形而上学的ストイシズム
あからさまではありませんが、年の差に抵抗のある方、甘すぎるモノは苦手な方はご注意ください。
「ねぇ、由宇君」
ひょんなことから近所の子供の勉強を見てあげるようになって数日、私はこの所、少し気になっていたことを思い切って尋ねてみた。
「今、学校で流行ってることの中でね、女の子に関するものって何がある?」
一休みと称して、温かいココアの入ったマグカップを両手に持ちつつ顔をこちらに向けたのは、近所に住む男の子で、それこそ乳飲み子の頃から何かと世話を焼いたりしてきた相手も今や中学生になっていた。
十四才。長い人生の中で一番、繊細で様々な葛藤を抱える複雑な年頃だ。
自分でもその頃のことを振り返ると、必ずと言っていいほど、名状しがたいほろ苦さが体一杯に広がる。
それは、懐かしいけれども、直視するには痛すぎて、出来ることなら全ての記憶に封印を施して、二度と手の届かない所に埋めたい衝動に駆られる事態だ。
そんな私の過去はさて置き、質問を投げかけられた由宇君は、案の定、訳が分からないと言った表情をしていた。
どうやら話の内容が突飛過ぎたようだ。
「流行ってること? 女子のことは……分かんないけど?」
「そうじゃなくてね。男の子の間の話」
「オレ等の間で流行ってること?」
「そうなのかな? 普段、話題に上がってることでいいんだけど」
何と言えばいいだろうか。
首をかしげた私に由宇君は小さく噴き出した。
「てか、なんなの? 訳わかんないよ?」
どうやって遠まわしに自分が求める回答を引き出そうかと考えてみたが、やはり具体性のない話では、中々真意は伝わらないらしい。
私は、少し冷めかかったコーヒーを口にしてから、息を一つ吐いた。
こうなれば直球だ。包み隠さず話すことにしよう。引かれないといいんだけど。
私は居住まいを正して、手にしていたマグをテーブルの上に置いた。
「実はね。この間、帰る途中で由宇君ぐらいの……中学生かな、男の子三人にすれ違いざまにいきなり胸を触られてね、吃驚しちゃって。そういう遊びというかゲームみたいなものが流行ってるのかな、なんて思ったわけ」
多分、異性に興味を持ち始める年頃で、きっと悪戯を仕掛けられたのだということは想像がつくのだが、通りすがりの相手にやったということが、私としてはかなり驚きだったのだ。
由宇君は目を見開いて固まった。
「へ? 痴漢?」
「うーん、痴漢というよりも悪戯みたいな感じ、だったかな」
小さい頃から知っている気やすさの所為で、余り気兼ねなく話を振ってしまったが、ちょっと拙かっただろうか。
子供の頃はお風呂に入れてあげたこともあるし、それこそ一緒にお昼寝をしてあげたこともあった。
「何で…そんなこと、オレに訊くの?」
珍しくちょっとうろたえた感じになった由宇君に私は苦笑した。
「キミ位の子達が何を考えているのかなぁとね。純粋に興味があって?」
「ふーん」
由宇君は気のない相槌を打ってから何かを考えるように黙りこんだ。
「御免ね。こんなこと話して。気にしないで。悪戯にしてもちょっとびっくりしただけだから。大体知らない子達だったし。だから余計に意外だっというかね」
私は妙な沈黙を破るように弁解をしていた。
「それにしても何で私だったのかしらね。通りすがりにしてももっと他に適当な人がいるだろうに」
分からないのはそこだった。そんなに傍目から見ても自分は抜けているように見えたのだろうかと思うと恥ずかしいやら腹立たしいやらで。
そう零すと由宇君は頬杖をついたまま、目だけをこちらに向けた。
「どうして?」
「だって、私、掴むほど胸がないじゃない?」
自分の胸元に目をやる。
自分の体のことは自分が一番よく分かっている積りだ。
世の中の男性諸君が妄想を逞しくするような弾力とは天と地ほどの差があった。
私自身としてはこれまで胸が小さいことを気にしたことは無かった。思春期の頃は寧ろ大きくなることを恐れた位だ。それが恥ずかしさから来るのか自分の中にある女性性の欠如に違和感を覚えるものなのかは分からないが。
「ふーん?」
いつの間にか由宇君が傍ににじり寄って来ていた。
匍匐前進で足もとに辿りつくと空いていた私の膝の上にごく自然に頭をすり寄せた。
「どうしたの?」
「オレはそれ位でちょうどいいと思うけど。気にし過ぎじゃねぇ?」
「別に気にはしていないわよ」
「じゃぁ、なに?」
「子供に悪戯を仕掛けられるほど、お安く見られてるのかしらってこと?」
「それは違うよ。多分、逆」
きっぱりとした断定的な口調が足もとに響いた。
その根拠は何だろう。
「逆?」
「そう」
由宇君は膝の上に頭を乗せて仰向けになると、収まりのいい場所を探して身じろいだ。
