第11章ー第12章
第十一章「日常芸術」
僕とバンダナはじいさんの車に乗っている。なんでも、じいさんは友人の陶芸家に会いに、北鎌倉に行くと言うので、僕たちも旅のお供をすることにした。行きの車の中では、まるで遠足にでも行くように、僕とバンダナは終始じゃれ合っていた。
「北鎌倉なんて初めてだ」、僕が言うと、
「私も初めてよ」と、バンダナも興奮気味に答えた。
こんな猫と犬の会話は本来あり得ない筈なのだか、きっとじいさんには聞こえているのだ。僕たちは普通の猫と犬ではない。じいさんもそんなことはわかっているのだが、一緒にいるときは僕たちを普通の猫と犬のように扱い、僕たちも普通の猫と犬のように振る舞うのである。
じいさんは北鎌倉駅の裏手辺りに車を止めた。そして、駅裏にある石階段を上って行った。僕とバンダナもじいさんの後に続いた。
そこは目的地の陶芸家の家ではなく、古いお寺があった。じいさんはスタスタとお寺の墓地に入って行き、誰やらのお墓を探し始めた。そして、一基のお墓の前で立ち止まった。墓石には「無」の一文字が刻まれていた。
「ここは、オズ先生のお墓じゃ」、じいさんはそう言って、墓前で手を合わせた。
僕はじいさんの恩師なのだろうと思い、一緒に前足を合わせた。僕の隣でバンダナも既に前足を合わせ目を瞑っていた。
「彼の作品こそ、本物の芸術じゃ」、じいさんが言った。
じいさんのお師匠さんのお墓なのだろうか。
「芸術表現というものは、まずたくさんの技術を学ぶことから始まる。それを身に付けたならば、次に余計な無駄と思える表現を捨てるのじゃ。そぎ落として、またそぎ落として、残ったものが己の芸術表現となる」、じいさんの芸術理論の講義を僕たちはおとなしく聞いていた。
「彼は日常の中に芸術を見出したお方じゃ。日常が美しいと思えれば、生きていることも楽しかろう」
じいさんの日常も奇妙な猫と犬が一緒で楽しいのだろうか。
僕たちはオズ先生に挨拶し、お寺をあとにした。じいさんの講義は、まだ続いていた。
「画家にも日常の中に芸術を見出した人がいる。シャガールじゃ。彼の絵には牛や鶏などの家畜や、近隣の住人、恋人やなんかの身近な被写体を色鮮やかに描いておる。まさに、日常芸術なのじゃ」、じいさんは得意気に話した。
僕たちはじいさんの芸術論を歩きながら聞いていた。石段を下り始めたとき、ふと脇を見ると、紫陽花の花がぼちぼちと咲き始めていた。これも日常の中にある芸術なのだろう。
そこからまた車で少し走り、午後過ぎに陶芸家の家に着いた。立派な門構えの日本家屋で、敷地には古い平屋建ての民家という感じの母屋があり、裏には立派な蔵が見える。そして、その隣には作業場らしい離れの小屋があった。庭先でじいさんを迎えたのはエプロン姿の女性だった。
「おじさん、お久しぶりです。せっかくいらっしゃるっていうのに、お父さんったら作業を始めちゃったんですのよ。嫌になっちゃうわ」、女性はニコニコしながら話した。
どうやら、じいさんの友人の娘さんのようだ。
「そうかい。相変わらずじゃの」、じいさんは嬉しそうに答えた。
「あちらで、冷たいのをご用意してますのよ」と、娘さんは母屋の縁側へ案内した。
じいさんは縁側へ座ると、奥の部屋からおばあさんがお盆を抱えて出てきた。
「あらぁ、お久しぶりでございます。ようこそおいでくださいまし。あの人ったら、せっかくいらっしゃるっていうのに、始めちゃったんですの」と、陶芸家の奥さんらしきおばあさんが娘さんと同じことを言った。
「いやぁ、構わん、構わん。いつものことじゃ」、じいさんは言った。
「どうぞ、摘んでくださいな」と、娘さんは母親の抱えたお盆から枝豆やら冷奴なんかのつまみを乗せた器を取ってじいさんの前に並べ、笑顔を添えてビールの瓶を差し出した。
「いやぁ、お構いなく」と、じいさんは頭を掻き照れながら陶器製のビアカップを差し出した。
「あら、かわいいお連れさんね」と、娘さんが僕たちに気づいた。
「わしの娘と息子じゃ」、じいさんは犬のバンダナと猫の僕を我が子だと二人に紹介した。
「あらあら、この子たちには何がいいかしらね。何かしらお口に合うものあるかしら」、おばあさんは部屋の奥へ「何かしら」を探しに行った。
しばらくして、おばあさんは友人の養子らしき犬と猫に「何かしら」を持ってきた。さすが陶芸家の家らしく、獣の餌の器さえも品があり、美味しい「何かしら」もさらに一層美味しく感じられた。僕は、日常の芸術とはこういうことなのだと悟った。
昼飯も頂いたことだし、じっとしているのも退屈だ。ここらでこの家の散策を始めようではないか、とバンダナを誘って作業場らしき小屋に行ってみることにした。
小屋の外には大小様々な碗や皿などが並べてあった。焼成前に乾燥させているようだ。小屋のドアは開いていた。小屋の中を覗くとおじいさんが轆轤を回していた。
この人がじいさんの友人なのだろう。僕とバンダナは陶芸じいさんの邪魔をしないように、そっと小屋に入り作業の様子を見ていた。
「景色が見えるのかね?」とおじいさんは呟いた。
僕は小屋の窓から外の様子を伺った。今日はいい天気で、遠くの山の方に静かに雲が流れて行くのが見えた。
「器の眺めのことだ。釉薬の色の加減や貫入の具合を、壮大な自然風景に見立てて、景色という。陶芸には文字通り大きな世界観があるのだよ」、おじいさんは、作業をしながら陶芸論を語り始めた。
