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雨の中の紫陽花 ~うつ病の少女に恋をした僕は、愛なら救えると信じていた~

作者: 天月瞳
掲載日:2026/06/30

僕は雨が好きだった。

浅野を初めて見かけたのも、雨が降り続く街中だった。



彼女は薄紫色のワンピースを着て、赤い傘を差していた。

遠くの空を見つめながら、ほんの少しだけ微笑んでいた。



その儚い表情は、今にも消えてしまいそうな泡のようだった。

言葉を失うほど美しかった。




これが一目惚れというものなのだろう、と僕は思った。


けれど声を掛ける間もなく、彼女は人混みの中へ消えてしまった。


それでも幸運なことに、大学のキャンパスで再び彼女と出会うことができた。


今度こそ、僕はその機会を逃さなかった。


自分から声を掛け、連絡先を交換した。



ようやく友達になり、しばらく一緒に過ごしていくうちに、

浅野はとても優しい人なんだと知った。




彼女が怒ったところなんて、一度も見たことがないくらいだ。


ただ一つだけ気になっていたことがある。


彼女の瞳には、いつも淡い憂いが宿っていた。




僕はようやく勇気を振り絞り、彼女に告白した。


「私、うつ病なんだ。それでも気にしないなら、付き合おう」


彼女は淡々とそう言った。


映画の主人公みたいに、

愛があれば、きっと彼女も救える。


僕はそう信じて疑わなかった。自分の愛で彼女を救えるのだと。


「じゃあ、よろしくね」


浅野はかすかに微笑み、小さく頷いた。




うつ病。


あとで調べてみると、不治の病というわけではなかった。


付き合い始めてから、彼女の笑顔は確かに少しずつ増えていった。


それでも時折、彼女は一人でぼんやりと遠くを見つめていた。


まるで、決して辿り着けない場所を眺めているかのように。





その夜、家へ帰ると。


彼女はそっと僕の胸にもたれかかり、心臓の鼓動に耳を澄ませていた。


「机の上の薬、少し増えてない?」


彼女を抱きしめながら、最近ずっと気になっていたことを口にした。


「うん……最近あまり眠れなくて。だからお医者さんが薬を変えてくれたの」


僕はその言葉を、あまりにも簡単に信じてしまった。


すべてが良い方向へ向かっているのだと思っていた。


「あ、そうだ。このサメちゃん、ここに置いてもいい?」


浅野はバッグからサメのぬいぐるみを取り出した。


大好きな彼女が、

「ここに置いてもいい?」と言うだけだ。


断る理由なんて、あるはずがなかった。


そもそも彼女が僕の家に物を置くのは、これが初めてではなかった。


僕はすぐに頷いた。


「もちろん。好きなところに置いていいよ」


「ありがとう。これ、私の一番お気に入りのぬいぐるみなんだ」


浅野は微笑みながらそう言った。




ある日、遊園地でデートをした。


僕は浅野の手を握り、園内のアトラクションを思う存分楽しんだ。


年相応の無邪気な笑顔ではしゃぐ彼女を見ていると、胸がいっぱいになった。


すべてが映画みたいに。


幸せな結末を迎えるのだと、信じていた。




その夜。


スマートフォンに、短い二つのメッセージが届いた。


『ありがとう』


『さようなら』


それが、浅野から届いた最後の言葉だった。


その夜、


僕は何度電話を掛けても繋がらなかった。


翌朝、


警察から連絡が来た。


大雨の降る深夜、彼女は発見された。






それからの数週間、僕はまるで生ける屍のように過ごしていた。


サメのぬいぐるみを抱きしめながら、虚ろな時間を過ごしていると、中に何か違和感があることに気づいた。


ぬいぐるみの腹には、目立たない小さなファスナーが付いていた。


開けてみると、中には丁寧に折り畳まれた一通の手紙が入っていた。



あなたへ。


あなたは「雨が好き」と言った。


私は嫌い。


あなたは「地面に跳ねる水しぶきが好き」と言った。


私は嫌い。


あなたは「雨の中で傘を差す君に、一目惚れした」と言った。



でも私は、あなたが紫陽花みたいだと言ってくれた自分を、

一度も好きになれなかった。


あの日、雨の中にいた私は、本当はもう世界から消えてしまおうと思っていたの。


あなたの瞳に映る自分を見て。


ほんの少しだけ。


あと少しで、私も自分を好きになれそうだった。


ほんの一瞬だけ。


生きてもいいって、信じられそうになった。


あなたと過ごした時間は、あまりにも幸せだった。


幸せすぎて、怖かった。


あなたと一緒にいればいるほど、一人で部屋に戻った時の孤独は、いっそう鮮明になってしまう。


もう私は、この幸せを抱え続けるだけの力が残っていない。


だから、ごめんなさい。


ありがとう。




涙がぽたりとインクの上に落ち、一瞬で文字が滲んだ。


僕は慌てて手紙をずらし、天井を見上げる。


溢れそうになる涙を、必死に押し戻そうとした。



僕が「救い」だと思っていたものは、


ただ身勝手に、


彼女の苦しみを長引かせただけだった。


