佐知神社
鬱蒼と草木の茂る山の中、隙間から雑草が顔をのぞかせる石段が続く。人が通らなくなって久しいからでしょう。そこかしこがグラグラしていてとても危ない。
夏を過ぎ、秋深まるこの季節。山の上はちょっと寒いくらい気温ですが、延々と石段を登ってきた私は汗ばむくらいです。
元気に枝葉を伸ばす木々のおかげで木陰が続いて歩きやすいのですが、それでも羽織っていた上着は脱いでしまいました。後ろを振り返ると長い長い下りが見えます。
午前中に登り始めたのに、太陽はもう中天。明かりがない道程なので帰りの時間も考えなければならないでしょう。
ため息一つを吐いて前を向き、再び脚を動かし始めます。この石段の先には所々色の落ちてしまった鳥居が見え、その向こうには今にも崩れそうな神社と薄暗い洞窟があるらしい。
霊験あらたかな謂われがあるそうですが、不幸な事故が続いたせいで神社共々寂れてしまったと聞きました。
こんにちは。さすらいの青年心霊スポットウォーカー、万年青 秀一です。
私は心霊スポットを歩いてまわるのをライフワークとしていまして、今日はその一環としてネットで知った心霊スポット「佐知神社」へとやってまいりました。
現地のご老人にお話を窺うと、佐知神社は元々酒乳神社と書くそうで、水を注ぐと酒になる杯があり、その酒を飲むと乳の出が良くなると言い伝えがあったそうです。
近隣の女性は子供が産まれるとこの神社にやって来て、その不思議な杯から一杯お酒をいただくのが習わしだったそうです。江戸時代に杯が盗まれてからも、お参りに来る人は絶えなかったとか。
そんな歴史ある神社でしたが、同時に神隠しも多く。科学信仰が確固とした昭和の時代にも、度々行方不明者を出してしまい。不気味がった現代人の足は遠のき、山の麓の集落の過疎化も相俟って佐知神社は心霊スポットとなってしまいました。
さて、神隠しと不思議な杯ですが、無関係ではないようです。と、言うのもこの杯は神隠しから帰ってきた人がもたらしたもの。
昔々、ある山に神隠しが起きることで有名な洞窟があった。ある時、付近の村の若者がその洞窟に迷い込んでしまったそうな。
若者が洞窟の奥へ進むと、行き止まりの筈の洞窟には出口があり竹林が広がっていた。自分の知る山の付近にはこんな竹林は無かったはずと、若者は不思議に思いながらフラフラと歩いたそうな。
少しすると急に竹林が開け不思議なお屋敷が現れた。どうやら食事の支度の最中だったようで、竈で米を炊いているし囲炉裏で鍋も良い匂いをさせている。
しかし、人が居ない。気配さえしない。どこか異様を感じるものの、竹林をフラフラする内に道に迷っていた若者は村に帰りたくても帰れない。屋敷の主を待って道を聞くことにした。
米が炊きあがったので釜を下ろし、煮立った鍋の火を弱めた。日が傾き夕暮れとなり、若者は今日中に帰るのを諦めた。いくら待っても屋敷の主は戻ってこない。若者はいつしか寝入ってしまった。
翌朝、目が覚めた若者は囲炉裏に掛けてあった鍋が消えているのに驚いた。どうやら屋敷の主が帰ってきたと思った若者は、屋敷中を探してまわったが誰も居ない。
屋敷の異様さが不安になった若者は全力で飛び出し、当て所なく竹林を駆け回った。とにかく駆け回った。駆け回って駆け回ってもう走れなくなったところで、村につながる洞窟の入り口へと辿り着くことができた。
若者は安堵し洞窟を抜け自分の村に戻ると、そこでは二十年の月日が経過していた。
「迷い家」の類だったのでしょう。話はまだまだ続きますが、まとめると。
いつの間にか若者の懐には知らない内に不思議な杯が入っていて、村人達はお屋敷の見えない主がお土産にくれたのだろうと結論付けました。若者は不思議な杯を神社を建てて祀りました。不思議な杯のご利益で村は大いに繁栄しました。めでたしめでたし。
子供の頃から佐知山の麓で育ち、佐知神社が誰からも忘れていくことを嘆いていたご老人は、それは楽しそうに色々と教えてくれました。佐知神社ができるまでは洞窟が人食い洞窟で鬼の住処だと考えられていたことも、杯が盗まれた当時の日記が発見され「乳飲み子の母たちは乳の出が悪くなっている」という記述があったことや、この地方だけに伝わる子守唄など。
そして、話の最後にこう付け加えました。
「はっきりとはしないが、そろそろ神隠しの起きる時期かもしれない。洞窟へ行くなとは言わないが、気をつけて行きなさい」
貴重なお話を聞かせてくれて、尚且つ我が身を心配してくれるご老人に感謝しつつ、私は佐知神社へとやって来たのでした。
佐知神社の境内は一面雑草で埋め尽くされていました。社殿はかろうじて形を保っていましたが、壁にはいくつか小さな穴があいています。どうやら、獣の棲み処になっているようでした。