「綺麗な自然の景色を見るには、心に余裕がないとな。慌ただしくて時間に追われて心を閉ざしたときには、空も青色には見えず、雲も白くは見えないものだ。器も同じということだ」
さすがはじいさんの友人だ、独自の芸術論を持っているようだ。
「陶器には日常に存在する決して派手ではない素朴な美しさがあるのだ」
じいさんがオズ先生のお墓に連れて行った理由はこれなのだろう。僕たちは陶芸おじさんの話の続きを聞いた。
「陶器は芸術品であるが、生活の中に当たり前のように存在する食器でもある。絵画の世界では、有名な画家が描いた有名な絵画を真似て描くと、それは贋作と呼ばれる。どんなに本物にそっくり描いたところで、それは偽物なのだ。しかし、陶芸の世界では、有名な陶芸家が作った有名な茶碗を真似て作った作品、こいつも本物なのだよ。ちゃんと茶を注いで飲めるのだからな。さらに、そいつが割れたとしよう。使いものにならなくなった茶碗はゴミか? そうではない。修復するとまたちゃんと茶が飲めるのだ。腹が減って飯を食い、喉が渇いて茶を飲む。その後に、空っぽになった茶碗を見て、空を見上げたときのような素朴な感情が浮かぶ。日常にあるものが美しければ、生きていることも楽しかろう。これらはみな『わびさび』の世界に通じておるのだよ」
陶器じいさんは手を休めることもなく、轆轤を回しながらさらに続けた。僕たちはかしこまって真剣に聞いていた。
「『わびさび』の『わび』は侘びるという意味だ。簡単に言えば悲しむということ。悲しみの感情を持ち合わせた動作なのだよ。つまり、感情を動作という形で表したもの。『さび』は寂しい。何かの出来事を受けての感情、つまり、形から受けた感情なのだ。しかも、そのどちらもネガティヴな形であり、ネガティヴな感情なのだ。マイナスの感情から生まれたマイナスの形、マイナスの形から生まれたマイナスの感情、一見、マイナスしか生まないように思えるが、それを『美しい』と定義したのが『わび』であり『さび』なのだ。本来は茶道や俳句の世界の言葉だが、どちらも日常に根付いておって、いわば究極の日常芸術と言えよう。これが日本の芸術の真髄だ」、僕は奥が深い陶芸芸術に感動していた。
そこへさっきまで縁側でビールを飲んでいたじいさんが入ってきた。
「もはや、芸術論を素直に聞く若者もおらんようになったのう。この犬と猫くらいなもんじゃ。芸術は死んでしもうたんかのう」、じいさんは呟いた。
「なんだ。酔っ払ってるのか? 画家のじじいも死んでしまったのか? いつものセリフはどうした?」、陶芸じいさんはそう言って、ピカソじいさんの顔をちらっと見て、また作業を続けた。
「わしが生きてる限り、芸術は生きておる」、じいさんは大きな声でこう言ったあと、照れ臭そうに笑った。
「西洋芸術は陽と陽から陽を生み出し、陰陽のバランスは陽に傾き動となる。日本の芸術は、陰と陰を掛け合わせたものだ。本来は、陰陽のバランスは陰に傾き動となるのだが、陰と陰から生み出されたものは陽であり、結果的に陰陽のバランスが釣り合い、静に見えるのだ。これが日本芸術の正体だ。ならば、陰でも陽でもないモノを取り入れようと、わしらは思いついた。陰でも陽でもないものとは「ゼロ」だ。しかし、何かにゼロを掛け合わせても結果はゼロだ。ゼロに何かを掛け合わせても、やはり結果はゼロなのだ。ならば、掛けるのではなく、割ることを思いついた。しかしこれもまた、ゼロを何で割っても結果はゼロ。しかも、何かをゼロで割ることは不可能なのだ。だが、一つだけ方法が見つかった。それは、『ゼロをゼロで割る』ことだ。ゼロをゼロで割ることで、結果は未知の世界なのだ」
陶芸じいさんは、ピカソじいさんと共に壮大な芸術を生み出そうとしているようだ。バンダナはチンプンカンプンという表情をしていた。
「その方法が見つからない限り、夢の話なんじゃがな」と、ピカソじいさんは付け加えた。
「二つのゼロが見つかったのだよ」、陶芸じいさんが言った。
「ほう。それでわしを呼び出したんじゃな。で、どのようなもんじゃ?」、ピカソじいさんが尋ねると、陶芸じいさんは作業の手を止めて話し始めた。
「五年程前、北海道の大雪山の永久凍土で稲の原種が発見されたそうだ。そいつは数千年だか数万年もの間、空気に触れておらん。その凍土こそ一つ目のゼロだ」
「ほほう。で、もう一つのゼロは?」、じいさんが尋ねた。
「稲そのものだ」、陶芸じいさんが答えた。
「ん?どういうことじゃ?」
「その永久凍土の中から発見された稲の原種は生きておる」、陶芸じいさんはニヤリとして、ピカソじいさんを見た。
「ほうほう、藁か」、画家のじいさんはその意味がわかったようだ。
「昨年、その稲の原種からの米の復活に成功したそうだ。学者さんたちが欲しいのは、稲の原種そのものと、復活させた米。凍土や藁はゴミというわけだ。正にゼロにふさわしい。ただで手に入ったわい。はっはっはー」、陶芸じいさんは高笑いした。
「藁を焼いた灰は釉薬になるんじゃ」、ピカソじいさんは僕とバンダナのために説明を付け加えた。
バンダナはもう飽きてきたようで、大きなあくびをしていた。
