第1章ー第5章
第一章「猫」
ある朝目覚めると僕は猫になっていた。
どうして猫になっていたのかはわからない。本来、男性は人間関係の形成において従属的な縦社会を作り、群生動物であり階級意識の強い犬の性質に似ている。また、女性はというと、自由で勝手気ままで、きれい好きの猫の性質である。
これは僕が勝手に思い描いている持論であり、生物学的、または心理学的、はたまた精神医学的な根拠などはまったくない。というのも、そもそも犬や猫にも雌雄の区別があるのだから、雄猫が犬の性格だったり、雌犬が猫の性格だったりすると、ペット社会に混乱を招き、人間社会においても、犬好きの男性はあーだとか、猫好きの女性はこーだとか、面倒なことになってしまうので、これは僕の漠然たるイメージでお話ししたにすぎない。
世間の会話でも、「あなたは犬派? 猫派?」なんてことをよく耳にするが、僕自身、犬が好きだとか、猫が嫌いだとか言っているわけではなく、犬も猫も僕にとってはどうでもいい選択肢であり、これも、動物虐待だ、とか、動物種差別だ、とかのことを言いたいわけでもない。とにかく、ある朝目覚めると猫になっていたのである。
有名な小説の結末を借りるなら、毒虫になった男は父親に林檎を投げつけられ、名前の無い猫は水瓶に落ちてしまい、どちらにしても死を迎える。しかし、大きな鼻の和尚さんは目覚めると元通りなんてこともありうるのだから、これからどうなるのか未来はわからない。
まあ、猫になったのだから、あの面倒くさい人間関係の形成された「会社」というところには行かなくて済むのだろうけれど。そういうことで、もうひと眠りしてから、またいろいろと考えようではないか。
うとうとと二度寝をし、ついつい三度寝、はたまた四度、いつの間にやら夕暮れ近くで目が覚めた。はっ、と気がつくと仕事に行っていないことを思い出し、次にそれを猫になってしまったという現実が掻き消した。猫にはなったが、このままじっと寝たままではいられない。食うものを食わなくては、猫でさえもいられなくなる。かといって、鍋だのフライパンだのを振り回して、昼食だか夕食だかの準備もろくにできなくなったわけだから、これはもはや、人間の世界でいう施しを乞うか、盗みを犯すしかない。もっとも、猫が盗みを犯したとしても、人間社会の罪(あるいは罰)が適用されるわけではない。しかし、泥棒猫、という悪評が広まると、この地域の人間社会に溶け込んだ生活も困難になるだろう。
とにかく、外に出てみよう。しかしながら、立ち上がったところで、うまく歩けやしない。立ち上がった、といっても、人間さまのように二本の足で立ったのではなく、当然、猫であるのだから四つの足で立ったのだ。人間の言い方で表現するならば、四つん這いになった、という方が正しいだろう。昨日まで二足歩行だった者に、四本足で歩け、といってもそう簡単にできるものではない。それでも四つの足で体を支えているのだから、初めて立ち上がった人間の赤ん坊のように、よろよろと倒れそうになるわけではない。不恰好にも、ようやく玄関まで辿りついたのだが、ここでふと気づいた。玄関のドアノブは頭上の遥か上にあり、二本の後ろ足で立ち上がったとしても、前足がドアノブに届かない。まったく、人間の住居は猫にとっては扱いにくいものである。季節はまだ夏の暑さがいささか残る秋口、ベランダの大窓を開け放って寝ていたことが幸いし、網戸を破って外へ出た。
真っ赤な秋の夕暮の空、古い木造アパートのベランダにて、ひとつ「にゃん」と鳴いてみようではないか。なにしろ人間に育てられて、昨日まで人間だった猫なものだから、猫の言葉なんてものを知らない。ペットとして飼ったこともないのだから、猫がどんな言葉を使うのか、なんて知るはずもない。人間社会の一般的猫言語の「にゃん」としか言いようがない。それでも猫になったのだから猫らしく鳴いてみようと思ったのである。