特別、碑が建っているわけでもなく。境内で目に付くものは崩れかけの社殿だけ。不思議なことに御神木さえ見当たりません。貴重な文書や資料は別の場所に保管してあるそうなので、御神木もお世話のできる場所に移してあるのかもしれません。
境内を一周してしまうと他に見るべきものはなく、残るのは洞窟だけでした。
ご老人が言うには、洞窟は暗く奥が分からないほど深く見えるが、実際は七メートルも歩けば行き止まりの壁にぶつかる程度のものだそうです。入り口が狭いのも奥行きを見通しづらくしているようです。
普段は少し不気味で神聖なただの洞窟らしいのですが、私にはそうは見えませんでした。
私の目には洞窟が「何か」を吸い込んでいるように見えたのです。夜闇のような黒い靄。空間を漂う形の定まらない影を洞窟が吸い込んでいるのです。
それを見てこの洞窟は近付いてはいけない場所なのだと思いました。神聖でもなく邪悪でもなく、ひたすらに畏敬の念を抱かせ脚を地面に縫い付ける、私の知り得ない何かがあるのだと思いました。
日常生活では知り得ない本能というものを実感しながら、行くか退くかを悩みます。退くことが賢い選択なのでしょうが、踏み込まなければならない。
黒い靄がただの幻ならば、洞窟から感じる恐怖はただの迷信に惑った小物の杞憂で、今夜家に帰ったら友人を誘って徹夜で遊んで忘れてしまえばいいだけです。
黒い靄が不可思議な何かならば、我が身を持って超常なる何かを証明できる。
震える脚を叱咤して洞窟へと近付きました。心臓が早鐘を打ちます。
人一人は余裕で通れるが、二人そろっては決してくぐれない。そんな狭い洞窟の入り口に手を掛ければ、予想以上の冷たさに背筋が震えます。
入り口に立つ私をすり抜ける、まるで幽霊のような黒い靄が吸い込まれるのを見て、深呼吸をひとつ。覚悟を決めます。
一歩、洞窟の中へ。
一歩、洞窟の中へ。
一歩、洞窟の奥へ。
一歩、洞窟の奥へ。
少し、洞窟に入っただけなのに何も見えません。入り口からの光が薄っすらとさえ届きません。
不確かな足下を踏みしめるように進みます。ゆっくりゆっくり進みながらに気付いたことがありした。
意外と平坦な地面です。岩でできた洞窟なのでそれなりにゴツゴツしているかと思っていたのですが、小石や砂利があるもののまるで誰かが整備した道を歩いているようです。
そして、狭い洞窟の筈なのに靴音が響かない。
硬い岩の露出した地面です。そろりそろりと歩いてはいましたが、砂利を踏みしめ足を蹴り出す音や、振り出した足を地面に打ちつける音はするのです。しかし、その音は反響しない。
まるで、開けた場所にいるかのように音が反響しない。
おかしい。そんなはずは無い。目の前に迫ってるはずの行き止まりの壁から、洞窟を支える両側の石の壁から音が反響するはずなのに。ここは狭い洞窟のはずなのに。
立ち止まり、恐怖に締まった声帯を無理やり震わせてみました。あーという擦れた声を発してみました。
自分の所在を確かめるはずの声は暗闇に溶けてしまい、自分の所在をより不確かなものにしてしまいました。
ただただ広い暗闇の中。私が無限に小さくなってしまったような、洞窟が無限に広がってしまったような。洞窟が洞窟ではない何かになってしまったような。
私は小さな洞窟にいるはずです。私はどこに居るのでしょう?
私はよく分からなくなって走り出しました。行き止まりの壁に頭からぶつかっても良い。むしろ、行き止まりの壁にぶつかってしまいたい。
そう願いながら走り出すと、唐突に洞窟が終わってしまいました。
太陽の日差しに安堵し、震える脚が自身を支えきれずに膝から崩れ落ちます。
あまりの安堵に涙を零しそうになる目を震える手で押さえて、仰向けに転がります。仰向けに転がったことで、背中に背負ったリュックサックに気付きました。
リュックサックに入れておいた懐中電灯のことを今更ながらに思い出すと、あまりの間抜けさに泣いているような笑い声を上げてしまいました。
今日はもう、帰る以外に何もできそうにありません。本当なら帰るのだって誰かに任せてしまいたいくらいです。
震える全身とストレスによって消耗した体力を考慮に入れて、帰りの道程を考えると今すぐにでも帰途についたほうが良いでしょう。
ああ、でも。帰り際にご老人のお宅へ顔を出しましょう。面白いお話を聞かせていただきましたし。会いもせずに帰ってしまい、ご老人の中の行方不明者の一人に数えられてしまったら笑えません。
下手をしたら遭難者として私の居ない佐知山を捜索。なんてことになってしまうかもしれません。
何はともあれ、あの長い石段を下ることから始めなければなりません。そこかしこがグラついている石段を、多少治まったとしても震える脚で降りるのです。きっと、一苦労でしょう。
私は良く育った竹を支えに立ち上がるのでした。
初めて小説を書きました。
程度の低いものではあったでしょうが、何か一言いただけるとうれしいです。