奇妙な同居人
古いワンルームアパートの玄関で靴を脱ぎ、鍵をかけてから蛍光灯のスイッチを入れる。
カバンをどさ、と放り投げるように床においてネクタイを緩め、スーツのジャケットをハンガーに掛けた。
「また残業かよ……なんだよ、今月一回も9時前に帰れてないな……」
誰にとも無くそう呟いて、先月の給料で買った『人を駄目にするクッション』ことヨギボーに腰を下ろした。
いつも使っている駅のすぐ近く、コンビニで買ってきた弁当は、通勤カバンといっしょに床においたままだった。
「……先にシャワーにするかなぁ」
『のう主殿、妾は腹が減った』
不意に、天井の方からやたら色っぽい女の声。
後ろを振り返っても、当然誰もいない。何しろここはワンルームのアパートで、僕ひとりだけが暮らしている家だ。
『主殿? あーるーじーどーのー?』
「あぁもう! 聞こえてますよ! 何なんですかもう!」
視線を上に向けると、なぜか天井に寝転んでいる女と目があった。
『何じゃ、ずいぶんとつれないではないか』
「普通、部屋に勝手に憑いてた幽霊には親切に出来ないと思いますけど?」
田舎から上京した僕は、物件探しにかなり出遅れた。
首都圏の春の物件探しレースの熾烈さなんて、地方都市の大学生には分かるわけもない。まぁ、呑気に卒業旅行で初めての海外に出かけたりして、浮かれていた事は認める。
『いやぁ、もう八割以上埋まってますねぇ。だいぶ出遅れましたね』
どの不動産屋でも同じようなことを言われ続け、何軒もの店をはしごすることになった。
10軒以上の不動産屋で探しに探してようやく契約にこぎつけたのは、京浜東北線の駅から徒歩10分、築20年の軽量鉄骨造りのアパートの一室。1Kという間取りでユニットバス、最低限のキッチンだけがあり、エアコンは据え付けられている。相場で言えば、家賃は10万円くらいだそうだ。
そんな中、僕が契約した部屋は何と家賃3万5千円。敷金は1ヶ月あったけれど礼金ゼロ。契約手数料なんかもおまけしてくれた。
お金も時間も土地勘も無かった僕は、即決でこの家を契約した。
事故物件、という言葉を知ったのは、僕が実際にここに引っ越してきたその日の夜のことだった。
「あぁもう、何でこんな事になったんだろ……」
『良いではないか良いではないか、妾とて久方ぶりに若い男との同室じゃ。日々楽しませて貰っておるぞえ?』
「毎日毎日、風呂は覗くわトイレには入り込んでくるわ」
『妾のような見目麗しい女子とひとつ屋根の下じゃ、若く健康な男であれば催すものがあっても仕方なかろうて?』
「間に合ってますよ……」
このやたらとアンティークな言葉使いをしながら『天井に寝そべって』いるのは、自称『御前』と名乗る女で、自称幽霊とのことだった。
『じゃから妾は幽霊であると言うたであろうに』
「普通は幽霊とか信じないんですよ」
『信じるも信じぬも、こうして妾と話をしておるではないか。何じゃ、相変わらず若いくせに融通の効かぬ男じゃの』
この自称幽霊は、最初は床でベッタリと寝転んでいた。
僕が引っ越してきたその日、狭い部屋の床のド真ん中に陣取っていた。あまりにも邪魔だったけれど、なぜか足だの手だのがすり抜けていく。
『そもそも、妾がこの部屋に居ることを認めたのは主殿ではないか』
「だって普通、幽霊とかみたら『あぁ疲れてるのかな』って思うじゃないですか」
『今まさに主殿も疲れ果てておるようじゃな? ほれ、早う湯浴みをして参れ。今宵もたっぷりと可愛がってやるでの?』
「イヤですよもう……勘弁してくださいよぉ」
『何じゃ情けない。それでも日本男児かえ? 女に閨に誘われて尻込みするなど、情けない』