「だが、問題はその方法だ。凍土の土で器を形成して原種の藁の灰の釉薬を掛けただけでは完成しないだろう。ゼロ掛けるゼロはゼロでしかない。ゼロをゼロで割る方法を見つけなければ」、陶芸じいさんは言った。
「では、その二つのゼロとやらを拝ましてもらおうかのう」、ピカソじいさんがそう言うと、陶芸じいさんは小屋の外へと案内した。
僕たちもついて行こうとしたが、ふと隣を見ると、バンダナはお昼寝を始めていた。僕もそれに釣られてあくびが出始め、彼女のとなりで一緒に寝ることにした。
目が覚めるともう日が暮れていた。
「おチビさんたち、夕食の時間よ」、娘さんが僕たちを呼びに来た。
居間では既に宴会が始まっていた。僕たちの夕食は縁側に用意されていた。娘さん特製のメザシのお頭付きネコまんまである。器も日常芸術に満ち溢れた『わびさび』感のある立派なものである。僕たちはお腹いっぱい夕食を頂いた。バンダナは居間の隅っこに転がった徳利の口をペロリと舐め、「あんたもどう」とでも言う風に僕を手招きした。
「手招きは猫の専売特許ですから」、とバンダナを真似て徳利の口をペロリとやった。
猫になって始めて酒を口にした。人間の頃は下戸でもなく嗜む程度ではあったが、何だかやたらと美味しく感じた。そんな様子をほろ酔いの陶芸じいさんが見ていた。
「よ!お前さんたち、イケるクチだな!」と、陶芸じいさんは調子に乗って、一升瓶を傾けて碗にドボドボと命の水を注いだ。
僕とバンダナもはらわたにドボドボとその命を注いだ。二匹で碗一杯分の命の水は、瞬く間に天井を回転させ、いつの間にやら回転式天然プラネタリウムの空間に誘った。
気がつくと、既に宴も終わり、僕たちは庭で眠っていた。ピカソじいさんは僕を肩にバンダナを胸に抱えて、母屋の裏の蔵に連れて行った。
「お前さんたちの寝床はここじゃ。いい仕事しておくれよ」、じいさんは妙な独り言を言い残して、蔵から出て行った。
夜中にふと目が覚めた。酒を飲んだせいか、ずいぶんと寝汗をかいたようだ、窓からの月明かりがやけに眩しかった。不用心にも窓が開いているなんて、こんな古い民家の蔵なんかには、きっとお宝が眠っているはずだろうに。
ところでバンダナの姿が見えない。立ち上がって歩こうと前足を一歩出すとよろよろとふらついた。まだ目の前が回っている。
「バンダナ、どこだい?」、僕は彼女を探した。
「外にいるわ。でも来ちゃダメよ」
蔵の外で声がした。きっとあの窓から外に出たんだろう。僕は箱やら籠の階段を使って窓の下の棚の上まで上がった。
窓から顔を外に出して下を見ると、真下に台があった。ひょいとジャンプして台の上に着地してみると、足の裏がひんやりとして気持ちが良かった。石でできたテーブルのようだ。
「下に降りて来ちゃダメよ!」、バンダナの声がテーブルの下をから聞こえた。
どうやらバンダナはこの下にいるようだ。
それにしても喉が渇いた。周りを見渡すと丁度テーブルの横に水瓶があった。水瓶の中を覗いて見ると水が入っている。ふと水瓶で溺れて死んだ猫の話を思い出した。僕は水を飲もうと水瓶に首を突っ込んだ。
「あっ!」
ドボンという音と共に天地がひっくり返った。息が出来ない。不覚にもあの物語の猫と同じように、足を滑らせて水瓶に落っこちてしまった。僕は四本の足をバタバタとさせてもがいた。あの猫は諦めて死んでしまったのだ。何だか僕もこれ以上もがいても仕方がないような気がした。昨夜かいた汗が流れ何だか気持ち良い。このまま僕も…。
そのとき、ゴーン、ゴーンという響きが続けて二回聞こえた。さらにまたゴーンとなった。次にもっと大きなゴーンが聞こえたとき、バシャンと上の方で水が波打った。さらにゴーンと聞こえあと、ガシャーンという音と共に、大きな横波を受け、僕のからだは外に投げ出された。そして大きく息を吸った。
目を開けるとびしょ濡れのバンダナが僕の顔を見下ろしていた。
「はぁ、はぁ、あなた、大丈夫?」、バンダナは息を切らしていた。
どうやら、バンダナが体当たりで水瓶を倒し、僕を助けてくれたようだ。
遠くの空が明るくなり始めている。石のテーブルと水瓶が割れ、水浸しの猫が倒れ、その横にはびしょ濡れの犬がいる。そんな状況の騒ぎを聞きつけ、家主がやってきた。陶芸おじさんが僕たちの前で仁王立ちになった。叱られる。しかし、僕たちを怒鳴ったのは陶芸じいさんではなかった。
「こらー!お前たち、何てことをしてくれたんだ!」
今まで見たこともない剣幕で、ピカソじいさんが顔を真っ赤にし大声で僕たちを怒鳴った。僕たちはきっと捨てられるんだ、と不安がよぎった。
「それは、わしらの夢、二つのゼロじゃぞ!台無しにしおって!」
僕は理解した。じいさんたちが怒っている理由が。テーブルだと思っていたあの石の板は永久凍土の粘土で作った大皿で、水瓶の中身は原種の稲の藁を燃やした灰からできた釉薬だったのだ。
画家のじいさんは今にも殴りかかって来そうな勢いだった。それを止めに入ったのは陶芸じいさんだった。
「まぁ、まぁ、酒を飲ませた俺も悪いんだ。粘土と釉薬はまだあるんだから」と画家のじいさんをなだめた。
「本当に申し訳ないことをした。すまん。わしらはこれでおいとまする。勘弁してくれ」
ピカソじいさんは僕の代わりに何度も何度も頭を下げた。
僕は何だか涙が出てきた。