「にゃーん」
うまく鳴けたような気がする。
さてさて、このベランダから地面へ降りる方法を考えよう。本物の猫ならば、ぴょんぴょんと屋根を伝って、ひょひょいとジャンプすれば、あっという間に地面に着地なのだが、もと人間の僕にそんな技ができるのだろうか。
人間のころの僕の運動神経は、良かったほうではないが、それほど悪くもない、といった中途半端な程度である。小学生のころは、少年野球チームに所属していたが、一番球が飛んで来ないライトを守らされ、試合ではヒットを打ったことはない。おまけに、ここ十数年、歩く以外の運動は一切やっていない。最後はいつ走ったのかすら思い出せない。そんな僕にどれだけ猫の身体能力が備わったのだろうか。
向かいのトタン屋根まで七十センチメートルほど。人間の身長からするとたいした長さではないが、猫の体長のせいぜい七、八十センチからすると、体一つ分の距離である。つまり、人間でいうと一・五メートルを助走なしで飛ぶわけだ。もし落ちたとしたら、くるりとひっくり返ってスタンという、あのニャンコ宙返りを期待するしかない。もっともあれができるなら落ちることはないだろうけれど。
「えい!」
かけ声と同時にジャンプした。周りの人には「ニャー!」と聞こえたのかもしれないが、そんなことを考えている間もなく、トタン屋根でツルっといってしまった。昼過ぎに降った雨のせいで足を滑らせて、そのまま屋根の下へと落下した。ニャンコ宙返りの技を披露できぬまま、屋根の下のゴミ箱へ、ズボッ、と埋まってしまったのである。幸いゴミ箱の中は、隣の家の、夏に伸びた庭の木を剪定した葉でいっぱいになっており、クッションとなって大怪我をせずに無事生還できた。
「猫も屋根から落ちる」
くだらないことわざを思いつき、恥ずかしくなった。とにかく、無事に地球の地面に着陸できた。アポロ11号ほどの感動ではないが、これで飢え死にせず、猫でいられる可能性がでてきたのである。
青臭い葉の匂いを付けたまま、これからどうしようか考えた。時刻は夕食どき。ここらあたりの路地には野良猫がたくさんいる。運がよければ、野良のおこぼれをもらえるかもしれない。いよいよ施しを乞うときがきたようだ。僕は猫だ、と自分に言い聞かせ、路地裏を徘徊した。裏通りの入口で、いささかかわいらしく「にゃー」と鳴いてアピールしてみた。
すると、通り過ぎた民家の勝手口が開き、おばさんが出てきて手招きをした。「こっちへ来い」と言っているのか「あっちに行け」と言ってるのか、微妙な手つきをしながらこっちを見ている。おそるおそる近づいてみた。手にはお椀と牛乳パックを持っている。
「チャンスだ!」
僕はできるだけかわいらしい声で「にゃーん」と鳴いてみせた。これが猫なで声というやつなのだろう。おばさんはお椀にミルクを注いで路地の脇に置き、少し離れてしゃがんだ。僕は急ぎ足で近づき、お椀のミルクをペロっとなめた。
「うまい!」
猫になればただのミルクもこんなにうまいと感じるのか。一杯のお椀のミルクを飲み干し、「にゃー」とお礼を言った。おばさんは、「また、明日もおいで」と言ってくれた。僕はコクリとうなづくと、頭に引っかかっていた葉っぱが一枚、お椀の中に落ちた。おばさんはニコリと微笑んで葉っぱをエプロンのポケットにしまった。お礼ができてよかった。
もう外はすっかり暗くなり、街灯が灯った。母と子が手をつないで家へと向かう姿を見かけた。何だかタイムスリップで子供のころに戻ったようだ。
「おや? そういえば」
人間の言葉が理解できた。猫になっても人間の言っていることが分かるのか。これは僕だけの特権なのだろうか。それとも普通の猫でも理解できるのだろうか。猫になってみて久しぶりに母の声が聞きたくなった。人間のころはそんな風には思わなかったのに。
