1. お爺さんと、お婆さん
むかしむかし……より、ほんのちょっとだけむかしのお話。
イヌイ伍長が、村の外れにあるひときわ異様な建物を訪れたのは、天高く昇った太陽が西に傾き始めた頃のこと。
海辺の丘の斜面にしがみつくように建てられたその家は、黒曜石の礫を積み上げた外壁に、屋根の代わりに巨大な薬草の葉が幾重にも重ねられていた。
海風が吹くたびに屋根の葉がざわめく。まるで建物そのものが囁いているかのようだ。
入口には、古代文字で「薬」と記された布旗が、風に吹かれてヒラヒラと舞っている。
入口の扉をくぐると、鼻をつくような薬草と獣脂の混ざった匂い。真昼間なのに薄暗い室内。天井から吊るされた乾燥草。光を放つ虫の入った琥珀のランタン。
壁際には、歪んだ木の棚が並び、そこには奇妙な形の瓶や、動物の骨で作られた器具、色とりどりの粉末や液体が詰まった小瓶が所狭しと並んでいた。
「おお、イヌイ伍長ではないか。久しいのう」
しゃがれた声で出迎えたのは、背中の曲がったお爺さん。頭には羽根飾りのついた錫杖のような帽子をかぶり、片目に緑色のレンズをはめている。
隣にはお婆さん。蜘蛛の糸のように繊細な布をまとい、手には小さな火の精霊を閉じ込めたガラス球を持っている。
イヌイは、二人に、縄で括った新鮮な川魚を差し出す。
「ほれ、お爺さん、お婆さん。昼に川で釣った魚だ。喰ってくれ」
「わあ、こんなにたくさん。いいのかね」
「大量でな。一人で喰いきれん程釣れた。おすそわけだ。やや臭みがあるから塩をたっぷり塗って焼くと美味いぞ」
「おお、ありがたいのう。つい先日塩を新たに精製したところじゃ」
「ほら見て、お爺さん。鱗が七色に光っている。この魚、薬の材料になるかもしれんねえ」
年甲斐もなく無邪気にはしゃぐ二人を眺め、イヌイはふと、以前から気になっていたことを口にした。
「お二人さん。前から聞こうと思っていたのだが、どうしてこんな村はずれに二人ぽっちで住んでいるのだ。あなたがたが作る薬はよく効くと村でも評判だ。村のど真ん中にデーンと店を構えたらよいのに」
「人付き合いがおっくうなのじゃ」
「私たちには、ここでの暮らしが性に合っているのです」
老夫婦は顔を見合わせて笑った。
「ところで、さっきから熱心に何を作っている」
「新しい薬を二人で考えていたのですよ」
「斬新な新薬をつくりたいのじゃ。イヌイ伍長、なにか良いアイデアはないじゃろうか」
イヌイは顎に手を当て、しばし考えた。
「新しい薬か。そうだなあ、おれは戦士だから、服用した途端に体中に勇気がみなぎり、どんな敵にも怯むことなく戦いを挑むことが出来る、そんな薬があったら有難いなあ」
「面白いアイデアじゃな」
お爺さんが動物の骨で作ったペンをインクに浸し、机の上の紙キレに記録する。
「そもそも俺は薬が苦手でな。もしそんな夢のような薬が出来たなら、その時は甘い団子にでも練り合わせてくれ。そうすれば薬嫌いの俺も服用しやすい」
「そのアイデアも頂きです」
お婆さんが、ポンと手を打ち、にっこりと頷いた。
その時、イヌイの目が、作業場の小さな窓から、ふと外に向いた。
「……何だろう。見慣れぬ形の船だな。漁師の船ではあるまい……」
水平線の彼方に黒く鋭い影が海を滑っていた。帆の形も、船体の輪郭も、この島のどの船とも異なっていた。
イヌイはしばらくその影を見つめ、眉をひそめた。
胸の奥に、冷たい水が一滴、ぽたりと落ちたような感覚が走った。