画家のじいさんは、僕の首を掴み、バンダナの首輪を引っ張って車まで引き摺り、エンジンをかけて陶芸じいさんの家を離れた。
車の中で、じいさんは一言も喋らなかった。僕たちはずぶ濡れのまま後ろのシートで反省をしていた。途中、じいさんは川の側で車を止めた。いよいよ僕らは捨てられるんだ。きっと、この川辺に置き去りにされるのだ。
じいさんは僕たちを河原まで連れて行った。そして、僕を抱えて川に入った。まさか、僕を溺れさせるのか。僕はそれも仕方がないと、じいさんにされるままに体を預けた。
「怪我はしとらんか?」、じいさんはそう言うと、川の水で釉薬まみれの僕の体を洗い、体のあちこちを傷が無いかと調べた。
じいさんはいつもの優しい顔をしていた。その後、バンダナの行水が終わるとじいさんは僕たちの顔を見て言った。
「すまんかったな。たが、よくやってくれた」、そう言って、僕たちを抱きしめた。
何だかわからないが、捨てられずに済んで良かった。そして、僕は思い出してバンダナに言った。「助けてくれたんだね。ありがとう」と。
数日後、陶芸のじいさんから電話があり、じいさんは再び北鎌倉に呼び戻された。僕とバンダナも一緒に連れて来いということだったらしい。
じいさんは、「いい仕事をしてくれたようじゃな」と不可解なことを言って、僕とバンダナを車に乗に乗せ北鎌倉へ向かった。
叱られるのではないようだが、何が起こったのか見当もつかなかった。
北鎌倉の陶芸じいさん宅に到着すると、庭で陶芸じいさんが直々に出迎えた。車が止まると、陶芸じいさんが駆け寄って来て、後部のドアを開けた。
「おい、お前さんたち、一体何をしたんだ!」
僕とバンダナはびっくりして飛び上がった。やはり、叱られるのかと運転席のじいさんの膝に飛び込んだ。
「何があったんじゃ」、じいさんは陶芸じいさんに尋ねた。
「まぁ、見てみろ」と、作業小屋に早足で向かった。
作業小屋に入ると、電気の消えた部屋の奥のテーブルに十二枚の白い物が並べられていた。僕にはそれが何なのかすぐにわかった。僕とバンダナが壊したゼロ、つまり永久凍土でこしらえた大皿の残骸であった。陶芸じいさんは作業小屋の入り口の横で背中を向けたまま言った。
「これを見ろ」、陶芸じいさんは部屋の蛍光灯のスイッチを入れた。
すると、これまで白かったテーブルの上の残骸が蛍光灯の光を反射して光った。
「なんだ、これは!」、じいさんは驚いて叫んだ。
僕とバンダナを目を丸くして、その輝きに魅せられた。残骸に近づいてみると、その輝きは赤から紫、オレンジ、緑と、見る角度によって次々に七色に変化した。
「こりゃ驚いた」、じいさんが声を漏らした。
「お前さんたち、あの大皿に何をした?同じ材料で作った物はこうはなんなかった。一体、何をしたんだ?」、陶芸じいさんは僕とバンダナに尋ねた。
しかし、僕とバンダナには思い当たる節がなかった。
「あははは、奇跡が起こったんじゃよ。こいつら、ゼロをゼロで割りよったわい。二度と同じ物は作れん。あはははは!」、じいさんが笑った。
十二枚の皿には、所々に猫と犬の足跡が微かに残っていた。
「ねえ、ねえバンダナ、ところであのとき、大皿の下で何をしてたんだい?」僕はバンダナに聞いてみた。
「レディーにそういうとこは、聞いちゃダメよ」と彼女は言った。
あの皿の輝きは、猫の汗と犬のおしっこがもたらした奇跡だということは、誰にも内緒にしておこう。
その後、不恰好な十二枚の虹色の皿は、そのままの形でとある料亭に売られたそうだ。猫や犬も飛びつく料理を乗せる皿として評判になっているらしい。
第十二章「映画館」
つい数日前までは、ジリジリと肌を刺していた槍のような陽射しも、その尖った矢尻はすっかり鋭利さを失い、柔らかなススキの穂先で撫でられたような心地よい肌触りとなった。
秋の足音が聞こえるころ、僕たちはニセモノの家族を演じていた。車を運転する父さんの隣りで、母さんは鼻歌を歌いながら外の景色を見て僕たちに話しかけた。僕は姉の持ってきたおやつの入ったバスケットをすっかり空っぽにし、お腹がいっぱいでウトウトし、母さんの呟きにも答えられずにいたのだか、姉は丁寧に優しく答えるのだった。
「まだ少し紅葉の季節には早いわね」
答えるといっても、バンダナは一応は犬であるので、「ワンワン!」と言うだけなのだが、おばあさんはそれでも何だか嬉しそうなのである。そんな光景を見て、隣りのじいさんも顔がほころんでいた。
夏の終わりの旅行の車の中、過去に無くした者たちがそれぞれの空白を埋め合うように、理想の家族を再現していた。忘れられたおもちゃ箱を思い出し、押入れの奥から引っ張り出して、再びひっくり返しては子供の頃を懐かしみ、もう一度あの頃へ帰還しようともがいているのだろう。
「ちょっと、あなた、起きなさいよ」バンダナが僕に言った。
僕は子供の頃から遠足の前日は興奮して眠れない性質だった。昨夜も、「何を着て行こうか」、「おやつは何だろうか」と思考を巡らせ、全く眠れなかった。もっとも、猫の姿なのであるから、服など着ることもないのだが。
「全く、仕方がないんだから」とバンダナは姉さん風を吹かせ、寄り添って眠る僕の鼻の先をペロリの舐めた。
「着いたわよ。起きなさい」バンダナの声で目覚めた。
そこは、長野県の茅野という所。駅のそばで車は止められた。