簡単に言えば膝枕をする形になっていた。
いつもより幼い甘えた態度に苦笑が漏れる。
「楓さんってさ、なんかほんわかしたオーラが出てんだよね。癒し系というか、マイナスイオン。だからそいつらも単に構って欲しかったんじゃねぇの?」
キミではあるまいし。
随分と飛躍した考えを軽く流そうとした。
「でも知らない子達だったのよ?」
「だから余計に。楓さんなら許してくれるんじゃないかって思ったんじゃねぇ? 直感的にさ」
膝の上で由宇君はにんまりと笑った。
……直観的にねぇ。
私は尚も首を傾げる。
「本能で?」
「そう。楓さん、優しいから」
「まぁ、確かに。その位の悪戯で、目くじらを立てることはしないだろうけど……私はそんなに誰にでも優しい訳じゃないわよ?」
「ほら、そういうとこ。優しいじゃん」
「そうなの?」
「そうなの。少なくともオレはすげぇ好きだけど?」
「ふふふ。ありがと」
年齢の所為か、性格の所為か、はたまた気心が知れて遠慮がない所為か、由宇君が投げつけてくる言葉はいつも直球だ。
それは、少し気恥ずかしくもあるけれども、慣れてしまえば、心が温まる嬉しいことだった。
普段は素っ気ない態度をとったりする癖に、突然甘えるように懐いてくる仕草は、猫を思わせる。
少し高めの体温。さらさらとした黒髪に手を入れて櫛梳ると、満足気な寛いだ溜息が洩れたのが分かった。
由宇君はそのまま、私の腰に腕を回して顔を埋めた。腹部に当たる鼻先がくすぐったい。あやすように背を撫でると黒猫宜しく、ゴロリと喉が鳴った気がした。
ここ一年で、しなやかな体つきは徐々に変化を見せていった。
若木のような瑞々しさは変わらないが、着実に幼い柔らかさから脱皮しようとしている。
蝉の抜け殻。
こうして、あと数年もすれば顔つきまでも違ってくるのだろう。
その背に羽を得て、私の手の届かない所へ飛び立っていってしまうのだろう。
それは誇らしいようで、少しの寂しさをパッチワークにして残して行く。
「ねぇ、楓さん」
「なぁに?」
いつになく甘さを帯びた響き。
声変わりをして、聞きなれたはずの声も随分と低くなった。
気まぐれ猫はもう充分堪能したのか、今度はじゃれつく子犬へと変わっていた。
ソファに寄りかかっていた私に凭れ掛けるようにして体を預けてくる。
その手がつと心臓の上に伸びた。
「オレが何考えてるか、知りたい?」
とっておきの秘密を打ち明けるように由宇君はそっと耳元で囁いた。声量とトーンを落として。
私は小さく笑った。
素直なようで、天の邪鬼な部分も持ち合わせるこの子は、一筋縄ではいかない。
そう簡単に教えてはくれないだろうことは過去の経験から簡単に弾き出される。
「どうして笑うんだよ」
癇に障ったのか、ムッとしたように顔を寄せた由宇君に微笑みを返す。
鼓動の上にある大きくて骨ばった男らしい手に、静かに自分の手を重ねてみた。
「だって、教えてくれるの?」
いつの間にか逞しくなっていた手の甲をそっと撫でる。
無邪気に走り回る腕白少年は、いつしか、するりと腕の中を抜けていった。
遠く霞んだ小さな背中をこうして何度見送ったことだろうか。
残像はぼやけて、薄らと筋肉に覆われた逞しい背中に変わる。
ゆっくりと刻む心音は、穏やかな空気に溶けてゆく。
「そいつ等さ、どういう風に触ったの?」
細い指が大きくはない乳房を優しく覆った。
有るか無きかの少女のような小さな膨らみ。それをゆっくりと円を描くように弄られる。
私は小さく長く息を吐きだした。
様々な罪悪感を小出しにすることで、総合的な罪の重さが見かけ上、減るように。
「よく覚えてないかな。何かが当たったみたいな小さな衝撃があっただけで。一瞬だったからね」
実際のところ、余りに驚いて声を上げる暇もなかったのだ。
男の子達はぱっと駆けだすように通り過ぎて行った。
はしゃぐようなざわめきだけがやけに耳に残って、私の思考は回線がショートしたみたいに一時不能に陥った。そう、いつも、肝心な所だけ抜けているのだ。
「柔らかいね」
じっくりと感触を確かめるように由宇君の指がうごめいた。
「そう?」
ブラの上からではお世辞にもそうでもないと思うのだが。実験のような手つきに可笑しさが込み上げそうになるのを堪えた。
「直に触ってみる?」
「え、いいの?」
目の前にある喉が上下した。
その反応に苦笑を返す。
「昔、一緒によくお風呂に入ったじゃない」
私の中では何故だかそれ程驚くようなことには値していなかった。
それこそ赤子の時からの付き合いである。歳の離れた姉弟。いや、ともすれば母代りのような感情がそこにはあるからだ。
まるで我が子の突拍子もない好奇心を満たすために、掴んだ手をそのまま服の下に導いた。
「余り触り心地はよくないかも知れないけれどね」
