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夜明けの飛竜便は、あなたを待たない

作者: 灯野ましろ
掲載日:2026/10/01

すみません、短編を間違えて連載で投稿してしまった為、再投稿です。

山脈から吹き下ろす夜風が、石造りの計量場を冷え冷えと撫でていた。

吊り秤の滑車がきしむ音と、天秤台に重い木箱が載せられる鈍い音が、規則正しく響いている。背後では、巨大な竜舎の奥から、温まった革と干し草の匂いを混ぜたような飛竜たちの寝息が漏れていた。


「はい十二番、これで最後! 総重量は四百八十クヴィント、誤差なし! ジュール、左の帳簿に書いといて。インクが乾く前に腕でこすらないでよ」


マノン・セルヴィエは、羊皮紙を挟んだ厚板を小脇に抱え、手際よく指を弾いた。

二十八歳、王都直行便の運航主任。腰の作業革ベルトには、真鍮の測定尺と封印用の魔導チョーク、それから飛竜を宥める乾燥肉の革袋がぶら下がっている。


「主任、こっちの吊り革、右翼側と釣り合いました。いつでもいけます」

「了解。手際いいじゃん。あとで林檎やる」

「俺にですか?」

「竜に決まってるでしょ」


若い作業員が肩を落とす。

マノンは笑って振り返った。


灰色の仕立ての良い外套を着た男が、腕を組んで天秤を見ていた。

ガスパール・ド・モルネ。大手宝飾商会の跡取りで、王都の貴族相手にも大口の取引をまとめる商人だ。


「どうです、モルネの旦那。十二箱、帳簿通り。左右の釣り合いまで取ってありますよ」


マノンがチョークを取り出すと、ガスパールは満足そうに頷いた。


「結構だ。マノン主任、貴女の腕は買っている。だから今期も、この運航所と優先輸送契約を結んでいるのだからな」

「まいど。うちの飛竜たちも、あんたの金でいい羊肉を食わせてもらってます」

「だが、念を押しておく」


ガスパールの声が少し硬くなる。


「明日の正午。王都の『冬星博覧会』の中央広間で、我が商会の新作宝飾が展示される。この十二箱はそのための品だ。正午の鐘までに審査卓へ運び込めなければ、出展枠そのものを失う」

「知ってますよ。だから明朝の一番便に優先枠を取ったんでしょ。山越えを馬車で三日、飛竜なら昼前。高い運賃払っても使う価値はある」

「その通りだ。そして、届きさえすればいいという話でもない」


ガスパールは十二箱を示した。


「積荷のすり替えや、途中での抜き取りは断じて認めん。以前、別の運送屋で中身を模造石に替えられた商人がいた。だから私が要求した条件は、一字一句守ってもらう」

「はいはい。何度も読まされましたから覚えてますよ」


マノンは魔導チョークの先を第一の箱へ当てた。


「『積荷封印の完了後、運送側・依頼人側のいずれからも、荷の追加、交換、抜き取りを認めない。封印を破った貨物は未計量扱いとし、その日の便への搭載を取り消す』」


十二箱は、一口の貨物としてまとめて封印する。

魔力印は箱同士だけでなく、箱を固定する輸送網の留め具まで一続きにつながる仕組みだ。一箱でも網から外したり位置を変えたりすれば連結印が切れ、十二箱すべてが未計量扱いへ戻る。