昼の間、散々眠りほうけていたので、今夜は眠れそうにない。夜も深くなり、町はシーンと静まり返り、人の往来もなくなった。こんな時間、普通の猫は何をしているのだろう。
本来、猫は夜行性であり、待ち伏せ型捕食者であるのだから、垣根の隅辺りで鼠でも待っていようか。それとも、男の性質である犬の習性を採用して、追跡型で鼠の捕獲を実行しようか。いや、犬が鼠を食うなんて話は聞いたことがない。やはり猫らしいやり方にしたほうがよさそうだ。しかし、ドブ鼠を生で食らうなんてことは、昨日まで人間だった僕にできるはずもなく、鼠の捕獲はただの暇潰しのまねごとにすぎない。
昨日までならここで、帰宅して明日の仕事に備え、風呂にでも入ったあと、一杯ひっかけて、テレビでもぼんやりと見ているところだが、もとの職場は猫の手も借りたい、というほど忙しくもなく、働き者の猫など、どこかの企業が必要としているわけでもなく、明日もやることがないのだから、こんなことでもして時間を潰すしかあるまい。
そんなことを考えているうちに、眠気が襲ってきた。そういえば、猫の睡眠時間は人間の倍だと聞いたことがある。僕は昨日まで人間だった猫なので、人間の平均睡眠時間の七時間と猫の十四時間を合わせて二十一時間の睡眠時間が必要なのかもしれない。そうしますと、起きている時間は一日三時間ということになる。つまり、七時間ごとに起きて一時間食事の時間をとればいいのだ。根拠のない理論をまとめあげたところで、家に帰って寝ることにしよう。
第二章「老人と猫」
目が覚めるともう朝が来ていた。猫になって二日目。猫の寿命は平均十七年と言われているが、これを八十歳として換算すると、猫の一年は人間の四・七年に、一日は四・七日に、一時間は四・七時間に相当する。つまり、猫の一日は五時間程なので、すでに五日分近くを猫として過したのだ。週休二日だとすると、もはや一週間の猫業務を完了した、と言ってもよいだろう。
さらに考えを深めよう。十四時間も寝ている猫は三日近く寝続けるわけだ。三日間眠り続ける女などいない、と思われるが、「美しい女はよく眠る」という法則と「猫はよく眠る」という法則から「女は猫である」という三段論法による結論が生じ、僕の理論が正しいということが証明できるであろう。
続けて、元人間の猫の僕は二十一時間の睡眠が必要なのだから、僕には猫時間の四日分の睡眠が必要である。つまり、これこそが僕が男性的な犬ではなく、女性的な猫になった理由なのだろうか。こんなくだらないことばかり考えているのも、猫になってすることもなく、暇をもてあましているからである。
もっとも、人間のころからこうだったのだが、これがこの歳になって猫に格下げになった理由なのかもしれない。「格下げ」と言ったのは、猫が人間よりも劣っている、という考え方によるものであり、人によっては猫に「進化」した、と捉える方もいるかもしれない。いずれにしても、人間が勝手に決めた優劣であり、自然の法則に当てはまるかどうかは不明であるのだが、僕としては自然界が決めた法則により猫になったのだろう、と解釈している。
さてさて、腹も減ったことだし、食える物を貰えるところへと出かけよう。葉っぱおばさんのミルクだけでは物足りない。公園まで行けば、猫好きの人間の一人や二人はやって来て、弁当の残りやパンの切れ端くらいは分けて貰えるだろう。人間のころから食には興味がなく、尾頭付きの鯛を食っても、餌としか思えなかったのだが、葉っぱおばさんのミルクがあんなにうまかったのは、猫になって味覚が冴えたからだろうか。今、尾頭の鯛なんて食ったなら、衝撃のあまり卒倒するやもしれない。残飯で結構。
はてさて、公園までの道のり、猫はどこを歩けばよいのか。人間と同じく歩道でよいのか、はたまた、もっと路肩の溝の縁あたりか、やはり猫らしく壁を伝って移動すべきか。車の通りの少ない裏道、ここは堂々と道のど真ん中を進もうではないか。人間のころは悪いことをしているわけではないのに、すれ違う人の目を気にしながら、目を合わせないように歩いていた。猫になったらそんなことも気にならなくなり、堂々と胸を張って歩けるのは何故なのだろう。うまい理論が見つからない。