「あれ? 温泉なんて無いじゃないか」、僕は辺りを見回した。
そこは「新星劇場」という小さな映画館だった。
「お前さんたちに、本物の芸術を見せてやろう」、じいさんは言った。
映画館の看板には「東京物語」とあった。古い日本の映画なのだろう。館に入ると家族が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ!」
お父さんとお母さん、男の子が二人いた。小さな坊やが僕とバンダナに気付いた。
「ワンちゃん、ネコちゃん、いらっしゃい」と、僕たちの頭を撫で、ケラケラと笑った。
「犬と猫は無料です。おじいちゃんとおばあちゃんは半額ね」と、しっかり者のお兄ちゃんがチケットを二枚、おばあさんに渡した。
「おやじさんはご健在ですかの?」、じいさんは館の主人に話しかけた。
「父のお知り合いですか? 父は五年前に亡くなりました」、主人は答えた。
「そうじゃったか。残念だ。昔、ここらに住んでおってな、よくここへ映画を見に来たんじゃ。全く変わっとらんの。ってことは、あんたは、あん時の坊主か」
「あれ、もしかして、絵描きのおじさん? 家におじさんの絵があります」、映画館の主人は目を輝かせて言った。
「そういえば、ここを離れるとき、絵を置いていったんじゃった。忘れておったわい」、じいさんは頭を掻きながら、そう言った。
「そうだ、父から預かっていた物があるんです。母さん、あれどこだったっけ?」、館の主人は奥さんに尋ねた。
「探してきます。そろそろ上映時間です。映画が終わったら、お持ちしますわ」、主人の奥さんは、そう言い残して、奥の部屋に入って行った。
近頃はこういった家族経営の映画館は珍しくなった。自宅は館に併設されているようだ。部屋の奥は、どこにでもある日常の雰囲気が漂っている。
フロントには普通の映画館にはない、駄菓子がたくさん並べてあった。僕がじっとそれを見ていると、バンダナが言った。
「あなた、まだ食べるつもりなの? 私のバスケットのおやつ、全部食べたのに? さあ、行くわよ」、バンダナは僕の尻尾を咥えて上映室まで引っ張った。
上映室には都会の映画館のようなフカフカのシートは無く、背もたれのない三人掛けの長椅子が並べてあった。僕たちは中央辺りに陣取り、上映を待ちわびていると、上の坊やが何やら抱えてやって来た。
「貸し切りですね。これ、食べてください。父さんのおごりだって」
じいさんとおばあさんにはオレンジジュースを、僕とバンダナにはミルクを、それにポップコーンが添えられていた。僕はポップコーンに飛びついた。やがて、明かりが消えた。ポップコーンが見えなくなっても、鼻をクンクンと鳴らし、匂いの方を漁った。
上映開始のブザーが鳴り、僕の頭の真上に光が通過し、スクリーンに映像を映し出した。僕は人間だった頃に見た映画を思い出した。
「ニューシネマパラダイス」。
映画の中では大人も子供も一緒になって映画を楽しんでいた。映画は大衆の娯楽であり、現実を離れた理想の楽園をその中に見つける。この地域の楽園こそ、この「新星劇場」なのだろう。
スクリーンにはモノクロの映像が映った。美しい映像とリズムのあるセリフ、映画の世界はどこにでもある「日常」が描かれていた。しかし、ただのホームドラマではない、何か、があった。バンダナとおばあさんは開始からほんの十分でスヤスヤと眠りに就いた。退屈な映画だからではなく、余りにも心地よい芸術表現であるからこそ、眠りを誘うのだ。車の中で散々寝ていた僕も危うく眠ってしまうところだった。
僕はポップコーンのことも忘れ、映画の中の物語に引き込まれた。物語は、血の繋がりのない老夫婦と息子の嫁の絆の物語だ。戦争でもう息子は死んでしまったのに、嫁を気遣う夫婦と、義理の父と母を気遣う嫁の姿が美しい。これこそが「日常」の芸術だ。じいさんがこれを僕に見せたかった理由が分かった。
映画が終わり、僕はハッと我に返った。じいさんの顔を見ると、コクリと一回うなづいた。
「あら、珍しく。ポップコーン残しちゃって」、バンダナは起きたようだ。
「何だよ、眠ってたくせに」、僕はバンダナに軽く嫌味を投げ付けた。
バンダナは舌をペロリを出して照れたように笑った。
「おじさーん、もう一つ短いのがあるんです。続けて上映しますからー」、主人の声が館内に響いた。
続いてまた映画が始まった。スクリーンには沢山の傷のある映像が映し出された。数分後、まだ映画の途中にも関わらず、じいさんが立ち上がった。じいさんは映像に引き込まれた。
数分後、映画が終わり、映写室から主人が出てきた。
「おじさん、これ、父に、画家のおじさんが来たら渡せ、と言われていた物です」
主人はじいさんに丸いブリキの缶を渡した。
「これは、さっきの短編かね?」、じいさんが主人に尋ねた。
「そうです。小津監督の短編です」、主人が答えた。
僕はその名前に聞き覚えがあった。以前、陶芸じいさん宅を訪問途中で立ち寄ったお墓だ。じいさんはオズ先生の墓だと言っていた。さっき見た「東京物語」にも、その名前があった。じいさんの師匠というのは、小津安二郎監督のことだったのだ。
「この短編、わしは見たことがないんじゃが、小津監督の古い映画には戦争で紛失した物が幾つかあるそうじゃが、もしかしたらそいつかもしれん」