この御前について一番困るのは、『食事』と称して色々搾り取ってくることだ。
『主殿は安く家を借りられる、妾は若い男の精を頂ける。誰も損をせぬ。「うぃんうぃんの関係」とやらではないか。重畳重畳、もちつもたれつで良いことじゃ』
「御前が美味しい思いするだけじゃないですか……」
『何じゃ? 主殿の「はじめて」を妾が食ってやったときには、腰を抜かすほどに妾のカラダを堪能しておったではないか。妾もずいぶんと久しぶりであったぞ? あれほど夢中になって貪られたのは』
控えめにいって、御前は美人だ。
日頃から御前の顔を見ていると、グラドルなんかを見ても『ふーん』としか思わなくなる。
御前自身は『生前は妾も醜女と言われておったが、何じゃ、今時分「てれび」とやらに出る女は妾が生きておった世では醜女も良いところではないか』と話していた。
太めのくっきりとした眉。
掘りが深く高く大きめな鼻。
ぽってりとした豊かな唇。
垂れ気味で、大きな二重まぶたの目。
そしてこれみよがしにせり出した巨乳と、ご立派な成熟した骨盤を思わせる尻。
健康な成人男性なら、これで意識するなという方がムリな話しというものだ。
『ほれほれ、今日も可愛がってやるゆえ、早うメシと風呂を済ませぬか』
「食費かさむ身にもなってくださいよぉ……今日だってコンビニで1食に2000円近くかかるんですよ?」
『健啖なことで何よりじゃ。その分たっぷりと妾に注ぎ込むがよいぞえ?』
この家で暮らし始めて2ヶ月後くらい、梅雨のジメジメする時期に、僕は敢えなく御前に『喰われて』しまった。
御前にとってはかなり満足の出来るものだったらしく、僕はかなり気に入られたようだった。
以来、僕は御前に『主殿』と呼ばれるようになった。
ほぼ連日連夜、僕は御前に搾り取られているせいか、やたらと腹が減る。
高校生の頃より食欲がましてしまい、とんでもない量を毎日食べないと、すごい勢いで体重が減るようになってしまった。
「はぁ……家賃安くあがると思ったら、食費で結局マイナスじゃないですか……」
『細かいことを言うでない。じゃが、つれなくされるのも悪くないのう?』
「大体なんで毎日なんですか。せめて3日に1回とか、月曜と木曜とか、それくらいの頻度じゃダメなんですか?」
『ダメじゃ。妾は男の精を喰ろうて力を得ておるでな。主殿の精はなかなか味が良い。毎日喰わぬと満足できぬ』
「そうやって何人の男を取り殺したんですか」
『はて、百人から先は数えておらぬ。じゃが、全員が満足して黄泉路へ旅立っていったぞえ? 妾の下で極楽を味おうて死ぬるのじゃ。男子の本懐というものであろうて」
ぺろ、と御前が舌なめずりを始める。
あぁ、今日もまた『喰われる』んだろうな。
コンビニの袋を手繰り寄せて、弁当の容器をテーブルに並べる。
ハンバーグ弁当にカルビ焼肉丼、ペペロンチーノ、お握りが4つ。どう考えても成人男性でも1人が1食で喰う量じゃない。
でも、これくらい食べないと本当に痩せてしまう。
多分、この膨大な量のカロリーは、ボクのカラダを通じて御前に吸い取られているんだろう。
『ほれ、早う喰え。湯浴みも済ませてくるがよいぞ』
「あぁ、早く引っ越したい……でも金が貯まらない……畜生、東京ってやっぱ怖いとこだった……」
『くふふふ……妾は腹が減っておる、今宵も睦み合おうぞ、主殿?』
あぁ、今日も寝られそうにない。
今回のショートショートは、よくある「事故物件ホラー」でした。
今のところ実体験として事故物件を見たことは一度もありませんが、実際あるんでしょうかね……