公園に入ると、いつもと違う風に見えた。というよりも「見られた」という方が正しい。人間だったころは、子供や老人たちが憩うこの公園で、僕は異質な存在であり、まるで犯罪者を見るような眼差しで見られていた。猫になったことによって「男は犯罪者であり、女は被害者である」という世間の犯罪理論からようやく抜け出せたのだ。言い換えれば「猫は犯罪者でなく、犬は被害者でない」という命題が真であることを示し、同時に「男は犬であり、女は猫である」という我が独自の理論を、対偶的に証明された、と言ってよいだろう。しかし、そうなれば「男の僕は猫である」ことに矛盾するのだが、これはまた徐々に解明していこう。
公園の片隅で絵を書いている老人がいた。緑色のベレー帽を被った白髪の「いかにも画家である」という印象の老人だ。僕は隣のベンチに陣取り、画伯の描く絵を覗き込んだ。こう見えても絵画にはいささかうんちくがあり、油絵を描いた時期もあった。当然、人間だったころの話である。まぁ、今は猫の姿なので、絵画を嗜む風には見えないだろうけれど。どれどれ、じいさまの描いた絵を評価してやろうではないか。
「にゃ? にゃ?」
何処をどう見て描いたものやら、いわゆる抽象絵画であり、赤やら緑の球体やら錐体が、青い空間に折り重なって浮遊している。つまり「ザ・ピカソ」なのである。抽象画家は、独自の美的感覚を絵画理論に変換し、線で描いた形質や色面積のバランスの細かな配置や比率を、カンバスの平面空間に絵の具で表現した、いわば証明論文なのである。万人には受け入れられ難いが、僕はじいさんの描いた絵を高く評価したいと思った。
「キュビズムという手法は、見える物体全てを平面と簡単な立体に変換した絵画手法なのじゃよ。つまり簡略化だな。しかしそれだけで、こいつは完成しないんじゃ。多視点で捉えないとな。物事を一点から見ていたのでは、その物の本当の良さがわからん。見る方向と角度を変えるのじゃよ。お前さんは、ようやく二つの視点で物事を捉えることができたのじゃ。どうだ?世界が少し変わっただろう?」、じいさんは独り言のように言った。
僕に言っているのだろうか。
「シュルリアリスムも悪くない。超現実主義じゃのお。現実を超越したお前さんは、これから素晴らしい体験をするじゃろう。どうじゃ、わしの絵のモデルにならんか?」
猫になって二日目でモデルデビュー。悪くない。「にゃー!」
じいさんはカバンから弁当箱を出し、蓋を開け、僕の前に差し出した。モデル料というわけか。それから、早速カンバスを取り替え、僕を描き始めた。このじいさんは、僕が人間だったことを知っているのだろうか。尾頭付きのメザシ弁当がヤケにうまかった。
公園の木々は、そろそろ落ち葉の絨毯の準備を始めるころ、フェルメールが描いた少女のターバンの青がどこまでも広がる空の下、夕暮れの虫たちのコンサートの開演時間にはまだ早く、ベレー画伯のモデル業務をこなしながら、僕はベンチでうとうといい気持ちで昼寝をした。猫であるのも悪くない。
目覚めた時、すでに絵は描き上がっていた。ピカソじいさんはその絵を僕に見せてくれた。カンバスに描かれたモノは、犬の顔をした裸の女の絵だった。「男は犬であり、女は猫である」、この理論に真っ向から対立した絵である。つまり、男である僕が猫の姿をしていることの裏の理論なのだ。このじいさんは、もしかしたら僕が猫になった原因を解明できるかもしれない。
夕暮れ近く、じいさんは帰る支度を始めた。そして、僕に「ついて来い」の合図をした。どうやら、猫の僕を自宅に招待してくれるらしい。
