかというと、給食で嫌いなひじきのサラダが出た時くらいに困っていた。ほてりはひじきのサラダに入っている豆が嫌いである。よってほてりは食べ残しをする。しかしそうなると、食器の上に残っている豆が、食べ残しをするという事実が、なんだかほてりの給食人生における汚点のように見えてきてしまう。


 少し臆病なのである。「食べ残しをするなんて子供っぽい」と思われるのではないかと心配なのであった。我慢して噛んで噛んで流し込めばいいのよ、とママには教えられてはいる。


 しかしながら今現在ほてりを困らせる元凶、すなわち授業中にも関わらず隣の席ですーすー寝ている女の子は、噛んで噛んで流し込めばいなくなるというわけではない。


「(……ね、ねぇちょっと、りずちゃん! 寝ちゃだめだよぉ、先生に怒られちゃうよぉ)」


 小声で話しかけ、揺さぶってみるが、うんともすんとも言わない。すーすーという可愛らしい寝息も今のほてりにはパパの大いびき並みに迷惑なものにしか聞こえなかった。


 やはりほてりも、根は真面目。みんなが起きて授業を聞いている中で一人だけ睡眠学習しているのが許せないのである。授業人生の汚点な気がしてしまうのである。

 先生が怒るのが怖いというのももちろんあるが。


「……んであるからして、かっこの中から先に計算を始めるというのは覚えたわね? では早速練習問題を解いてみよう。……と、その前に。こら、神崎さん! 授業中に寝ない!」


 言わんこっちゃない。ほてりは我が身のことのようにびくついた。隣の「神崎さん」あるいは「りずちゃん」は何度か先生に声をかけられて、やっと顔を上げる。


 ほてりと「りずちゃん」が隣り合うここは、教室のちょうど真ん中あたり。センターポジションで居眠りするというのだから、りずちゃんの心臓はきっと鉄でできているのだろう。

 ほてりは鋼鉄機械人間RE-ZUのこれからするであろう凶行に震え上がった。


「はい、じゃあ神崎さん、今から出す次の問題を……」

「先生」

「ん?」


 りずちゃんは眠たげな目をこすった後、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、静かに言い放った。


「先生は『割れ窓理論』をご存知ですか?」






「聞いたことがあるだけ? っはーん! ではお教えしましょう」

「例えば、わがはいが夜の校舎の窓ガラスを壊して回ったとしますよね? そしてそれを学校側は放っておくとします」

「するとわが校の小学生たちはこう思うでしょう。『こんなに窓が割れてるんだからもう一枚くらい良くない?』」

「一方で、逆に窓ガラスを完璧に修繕し、ピッカピッカに磨いておいたら、小学生たちは『なんかこの窓汚したくない、大事にしたい!』と思うはずです」

「それですよ」

「『割れ窓理論』とは、割れた窓をそのままにする――つまり軽犯罪が放置されていると、罪を犯すことへの心理的抵抗が薄れ、犯罪が増えていく。逆もまた然り。という理論なのです」


「それが授業と何の関係があるか? まあまあ、焦らないでくださいよ。ここからが本番ですから」


「わがはいは教室で居眠りをしていました。教室のド真ん中で、です」

「すると、わがはいが眠っていることで、後ろの席の綱島くんや、隣のほてりちゃんはこう思うでしょう。『神崎が寝てるんだから自分も寝ちゃえば良くない?』とね」

「そう思う人たちが連鎖的に増えていけば、授業はお昼寝タイムになる。クラスメイトの成績は下がっていくでしょう」

「しかし一方で、寝ているわがはいは寝ながらもちゃんと先生の話を聞き、予習と復習もしています」

「するとどうなるか」

「相対的にわがはいのテストの点数は高くなり」

「クラスでトップの六年生となることができるのです!」






 生意気な女の子、りずちゃんの演説が終わった。

 教室内は「また始まったー」「じゅぎょうより面白い!」「言葉がよくわかんないけど、オレたちの成績を下げようとしてるいやなやつってことはわかった」などと騒ぎが始まっている。


 担任の北村先生は苦笑いしながら、静かに静かに、と声を張っているがそこは小学生相手だ。ほぼ徒労に終わる。

 そして、ほてりは困った顔をしながらため息をついていた。


(また持ちネタが始まっちゃったよ……。ちょっと面白いけど、先生が怒り出しちゃうよぉ……)


「神崎さん」


 先生のトゲのある声色が教室の喧騒を若干収めた。

 ほてりは「うぅ……」と目を瞑りながら、先生が怖い顔になりませんようにと祈り始める。


「はい、先生」

「神崎さんが物知りなのはわかっています。そんなあなたに問題。黒板に書いたこの問題を解いてみて」


  問1

  2.8km=□m=□cm


 空欄を埋めればいいのよ、と先生に言われたりずちゃんは不敵な笑みを崩さない。

 ごごごごご。

 クラスの誰かが、漫画に出てくるような効果音を呟き始める。

 ごごごごごごご。

 面白がった児童たちに、効果音が伝染していく。

 りずちゃんは胸の前まで手を上げて、ぐっと握り締め、先生を視線で射抜いた。


 ごごごごごごごごご!