「つまり、こっちから勝手に一箱抜くのも駄目。そっちの都合で一箱足すのも駄目。一度封じたら変更なし。それでいいんですね?」

「当然だ。絶対に例外を作るな」

「話が早くて助かります」


マノンがチョークを走らせる。

箱の合わせ目から輸送網の留め具へ、青白い光が伸びていく。第一の箱から第二、第三へとつながり、やがて十二箱すべてが一つの連結印で結ばれた。


「完了。明朝、風の回廊が開いたら出ます。王都の第一竜舎には受取人を待たせておいてください」

「うむ。頼んだぞ」


ガスパールは懐中時計を確認し、踵を返した。


「ふう……神経質な旦那だこと。まあ、中身が宝石の山なら分からなくもないけど」

「主任、明日は赤腹のギムレットですよね? 昨日、左翼の付け根が少し張ってましたけど」

「見た見た。だから左を少し軽く振ってある。あいつ、風を拾うのはうちで一番上手いからね」


マノンは手を叩いた。


「よし、今日は上がって仮眠! 夜明けの二時間前には竜舎を開けるよ!」



     *



夜明け前。

東の空の底が、黒から濃い藍色へ変わり始めた頃、飛竜発着場はすでに人の声と竜の鼻息で満ちていた。

松明の火が風に揺れる。


「ほらギムレット、朝飯だぞ。噛むなよ。指なくなったら、お前の腹帯締める奴が一人減るからな」


マノンは巨大な赤褐色の飛竜の首を叩き、羊肉の塊を口へ放り込んだ。

ギムレットは喉を鳴らし、大きな皮膜の翼を一度広げる。巻き起こった風でマノンの短い茶髪が乱れた。


「ジュール! 第三竜座の風圧計は?」

「上がってます! 北東からの気流、あと半時で収束! 回廊の安定時間は予定通りです!」

「よし! 鞍掛け急いで! モルネの十二箱を中央下段、その外へ郵便袋とギルド急送便! 左右の誤差二クヴィント以内!」


待機棚には、翌便以降を予定していた小口貨物も並んでいる。

どれも個別の計量と封印を済ませ、重さと規格ごとに「どの位置なら積めるか」まで記録してある。出発前に空きが出た時、そのまま前倒しするための荷だ。


風の回廊は、朝日の熱で山の空気が乱れる前、夜明けのわずかな時間だけ安定する。

この都市から王都へ山越えする飛竜は、どの便もこの回廊を使う。今日の回廊を逃せば、次は翌朝だ。


「――マノン主任!」


搬入口から声が飛んだ。


息を切らした助手と四人の人足を従え、ガスパールが大股で入ってくる。

四人が運んでいるのは、天鵞絨の布で覆われた巨大な木箱だった。


「おや、旦那。見送りにしては荷物が多いですね。悪いけど、もう最終積み込みなんで――」


ガスパールが布を剥いだ。

箱の隙間から、青紫の光がこぼれる。


「星晶石の孔雀像だ」


ガスパールは買付証を開いてみせた。


「昨夜、ある貴族が手放した一点物だ。大人の胸ほどの高さがあり、重量は百二クヴィント」

「はあ」

「これを博覧会の中央に置く。間違いなく客を呼べる」


ガスパールは箱を叩いた。


「十三箱目として載せろ」


マノンは孔雀像とガスパールを交互に見た。


「無理ですね」

「……何?」

「百二クヴィント追加なんて無理です。ギムレットはもう今朝の荷重で組んであります」

「まだ飛んでいないだろう」

「飛んでないからって何でも載せていいわけじゃないんですよ」


マノンは腰へ手を当てた。


「飛竜が空を飛ぶには重さと釣り合いがいるの。右に百クヴィント増えたら、その分だけ組み直し。そもそも総重量を超えたら、回廊に乗る前に谷底です」


ガスパールは懐から重い革袋を取り出した。


「通常運賃の倍を払おう」

「だから金の問題じゃないって」


マノンは袋を押し返す。


「金貨を何枚積んでも、重さは軽くならないです」


「我が商会が、この運航所に年間どれほどの金を落としているか知っているな?」

「そりゃあ、よく知ってますよ」

「飛竜三頭分の維持費に匹敵する額だ。今回の件で私が博覧会への出展を逃せば、来期の契約は白紙に戻す」


マノンの口が止まった。


大口顧客の喪失は、自分一人の問題ではない。

作業員の賃金にも、飛竜の餌代にも響く。


ジュールも作業の手を止めている。

マノンは、最後の肉片を噛んでいるギムレットを見た。


「……旦那。契約を切るって脅されても、飛べないものは飛べません。これ以上積んだら回廊の下降気流を抜けられない」

「落とせなどと言っていない!」


ガスパールが輸送籠を指す。


「重量が問題なら、そこにある小口の荷を降ろせ。革製品や手紙だろう。代金なら私が補償する。あれを降ろせば孔雀像の分くらい空く」


マノンの眉が上がった。


「予約済みの他人の荷を、昨日の夜に買った置物のために降ろせって?」

「動いている金額が違うと言っている!」

「飛竜の背中にとっちゃ、金貨千枚の宝石も、銅貨三枚の手紙も、等しくただの『重さ』なんだよ!」

「比較すること自体が馬鹿げている!」

「こっちから見れば一緒です!」


マノンは輸送籠を指した。


「あのお客さんたちも、あんたと同じように金払って、期日を決めて、昨日までに荷を持ってきたんです。金を積んだ奴が朝になって他人の場所を奪えるなら、予約も計量も何の意味もないでしょうが!」