公園を出て、駄菓子屋の角を曲がり、二件目に古い家があった。ここがじいさんの家らしい。家に着くと「おーい」と、ピカソじいさんのひとことで、玄関に白髪のおばあさんが現れた。優しいお顔立ちの品のいいおばあさんに、絵の具まみれのみすぼらしいじじいが顎で合図する。
「あら、いらっしゃい。今日は素敵なお連れさまね。おあがんなさいな」と、おばあさんは笑顔で僕を歓迎し居間に通してくれた。
いささかかモダンな雰囲気のある昭和の日本の家という感じの住まいは、古いがよく手入れされており、何だか懐かしい感じがした。居間の背の低い本棚の上には、男の子が写っている色褪せた古い写真が飾られていた。写真の男の子は首に赤いバンダナを巻いた仔犬を抱えていた。
「そうか、この仔犬の代わりをすればいいのだな」、僕は猫になってはじめて自分の役割を見つけた。
居間のソファーでくつろいでいる僕に、ピカソじいさんが「こっちへ来い」と合図した。廊下を抜け、裏の勝手口を出ていくじいさんについていくと、裏庭に小屋があった。じいさんはドアを手で押さえ「早く入れ」と促した。
油絵の具の匂い。筒に刺さった筆。描きかけのカンバス。ここはピカソじいさんのアトリエ。大きな窓から差し込む光が、僕を赤茶けたボロのソファーへと導いた。じいさんはタバコをくわえたまま黙って準備を始めた。そして、丸椅子に腰をかけて煙を吐き、緑のベレー帽を深く被り直した。
時間が止まった。
再び時間が動き出したとき、僕は暗闇の中だった。闇の中からじいさんの声が聞こえた。
「写実的な絵は、リアルを表現する過程でジレンマを生じるのだよ。それは、光を色に変換する過程で起こる摩擦のようなものだ。どこから見ても写真にしか見えない絵を描いたところで、所詮、写真には敵わない。しかも、描くには時間がかかる。カメラなら一秒にも満たない。ならば、絵の具でしか表現出来ない画を作ればよいのだ。時間をかけて現実を忠実に生きることが無駄だと感じるなら、お前さんのように自分が描いた生き方で暮らすのが、最善の方法かもしれないな。ジタバタして、もがいて、迷ったその先に、本当に描きたいものがある。何かを生み出すには苦しみが伴うのだよ」
じいさんのカンバスの中では、人間の姿の裸の僕が怯えていた。
タバコの煙と秋の夜の時間がゆっくりと流れるアトリエで、猫になった現実の僕は、窓から注ぎ込む月の青に照らされていた。月の光はいつもより優しく感じた。
第三章「犬と猫」
犬が吠えている。暖かな陽射しの下、公園のベンチで僕の昼寝の邪魔をする奴がいる。まったく、犬なんて獣は主人には従順にしているが、気に食わない奴がいるとすぐに吠えまくる。縦社会の奴らはなんて下品なんだろうか。その点、猫はただ品良く振舞い、他人を尊重する自由な生き物だ。そっと薄眼を開けて騒音の主を見た。しかし、よく聞いてみると吠えているのではないようだ。人間社会の一般的犬言語の「ワン」ではなく、人間の言葉として僕には伝わった。
「ニセモノめ!起きろ!ニセ猫!」
「ねぇ君、人間の言葉がわかるの?」
「あなたバカ? 人間に育てられた人間の子は、人間の言葉を理解できるのよ。犬だって猫だって、人間に育てられたら人間の言葉がわかるに決まってるじゃないの」と犬は答えた。
「でも、犬は人間の言葉を話せないし、ニャンとは言わないじゃないか」と反論した。
「それは骨格とか筋肉とか体の構造そのものの問題よ」
「ってことは、君は人間だったのかい? 何だ、君だってニセモノじゃないか!」、彼女は答えなかった。
「どうして人間をやめたの? どうして犬を選んだの? 」、僕は彼女に質問を浴びせた。
「少なくとも、私はあなたみたいに逃げ出したわけじゃないわ。自由を求めたのよ。私はイヌ科の一匹狼になったのよ」
隣のベンチには、いつの間にかピカソのじいさんが座っていた。