「私はよくは知らないんです。とにかく、画家のおじさんが来たら渡せ、と言われていて、ずっと保管していたんです」
「ここで上映してはどうかね。幻の短編なら、全国から客が殺到するぞ」
「実はおじさん。ここ、もう閉めちゃうんです。ご覧の通りボロい映画館で、建物の老朽化で役所から閉館命令が出てるんです。建て替える予算もないので、残念ですが」
「なるほど、そういうことだったのか。ならば貰っておこう」
じいさんはしばらく何かを考えるように、顎に手をやり、思い付いたように言った。
「こいつはもうわしの物じゃな。わしがこれをどうしようと構わないってことじゃな」
「はい、自由にしてください。父があなたに貰って欲しいと願っていた物です。閉館前におじさんに会えてよかった」
じいさんは貴重な小津監督の幻の短編をあっさり貰ってしまった。閉館も仕方がないということなのだろうか。
映画が終わり、僕とバンダナがロビーに出ると、小さな二人が待ち構えていた。僕は末の男の子に捕まった。頭を撫でられ、お腹をさすられ、思うがままにいじられていた。バンダナはお兄ちゃんにいじられていた。お手だのお座りだのを散々繰り返されていたのだか、僕もバンダナは嫌な気はしていなかった。本物の家族の温もりに触れて、何だか暖かい気持ちになっていた。
僕たちは新星劇場の家族にお礼を言い、車に乗り込んだ。小さな二人は名残惜しそうに、僕たちを見送った。僕とバンダナは、車の窓に並んでひっ付き、子供たちのサヨナラを眺めていた。
さあ、これから温泉へというところで、じいさんはハンドルを掴んだまま、ダッシュボードに置いたブリキの缶を見ながら、何やら考えて動かなかった。
先に口を開いたのはおばあさんだった。
「安田さん、いらっしゃるかしら?」
その言葉を聞いて、じいさんはおばあさんの顔を優しい表情で覗いた。
「お前さんたち、申し訳ないが旅行は中止だ」、じいさんは僕とバンダナに言った。
「え?温泉行かないの?」と僕はバンダナに尋ねると、
「あなた、お風呂嫌いじゃなかったかしら?」とバンダナが答えた。
「お料理もなし?」
中止になった理由も分からず、仕方がなく、僕は温泉を諦め、旅館の豪華な料理も幻となり、僕はがっかりとうなだれた。そんな僕を見て、申し訳なさそうな表情を浮かべながら、じいさんは元来た道へ車を走らせた。
日が沈んでずいぶんたった頃、都会の住宅街にある古い一軒家に到着した。じいさんは車を降りて、玄関の呼び鈴を押した。しばらくして、誰やらが出てきた。
「まぁ、どなたかと思えば、先生じゃないですか」、和服の女性が出迎えた。
「いやぁ、夜分遅くにすまない。ヤッちゃんは在宅かい?」、じいさんは言った。するとそこへまた和服を着た老夫人が出てきた。
「あら、先生、お上りください。奥様もご一緒なんてお珍しい。どうぞ、どうぞ。紀ちゃん、お父さんを呼んできて」
僕とバンダナも一緒に奥の座敷に通された。
「先生、夕食はお済みですか?」と老夫人が尋ねた。
「いやいや、突然押し掛けて申し訳ない。お構いなく」とじいさんが言うと、バンダナのお腹がグゥと音を立てた。
「あら、猫ちゃん、お腹が空いてるのね」と夫人が言った。お腹が鳴ったのはバンダナなのに、みんなは僕がお腹を鳴らしたと思っている。バンダナは僕の隣で知らない顔をしていた。
しばらくすると、奥から料理がどんどん運ばれてきた。
「あらまぁ、私もお手伝い致しますわ」、おばあさんはそう言って、腕まくりをした。
老夫人は、「実はね、今日はあの子の命日なのよ。でも、兄弟たちは仕事で忙しいからって、誰も来なかったのよ。おかげで料理がこんなにあまっちゃってね」、老夫人は愚痴をこぼした。
そこへ家主が頭を掻きながら入ってきた。
「よう、よく来てくれた。お前さんがわざわざ来たってことは、只事ではないようだな」、家主がじいさんに言った。
「ヤッちゃん、早速じゃが、これを見てくれないか」、じいさんがフィルムの缶を差し出した。
「ほう、お宝の匂いがプンプンするわい」
安田のじいさんはフィルムの缶の蓋を開け、フィルムの端を掴んで伸ばし、蛍光灯に透かして見た。
「ほうほう、小津さんの幻の短編発掘ってところかい」、安田のじいさんはすかさず正座を直り、眼鏡を掛けたり外したりを繰り返してフィルムを観察した。
テーブルには沢山の料理が並べられ、僕とバンダナはテーブルの上の料理に釘付けになった。幻となった温泉旅館の豪華な料理が、こんなところで再現された。
「ちょっと、拝見させてくれないか。皆さん、遠慮せずにやっておくれ」、安田のじいさんは、速い口調で告げ、奥に引っ込んでしまった。
「そうか。今日は彼の命日だったんじゃな。それじゃ、ひとまず一番弟子の顔を拝ませて貰いますよ」、じいさんはそう言って、部屋の隅の仏壇へ向かい、遺影に手を合わせた。
僕とバンダナの料理は、部屋の一角に用意され、二匹で仲良く分け合った。じいさんとおばあさんも安田の家族と昔話に花を咲かせ、料理を摘んでいた。
「もう、十年になるかな。芸術を学びたいと、わしの所にやって来たときのことを思い出すわい。目をキラキラさせて、希望に満ち溢れておった。わしは弟子など取るつもりはなかったんじゃが、あの綺麗な澄んだ目には叶わなかったわい」、じいさんは昔話を始めた。