あの日から、

雨が降るたびに、赤い傘を思い出す。

僕は雨が好きだった。

浅野を初めて見かけたのも、雨が降り続く街中だった。



彼女は薄紫色のワンピースを着て、赤い傘を差していた。

遠くの空を見つめながら、ほんの少しだけ微笑んでいた。



その儚い表情は、今にも消えてしまいそうな泡のようだった。

言葉を失うほど美しかった。




これが一目惚れというものなのだろう、と僕は思った。


けれど声を掛ける間もなく、彼女は人混みの中へ消えてしまった。


それでも幸運なことに、大学のキャンパスで再び彼女と出会うことができた。


今度こそ、僕はその機会を逃さなかった。


自分から声を掛け、連絡先を交換した。



ようやく友達になり、しばらく一緒に過ごしていくうちに、

浅野はとても優しい人なんだと知った。




彼女が怒ったところなんて、一度も見たことがないくらいだ。


ただ一つだけ気になっていたことがある。


彼女の瞳には、いつも淡い憂いが宿っていた。




僕はようやく勇気を振り絞り、彼女に告白した。


「私、うつ病なんだ。それでも気にしないなら、付き合おう」


彼女は淡々とそう言った。


映画の主人公みたいに、

愛があれば、きっと彼女も救える。


僕はそう信じて疑わなかった。自分の愛で彼女を救えるのだと。


「じゃあ、よろしくね」


浅野はかすかに微笑み、小さく頷いた。




うつ病。


あとで調べてみると、不治の病というわけではなかった。


付き合い始めてから、彼女の笑顔は確かに少しずつ増えていった。


それでも時折、彼女は一人でぼんやりと遠くを見つめていた。


まるで、決して辿り着けない場所を眺めているかのように。





その夜、家へ帰ると。


彼女はそっと僕の胸にもたれかかり、心臓の鼓動に耳を澄ませていた。


「机の上の薬、少し増えてない?」


彼女を抱きしめながら、最近ずっと気になっていたことを口にした。


「うん……最近あまり眠れなくて。だからお医者さんが薬を変えてくれたの」


僕はその言葉を、あまりにも簡単に信じてしまった。


すべてが良い方向へ向かっているのだと思っていた。


「あ、そうだ。このサメちゃん、ここに置いてもいい?」


浅野はバッグからサメのぬいぐるみを取り出した。


大好きな彼女が、

「ここに置いてもいい?」と言うだけだ。


断る理由なんて、あるはずがなかった。


そもそも彼女が僕の家に物を置くのは、これが初めてではなかった。


僕はすぐに頷いた。


「もちろん。好きなところに置いていいよ」


「ありがとう。これ、私の一番お気に入りのぬいぐるみなんだ」


浅野は微笑みながらそう言った。




ある日、遊園地でデートをした。


僕は浅野の手を握り、園内のアトラクションを思う存分楽しんだ。


年相応の無邪気な笑顔ではしゃぐ彼女を見ていると、胸がいっぱいになった。


すべてが映画みたいに。


幸せな結末を迎えるのだと、信じていた。




その夜。


スマートフォンに、短い二つのメッセージが届いた。


『ありがとう』


『さようなら』


それが、浅野から届いた最後の言葉だった。


その夜、


僕は何度電話を掛けても繋がらなかった。


翌朝、


警察から連絡が来た。


大雨の降る深夜、彼女は発見された。






それからの数週間、僕はまるで生ける屍のように過ごしていた。


サメのぬいぐるみを抱きしめながら、虚ろな時間を過ごしていると、中に何か違和感があることに気づいた。


ぬいぐるみの腹には、目立たない小さなファスナーが付いていた。


開けてみると、中には丁寧に折り畳まれた一通の手紙が入っていた。



あなたへ。


あなたは「雨が好き」と言った。


私は嫌い。


あなたは「地面に跳ねる水しぶきが好き」と言った。


私は嫌い。


あなたは「雨の中で傘を差す君に、一目惚れした」と言った。



でも私は、あなたが紫陽花みたいだと言ってくれた自分を、

一度も好きになれなかった。


あの日、雨の中にいた私は、本当はもう世界から消えてしまおうと思っていたの。


あなたの瞳に映る自分を見て。


ほんの少しだけ。


あと少しで、私も自分を好きになれそうだった。


ほんの一瞬だけ。


生きてもいいって、信じられそうになった。


あなたと過ごした時間は、あまりにも幸せだった。


幸せすぎて、怖かった。


あなたと一緒にいればいるほど、一人で部屋に戻った時の孤独は、いっそう鮮明になってしまう。


もう私は、この幸せを抱え続けるだけの力が残っていない。


だから、ごめんなさい。


ありがとう。




涙がぽたりとインクの上に落ち、一瞬で文字が滲んだ。


僕は慌てて手紙をずらし、天井を見上げる。


溢れそうになる涙を、必死に押し戻そうとした。



僕が「救い」だと思っていたものは、


ただ身勝手に、


彼女の苦しみを長引かせただけだった。


あの日から、

雨が降るたびに、赤い傘を思い出す。

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