「現代の社会では似通った暮らしぶりの者同士が集団を築いて、別の集団を卑下しながら暮らしている。どこまでもいじめは無くならん。ちょっとでもミスをしようものなら、すぐさま揚げ足を取りにかかる。戦争や民族抗争、宗教争い、人種差別。人間は醜いのぉ。お前たちは種を超えて仲良くやっているんじゃな。いいことじゃ。なんと美しいことじゃ」と呟いた。
一瞬の沈黙の後、犬は頷いて答えた。
「ワン!」
その後、僕も頷いて「ニャー!」と答えた。
そして、じいさんの持っていたシャケ弁当を一人と二匹で分け合い、永遠の平和を誓った。
一週間後。
「どう? 似合う?」
この数日、彼女はそればかりだ。人間の住むこの町では、野良猫は自由に暮らせるが、野良犬はそうはいかない。首輪の無い犬が行き来しようものなら、たちまち役人がやってきて檻に入れられ、数日後に駆除されてしまう。おばあさんは「そんなことになると可哀想だ」と、ピカソじいさんに訴えかけ、とりあえずはじいさん家の飼い犬ということにしておこう、と、首輪を付けようとしたのだが、自由主義の彼女はそれを拒んだ。おばあさんはそれならば、と、赤いバンダナを持ち出してきて、首輪代わりに彼女の首に巻いたのだ。これは彼女も気に入って、以来、毎日僕に見せつけるのだ。やはり女の子なんだなぁ。これがバンダナ犬誕生の経緯なのだ。そういえば、じいさんの家にあったあの写真にもバンダナを巻いた犬が写っていたっけ。一週間にして、僕の役割は犬に奪われてしまった。
実はそのとき、僕にも小さな鈴の付いたリボンを付けられたのだが、これがまぁ、歩く度にチリン、止まる度にチリン、少しでも動くとチリンチリンと鈴が鳴るわけだ。その度にざまぁ見ろ、と言わんばかりにバンダナがクスクス笑うので、柱の出っ張った釘に引っ掛けて引きちぎってやった。それ以来、おばあさんは鈴を持って僕を追いかけまわすのだ。しばらくはおばあさんの膝もお預けで、バンダナのファッションショーに付き合わされている、というわけである。
女は見せるのが好きであり、男は見られるのが嫌いである。
第四章「42階」
ある日の午後、ピカソじいさんは僕を車に乗せた。何やら見せたいモノがある、というので、言われるがままに車に乗った。
到着した所は高層ビルの谷間、都会のど真ん中。猫になった人間には、まったくと言っていいほど似つかわしくない場所である。こんな所に僕の興味を引くモノがあるのだろうか、疑わしいものだ。
じいさんは、上着の懐に入れ、と合図した。一瞬ためらったが、じいさんの企みが何なのかが気になり、従うことにした。じいさんは僕を埃臭いコートの下に隠した。コートの隙間から外の様子を伺った。どうやら、どこぞやのビルに侵入し、エレベーターに乗るようだ。それにしても息苦しい。思わず「ニャー」と声が出てしまった。
「ちょっと、そこのおじいさん!」
警備員がじいさんを呼び止めた。じいさんは警備員に背を向け「42階だ」と僕に告げ、懐から僕を出し、指差した。
指の先には階段があった。僕は階段を駆け上がった。42階まで階段で行け、と言うのか。かと言って、戻って捕まればどうなることか。不法侵入が猫に適用されるはずはないが、それより42階に何があるのかが気になる。じいさんは猫を不法侵入させた罪で御用となるのだろうか。猫の姿の僕に何ができるわけでもない。とにかく、42階へ行ってみよう。
27階と28階の中間地点の踊り場でひと休み。下からは誰も上がって来る様子もない。あと何階上がればいいのだろう。42から28だか27だかを引けば答えは出てくるのだろうけど、息が切れて暗算を実行する気力もない。フロアまで出ればエレベーターがあるのだろうけれど、ここまで来て捕まるのも何だし、上を目指すしかない。
階段の空間には窓もなく、どこまで上がっても同じ景色。壁に打ち付けられたパネルの数字が一つずつ増えていくだけだ。もう何日も階段を踏んでいる気がする。上へ登っているのか、ただ平面をグルグルと回っているだけのようにも感じた。