「マノン主任、立場を考えろ」

「考えてますよ。主任ですからね!」


マノンは一歩前へ出る。


「この発着場の荷と飛竜の安全については、あんたの親父だろうが市長だろうが、無理なものは無理です」


夜明けを告げる第一の鐘が、谷へ重く響いた。

回廊が開くまで、残り三十分を切っていた。



     *



ガスパールは自分の十二箱へ歩み寄った。

側面へ結ばれた重量札を順番に確認する。


二十六。

二十四。

二十八。

二十四。


「この四箱で百二クヴィントだ」


ガスパールは四箱を指した。


「この四箱を降ろし、孔雀像と入れ替えろ。総重量は変わらない。他人の荷にも触れない。これなら問題ないだろう」

「昨日の話、忘れました?」

「忘れるわけがない。封印を切れば未計量扱いになる」

「だったら話は終わりでしょ」

「終わっていない」


ガスパールは連結印を指した。


「今回は依頼主である私自身が変更を命じている」

「誰が命じても一緒ですよ。一箱外した時点で十二箱全部やり直し。今から再計量して配置まで組み直したら二時間です。今朝の回廊には間に合わない」


「分かっている」

「……分かってる?」

「だが、お前たちが私の荷を置いて飛ぶはずがない」


ガスパールは当然のことを告げるように続けた。


「年間契約を失う。それだけではない。王都の取引先にも、この運航所が大口顧客の緊急要請を拒んだと伝える。経営側が知れば、どちらを優先するかは明白だ」

「緊急要請ねえ」

「封印を切った後で、現場が何とかする」


その一言に、マノンの顔から最後の愛想が消えた。


「多少の誤差くらい、お前たちの腕で補えるだろう」

「それ以上は本気で腹立つからやめてください」

「何?」

「飛竜は帳簿の数字じゃない。あんたが商談で金を上乗せしたからって、翼まで強くなるわけじゃないんですよ」


マノンは連結印を指差した。


「もう一度だけ確認します。その封印を切ったら、十二箱全部、今朝の便から外します。目分量も帳尻合わせもやりません」

「最後には積む」

「積みません」

「年間契約を失っても?」

「落ちた飛竜は、年間契約じゃ生き返らないんでね」


ガスパールは助手へ顎をしゃくった。


「切れ」


助手がためらう。


「旦那様、本当に――」

「責任は私が取る。切れ!」


助手が魔導具を、輸送網の封印留め具へ押し当てた。


パチン、と乾いた音がした。


留め具の印が消え、青白い連結線が途切れる。

それを合図に、十二箱を結んでいた光が順番に失われていった。


「さあ。四箱を降ろせ」


マノンは厚板の帳簿を開いた。

モルネ商会の欄へ、黒鉛筆で一本の太い線を引く。


「了解」


そのまま作業員へ振り向いた。


「モルネ商会の十二箱、今朝の便から全部外して!」

「なっ!?」

「ジュール、待機棚B区画! 前倒し荷の積載表!」

「はい!」


ガスパールが詰め寄る。


「四箱を入れ替えろと言ったんだ!」

「十二箱まとめて未計量! 昨日あんた自身が決めた条件でしょうが!」


ジュールが積載表を持って駆けてくる。

マノンは受け取るなり目を走らせた。


「乾物樽四つ、毛織物六束……四百六十。積載位置も登録済み。よし、右へ二十クヴィント補助錘! そのまま入れられる!」