「あの船の事故が無かったら、立派な絵描きになっておったんじゃがな」、じいさんが言うと、「私、遺体が見つかっていないから、まだ何処かで生きている気がするんです」、紀子が言った。
「あの辺りは、常に霧に包まれておるから、捜索も思うように進まなかったようじゃの」、じいさんがつけ加えた。
皆のはらぺこが解消された頃、安田のじいさんが戻ってきた。
「これを何処で手に入れたんだ」、安田のじいさんがピカソじいさんに尋ねた。
「いやー、昔暮らしてた信州の田舎町でな、通い詰めた小さな映画館を久しぶりに尋ねたんじゃよ。そうすると、先代の館長がこれをわしに渡せと、長年保管されてたんじゃ」、ピカソじいさんが言った。
「ほう、戦火から奇跡的に免れたようだな。あんたなら、この価値観がわかるということか」、安田のじいさんが言った。
「で、それ、幾らの値がつく?」
「なに、売り飛ばす気か!」、安田のじいさんは顔色を変えて怒鳴った。
「実は、その映画館は閉館するそうじゃ。修復資金くらい何とかならんか」
「閉館? なるほど。こいつは小津監督の幻の短編だぞ! しかも、コピーではなく、マスターテープだ。修復資金どころか、新築の巨大な鉄筋の映画館が立つわい! あははははー!」、安田のじいさんは高笑いした。
「ま、まさか、マスターかい! こりゃ驚いた」
「若干痛んでるが、それは俺に任せろ。世界中の小津ファンが泣いて喜ぶわい」
「預けて構わんか」
「任せろ。お前さんらしいこったい」
「ヤッちゃん、恩にきる」
「いやー、生きてうちに小津監督の幻に出会えるとは思わんかった。こちらこそ感謝だよ。おい、酒の用意だ」
「いやいや、突然押しかけてきて、それはいかん」
「なーに構わん。今日は息子の命日だ。賑やかなのが何より供養だ。こんな深夜に、もうろくじじいの運転じゃ危なかろう」
そうして、息子さんの命日と小津監督幻の短編発掘を兼ねた宴は朝まで続いた。
数週間後、じいさんは僕とバンダナを連れて、再び長野の新星劇場を訪れた。劇場はすでに閉館となっていた。
「ご主人はおられるか?」、じいさんは閉ざされた殺風景な映画館のロビーで叫んだ。
すると、奥の階段の上から主人が顔を出した。
「おじさん、どうしたんですか? どうぞこちらへ」、主人は映写室へ案内した。
「おじさん、とうとう閉館になっちゃいました」、主人はフィルムの整理をしながら、うつむきながら呟いた。「父さんに叱られちゃいますね」、主人は頭を掻きながらまた呟いた。
「そうじゃな。先代の建てた木造のボロい映画館を潰して、最新式の鉄筋の映画館を建てるんじゃから、さぞ怒っておられるじゃろう」、じいさんはニヤニヤしながら言った。
「鉄筋? 何の話です?」
「実はな。あのフィルムをわしの友人に見せたんじゃ。フィルム編集の技術者で小津作品の大ファンじゃ。奴が言うには、あれは小津監督の短編に間違いないそうじゃ。しかも、マスターテープということじゃ。つまり、鉄筋の映画館が建つほどの価値があるということじゃ」、じいさんは主人に経緯を話した。
「しかし、あれはおじさんの物ですので」
「お前さん、わしがあれをどうしようと構わないと言ったな」
「はい」
「ならば、わしの頼みを聞いてくれんか。あれは、世界中の映画ファンの物。そいつを新しい映画館の館主となって上映してくれんか」
「おじさん、どうしてそこまで」
「先代はわしにここで、映画を通して芸術の在り方を教えてくれたんじゃ。ここで見た洗練された映画で、わしの芸術観が生まれたんじゃ。いうなれば、ここはわしの原点なんじゃよ。それに、あれは元々先代のものじゃ。先代は先を見越して、わしにあれを預けたんじゃろう」
じいさんはそう言って、主人の肩を叩いた。
「おじさん、ありがとうございます。ここから発信したものが、新たな芸術を生むかもしれないのですね」
主人は全てを受け入れ、新しい芸術の発信の母体となる映画館の建設に向けて動き出した。
一年後、じいさん宅に新しい新星劇場のオープング上映会の案内が届いた。僕たち家族は、揃って長野に向かった。
駅前はずいぶん様子が変わった。芝生の公園の中に、それはあった。
「これは!」、じいさんは驚いた表情を見せた。
すると、公園の隅から館主が現れた。
「おじさん、驚いたでしょう」、館主が言った。
「あの絵が再現されておるわい」、じいさんは驚いた表情のまま言った。
「そうです。赤ん坊のころからおじさんの描いたあの絵を見てきて、新築するならあれを再現しようと決めてたんです」
それは、何だか懐かしく趣きのあるレトロな雰囲気のある外観で、入り口の扉の上には赤いネオンサインで「新星劇場」と綴られていた。芝生で敷き詰められた公園内の一角には、大きな回転式ブランコやメリーゴーランド、小さな観覧車まであり、まるで何かの映画で見たファンタジックな移動遊園地である。また、劇場の隣にはオープンテラスのフードコートがあり、芝生にシートを敷いてピクニックもできる。
「ステキー!」
バンダナが芝生を駆け回った。僕もバンダナを追いかけて、はしゃぎ回った。
「まぁ、なんて素敵な映画館なんでしょう」、おばあさんの顔がほころんだ。
「夏の夜には、野外上映も出来るんです」、館主が言った。
「これらのアイデアは、おじさんの絵から拝借しました」、主人はニコニコしながら言った。