そのとき、上の方から足音が聞こえた。警備員だろうか。捕まってたまるものか。誰かが呼んでいる。聞き覚えのある声だ。
「おーい、猫。何処じゃ」
ピカソじいさんだ。「ニャー!」
急いで階段を上がった。どうやら不法猫侵入罪は免れたようだ。じいさんと再会したのは、38階と上へ6段目の階段であった。僕はじいさんの埃臭いコートに再び飛び込んだ。そして、そのまま41階と42階の中間の踊り場まで進み、じいさんは腰を下ろした。
「暗くなるまで待つとしよう」と、じいさんは懐に僕を抱えて目を閉じた。
42階のフロアーのドアが開き、誰かがやって来た。警備員だ。僕はじいさんを揺り起こし、人が来たことを伝えると、同時にじいさんの懐から飛び出して階下に急いだ。しかし、じいさんは慌てもせず。警備員に向かって右手を挙げた。
「世話になるなぁ」と言って、左手をズボンのポケットに突っ込み、紙の束を取り出し、右手の親指と人指し指をペロッと舐めて、束から二枚程を警備員に差し出した。どうやら知り合いらしい。僕は安心してじいさんの足元に戻った。
それを見て警備員は、「もうひとりいるなんて、聞いてないぞ」と、先ほどの二枚を胸のポケットに押し込んだ後、もう一度手を差し出して、じいさんの胸元で親指と人指し指を擦って見せた。
「仕方がないなぁ」、じいさんはもう一枚を彼に差し出した。
警備員は追加の一枚を持った右手ごとズボンのポケットに突っ込み、背中を向けて、口笛を吹きながら42階フロアのドアを開けて出て行った。
「さぁ、行くとするか」
僕は42階のフロアのドアへ向こうじいさんの後に続いた。
42階のドアを開けるとフロアは真っ暗で、非常口への誘導灯だけが緑色に光っていた。じいさんは迷う様子もなく、慣れた足取りで目的地へ向かう。僕ははぐれないように、じいさんの足元に寄り添って進んだ。
キーッーー
ドアの開く音がフロアに響いた。僕はじいさんの足に体をくっつけて、自分の存在を知らせた。じいさんは足で僕の体に二度チョンチョンと合図を送り、僕を部屋の中へと誘導した。床の踏み心地が柔らかな感触の絨毯から冷たい石のように硬く変わった。
キーッ、バタン。
ドアが閉まると同時に、部屋は暗闇に閉ざされた。
「座って待つとしよう」
じいさんの声と同時に、革貼りのイスだろうか、耳元でギシと軋む音が聞こえた。僕は床に座った。暖房が効いているのだろうか床はそれほど冷たくはない。
小さなころを思い出した。叔父に連れられて行った円形のホール。映画館のようだが周りを見渡してもスクリーンがない。シートは全て中央を向いている。円の中央に黒い鉄の塊のオブジェがあり、それが巨大な蟻に見えた。これから何が始まるのか、興奮で胸が高鳴った。開演のブザーが鳴り、電気が消えた。ざわざわしていた会場も静かになり、沈黙が続いた。
巨大な蟻が光を放った。光の筋は天井を指し、僕は目でそれを追った。シートの背もたれが倒れ、体ごと天井を向いた。そこに見つけた、ドーム型のスクリーンを。
今、僕は真っ暗な部屋の天井を見上げている。あのときと同じ、この天井にまたあの星空が蘇ることを期待した。
次の瞬間、天井が光った。
「眩しいっ!」
顔を天井から背けたその壁に黄色く輝く何かが見えた。遠い記憶のプラネタリウムの星空の奥から、それが現れた。
「あっ!」
そこには、「ひまわり」が輝いていた。
幼い日に初めて見たプラネタリウムの感動は一瞬にしてリセットされ、壁の「ひまわり」が僕の魂を鷲掴みにした。じいさんが見せたかったモノの正体がすぐに分かった。
「ゴッホじゃよ」
そのじいさんの解説は不要だった。本来、自然の中にあるべき太陽の化身が、暗い部屋の片隅の、束縛の花瓶の中に活かされて、孤独と憂鬱の彼を癒した、あの「ひまわり」である。