作業員たちが一斉に動く。


モルネ商会の十二箱が輸送籠から降ろされ、代わりに待機棚の荷が次々と収まっていく。


「やめろ! 私の荷を戻せ!」

「時間ない! ジュール、左二番締め直して!」

「はい!」

「後ろ三番、革帯ひと穴詰める! ギムレット、暴れるなよ。あとで肉やるから!」


ギムレットが不満げに鼻を鳴らす。


「はいはい、二枚やる!」


ガスパールがマノンへ手を伸ばした。

ギムレットの喉から低い唸りが漏れる。


その手が止まる。


「近寄らないで。今のギムレット、出発前で気が立ってるから」

「この……!」

「ジュール、残り何分!」

「八分!」

「全員急いで!」



     *



ゴオォォォォン――。


谷間に出発の鐘が響いた。

東の稜線から朝日が差し込み、さっきまで発着場を叩いていた横風が弱まる。


山と山の間に、一本の澄んだ流れができた。


風の回廊が開いた。


「全固定具よし! 左右の誤差、〇・五クヴィント!」

「よし! 乗員、出発!」


「待て!」


ガスパールが叫ぶ。


石畳の上には十二箱。

その横には、朝日を受けて青紫に輝く星晶石の孔雀像。


「私の品を置いて飛ぶ気か!」

「今朝の便に載せられなくしたのは、あなたでしょうが!」

「私は荷を変更しただけだ!」

「そのために自分で封印を切ったんでしょ!」


マノンはギムレットの首を叩いた。


「飛竜を壊してまで付き合う気はありません! 飛べ、ギムレット!」


騎乗士が指笛を鳴らす。


ギムレットが翼を広げた。


一度。

二度。


巨大な皮膜が朝の空気を捉え、発着場へ風を叩きつける。

ガスパールの外套が大きく翻り、助手が慌てて孔雀像の箱を押さえた。


赤褐色の巨体が地面を蹴る。


飛竜は高度を上げ、山脈の裂け目を走る風へ乗った。

その姿はみるみる小さくなり、朝日の向こうへ消えていった。



     *



石畳には、十二箱と孔雀像だけが残った。


ガスパールはしばらく空を見上げていた。

今日の回廊はもう閉じ始めている。


やがて、鞍具を片付けていたマノンへ向き直った。


「……マノン・セルヴィエ」

「何ですか?」

「この私に、明日まで待てと言うのか?」


マノンは革帯を壁のフックへ掛けた。


「明日の便をご希望なら、今日の正午までにもう一度計量します。孔雀像を載せるなら、十二箱も含めて最初から組み直しです」

「私は、待てと言っているのかと聞いている!」

「私じゃありませんよ」


マノンは発着場の向こうを見る。


さっきまで一本に揃っていた風はもう崩れ、山間の雲をばらばらに散らしていた。


「風が、あなたを待ってくれないんです」

最後までお読みいただきありがとうございました。


面白かったと思っていただけましたら、評価していただけると今後の作品制作の参考になります。

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― 新着の感想 ―
飛竜便の運航に纏わる細かい描写、世界観が素敵でした!
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