「わかりません!」


 綺麗に拭かれた窓の外で、小鳥がちゅんと鳴いていた。






 ◇   ◇   ◇   ◇






 市立叢雲小学校。

 六年一組の給食の時間は、一般的な小学校のご多分に漏れず賑やかだ。


 ひと班は四人で構成されている。二班が給食当番なので、三班のほてりは全員への配膳が終わるまで待ちつつ、三人のメンバーと話していた。その中の一人である女の子が言った。


「りじゅむんは変なこといっぱい知ってるよね! やっぱり将来はキョージュになるの?」


「りずちゃん」であり「神崎さん」であり「りじゅむん」である女の子、本名・神崎理珠夢(りずむ)は、っはーん! と鼻を高くしながら給食袋を指に引っ掛けくるくると振り回す。


「わがはいは様々な分野で活躍するエリート教授になるのだ。ゆくゆくは量子コンピュータを高速化し、超ひも理論を覆してパラレルワールド間移動を可能にするのだ!」


「うおー! なんかすげー! じーにあす!」


 そうはしゃぐのは、理珠夢をりじゅむんと呼ぶ女の子。先ほどの「寝る人理論事件」の際に、ごごごごご、と真っ先に言い始めたお調子者。その名も、小玉(こだま)(らん)。チャームポイントは小顔の横にちょこんと下がったサイドテールだ。


「す、すごいけど、先生が怒っちゃうよ? 職員室に呼び出されちゃうかも……やめたほうがいいよぉ……」


 ほてりが心配しながら言うと、理珠夢は給食袋の回転力を上げる。隣に座る三班で唯一の男の子、メガネの吉沢くんが迷惑そうに袋を避けた。


「よいかね諸君。勉強の神髄とは知識のインプットではない。真の学びとは知識を組み合わせ解釈してアウトプットすることであり、それこそが世の小学生に求められているのだ。よってわがはいが理論を伝えていくことは誰にも止められはしないのだー!」


 世の小学生すごいこと求められすぎだよぉ、とほてりは思う。藍は「よくわかんないけどかっけー!」と八重歯を覗かせてはしゃぐ。吉沢くんは悲しそうな表情をしながら袋に当たらないよう体を横に傾けている。


「あ! でもさでもさ」

 藍が自分の椅子の座面に手をついて揺らしながら訊いた。

「なんでさっき算数の問題解けなかったの?」


 理珠夢の指から給食袋がすっぽ抜け、飛んでいった。

 ひゅんひゅん回転しながら飛んでいく布袋。

 どこかへ着地したようだが、理珠夢は固まったまま動かずそちらを見もしない。


 しかしすぐに理珠夢は咳払いをすると、目を泳がせながらメガネをくいっと上げる動作をした。ちなみに理珠夢はメガネをかけていない。


「そっ、……それこそ、割れ窓理論だよ。つまりだね、わがはいはあえて問題がわからないフリをすることにより、わからなくてもいいという雰囲気を作り上げ、戦略的に――」


「あれれ? 誤魔化してるー? もしかして、本当にわからなかったんだぁ?」

 藍が首を傾げてストレートに言う。彼女は純粋なのだ。


「わ、わからなくない! やらないだけだ! そも、あんな計算、電卓さえあれば」

「えー、暗算でできるじゃん」

「それでは正確さという観点から見て合理性に欠けるの! わがはいは常に歯車の狂わぬよう最適化された行動様式をアレしてるの! わかるでしょ、ほてりちゃん!」


 矛先を向けられたほてりは、困りつつも微笑んでみせる。


「う、うーん、でも習ったばかりの場所だし、まだわかんなくても大丈夫だよ? 今度教えてあげるから、一緒にがんばろ?」


 理珠夢の百面相が始まった。最初は優しい言葉をかけられた時の救われたような顔。そのすぐ後に、結局算数がわからなかったことがバレてるのかよという嫌そうな表情。そして最後に友人の健気さに心打たれたのか、泣きながらほてりに抱きついた。


「ほてりちゃあん、ありがとぉ……でもひどいよぉ……でもうれしいよぉ……」

「えへへ、よしよし。りずちゃんいい子いい子っ」

「あーっ、りじゅむんだけずるーい! らんの頭もなでなでして!」

「わわっ、二人いっしょに!? よ、よーしよーし……」


 なぜか理珠夢と藍の頭を撫でることになってしまったほてり。戸惑いつつ、なんだかペットが甘えてくるみたいで可愛いなーと思いながらも愛でていると、周囲の異変に気づいた。


 クラスは静まり返っていた。


 おかしいな、と思いながら他の子たちを見る。

 その誰もが、視線をある一点に集中させていた。


 そして、感じた。


 知っている。


 この気配、この空気、この雰囲気。


 ほてりはこの殺気の正体を知っている。


(――まさかっ!)


 クラスメイトたちの視線の先を辿り、ほてりは悟る。平和な給食の時間は終わりを告げた。終末の日、ラグナロク。スルトの劫火が世界を焼き尽くし、真っ黒に焦げて給食が美味しくなくなる。


「   神   崎   さ   ん   」


 そこには、

 ああ、そこには、

 理珠夢の給食袋が倒したお椀からこぼれたスープで、服をびしょびしょにした北村先生が立っているではないか!


「ひぃ! せ、先生、文字の間にスペース入れすぎなのでは……」

「一緒に職員室に来なさい」

「し、しかしですね、その……果たして先生の服は濡れていると言えるのでしょうか? この世界には完全な客観すなわち純然たる事実などなく、事実というものが解釈されたものしか存在しない以上、わがはいが『濡れていない』と解釈したならばそれは一つの事実であるためこれはわがはいにとって理不尽であり理不尽を児童に押し付けることは教育者として……うぅ……ごめんなさいぃ……」


 理珠夢は北村先生の両眼から放たれる睥睨へいげいという名の怪光線に撃たれ、戦意を喪失した。かつて「わがはいが理論を伝えていくのは誰にも止められはしないのだー」という格言を残した小さき偉人がいたという。その最期、自らの格言に裏切られ投獄される様を、ほてりと藍とクラスメートたちは涙で見送るのだった。

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