「この世界には三種類の人間がいる。天才とプロフェッショナルとアマチュアじゃ。誰もが憧れるのが天才じゃが、そいつはいうなれば欠陥人間じゃ。どこか能力の欠落を補うために、別の優れた能力が開花する。突出した能力の分野では賞賛されるが、それ以外では苦悩ばかりじゃ」
じいさんは緑のベレー帽を脱ぎ、更に続けた。
「プロフェッショナルとは常に完成度100%で仕事ができる者。それ以下なら賞賛はなく、それ以上の仕事は雇い主から叩かれる。ゴッホは天才でもプロでもない。アマチュアなんじゃよ」
じいさんはいつもの独自理論を続けた。
「アマチュアに分類される人間は一円も得にならないことを、己の美学だけで突き進む。100%を遥かに超える完成度となることも多く、未完成であっても賞賛の奇跡が起こることがある。この世界はアマチュアが作り上げたものじゃ。未知の世界には天才もプロもいない。アマチュアが未知の扉を開け、天才やプロたちが世界を広げていくんじゃ」
じいさんの理論はハチャメチャであるが、それなりの理屈は通っている。きっと僕に何かを伝えようとしているのだろう。
「この絵は、研究と探求と実験に満ち溢れておる。誰も考えつかなかった表現で、それまで見たことのない新しい絵画に到達したんじゃ。有彩色で一番明るい黄色を主体とし、補色の青紫色を背景に、その上、混色で色を濁すことなく配置し、立体感を際立たせておる。さらに、大きめの点描画表現で躍動感を生み出し、ひまわりの生命力を表現しておる。ゴッホは賞賛など望んではおらんかった。何かを生み出すとき、それに相反する苦しみが伴う。苦しみの向こうにある己の美学が存在するのじゃよ」
僕が猫になったのには理由があるということなのだろうか。この姿が苦しみを越えた先の美の姿なのだろうか、それともこの姿自体が苦しみであるのだろうか。それより、「ひまわり」をもっと深く心に焼き付けておきたい。僕とじいさんは朝になるまでゴッホの美学に酔いしれていた。
第五章「女の子」
僕は森の中にいた。どうしてこんな所にいるのか、夢遊病のようにここまで来た記憶がうっすらと残っている。トンネルを通って来た気がするが、その記憶も確かではない。
いつから居たのか、目の前に女の子が立っている。女の子はおかっぱの髪に赤いリボンをつけ、赤に白の水玉模様のワンピースを着ている。手には紐のような物を持っているのだが、それは多分、犬か何かペットのリードなのだろう。紐の先には紫色の首輪がついていた。しかし、おかしなことにその首輪の内側から向こう側の景色が伺える。首輪の主は何処へ行ったのだろう。女の子は僕にこう言った。
「私のペットにならなくって?」
僕は誰かの所有物になるのはごめんだ。
「猫に首輪は要らないんだ」と、やんわりとペットになることを拒否した。
「猫がいるの? どこ? 会いたいわ」と女の子が呟いた。
ふと自分の姿を見た。猫の姿ではないことに気がついた。水溜りに自分の姿を映すと、人間の子供の姿をしていた。
「一体どうなっているんだ?」、僕は独り言を呟いた。
すると獣道の方から、また誰かがやって来た。今度は大人の格好をした人間だ。髪を七対三に分け、グレーのスーツに紫色のネクタイをしている。彼は女の子の隣まで来ると素早くネクタイを外し、それを傍らに揺れている木の枝に結んだ。そして、女の子が持っているリードを手繰り寄せて首輪を掴み、そいつを自分の首に巻き付けた。
女の子は僕に、「あなた、もういいわ。ペットは見つかったの」と言い捨て、後退りしながらグレーのスーツに声をかけた。
「兄さん、さぁ行きましょう」、彼女はペットの「大人」を連れて、後ろ向きのまま消えていった。枝で蝶々結びのネクタイが風に揺れていた。
気がつくとそこはいつもの公園だった。目覚めていても夢を見ることができるものなのだろう。体は猫のまま、幻想は消えてしまったようだ。傍らの木の枝では紫色のアゲハ蝶がパタパタと羽根を揺らし、青い空に羽ばたこうとしていた。もう春が来たのかな。