自嘲気味な講釈も忘れない。
想像と実際は得てして違うものなのだ。とくにこういうジャンルの場合。
男は視覚の生き物だ。
先日、見たテレビ番組でそんなことを言っていた。男は視覚から入る情報で好ましいと思う相手を選ぶのだと。それこそ瞬速の早業で。
豊満な肉体を晒すグラビアアイドルが成立するのも頷ける。
心音は一定したままだ。
倒錯的な状況に酔いしれても、どこかで冷静に観察をしている自分がいる。
もう一方の手で後ろのホックを外した。
独特な解放感に大きく息を吐き出す。
由宇君の手はおっかなびっくりといった風にぎこちなく肌を行き来した。
掌が熱い。
「すげぇ、やらかい」
新しいおもちゃを見つけた子供みたいに目がキラキラと輝いている。
Try and Error
絶え間ない、幼子の実験のようだ。
私の二つの乳房は、いつしか両手の掌にすっぽりと収まっていた。柔らかいプルオーヴァーの前身ごろはたくしあげられ、撓んでいた。
暫くして、由宇君は片方の膨らみにむしゃぶりついた。最初は舌先で舐める。それから飴玉を転がすように吸いついた。
覚えのある刺激に、体の奥で別のスイッチが入りそうになるのをどうしようかと考える。
私は、すぐ下にあるサラサラとした黒髪を弄びながら、意識を逸らすように話の続きを蒸し返していた。
「それで、由宇君の考えてることって何?」
好きにさせた状態で、由宇君は目だけを上に上げた。
赤ん坊のように吸いかれていた先が赤く熟れ始めていた。
それをぺろりと舐めながら、
「……一緒にお風呂入りたい…」
小さくぼそりと言って、そのまま首筋に顔を寄せた。
視界の端に映る耳の端が僅かに赤く染まっている。
私は子犬を腕の中に囲った。
どうしようもなく温かくて、切ない気分を誤魔化すように回した腕に力を込める。
「いいわよ」
そっと囁き返すとぴくりと肩が揺れた。
「また、昔みたいにね。洗いっこしようか」
懐かしい気分で目を閉じる。変わっているようで変わっていない。そんな曖昧で脆く、形の定まらない関係は、言葉にはならないけれども、確実にこの掌の内に存在する。
その貴重な時間を慈しむように私は由宇君の額に唇を寄せた。
「チューしていい?」
少し下から覗きこむように遠慮がちに尋ねられた。
それだけで唇を重ねることが、この子にとっては少し違った意味を持つのだということが分かる。
ここまで甘い空気をばら撒いておいて。普通なら細かい確認など飛ばされてしまうだろうに。
ささやかなことが、その子らしさを出していてとても愛おしかった。
微笑みながら首肯してそっと触れるだけのキスを待つ。
「目、閉じて」
「どうして?」
キミがどんな表情をするのかをちゃんと見ておきたいのに。
「……恥ずかしいだろ」
ほんの少し頬を赤らめて視線をずらす。
それを見止めて、そっと目を閉じた。
優しい柔らかな花びらが幾重にも渡って舞い降りてきた。
子犬は、花の蜜を舐めるように舌を出す。仲間であることを確認するように私もそれを絡め取った。
熱を帯びてゆく吐息が混ざり合い、室内に充満していく。
耳から聞こえる息が誰のものであるのか、飲み込む唾液が誰のものであるのか、その境界線は酷く曖昧になっていた。
「お風呂入れようか」
「ん」
火照った体をそのままに準備のために浴室へ向かう。
すぐ脇のソファでは大きく胸を上下させて、長い手足を伸ばした由宇君がぐったりとしたように凭れていた。慣れないことに息が上がってしまったようだ。
額に掛かる前髪をそっと掻き上げて、私は露わになったこめかみに口づけた。
「刺激が強すぎたかしら?」
忍び笑いを噛み殺すようにして漏らせば、恨めしげな視線とかち合った。
「楓さん、ずるい」
由宇君が悔しそうに呟く。
負けず嫌いな性格だ。主導権を握れなかったことを悔やんでいるのだろう。
勝つとか負けるとか。そういうものとは次元が違う話なのだが。
果敢な挑戦者は飽くことなく次の勝負を挑み掛ける。
「次は負けないからな」
「はいはい。どうぞお手柔らかに願います」
「茶化してるだろ」
「とんでもない」
ぷうと膨らんだ頬を突けば、何が可笑しかったのか、カラカラと声を上げて笑った。
伸ばされた手を引っ張って立ち上がるのを促す。
並んで立てば、下にあった筈の目線は、いつの間にか上下逆転していた。
「身長、また伸びたの?」
同じくらいの高さにあったはずの肩が少し上にある。
「多分。測ってないけど」
少し得意そうに笑った顔は、幼い頃の面影をよく残していた。
あくまでも個人的な経験ですが、中学生くらいの年頃の子が自分にとっては少し不思議な存在だった時がありまして。その昔の実体験をどうにかして消化(昇華?)してみたかったのかもしれません。