【掌編】別れ話を
茫洋とした明るい日差し。白い石畳が敷き詰められた地面。公園の中心では円形の噴水がクジラの潮吹きのように、辺りに涼をもたらしている。
公園のかたわらに、木材で出来た休憩所があった。三角形の屋根にいくつかのベンチ。アイスの自動販売機がある。
そこに一組の男女が座っている。男は黒い髪を短く刈り込んだ、端正な顔立ちのハンサムで、白いドレスシャツにブルージーンズを履いていた。女は長く、艶やかな黒髪を背中に流している美女で、すらりとした体付きの上に精妙な装飾が付いた黒いワンピースを身にまとっている。二人は無表情に近いものを湛えた顔で、噴水の近くで戯れる親子連れを眺めていた。子供の笑い声と噴水の清涼な音。穏やかな陽光が辺りに降り注ぎ、犬を連れた中年女性が公園を横切っていく。
女が静かに、区切るように言った。
「もう終わりよ」
男は微動だにしない。数秒経った。男が口をもごもごと動かしてから、開いた。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
どこか曖昧で、焦燥感を含んだ声色だった。女は視線を自身の足元に向けて、軽くパンプスを動かす。
「どうしてそう思うの?」
「まだやり直せる気がしないかい」
「私はしないわ」
間髪入れず答えた彼女を、男は苦々しい視線でもって迎えた。男は顔を彼女のほうに向ける。まだ下を向いている彼女に、男は毅然として語った。
「ちょっと、お互いの波長が合わなかっただけなんだ。もう付き合って何年にもなるものな。そういうことはあるさ。どのカップルでも同じだ。だから、特別視するもんじゃない。また仲良くやれると思う。こんなので別れるのは、お互いにとってひどく馬鹿馬鹿しいことだよ」
影がかかった彼女の顔は憂鬱そうな未亡人にも見えた。いつもなら濡れたように光る瞳も、今回はいつになく疲労し、乾いているようだった。
「いいえ。ダメね。あなたは特別じゃないというけど、分かってないだけ。前に喧嘩したのは何時だったかしら? まあ、いいわ。でも私はそのときのことをよく覚えてるの。あのときはお互いに感情が先走っていたわね。今思うととっても明るく思える。なぜかって、今回はそれとは違うから。ベタベタしてるんじゃないの。逆よ。荒野みたいに乾いてる。あなたに前みたいな感情を抱けない」
「倦怠期さ。良くなるよ」
「少なくとも私は耐えられる気はしないわね」
ため息を付いた彼女はひどくうんざりしているようだった。男は自身の顔を指でなぞりながら、小さく歯軋りをして、忌々しそうに表情を歪めた。
「退屈かい。僕といるのが」
「ごめんなさい」
老婆のように疲れきった声だった。男は噴水を見た。女も同じようにした。そのまま数分経った。親子連れが去っていった。男がつぶやいた。
「なにが悪かったのか」
女は答えなかった。ただ気まずげに足を組んだだけだった。男は軽くかぶりを振ると、言った。
「これ以上くっついていたくないっていうことなら、僕もそうするほかない。君の意思を尊重する」
「ありがとう」
かすれた声だった。男は感情を乗せずに続けた。
「欺瞞は嫌いだ。君が憎いよ。あとで物足りなくなって、ぼくのもとに帰ってきてさ。で、ぼくが金色夜叉の絵みたいに、君を手ひどく蹴り飛ばせるといい」
「私がいなくても大丈夫よ、あなたは。もっと良い人見つけるわ」
もう四〇も年老いた感じで、女はむりやりに微笑んだ。早く去りたいようだった。男は彫像のような無表情を注意深く保っていたが、瞳の向こうに憎しみがあった。対して女には張り付いたような微笑みがあったが、彼女の向こうには疲れ以外のなにものも無かった。
男がむっつりと頷き、女は膝に置いたハンドバックを取るとベンチから腰をあげた。男は腕を組むと、ひたすらに前方を見続けた。女は両目をつぶると過去から決別するように公園から歩き出した。
それから数分経った。男の顔面が震え始め、見開かれた眼から雫が一滴頬を伝った。
【了】
公園で一組の男女が別れ話をしているシーンを描写する、というお題で一本書いてみました。