劇場に入ると真正面にその絵があった。昔、じいさんが描いて先代の館主に贈ったものだ。そこには、色鮮やか色彩で描かれた、公園の中にある小さな映画館と、小さな遊園地があり、たくさんの人たちで賑わっていた。
そこへ見覚えのある老人がやってきた。
「安田さん!来てくださったんですね」、館主が手を差し出して深々と頭を下げた。
「おじさん、安田さんのおかげで世界中の映画のフィルムを借りれることになったんです。それから、新しく映写機も映写室の設計も、安田さんのお世話になったんです」、館主は興奮気味で言葉を走らせた。
劇場内はどこもかしこも真新しくはあったが、豪華なフカフカの椅子などの最新式の映画館ではなく、やはり長椅子の古い映画館のスタイルだった。観客席の前半分には赤いカーペットが敷かれ、丸や四角のクッションが転がり、寝転んで映画を鑑賞できる。上映時間が近づくとお客さんが次々と入ってきた。
オープニングセレモニーとして、あの小津監督の短編映画「カボチヤ」が上映された。じいさんとおばあさん、安田のじいさんは長椅子に並んで座った。三人とも子供のように目をキラキラさせてスクリーンを見ていた。
「よっ!待ってました!」上映が始まると、満員の会場からかけ声と拍手が起こった。都会の映画館の静かな様子はなく、場内のあちこちから「いいねー」だの、「泣けるなー」など、感想が聞こえてくる。
「映画館はこうでなくちゃ。誰もが自分の楽しみ方で自由に映画を鑑賞すればよい」、じいさんはうなづきながらそう言った。
オープン上映会は、老若男女誰もが楽しめるラインナップになっている。午前の部は、旧ソ連のSF「不思議惑星キン・ザ・ザ」、フランスからジャック・タチの「プレイタイム」。昼の部は、ドイツのファンダジー「ツバル」、アメリカの「夢のチョコレート工場」、短編映画の名作「赤い風船」。夜の部は、小津安二郎「浮草」、黒澤明「用心棒」。じいさん曰く、見事なラインナップということだ。
オープン記念の上映会は終わり、夜になると公園のテラスでパーティーが開かれた。集まったのは関係者と近所の映画好きの人たち、何処からかやって来た若者たちだった。。
「テクニカラーの映像はいつ見ても素晴らしい」、じいさんが言った。
「テクニカラーって何ですか?」ひとりの若者が尋ねた。
「モノクロからフルカラーに移行する前に取り入れられた人工的なカラー技術だよ」、館主が答えた。
「レンズに入った光をプリズムで赤、青、黄色の三原色に分解し、それぞれをモノクロフィルムに焼き付けるんだ。赤のフィルムは赤く、青のフィルムは青色、黄色のフィルムは黄色に染料で着色する。それら三本のフィルムを同時にスクリーンの投影するとカラー映像が出来上がるってわけだ」安田のじいさんが説明を付け加えた。
「人工的ではあるが、フルカラーよりも奇抜な色彩、絵画でいうとマティスのフォーヴィスム的な色彩じゃな。さっき見た『夢のチョコレート工場』と『白い風船』は、何処か色が違っていたじゃろ」、じいさんが言った。
「あれがテクニカラーなんですね」、若者が答えた。
「この館で、『テクニカラー祭り』なんて企画も考えてるんですよ」、館主が言うと、
「僕、絶対見に来ます」と、若者が立ち上がって答えた。
若者は鞄からノートとペンを取り出し、熱心にメモを取り始めた。
「アグフアカラーもいいのー」、じいさんが言った。
「それなら知ってます。僕、写真をやってるんですよ。アグフアフィルムを愛用してたんですけど、なくなっちゃって残念です。でも、映画にも使われてたなんて驚きでした」、若者が言った。
「アグフアの赤色のファンは世界中にいますからね」、館主が言った。
「アグフアカラーは浮世絵のようじゃ。中間色のレトロな色彩と原色の鮮やかさの対比が素晴らしい」、じいさんは言った。
「最後の『用心棒』のモノクロも素晴らしいです。これまでカラー写真ばっかりだったんですけど、モノクロもやってみようかと思いました」、若者が言った。
「『用心棒』は宮川さんの映像美ですね」、館主が言った。
「若いの、『銀残し』って知っとるかね」安田のじいさんが若者に尋ねた。
「はい、スキップブリーチとかブリーチ・バイパスって言われるやつですね。現像液で処理した後、漂白処理を行わないで銀粒子を残すと、コントラストが上がり彩度を落とした像になるんですよね」、若者が説明した。
「セブンやプライベート・ライアンで使われてますね」、館主が付け加えた。
「そいつを発明したのが名カメラマン宮川一夫先生だ」、安田のじいさんが言った。
「えーっ!そうなんですか」、若者が驚いて言った。
「小津監督の『浮草』も宮川さんですよね」、館主が言った。
「赤いヤカンは、ちとやり過ぎじゃがな」、じいさんが言うと、周りでどっと笑いが起こった。
眠っているバンダナの横で、僕はみんなの映画論の会話を聞いていた。このまま朝方までパーティーは続いた。映画ファンは勿論、映画監督を志す若者や、画家にミュージシャン、若者も年寄りも独自の芸術論を語り、お互いの美学を賞賛していた。インターネットやメディアの普及により、二十世紀に死んだと言われた芸術は、今でも多くの人々の中に生きている。
ここはいずれ芸術の発信基地になるだろうと、誰もが実感していた。